桜の頃
南田洋子さんが亡くなりましたね。
たぶん、夫の長門博之さんはこんな事を思うのでは無いでしょうか?
まぁ、このニュースを知るずっと前に書いたものなんですけどもね
なんとなくタイムリーなんで
長く連れ添うってすごいですね!
桜の頃
表に何も書かれていない、茶色い枯れた色の便箋が、洋服箪笥の奥から出て来た。私は封の開いたそれを手に取り、中身を取り出してそこに書かれているものに目を通した。
「僕が桜を好きだって言う事は、君も知っての通りだけど、今年の桜は何時にも増して綺麗だったね。今はもう葉桜になりかけだけど、今年の桜は散っても、僕の中でずっと咲いている気がするんだ。
この一週間、天国と地獄を見た気がする、君もそう感じているかな。先週、川沿いの夜桜を見に行こうとして、喧嘩しちゃったよね。君は自分の事を責めていたけど、本当に悪いのは僕だった、ごめん。
僕が桜を楽しみにし過ぎて、それを君と共有したくて、君にも僕と同じ温度を求めてしまった。だけど、君は仕事で疲れてて、「疲れた」とか「夜桜より、昼間の桜が好き」とか言ったから、僕はなんか急に頭にきて、寂しくなって、ふてくされてしまったから、君と口もきかなかった。急に黙った僕に君は戸惑っていたね。だから、僕らは手こそつないでいたけど、何も喋らないで冷たい風の吹く中を足早に、ろくに桜も見ないで歩いたんだよね。
僕は正直、君と別れようとも思ったんだ、一瞬だけど本気でそう思って、ずっと君に言いたい事が頭をめぐってた。そして、家に帰ってから掛かってきた君からの電話で、それをぶちまけてしまったんだよね。普通は桜をもっと楽しみにするだろうとか、君と桜を見に行こうとした僕が悪かったんだとか、桜は世界で一番好きな花だったけど今は一番嫌いになってしまったとか、本当に君にひどい事を言ってしまった。高々桜なのに、あんなに熱くなってしまって、今思うと馬鹿馬鹿しいけど、僕は僕なりに本気の気持ちだったんだ。君もそれは分かってくれたけど・・・。
でも、やっぱり君は僕との別れを選んだ。
電話口でのやり取り。あっけない終わり方。でも、僕は勢い、清々した気持ちだった。
だけど、次の日、君からまた電話があって、僕らは会う事にしたんだよね。やっぱり相当悩んだよ。僕は今まで人を許した事がなかったから、今度もまた許せないと思った。でも、顔を見てはっきりさせたいとも思ったんだ。
君の家の近くの喫茶店、窓際の席に座って、君は笑っていたね。すっきりしていた顔をしていたけど、目を赤くしていた。
でも、結局そこでは何も言えなくて、僕らは住宅街の桜並木に行ったんだよね。いい陽気で、皆が満開の桜を見てて、君は嬉しそうな顔していた。僕は君の横顔を見ていた。
そして、気が付いたんだ。桜より綺麗な花が、僕の側に咲いていた事を。
君の広い心に、今はすごく感謝しています。
次の日、また少し散りかけの川沿いの夜桜を見に行って、綺麗な満月も出ていて、今度こそ僕らはゆっくりと桜の美しさを共有できたんだよね。君は聞いた。「また、桜好きになってくれた?」僕は迷わず頷ける事ができた。君のおかげだ。それで僕は感じたんだよ。
来年も君と桜を見たいって。その次の年も、その次の年も、その次も二人が白髪になるまで、この美しい桜を見たいって。
だから、美智子、僕と結婚して下さい。
恥ずかしくて、手紙になってしまったけど、本当の気持ちです。桜は毎年咲いてくれる。その度に、僕は君の事を愛していると思う。
必ず。誓います。だから、結婚して下さい」
私は熱くなる目頭を堪えながら、便箋を元に戻した。四十年前の初々しい妻の顔が、瞼の裏に浮かんでくる。三年ぶりに遺品を整理して、まさかこれが見つかるなんて。
君が先に逝ってしまうなんて思いもしなかったよ。今年も桜は綺麗に咲いているのに、私はいったい誰に綺麗だねと言えばいいんだ?美智子・・・。
あぁ、桜は今年も綺麗に咲いているよ。
終