土蜘蛛の罠
燈の言葉で前方をよく見てみると、大量の蜘蛛が立ちはだかっていた。
ふり向くと、後方からも蜘蛛がすぐそこまで迫っている。
竜次たちは完全に、挟みうちにされていた。
「しまった……」
灼が苦々しげに、舌打ちをする。
一部の蜘蛛たちが1階の階段付近で網を張って待ちぶせし、竜次たちがかかったら、残りの蜘蛛のところまで追いつめて挟撃する。見ごとな連携だと認めざるをえない。
しかし、感心している場合ではなかった。
「どうするよ、これ……!!」
苦手な蜘蛛が迫ってきたことで、竜次はすでに半狂乱になっていた。
燈と灼は黙ったまま互いに目配せをすると、竜次を挟んで燈は前方の敵に対峙し、灼は後方の敵に向きあった。
それぞれ、刀とエアガンを構えている。
「竜次くん、いい? わたしたちが囮になるから、隙をみて逃げて」
燈が蜘蛛から目線を外さずにいう。
「そんなことをしたら、ふたりが危険じゃないか!」
「大丈夫よ。わたしたちには、ちゃんと奥の手もあるから」
「奥の手?」
「灼は気に入らないかもしれないけどね」
いうやいなや、燈が飛びだした。
蜘蛛を次々と斬りふせていく。その動きは粗野な感じは一切なく、まるで舞いでもまっているかのように優雅だった。
「おい、竜次!」
「べ、別に見惚れてなんかないし!!」
「…………」
灼に突然呼ばれ、竜次は思わず慌てた。
背中越しでも灼が呆れているのが伝わってきたが、無視することに決めたらしい。
「お前、最悪の場合は窓から飛び降りろよ」
「は!? ここ2階だぞ!?」
「死ぬと決まったわけじゃない。ここにいて喰われるより、はるかにマシだろ」
エアガンを撃って蜘蛛を牽制しながら、灼が続ける。
「燈様はああいっているが、僕は奥の手なんか絶対に使いたくないからな……。その場合、お前を安全に逃がすのは、多分無理だ」
竜次は、いわれたことを頭の中で整理した。
事情はよくわからないが、どうやらその奥の手とやらを使えば、自分を安全に逃がす隙くらいは作れるのだろう。
しかし、理由は不明だが、灼は何としてでも使いたくないらしい。たとえ、3人がどのような目に遭ったとしても。
そして、その場合、危険ながらも自分は2階から飛びおりることを強要されるようだ。
それなら、さっさと奥の手を使ってほしい、と竜次は切実に思った。
「その奥の手って、何なんだよ!? 使えば、皆んなが助かるんだろ!?」
「いわないし、使わない。だったら、窓から逃げたほうが、ここに残るよりずっといいだろう」
「このわからずや!!」
何をいっても、灼の意思は揺らがないようだ。
(オレを窓から逃して、ふたりはどうするつもりだ? ここに残るよりマシって、まさか死ぬつもりなのか……? こうなったのも、全部オレのせいなのに?)
竜次の心の中で、後悔が渦巻く。
灼はそれには気づかないらしく、さらに続ける。
「いいか? 教室の窓から降りて、真っ直ぐに警備員の詰所を目指せ。あそこなら、安全なはずだ」
「でも……」
「いいから、早く!」
灼にものすごい形相で急かされ、竜次は脇にあった手近な教室の戸をガラリと開けた。
(どうすればいい? 本当に、このまま逃げていいのか……?)
教室に一歩足を踏みいれた。しかし、それ以上、足が進まない。
うつむいて自分の足を見つめながら、竜次は自問自答をくり返した。
しかし、考えはまとまらなかった。
ふたりを置いて逃げてはいけないと、人としてもちろん思っている。
しかし、心の底では、この場から逃げだしたい自分がいることも確かだった。
そして何より、この場に留まることが、灼たちの足手まといになっている自覚があった。
だが、これは体のいい、いいわけなのではないだろうか。
ポタリ――。
突然足もとで、何か液体のようなものが落ちた音がした。
不思議に思ってライトで照らすと、シュウシュウと白い煙を出して、床がほんの少し溶けていた。
「へ?」
竜次が恐る恐るライトを上に向けると、巨大な蜘蛛が天井に張りついていた。
口からはヨダレを垂らしており、これで床を溶かしたらしい。
大きさは3メートル以上ありそうだ。廊下にいる蜘蛛たちの比ではない。
竜次は直感的に、外の子蜘蛛の親だとわかった。
(確か、燈ちゃんが土蜘蛛とかいっていたっけ……?)
しかし、土蜘蛛がどのようなものかも、竜次にはよくわからなかった。
ただ、友好的な性格をしているものではないことだけは、わかった。
4対の眼が、竜次を睨みつけている。その眼はらんらんと殺気だっていた。
「ヤバい!!」
竜次は考えるより先に、足が動いていた。慌てて教室から逃げだそうとしたが、足に何かが絡みついた。
白い蜘蛛の糸だった。糸が何本も合わさり、綱のような太さの束になっていた。しかも、粘着性と強度が強く、振りほどくことができない。
苦戦しているうちに、身体全体を糸で巻かれ、スマキにされてしまった。
「こいつも口から糸を出すのかよ!!」
竜次が忌々しげにいった。親なのだから、当然といえば当然なのだが。
それよりも、先ほどのヨダレの強力な酸のような成分が、微妙に糸に含まれていることのほうが問題だった。
まだ腕は平気だが、先に巻かれていた足の制服が焦げたようになり、微かに煙が出ていた。
「竜次! くそ、挟撃まで陽動だったのか……!」
気づいた灼が叫んで、駆けよろうとする。しかし、目の前の子蜘蛛で手一杯らしく、なかなかこちらに来られない。
燈も似たような状態である。
助けは望めない。もともと、自分が蒔いた種なのだから、仕方がない。
巨大な土蜘蛛が迫ってくる中、竜次は覚悟を決めた。
○
土蜘蛛は、この教室へ逃げこんでくるエサを最初から待ちかまえていた。
そのために子蜘蛛たちを自分の意のままに操り、この教室の前でエサを挟みうちするように仕向けていたのだ。
恐るべき狡猾さである。
そして、まんまとその罠にかかったのが、竜次だった。
抵抗できないように糸で捕らえ、ヨダレでドロドロにして弱ったところを喰べる。土蜘蛛の得意な捕食方法だ。
今回はエサの数が多いので、捕食の邪魔になるものは子蜘蛛たちが足止めをしてくれている。
焦らず、1匹1匹、順番に喰べていけばよい。
土蜘蛛は天井から壁をつたって、ゆっくりと降りた。
獲物が、恐怖で青ざめている。若々しいので、男にしては、なかなか美味しそうに見える。
欲をいえば、人間の女をたくさん捕食できたら嬉しかった。
肉の柔らかい人間の女のほうが、溶かす時間が少なくてすむし、何なら溶かさなくてもいい。抵抗されても、大した力がないのだから。
溶かしていない人間は肉を喰べている感じがして、それはそれで好みなのだ。
しかし、最近は人間を捕食しづらくなっている。あまり贅沢もいっていられない。産まれたばかりの我が子たちにも、栄養のよい食べものは必要だ。
さらに、今回はこの獲物の他にも、外にまだ上物がいる。人間と違って肉は硬そうだが、極上の霊力だ。
土蜘蛛は、久々に心が躍っていた。
発達した歯をガチガチと鳴らしながら、獲物に近づいていく。
この牙を獲物につき刺すときの感覚を想像すると、ヨダレが止まらない。
いけない、いけない。ヨダレには強力な酸が含まれるいるから、むやみに出してはいけないというのに。
ゆっくり味わう間もなく、獲物が溶けてしまう。
8つの目で獲物を見つめながら、土蜘蛛は考える。
まず、どこから喰べようか。
まだ外にも獲物はいるのだから、好きな部位をあとにとっておく必要もない。むしろ最後まで残しておくと、子どもたちのエサになってしまう。
それならば、一番美味しいところから、盛大に喰いちらかしてしまおう。
土蜘蛛は、獲物のある部位に狙いを定めた。
そして、人間がこのような場面で用いる言葉を、礼儀としていうことにした。
「イタダキマス」
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