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第二話「獄中のひまつぶし」
「テンション上がるって、ヤマトさんの口ぐせですか?」光が差しこまない場所でわたしは疑問を口にする。
「なんだ突然」ヤマトさんは上半身をメトロノームのように左右に動かす。
「気になったから」
「口ぐせって自覚はないけどなあ」
「なるほどお」
「ほらそこ。現実逃避しないの」ハナさんがわたしとヤマトさんに言った。ぶうーとリップロールをする。不満を行為であらわす。
(まさか誘拐の容疑をかけられるとは思わなかった)
わたしたちはいま拘束されてグレイス城の地下の牢屋に送りこまれていた。手首と足首はくさりでできた拘束具で縛られている。牢屋という閉鎖的な環境でも自由に動くことが許されていない。装身具も没収された。
(勢いをつければ立てるけど、移動はジャンプしないときついな)
わたしは重たい手首を顔の近くまで持ち上げた。ジャラリとくさり同士が擦れる。金属特有の刺激臭が鼻腔から入って口腔から吐き出す。ひまなので記憶のしおりを挟んだページに戻ってみよう。
ツバキを助けたあとは、安全なエリア(要はグレイス城)まで一緒におしゃべりしながら戻ることになったんだ。無事に到着したのはいいけど、ツバキを捜索していたグレイス城の専属騎士に見つかって包囲されてしまった。そして結論はこうだ。向こう側のメントスコーラをした時のような盛大な勘違いによる連行。たとえるなら、前髪の隠れた勘違い主人公がルート分岐の選択肢をミスって浮気して「わたしとわたしのお腹にいる子ども。そしてきみとで仲よく死んじゃお」と闇落ちした幼なじみのヒロインに刺殺されるバッドエンドシナリオってわけ。
(なんかいま、読者に語りかけている一人称視点の小説みたいだった)
わたしはつまらぬことを考えてしまったと目を伏せる。いまは大女優のように待つことが最適解だ。
(ツバキがわたしたちの無実を主張してくるって言ってたし、暴れたりなんかしたら本当に誘拐したと思われる。ただまあ、指は動くんだよなあ。ウインドウは開けるからログアウトはできる。再ログインした時のスタート地点はここだけど)
わたしたちを見張っている看守役の騎士の腰を抜かす未来が想像できるだけだ。自由になるまでの時間つぶしでヤマトさんとコミュニケーションをはじめた。
「ハナさん、別にわたしとヤマトさんは現実逃避していたわけじゃないです」真顔で首を横に振る。
ヤマトさんは首を縦に振る。「そう。口ぐせがないおまえは会話に入る余地すらない」
ハナさんはむすっとした顔で右頬を膨らませた。誰が見ても機嫌を損ねたことがわかる仕草だ。
ハナさんはわたしを見た。「カグラさんには口ぐせがあるの?」
「はいはーい、私は知ってます」レンカは拘束された手首を高くあげる。「カグラはよくふむって言いますよ」わたしも対抗する。「レンカはいいねとか刻むよとかよく言ってる」
「なにそれ、カグラの気のせいだよ」
「そんなわけあるか。わたしが言ってるんだから間違いない」
「それって私のことよく見てるってことだよね。うれしいな、えへへ」レンカは頬を赤らめてわざとらしく身もだえした。ジャラジャラとくさりが踊る。
わたしは地下のまずい空気を吸う。「気持ち悪い。うるさい」
「カグラはいつからそんなひどい女の子になっちゃったの。あと。うるさいのは仕方ないんですけど。見たらわかるでしょ、ほらほら!」
レンカは腕を前に突き出して動かない手首をわたしにアピールする。だからうるさい。
「なあ」ヤマトさん。「刻むってどういう意味なんだ」
「えっとですね」わたしは視線を上にする。「相手を切り刻むとかの好戦的な意味をあらわしています」
「なんてイタいやつなんだ」
「あんたのテンション上がるもかなりイタいでしょうが」レンカは舌を出してヤマトさんを挑発した。
「気分がいい時はテンション上がるだろ!」ヤマトさんも安い挑発にのっかった。
「じゃあふつうに気分がいいでいいでしょうが!」ややこしい言いかたをするレンカ。
「こっちのほうがカッコいいだろ!」
「そういうのがイタいの!」
「おい貴様ら、静かにしろ!」
看守の騎士が太い声をあらげた。レンカとヤマトさんのディベートに鳥肌が立つような冷水をあびせる。静かになった地下と、視線を集める見張り。
ヤマトさんは鉄格子越しに騎士をにらむ。「うっせえ。体の自由は奪われても、言葉の自由まで奪う権利はないだろ」
「見張りっていう出世ルートからはずれたやつに、私たちがでかい声を出しただけでビビると思ってんのか」レンカのてだすけで騎士は絶句する。
わたしは視線を鉄格子からハナさんに移した。機嫌はなおったかな思えば口が小さく動いている。聞き取ろうとしてわたしは耳を傾けた。
「口ぐせか。そればあれば、もっと後輩と話せるきっかけが」
「……」わたしは半目で先輩を見る。このひとは後輩欲に飢えすぎている。
わたしはまぶたを力強く閉じる。目つきをリセットした。骨盤を引き上げるイメージで背筋を伸ばし、左右のお尻を交互に動かしてハナさんの隣まで移動する。
「ハナさんってヤマトさんのこと好きなんですか」わたしは小声でハナさんに聞いた。
「いきなりね」ハナさんは目を大きくする。「まったく好きじゃない」即答した。
「照れ隠しとかじゃなくて?」わたしは質問を投げ続ける。
「カグってひとの恋愛とか興味あるんだ」
「え、カグってわたしのことですか」わたしはまばたきの回数が増える。いきなりあだ名で呼ばれるなんて思わなかった。
「あれぇ。だ、だめだったぁ」深緑色の瞳が激しく揺れる。「だめじゃないです。カグで大丈夫です。カグって呼んでください。話の続きもお願いします」わたしはすかさずフォローをした。ハナさんの目から動揺が消える。
「えっとねぇ、ヤマトは目を離すとだめなひとだから近くに居るだけなの。幼なじみでそれなりに理解も深いし」
わたしはなるほどと思った。愛のラブじゃなくて、友愛と書いてラブと読むみたいな。レンカのラブコメセンサーはポンコツだってことが証明された。
「あたしはね」ハナさんはわたしに微笑む。「自分で言うのもなんだけど、けっこうな面食いなの」
「へえ。有名人とかだと誰みたいなのあるんですか」
「そういうのはないけど、外国のひとがいいかな」ハナさんの興奮した声で言う。「顔面バロンドール系」口から出る熱い吐息がわたしの頬に浸透する。
「ハナさん、バロンドールの意味わかってるんですか」
「サッカーがすごく上手い選手が受賞するやつだよね」
わたしは言葉に迷った。「うんまあ、大雑把に言うとそうです」考えることをやめて認める。
「カグはサッカー経験者だったりするの?」
「違います。中学は陸上で短距離やってました。あとはパルクールのクラブチームにも所属していました」
「すごい。じゃあ、とんでもアクロバティックとかできるんだ」
「一応はできますけど、やりませんからね。近くに人が居たら危ないですから」
わたしは両手を握りこんだ。レンカ以外に自分のことを話すことははじめてだ。
(わたしも変わったってことなのかな。泣いた日から体が軽くなった気がするし)
わたしは握りこんだ両手を一気に解放した。全部の指が反り腰みたいになった。
「あたしも質問していいかな」ハナさんは優しい瞳をわたしに向ける。「ちゃんと楽しんでる?」
わたしは目を見開く。「楽しい、ですか」
「はじめて会った時といまのカグは、印象がまったく違うよ。もちろんいい意味でね。楽しいものを見つけたんだって思ったから」
「よく見てますね。前まで親しい後輩なんて居なかったって聞いてましたけど」
「それは言わないでぇ。どうやったら仲よくなれるかを模索してたら、人間観察が得意になっちゃったのぉ」ハナさんの上半身が前に倒れた。おでこがひざと密着している。
わたしは悲しい能力だなあ、とは思いつつも声には出さない。「大丈夫ですよ。いまはわたしとレンカが居るから」元気になる言葉をかける。
「そうだよね!」ハナさんはびっくり箱を開けたかのような勢いで上半身を起き上がらせた。「カグとレンレンが居るもんね!」深緑色の瞳に星でも入れてるのかと思うほど両目がキラキラと光っていた。
(まじで可愛いな、このひとは。あとレンカのことレンレンって呼んでるのか。あだ名のほうが長くなってるじゃん)
わたしは話の内容を戻すための咳払いをした。
「最初のほうの質問ですけど」わたしは視線を落とす。「ちょっとよくわからなくなってます」
「そっか。レンレンを見てた時もぼけっとしてたし。カグの性格からしてあんまりそういうこと起きないよね」
「見すぎですよ、本当に」
ハナさんの洞察力にわたしは少しばかり引いた。
「前までは目標があって、それに向かって走ってる時とか近づいてる実感がある時は楽しかった。でもいまは、それがないというか。目標を達成したからかな。ふわふわした感覚が抜けなくて。両足が地面についてない気がするんです」
その目標の対象がレンカであることを、わたしはハナさんに伏せてうちあけた。一種の燃え尽き症候群だと予想はつくが、抜け出しかたがわからない。落としていた目線をハナさんに向ける。
「目標達成による喪失感かぁ。それは挫折とかの喪失感とは違ってくるだろうし。でもまあ、うん。そういうのは切り換えだよ」
「切り換えですか」わたしは言葉をリピートした。
「そうそう。難しいことじゃないよ。カグだってその目標を達成するための過程で切り換えなきゃいけない場面とかあったでしょ。いままでは内容の切り換えだったわけで。じゃあ今度はタイトルの切り換えをすればいいのよ」
「新しい目標設定が必要だと。すぐに見つかるかな」
「違うよ。目標っていうのがカグを縛ってるの。だからね、目標じゃなく目的にすればいいの」
「目標から目的か」
ハナさんはわたしに新しい角度からの解決策を教えてくれた。
「まずはコンセプトを決めないとね。長期的で簡単には揺るがないものがいいと思うよ」
「それならもう決まってます」わたしは即答する。「早くない?」とハナさんもすぐさまツッコんだ。
「わたしのコンセプトは、楽しむにします」
わたしはレンカにゲームを誘われた時の場面を思い出していた。ばかじゃないの、と言われた瞬間の衝撃は忘れられない。
(決めたらすっきりした。今後は楽しむためにはどうすればいいかを考えればいい)
わたしはハナさんに向けてめいっぱいの笑顔をつくった。「ありがとう、先輩」
「それはよかった」ハナさんは小さい子どものような無邪気な笑顔を見せてくれた。
わたしとハナさんはくすくすと肩を上下させながら笑いあう。
「ところで」わたしはため息をつく。「あのふたりをなんとかしてくれませんか」
「もう無理よ。あたしには無理。言葉だけでふたりを止めるなんて、無理ゲーを超えて詰みゲーよ」
わたしとハナさんは鉄格子にもたれかかっているレンカとヤマトさんを見る。
「だーせ、だーせ、だーせ」レンカとヤマトさんは口を揃えて騎士にちょっかいをかけている。気にしないように意識していたのにハナさんとの会話に一区切りがつくとやかましい声が耳によく届く。
「幼なじみが暴走してますよ、ハナさん」「親友が暴走してるよ、カグ」
わたしの心のなかで騎士に対する同情の気持ちが芽生える。現実逃避したいことが目の前で起こっている。ひんやりとした床に倒れると、違和感のある音に気づく。
(なにかこっちに近づいてる?)
その音は、カッ、カッ、カッ、と一定のテンポを刻んでいる。ブーツかヒールでも履いて走っているイメージが頭に浮かんだ。わたしは誰よりも早く正体がわかった。
「皆さん、遅くなりました!」
ツバキが飛び出すように現れた。顔が赤く火照って浅い呼吸を繰り返している。背筋を伸ばす看守に深々と頭を下げる。
「いま出しますね」ツバキは左手のかぎの束から湾曲したかぎを選んだ。
ガチャリとシリンダーから音がした。次に黒板をひっかいたような音が地下に響いた。