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2.

 どのくらい空を飛んでいただろうか。時間にして五分と経っていないように思う。大学から距離が近かったのか、あるいは時速何百キロというレベルで移動したのか、いずれにせよ、短い空の旅だったことは間違いない。

 全身に吹きつけていた風が止み、雪乃はおそるおそる目を開けた。

 鬱蒼とした森の中だった。生い茂る木々の幾重にも重なる葉が太陽の光をほとんど遮り、真昼とは思えないほど薄暗い。だが、葉の隙間から細く差し込む光の筋は幻想的で、まるで光のシャワーを浴びているようだ。

 これまで体験したことのない、浮世離れした美しい光景に目がくらむ。静謐せいひつの中にピンと張りつめる森林の澄み切った空気には目に見えない不思議な力が宿っているようで、心がすぅっと浄化されていくのを感じた。気持ちいい。

「ほい、到着」

 雄飛が烏への変化を解き、乗客だった雪乃・沙夜とともに二本の足で地面に立つ。踏みしめた足もとは雑草であふれかえり、青汁のようなにおいがして夢から覚めた。

「じゃあな、沙夜、雪乃。今後ともどうぞご贔屓ひいきに」

 大きな烏ではなく、出会った頃の少年の姿に戻った雄飛があどけない笑みを浮かべて言う。その顔を、雪乃は目をまんまるにして凝視した。

 他のパーツは出会った頃のままなのに、鼻だけがびよんと前方に伸びている。おそらく誰もが「天狗」と聞けば想像する立派な長い鼻が顔の中央に堂々と居座っていて、彼が烏天狗であることを嫌というほど思い知らされた。

「雄飛」

 沙夜が自らの鼻をさす。「おっと」と言って、雄飛は長い鼻の先端を右手で軽くこすった。シュルルッ、と瞬時に鼻は縮まり、出会った頃の雄飛の顔になる。タネも仕掛けもありすぎる手品を見せられているようだった。

「つい忘れちまうんだよな、鼻を短くするの。せっかく弥勒兄にやり方教えてもらったのに」

 ポリポリと頭をかくと、雄飛は今度こそ「じゃあな」と言ってどこかへ飛び去っていった。背中に生えた漆黒の翼から、何枚かの黒い羽根が抜け落ちた。

「来て」

 沙夜が雪乃の手を引いた。促されるままにからだの向きを反転させると、一軒の平屋が建っていることに気がついた。

 瓦屋根の立派な建物だった。現代風の二階建て住宅とは違い、横に長く造られている。

 平屋の奥に、一回り小ぶりの建物もあった。母屋と離れ。そんな風に見える。

 沙夜は雪乃の手を握ったまま歩き出し、母屋の引き戸をガララと開けた。下駄を脱いで上がりかまちを上がり、膝をついて脱いだ下駄を丁寧に揃える。その小さな姿をまじまじと見つめながら、しつけが行き届いているなぁと感心していた雪乃に、沙夜は上がれと目で訴えかけてくる。

「お、お邪魔します……」

 雪乃も履いていたネイビーのパンプスを脱いで揃える。沙夜は左右に分かれている短い板張りの廊下を右へ行き、すぐにぶつかった扉の向こうへと消えていく。

 慌てて追いかけると、そこは居間であるようだった。畳敷きの八畳間で、楕円形のちゃぶ台と四枚の座布団が中央に、書棚と文机ふづくえは端に寄せて整然と並べられている。窓のある壁際には薪をくべて使う暖炉が、対面といめんの壁には高さ一メートルほどの立派な振り子時計が置かれていた。

「や! にんげん!」

「にんげん! にんげん!」

 天から降ってきた突然の奇声に、雪乃はおもいきり肩をびくつかせた。声のした頭上を見上げると、黄色がかった二つの明かりがゆらゆらと楽しげに揺れていた。

「ちょ、提灯ちょうちん……?」

 キャハハと笑い声を立てる二つの明かりは、祭りなどで見かける提灯だった。縦四十センチほどのやや大きめなそれには各々(おのおの)二つのぎょろ目と一つの口がついていて、笑い続ける口からはベロリと長い舌がはみ出している。

「提灯オバケの、ようめい

 沙夜が二つの提灯を指さして言った。

「沙夜と同じ。パパの家に住んでる」

 なるほど、この山奥に電気が来ているとも思えないし、彼らが住み着いているというのは明かり取りにちょうどいい。あるいは円や櫻子がお願いして住んでもらっているのかもしれない。

 頭上でキャハキャハ笑い続けているオバケたちに、雪乃は「こんにちは」と挨拶してみる。陽と明は笑うばかりで、彼らが動くたびに光と影の塩梅あんばいが変わった。

「ここで待ってて」

 沙夜は再び廊下へ出て行こうとする。

「パパ、起こしてくる」

 引き戸を開け放ったまま、沙夜は玄関の前を通過し、別の部屋へと消えていった。家に上がってすぐ左手に引き戸があり、その先はどうやら寝室らしい。

 背負っていた黒地のリュックを足もとに置き、改めて雪乃は通された居間をぐるりと見回してみた。

 物が少ない分、片づいているようには見える。しかし、そこかしこに降り積もった埃の山は看過しがたく、長い間掃除がされていないことを物語っていた。沙夜の言うとおり、家の中がひどく汚れていることに気を回す余裕がないほど、家主の日々の生活は切羽詰まっているようだ。

 まもなくして、沙夜がひとりで戻ってきた。

「パパ、起きない。いつもの時間にならないとダメ」

「いつもの時間って?」

「四時」

 雪乃は腕時計に目を落とす。まだ三時にもなっていない。

「一時間か……」

 それだけたっぷり時間があれば、掃除くらいはしてあげられる。居間だけでなく家中が埃だらけだろう。やりがいがありそうだ。

 私がここへ呼ばれたのは、家政婦として働くため。まだ雇い主に会っていないし、働くと決まったわけでもないけれど、どうせ時間を持て余すんだから、少しでもできることをしてあげられたら喜んでもらえるに違いない。

「沙夜ちゃん」

 そうと決まれば、さっそく行動だ。

「お水の出るところ、教えてくれる?」

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