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第八話「倒したい相手」・バーチャルワールド
ボスの名前は《憤酸と赤の女王蜂》で、見上げないと把握できない全身と上下の口から飛び出た四本の鋭い牙。フックみたく湾曲した巨大な針は工事現場がよろこびそうな破壊兵器だ。ぶんぶん羽を鳴らして飛んでいる現実の蜂がちんけな存在に思える。
「集中するのしんど」わたしは指で鼻をこする。戦いは終盤を迎えていた。
「ここまで長いのはじめてだもんね」レンカはわたしの背中を上から下にさすった。咳をしているわけじゃあない。視界の端っこでは、わたしたちとは別のチームが取り巻きでわく小型の蜂を駆除している姿が映る。
「ほら頑張れ。もうすぐ倒せる」ライルさんはわたしの肩に手をおく。「それに疲労システムはないぞ」前にも言われたなあ。
わたしは女王蜂の頭の上を見る。三本もあったライフバーもラスト一本だ。オシャレボウズのチームと挟みこむ陣形でヘイトの管理をていねいにマネジメントして削り続けた。
「おら」「ふん」ナイトさんの槍とレットさんの両手斧が女王蜂の腹部に当たってぐらりと空中でよろける。彼らが下がると反対側から魔術の詠唱がはじまる。声が反響して詠唱しているプレイヤーのまわりにゆがんだ文字が浮かぶ。
「祈る火。灼熱の業。解き放つ花の衝撃」
「水は鋭く。刃は重い。放つ静寂の斬撃」
「轟く雷。轟け雷。解放する雷鳴の一撃」
魔術はマナを消費する。中位クラスを超える魔術には詠唱が必要になる。オシャレボウズのチームには魔術師が三人も居る。
「詠唱ってカッコよくないか」ライルさんからの問いかけ。
「ライルさん、よくわかってますね」レンカは握りこぶしをつくる。
「ぞくぞくしますね」わたしは口角を上げる。普段は言えないからこそ魅力を感じる。
「まったくわからない」ナイトさんとレットさんがハモる。
「業花爆撃」「水刃烈斬」「轟轟雷雷」
花のかたちをした火の玉が女王蜂の全身を燃やす。水の刃で水蒸気爆発が起こる。最後に稲妻が落ちる。魔術を三人が同時に使うことで《クロスマジック》という現象が発生して技の威力が上がる。追加効果で白い斬撃が交差して女王蜂にダメージを与える。
「キシャア!」女王蜂は唾液を飛ばした咆哮をする。
ライルさんは目を細めて耳をほじった。「うるさいのも立派な武器か」
「人間には無理ですよ」わたしは片耳をふさいで答える。
「だな。さすがモンスター。さすがボス。最高だな」
「興奮しますよね!」レンカはふんすと鼻から息を出した。「カグラはどう。楽しくない?」
「よくわからん」わたしは首をひねる。対人戦の楽しさはわかった。けれど、モンスターとの戦いはプログラムが相手じゃんと思ってしまう。思考と思考のぶつけあいや駆け引きが生まれるプレイヤーとの勝負のほうがわたしは好きだ。
「もう一気に攻めるか」ライルさんがボスの現状を見据えて言う。女王蜂のライフは残り三割を切っている。「総攻撃で落ちそうだしな」ナイトさんが槍を構えなおした。
「ストップ」レンカがまじめなトーンで言った。「色が変わる。そのあいだは無敵タイム」
「色?」ひっかかりのある発言にわたしの頭に疑問の花が咲いた。女王蜂をよく見る。様子がおかしい。全身から蒸気が立ちのぼる。部屋がむわっとする。
(まじか、まじかまじか。本当に変わった)
わたしはごっくんとつばを飲んだ。女王蜂は図鑑で見る蜂とはかけ離れた赤色に染まった。海外にもいねえよとツッコミたい。ライフに変化はない。血にぬれているような見た目。恐怖ゲージが爆上がりです。
「レンカは知ってたんだ」
ならもっと早く言えよ、とわたしはその言葉を腹の底に沈めた。
「うん。ベータで戦ったことある。その時よりも強いと思うけど」
「キシイ!」女王蜂が大きく距離をとってホバリングしはじめた。初めて見るアクションだ。
「攻撃パターン変更の予兆かもしれない。レンカ君はわかるか」ライルさんは前髪をかきあげて聞いた。「経験があるんだろ」
「そうだなー。まずベータ版と同じなら小型蜂がさらにわきます。のんきに対処してたら最終的にボスが発狂してゲームオーバーですね」じょうぜつにネタバレするレンカ。「ライルさんの言うとおり、もう落としにかかったほうがいいですよ」
「一番やりそうで一番やられたくないパターンだ。破壊者……いや破壊蜂か」
「どっちでもいいし、どうでもいいでしょ」わたしは毛先をいじる。
「私も死んでる」「え、死んだんだ」わたしの興味がレンカに移る。「死んだ。私だって無敵じゃないよ」それもそうか。わたしのなかにあるレンカのイメージは、圧倒的に強いが八割で残った二割はあおり好きだ。
「ボスをたたくぞ。どっちかこい」ライルさんはわたしとレンカをちらっと見る。「ざこは任せるぞ、レット、ナイル」ひとりで先にボスに向かっていった。地面から囲むようにして小型の蜂があらわれる。ボスと同じ色だ。
「私がざことやるから。カグラがいって」「え、わたしですか」「なんで敬語なの」
レンカは肘でわたしの体を押した。「私より強くなるんでしょ。だったら強い環境にダイブしなよ」今度は言葉に押される。
「わかった。いってくる!」迷っている自分を殺す。わたしは包囲のあいだにできたスペースを走り抜けてライルさんを追いかけた。
「君がきたか」ライルさんは並走するわたしを見た。
「意外でしたか」前を向いたまま聞く。
「レンカ君に背中を押されたって感じだろ」
「よくわかりましたね」エスパーみたいな鋭さだ。わたしは口をイーっと横に広げた。
「やっぱりいい関係だね」
「たまにですけど、友達でよかったなあって思ったり」
「お、すなおだね。本人に言えばいいのに」
「嫌です。調子のるんで」
「間違いないな」
女王蜂の顔が動く。わたしとライルさんを捉えると、口から黄緑色の液体を吐き出す。
「うお!」わたしとライルさんの声が揃う。かわそうとしたら液体が分離した。意表をつかれた。いまの位置だと頭から液体をあびることになる。
(スキルの出し惜しみとかしれらんないな)
わたしは《俊足》のスキルを使って液体から逃げる。マナを消費することでいつもより速く動ける単純なスキルだ。持続的にも使えるがその分だけマナも減るから、使いかたには注意が必要だ。
(分断とされた。最短距離もつぶされた)
わたしは液体が気になって振り向く。スキルを使う前に居た場所から煙が出ていた。もしかしなくても溶けている。
(あびてたら一発アウト。そっか。ボスの名前が攻撃とか特性のヒントになってるのか。漢字ばっかりじゃんとしか考えてなかった)
わたしはライルさんと短い再会をする。「大丈夫か」「ノープロブレム」ボスに向かって前進する。進路を妨害するように小型の蜂があらわれてもライルさんと協力して秒殺する。
「気になってたんですけど」わたしは唐突に質問する。「ライルさんは盾持ちなのにガンガン前に出て攻撃に参加しますよね」
「そっちのほうが俺にあって楽しいからな」ライルさんは微笑んで答える。盾を装備すると守備力は上がっても攻撃力は落ちる。レンカは動きを制限されることが嫌だから使わないと言っていた。わたしの刀系の武器は装備できない仕様になっている。
「俺の盾は俺自身を守るためにあって誰かを守るための盾じゃない」ライルさんは息継ぎをしないで言いきった。
「いろんなプレイヤーを敵にまわしそうな発言ですね」
「だったらその全員を倒して俺が正しいと証明する」
わたしは半笑いする。「エゴの塊かよ」
「嫌いかい」ライルさんが聞く。「いいんじゃないですか」わたしは簡潔に返答する。
わたしとライルさんは「はっ」と笑ってボスに意識を切り替える。腕を伸ばせば武器が届く位置まできた。ここが勝負だ。
「わたしは上からレイアーツで攻めます。ライルさんは下から」
「上から?」「わたしとべるんで」止まって両足を踏ん張る。「ディープインパクトだな」「それは名馬だよ!」ツッコんでから地面を蹴った。ふわりと浮遊感。次に映った景色は女王蜂の頭部を見下ろせるところ。《跳躍》のスキルの効果。マナを消費する量で高さの幅を自由に変えられる。使用する条件として踏ん張りと蹴る感覚が必要なので空中では使えない。
わたしは空中で太刀を振りかざす。「一撃ノ太刀」カタカタと刀が震える。刀身が赤黒いオーラに包まれる。この技は他のレイアーツより攻撃に特化している。《跳躍》スキルの自由落下も加えて威力はさらに上がる。「せあ!」レイアーツが女王蜂の脳天を直撃する。刀が女王蜂の頭にめりこんでいく。柄を握る力はゆるめない。「ああッ!」腹から。喉から。わたしは絶叫する。
「キシイィ……」女王蜂は弱々しい声を漏らす。残ったライフがなくなる。虹色の結晶となって強烈にはじけた。スカッと刀はなにもない空間を斬った。「あ、やば」わたしはしくじりをおかす。着地のことを考えていなかった。重力に従って体は加速していく。地面にまっさかさまだ。
「キャッチあんどホールド!」レンカは落下地点にスライディングして、落ちるわたしを抱きしめる。落下死から救ってくれた。「言うことあるよね」きつねのような目で見てくる。
「うおー、生きてる」わたしは棒読みでばんざいした。「冗談だよ。ありがとう」
「よろしい。先のこと考えずに跳んだでしょ」
「先のこと考えてばっかだとなにも行動できないじゃん」
「カッコよく言ってんじゃない」レンカにデコピンをくらう。わたしはしぶい柿を食べたような顔をつくった。「なんちゅう顔してんだ」
「甘いと思ったらまだしぶかった柿を食べた時の顔」わたしはレンカから離れて自力で立ち上がる。ずっと腕のなかにいるのは恥ずかしい。首を振ってまわりを確認する。
(人数が減ってる。誰も死なずは難しいか)
わたしは息を吐いて太刀を指輪に戻した。
「お疲れ」歩みよったライルさんが縦向きにしたこぶしを突き出した。「最高だったよ」
わたしもこぶしを当てて行動に応える。「みんなの勝利だと思います」ふっと微笑みが表にあらわれた。
「そのセリフ、恥ずかしくないの」レンカはけらけらと指をさして笑う。
「ちょっとだまれ」「言いかたがドライフラワー」「意味不明」「四字熟語かな?」
わたしは力の入れた右足をレンカに伸ばす。ひらりと彼女は避ける。むきになってショットガンように蹴り続けてみても当たらないので潔くあきらめる。
「でもやっぱり」わたしは気持ちを入れ替える。「チームプレイだと自分が強くなってるのかわかりづらいなあ」
「カグラ君は個の強さを求めてるのか」
「はい。倒したい相手が居るので」わたしは親指をレンカに向けた。
「モテるなー、私ってば」レンカと目があう。このこのっと小突きあいがはじまった。
「ならひとつアドバイスをしよう」ライルさんは顔の前に指をぴんと立てる。「相手を超える意識を持つよりも、自分を超える意識を持つといい」
「対象が違うだけで変わるんですか」わたしは飾りけなく聞いた。
「それはカグラ君が自分で見つけてこそ価値が生まれるものだよ」ライルさんはウインクを添えて言った。