第八十八話 氏治包囲網 その8
久幹と愛洲が出陣してから私と政貞は兵に号令し、江戸崎城から慌ただしく移動を開始した。明日の朝には小山家と宇都宮家に私からの書状が届き、その対応で頭を悩ませるはずだ。電撃作戦で軍勢を分けてしまったけど、気の小さい私はそれが不安でならない。早く皆に帰って来て欲しい。
私達の軍勢は逆井城を目指し進軍した。和歌城は小さすぎるので逆井城を目指すように久幹から提案されたからである。街灯などないので真っ暗な道を月明りと松明を頼りに馬を歩ませる。朝からずっと行動しているので気疲れを感じたけど、私がここで弱音を吐けないと自分を叱咤した。
東の空が白み始めた頃、矢代から伝令が来て逆井城に向かうと私達に伝えて来た。ちなみに稲葉は城を落として古間木に入っている。政貞が伝令を飛ばして逆井に入るように指示をしたようだ。野中は反対方向なのでしばらく時間が掛かるはずである。四郎と又五郎を派遣したので二人には頑張って欲しいものだ。
朝日が昇り、辺りが明るくなると久幹から和歌と逆井を落としたと報せがあった。私と政貞は喜ぶよりも安堵する気持ちが強かった。自信満々で立てた作戦だけど、いざ実行すると不安しかなかった。理屈では出来そうだと考える事は出来るけど、実際やってみるとこれでいいのか?と自分を疑ってしまう。
私達は逆井城に到着し、入城すると広間を目指して移動した。前世で逆井城を見学した事があるけど、今生で見る城はまるで違う城だった。資料や想像で再現するのも限度があるよねと考えながら広間に腰を落ち着けた。諸将が集まるのを確認した私は矢代と稲葉から報告を受け、そして二人を労った。
続けて久幹から報告があったけど、あまりの内容に耳を疑ったのだ。逆井城の城攻めでの愛洲の武勇を聞いたけど、正直やり過ぎなのではと思ってしまった。愛洲が剣豪なのは知っていたけど人を二つに両断する腕だと思っていなかったのだ。久幹の話を聞いた諸将も信じられないと口々に感想を述べていた。
「某も様々な武人を見て来たつもりで御座いますが、愛洲殿ほど凄まじきお方を見た事が御座いません。此度の城攻めで愛洲殿と戦出来た事は某の自慢になりますな。いや、大の自慢で御座います」
あの久幹が愛洲を大絶賛している。私はそういうのは見たくないのでその場に居なくて良かったと思ったけど、坂東武者は武勇を尊ぶから見方が違うのだろう。それにしても愛洲が物凄く張り切っているのが伝わって来る。確か、さるさるの剣だっけ?どうでも良かったから忘れてしまったけど、凄い事はよく解った。
「愛洲、ご苦労様。愛洲の武勇を見て敵兵は逃げてしまったと言うから、結果的には軍勢の損害も減ったという事だね。大手柄だね」
私がそう言うと愛洲は小さく頷いた。皆がいるから非常に反応が薄いけど、きっと心の中はやる気に満ちているに違いない。私には愛洲の気持ちが手に取るように解る!愛洲にもっと活躍の場を用意するのが私の役目かも知れない。私がそう考えていると政貞が口を開いた。
「此度の戦は語り草になりましような。一夜にて常南をほぼ手中に収め、大掾慶幹は捕らえ、更に愛洲殿の凄まじき武勇と民草は噂に事欠かないでしょうな」
「この矢代も二城を落とし、手柄を挙げたと揚々と参ったので御座りますが、愛洲殿に喰われてしまいましたな」
「そんな事は無いよ、私は目立つ目立たないで武勲を計るつもりはないよ。安心するといいよ。所で政貞、暫くはこの城で兵を待つのと休息でいいのかな?」
「左様で御座います。まず兵を休ませまする。軍勢が集まればいよいよ決戦で御座います。ここまで来ればゆるりと敵勢を待つのも良いでしょう。結城勢の動きは百地殿が見張って居りますので、動きがあれば報せが来るでしょう」
「皆疲れているだろうから休むといいよ。たった一晩なのに私も疲れたよ」
怒涛の一夜だったけど、これで領内に踏み込まれる心配は無くなった。私の仕事は盤上の作戦だけど、こんなに疲れると思っていなかったのだ。でも、まだまだ頑張らないといけない。
「結城との戦は宇都宮の軍勢が帰るまで手出ししないつもりだから、敵方の軍勢は五千程度?小山家はどの程度出しているのだろう?」
「百地殿の報せでは宇都宮家が千五百、小山家が五百で御座いますな。当家が討ち入りましたので、結城も城を守るためにある程度は軍勢を割きましょう、宇都宮が軍勢を返せば四千程と勘定致して居ります」
「だとしたら集めた兵は私達の方が遥かに多いけど、気になっている事があるんだよね?」
「何で御座いましょうか?」
「土岐の兵なのだけど、見せ兵にしたほうがいいと思う。後から気が付いたのだけど、乱取りすると思う」
「確かに、失念して居りました」
「赤松と飯塚に任せようとも考えたのだけど、言うこと聞かない兵が多く出る気がする。赤松と飯塚はどう?」
私の質問に赤松が答えた。
「乱取りで味を占めた者を抑えるのは難しいかと、命じても列を離れ勝手を致しましょう」
「う~ん、土岐の兵を加えれば戦力が増えると思ってやったのだけど、こうなると居ないほうがいいと思ってしまうよ。これは私の失態かも知れない」
私が腕を組んで唸っていると久幹が口を開いた。
「見せ兵で良いと考えます。敵方からすれば姿を晒すだけで脅威で御座いますし、将を多く付け、御させれば良いかと」
「そう言えば政貞、土岐の将はどうするの?」
「兵を百程与えて武勲の機会をと考えて居りましたが、兵の乱取りを失念して居りました。軍勢と共に参りましょうから一度話をしてみまする。御屋形様の名に傷をつける訳には参りません。久幹殿の仰るように致した方が良いのかも知れませんな」
―結城城 宇都宮尚綱―
氏治主従が軍議で頭を悩ませている一方で、結城城の一室で宇都宮尚綱は氏治から届いた書状を読み、手を震わせていた。
小田氏治からの書状には結城政勝の謀に乗せられた宇都宮尚綱を糾弾する厳しい言葉と報復として常陸の佐竹家と合力して宇都宮家の一切を切り取ると記されていた。
守りの兵を僅かに残しての結城家への援軍であったが、こうなると急いで戻って守りを固めねばならない。万が一、本拠である宇都宮城が落とされれば国人が離反し、宇都宮家は滅ぶだろう事は想像に難くない。しかも攻めて来るのは勇猛で知られる佐竹家である。更に、小田氏治は結城家を降した後に佐竹家に合力し、共に宇都宮家を滅ぼすと書状ではあるが断言しているのである。宇都宮尚綱の脳裏に壬生綱房や塩谷義孝の顔がチラつく。どちらも野心ある国人である。
事の始まりは結城政勝が直々に宇都宮城を訪れ、そして小田氏治の悪逆を知らされたからである。宇都宮尚綱は義憤に駆られて協力を約束したのだ。
結城政勝は水谷正村、多賀谷政経、江戸忠通と名のある国人を連れて居り、各人が様々に小田氏治の悪行を宇都宮尚綱に訴えた。水谷正村から策が示され、宇都宮家、小山家、大掾家、土岐家、相馬家、鹿島家、豊島家で小田家を包囲し、すり潰す事を聞かされた。
小田家が豊かであるとは話に聞いた事があった。年若き当主である事や女子である事も聞いていた。年若き君主が無道を行う事はよく耳にする話でもある。更に、小田家の富を皆で分かち合おうと言う結城政勝の話をすっかり信じた宇都宮尚綱は協力する事を約束したのだ。
独立心旺盛な国人を纏め上げた宇都宮尚綱は自らに自信を持つようになり、この戦に参加し、名を挙げれば更に領国の支配が万全になると考えもしたのだ。
佐竹が来ると記されたこの書状は小田氏治の苦し紛れの策では無いのかとも疑った。宇都宮尚綱には結城政勝の策には穴が見つからなかった。これを実行すれば確実に小田家を平らげる事も出来ると思える。もしかしたら佐竹家が討ち入って来るというのも偽計なのではないか?とも考えた。そうして悩んでいると、小山高朝が宇都宮尚綱を訪ねて来た。早朝にも関わらずである。
小山高朝を部屋に招き入れた宇都宮尚綱は神妙な様子の小山高朝を見て嫌な予感がした。
「宇都宮殿、某の元に小田氏治殿から書状が届きました。なんでも宇都宮領に佐竹の軍勢が迫っていると、しかも、この高朝を激しく糾弾し、我が領を平らげると申して来ました」
「なんと!我にも届いて居ります。我が領を佐竹家と平らげると申すのです」
「佐竹家の軍勢の話は真なので御座ろうか?苦し紛れの戯言にも聞こえるのだが?」
小山高朝の言葉に宇都宮尚綱は反論するように口を開いた。
「真であっても真でなくともその様な話があるならば我は戻らぬ訳には行かぬ。あの佐竹が来ると言うのなら尚更戻らねばならぬ」
勇猛で知られる佐竹家は周辺国から一目も二目も置かれているのである。実際に戦をすればほぼ負け知らず。若い当主が立ったと言うが、家臣を良く纏めているとも聞く。
「では、宇都宮殿は陣払いを致すと?」
「左様、急ぎ戻り、領内を固めぬばなりませぬ。小山殿は如何為さるのか?」
「正直を申せば迷って居ります。結城殿の策に間違いは無いように思われる」
宇都宮尚綱と小山高朝が唸るように腕を組んでいると家臣から急報であると報せて来た。
「小田氏治殿、多賀谷家の和歌城と結城家の逆井城を落としたと報せが参りました」
「なんだと!」
「それはいつの話だ!まだ陣触れも終わっては居るまい!」
宇都宮尚綱は叫ぶように問い質した。
「結城の兵が逃げ戻ったそうに御座います。今朝方の話かと。物見を放って居りますが、暫くは戻りませぬ」
「よい!陣払いだ、佐竹が当家に迫っている!急ぎ戻り守りを固める。皆に伝えよ!」
「はっ!」
「小山殿、聞いた通り我は急ぎ戻る。小山殿がどうされるかは小山殿が決められよ」
そう言うと宇都宮尚綱はさっさと部屋を出て行ってしまった。
和歌城と逆井城、落城の報は結城政勝にも届いていた。寝起きの機嫌の悪さも手伝って朝から家臣を怒鳴りつけていた。結城政勝は急ぎ水谷正村と多賀谷政経、江戸忠通を呼び出した。三人が座ると早速と口を開いた。
「其の方らも聞いていよう?小田の小娘が和歌と逆井の城を奪いおった。兵を集めたにしては速すぎる、当家の軍勢もまだ集め終わっていないのだ。兵を挙げたのは当家が先にも関わらずだ。水谷!其の方の策、間違いないのだな?大掾、常南、行方、鹿島は動くのだな?」
水谷正村は動揺する素振りも見せずに答えた。
「某、しかと約束して参りました。かき集めた小勢で夜討ちを掛けたので御座いましょう。周辺国が討ち入ればいつでも取り返せまする。物見を放ちましたので直に詳細も知れましょう」
水谷正村がそう言うと多賀谷政経は反論するように言った。
「結城様、某の城と妻と子が捕われました。直ちに軍勢を繰り出し、取り返して頂きたい。某は水谷殿の悠長なお言葉には賛同出来ませぬ」
「多賀谷殿、そう申されますが今は急ぎ兵を集め小田家に討ち入る事が肝要。大事の前の小事で御座います」
「小事!小事と申されるのか!某の妻や子は犠牲になっても止む無しとでも申されるのか!」
そして二人は言い合いを始めた。目の前で家臣が繰り広げる口論に毒気を抜かれた結城政勝は先程までの機嫌の悪さを忘れて二人を仲裁する羽目になった。
「多賀谷抑えよ、この政勝が其の方の妻子を取り返すゆえ安心するがいい」
結城政勝がそう言うと水谷正村が口を開いた。
「御屋形様、今は宇都宮家、小山家と合力し、小田に攻め込むのが肝要で御座います。小田は軍勢を分けて守りに徹するはずで御座います。当家は悠々と小田の軍勢と対峙し、時を待てば良いので御座います」
結城政勝が口を開こうとした時である。襖の向こうから声が響いた。
「急報で御座います」
「よい、申せ!」
「御屋形様!宇都宮様、小山様!陣払い致して居ります」
「なんだと!」
結城政勝は立ち上がり、自ら襖を開けた。そして平伏する家臣に問い質した。
「子細を申せ!」
「子細は知れませぬが、宇都宮家の兵共は佐竹が来ると口々に申して居ります。宇都宮尚綱様は既に発たれたようで御座います」
結城政勝は水谷達を振り返り口を開いた。
「一体どういう事だ!」
水谷正村、多賀谷政経、江戸忠通は一様に固まっていた。そして江戸忠通はこれはだめかも知れないと心の中で思った。




