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第九十七話 氏治包囲網 その17


 次の日の昼頃に久幹から薬師寺と上三川を落としたと早馬で伝えて来た。私と政貞は軍勢を刑部城へ向けて出発させ、久幹の軍勢にも刑部城に向かうよう早馬を走らせた。義昭殿からは水沼城を落としたと連絡が来ていて、小田家の軍勢より先に刑部城に到着するだろうと思われた。


 夕方には刑部城を目で捕らえ、既に義昭殿の軍勢と久幹の軍勢に包囲されていた。刑部城は平城かつ小城であり、中世城郭としては古い部類になる。戦国時代は戦が激しくなるにつれて城郭建築の技術が上がり、城も大きく堅固になって行くのだ。技術が発展する前に城を落として領地を増やすのはアリだと思う。ただ、当然防御力が低いので城を改修しないと守り切れないデメリットもある。


 今この時期に領土を広げて行かないと(いず)れ頭打ちになる。他国も戦をしているから弱小の国人がどんどん淘汰されていくからだ。鉄砲が出回る前に、そして城郭技術が上がる前に領土を広げ、城を堅固にして領土を守るのが理想だと思う。


 幸い小田家は山城の城攻めが無かったので比較的楽に城を落としている。今回は敵の隙を付いて奇襲を仕掛けているのでその効果が大きいのは当然だけど、義昭殿は全てが山城の攻略だから苦労しただろうと思う。刑部の次は宇都宮城に行くのだろうけど、この時期は石垣も天守閣も存在しないので獲るなら今の内だと思う。尤も、この兵力差では降伏するしか道は無いと思うけど。


 刑部城を包囲している久幹の軍勢と合流した私は残りの軍勢も久幹に任せ、先触れを出して義昭殿の本陣に向かった。今回の戦では義昭殿のおかげで碌に戦もせずに結城家と小山家を降す事が出来たので感謝しかない。何かお礼をしないといけないと考えながら義昭殿の陣に向かっていると直ぐに佐竹家の家臣がやって来て本陣に案内してくれた。


 佐竹家の人馬の喧騒の中を通り抜けながら私が佐竹家の本陣に入ると、私の姿を見た義昭殿が床几から立ち上がって笑顔で迎えてくれた。私と義昭殿は互いに挨拶を交わす。私は義昭殿から床几を勧められて、それに腰掛けるとまずはお礼と口を開いた。


 「義昭殿、此度の援軍、この氏治は大変感謝致して居ります。義昭殿にお助け頂いたから私達はこうして生きている事が出来るのです」


 「なんの、この義昭も江戸家との戦では氏治殿から助けを頂き申した。それにこの義昭は氏治殿と盟を結び、互いに守り合うと御誓い申し上げた。礼には及びませぬ」


 「ですが義昭殿、私の感謝の気持ちは受け取って下さいませ。ここからは義昭殿の為に小田家の軍勢は戦います」


 「氏治殿の援軍であれば十万の軍勢に値しましょう。この義昭、感謝申し上げる」


 私と義昭殿は互いを称えながら言葉を交わした。そして今後の方針を決める為に小田家の重臣も交えて軍議をする事になった。軍議が始まると小田野義正殿から諸将に現状が伝えられる。佐竹家の軍勢が先に到着して包囲して待っていたそうだ。敵方からは交渉の使者も無く、守りを固めていると説明があった。義昭殿、物凄い余裕である。そして彼は続けて言った。


 「小田様の軍勢も到着された事で御座いますし、敵方も震え上がっている事で御座いましょう。小田様の軍勢は四千と聞いて居ります。当家の軍勢と合わせれば七千五百、宇都宮城を落とすのも容易く御座いますな」


 小田野殿がそう言うと久幹が質問した。


 「小田野殿、刑部の城は如何為さるお考えか?後の統治を思えば降した方がよいと考えますが?」


 「左様で御座いますな。当家は小田様を御待ち致して居りましたので囲うのみで、何も致しておりませぬ。当家から使者を送り、降るように申してみましょう。」


 「こうなると敵方が哀れで御座いますな。まず、降るで御座いましょうな」


 軍議はとりあえず使者を送って降伏しなければ即城攻めと決まった。というか超適当だった。義昭殿が大物過ぎて私の出番はないのでは?周辺国から佐竹兵が恐れられてる理由が何となく解った気がする。軍議は直ぐに解散となり、私は自分の本陣に移動した。特にやる事も無く、皆と歓談したりして時間を潰していたら義昭殿から伝令が来て刑部経貞が降伏したと私達に伝えた。


 佐竹家が刑部城に入城し、暫くしてから私達も入城した。義昭殿から屋敷を提供され、私はそこに落ち着く事になったけど、援軍に来たのに全てが用意されているという不思議体験である。そしてその夜は軍議兼宴会と言う離れ業を義昭殿がして見せたのには驚いた。油断はしていないのだろうけど義昭殿は格が違った。


 私は念の為、諸将には飲み過ぎないように伝えたけど、たぶん聞かないだろうな。間違ったとか言いそうだ、赤松とか飯塚とか。だけど、この規模の軍勢が下野に集結するなんて無かっただろうから宇都宮家も手出しできないだろう。何だか宇都宮家が気の毒になって来た。十万石で集められる兵は二千五百程度である。分散して前線を守ったようだけど、義昭殿の軍勢に蹴散らされて、更に久幹にも蹴散らされているのである。たぶん、宇都宮城には千も居ないのでは無いだろうか?


 翌日には宇都宮城に向けて進軍が開始された。佐竹家から先行する軍勢が放たれ、小田家からも野中と矢代に軍勢を与えて先行させた。百地の忍びからの報せでは宇都宮城からも支城からも軍勢の動きは無いと報せて来た。用心に越したことはないので諸将には油断しない様に釘を刺したけど、宇都宮家からすれば打つ手はないだろうな。でも、あまりにも動きが無いのが気になる。


 小田家と佐竹家の連合軍は昼前には宇都宮城の包囲を完成させた。私は小田家の本陣に腰を落ち着けたけど、程なく宇都宮城から使者が出たと物見から伝えられた。それを聞いた政貞が口を開いた。


 「この軍勢で御座いますからな。無理も無いとは思いまするが」


 「私達は運も良かったよね、常南を攻略している時は心配してたけど、敵方が次々に崩れてくれたから大した損害も無かったし」


 「大将に御運があるのは良い事で御座います。御屋形様には吉祥天様のご加護があるので御座いましょう」


 「神頼みで領土を守れるなら幾らでも祈るけど、人の世は人でないと動かす事は出来ないから皆が頑張ってくれたから運も引き込めたのだと思うよ?それに政貞も頑張ったし。常南では私と二人で冷や汗をかきながら策を練ったからだよ」


 私達は雑談しながら義昭殿から報せを待っていた。暫く待っていたけど中々報せが来ない。皆がじれ始めた頃に小田野義正殿がやって来て、宇都宮家が降伏したと告げられたけど、その内容に驚いた。


 義昭殿の元にやって来た使者は宇都宮家の重臣である壬生綱房と塩谷義孝だった。そして首桶を持参していたそうだ。その中に入っていたのは宇都宮尚綱の首であった。宇都宮尚綱の出兵が今回の佐竹家の侵攻を呼び込んだとして壬生綱房と塩谷義孝が謀反を起こし、宇都宮尚綱の首を獲り、それを持参して義昭殿に降伏したというのだ。そして見返りに壬生綱房と塩谷義孝は所領の安堵を願い出たそうだ。それを聞いた義昭殿が激怒して二人を捕らえ、その事を宇都宮城に報せ、降伏を迫り、結果開城したそうだ。


 今は城の接収を始めたと小田野殿から伝えられたけど、宇都宮家に動きが無かったのは内部で権力闘争があった為だったのだ。確かに壬生綱房と塩谷義孝は史実でも宇都宮家で権力争いをしたと記憶しているけど、自分の目の前で行われているとは考えもしなかった。


 私は衝撃を受けつつも、宇都宮城を占拠した義昭殿に促されるように入城したのだ。とても後味の悪い終わり方だったけど、最低限の犠牲で戦が終わった事に安堵したのである。今回の戦では多くの家が領土を失い、権勢を失った。そして終わってみれば小田家と佐竹家と言う大国が誕生したのである。


 翌日からは佐竹家による宇都宮家の支城の接収作業が始まった。宇都宮尚綱は亡くなったけど、その一門は義昭殿に仕える事になったそうだ。たぶん義昭殿の慈悲だと思う。私は五百の兵を残して帰国させ、自身は少し残る事にした。義昭殿にお礼もしたいし、宇都宮尚綱の殺害事件もあり、義昭殿とあまり話が出来ていないからである。


 数日は義昭殿も忙しく働いていた。佐竹家からすれば新たな支配地を慰撫しないといけないし、国境の城の守りや、旧宇都宮家の家臣の処遇など仕事は多いのである。ちなみに私は勝貞と岡見にお任せである。主だった将も帰したので手は足りているはずである。そしてようやく落ち着いて話が出来たのは二日後の事だった。私は今後の方針を話し合うために義昭殿と会談したのだ。


 「ようやく落ち着いてお話が出来ますね。義昭殿がお忙しそうなので遠慮していたのです。改めて宇都宮領の平定、おめでとう御座います」


 今日は風も温かく、春を感じさせる日和だった。私と政貞、義昭殿と腹心の小田野殿での話し合いである。


 「氏治殿には申し訳ない事を致しました。ですが、この義昭もようやく一息付けたので安堵しています。当家も所領を得ましたが氏治殿には敵いませぬ。小田家は六十二万石と聞いて居ります。当家はその半分ですな」


 「国に帰ってからの政務を考えると頭が痛くなります。誰に押し付けようか思案しているのですよ」


 「はっはっは。ではこの義昭も氏治殿に倣うと致しましょう。本音を申せば、小田野に全て任せて氏治殿と鷹狩りでも致したいところです。十王丸も氏治殿に会いたかろうと?」


 「それは良いですね!私は政貞に押し付けましょうか?」


 皆で笑い合った後、私と義昭殿は今後の方針を互いに話した。義昭殿は那須家を降す事を当面の目標にするそうだ。私は義昭殿に専守防衛を止め、必要であれば佐竹家の侵攻に協力する事を伝えた。


 「氏治殿、それは有難い申し出ですが、宜しいのですか?この義昭に御気を使われているのでは?」


 「私は此度の戦で思い知ったのです。こちらが相手を尊重しても、相手が必ずしもそうではない事を。御家を守るためには力が必要と思い知ったのです。此度は他国は寄って集って小田家を潰そうと謀りました。結局は力が無いと(いず)れは滅ぼされると考えたのです。私の戦嫌いの為に家臣や領民が弑されては合わせる顔も無くなると。そして盟友である義昭殿も同様だと」


 「そうで御座いましたか、確かに氏治殿の申されるように力無くしては身を守れませんな。この義昭、氏治殿のお考えに賛同しましょう」


 義昭殿がそう言うと小田野殿が口を開いた。


 「小田様、里見家の正木殿が小田家にも参られたと存じて居りますが、小田様はどうなさるおつもりで御座いますか?正木殿からは条件を付けられたと伺って居りますが?」


 「正木殿はお話にならなかったのですね。今川家の合力を条件に致したのです。当家は正木殿に武蔵を獲るまでは今川殿が軍勢を引かないなら参加すると申し上げました。連合致すなら徹底しないと河越のようになっても困りますから。ですが、仮に今川殿が合力されても北条殿の事ですから和議を致すと考えています」


 私がそう言うと、義昭殿が思案気に口を開いた。


 「正木殿は関東管領をお助け致すと申されたが、当家には余りにも利が無い戦。この義昭も協力は約束致しましたが」


 「義昭殿と当家で宇都宮家を降してしまいましたので、その分、兵も要求されそうですね。当家も如何程軍勢を出すか思案しないといけません。私は今川殿が動かないとも考えているのですが」


 「仮に動いたと致しても、一体何方(どなた)が軍勢を指揮なさるのか、何れにせよ頭の痛い事です」


 正木時茂との約束があるから里見の策だと言えないのが心苦しい。その後は小田家から佐竹家に援軍のお礼として入浜式塩田の技術提供を提案した。佐竹家でも塩は作っているけど量が少ないのを知っての提案である。義昭殿の領地は山ばかりだし、美味しい所を全部私が取った形なので何かお礼がしたかったのだ。義昭殿は喜んでくれて、私も少しはお返しが出来たと安堵したのだ。


 翌日には私と政貞は軍勢をつれて小田領に帰還した。帰りの道中では政貞と論功と、新たに得た領地の統治の話ばかりしていた。過労死するほど忙しくなる訳では無いけど、大変なのには違いないのである。


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― 新着の感想 ―
歴史は変わったけど武将の性格は変わらないと言うことですね
[一言] 宇都宮尚綱は史実では2年前の1549年に、喜連川五月女坂の戦いにおいて那須高資に敗れて戦死していますが、本作では史実が改変されてまだ生きていたということでしょうか? さて、ようやく小田家包囲…
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