第八十七話 氏治包囲網 その7
ワシは今、真壁殿と共に和歌城に向かっている。ワシは赤松殿と共に使者の役目を果たし、功を立てたらしい。ワシはただ座っていただけなのだが、いいのだろうか?赤松殿と本陣に戻ったワシは氏子や皆から賞賛を受けたけど実際は何もしていないのである。だが、これでいいと言うなら賞賛を受けておくとする。
ワシはこれ以上危険な目に遭いたくないので氏子に相談しようと試みた。氏子を探してウロウロしていたら桔梗殿がワシに感付き、氏子の元へ連れて行ってくれたのだ。そして氏子と対面し、功は挙げたからもうお役目はいらないと伝えようとしたら真壁殿が戻った事を知った氏子が去ってしまったのである。
去って行く氏子の背中を見送る事になったワシだが、これで戦場に出る事もあるまいと胸を撫で下ろしたのである。だが暫くするとワシに出陣の下知が下ったのだ。ワシは戸惑いながらも広間に赴いた。そこで待っていたのは氏子に菅谷殿、真壁殿であった。
「愛洲、これから真壁の副将として和歌城と逆井城の城攻めに参加してもらう。しっかり励むといいよ」
笑顔でそう言ってから氏子は一瞬、片目を瞑った。氏子は『言いたい事は解っているつもりだ』と言っていたが、全く解っていないのである。片目を瞑ったのはワシへ報せを送ったものと思われるが、ワシの想いが全く通じていない事を確信させた。その事に衝撃を受けているワシに真壁殿が声を掛けた。
「愛洲殿、某、愛洲殿と肩を並べ、戦ってみとう御座いました。頼りに致して居ります」
爽やかな笑顔で真壁殿はそう言ったけど、ワシは戦いたくないのである。真壁殿は菅谷殿同様、氏子の気に入りの将と聞いている。この坂東でも名が知れているらしく『鬼真壁』と呼ばれているらしい。ワシを戦に連れて行くこの御仁は正に鬼と言わざるを得ない。だが、主命とあらば受けぬ訳にもいかない。ワシは仕方なしに小さく頷いたのである。
そのような経緯があってワシは真壁殿と馬を駆けさせているのだ。もう夜も深まるというのに氏子は皆を働かせ過ぎである。軍議の時は感心して聴いていたけど、ワシが働くとなると話は別である。そもそも氏子は一度に多くを望み過ぎだと思う。何事も程々が良いと後で説教してやらねばなるまい。
それに菅谷殿も菅谷殿である。氏子から自慢げに『私の右腕なんだよ』と聞いた事があるが、ワシから言わせれば、何かと暴走しがちな若者である氏子を宥めるのが菅谷殿の役目だと思う。
そんな事を考えながら馬の手綱を操って随分経ったが、東の空が白くなり始めていた。真壁殿は開けた原野で馬を止めるとここで軍勢が追い付くのを待つと申された。ワシはようやく休めると安堵したが、直ぐに戦である。
城攻めなどワシはした事が無いので何をすればいいのか見当も付かない。死合はした事があるので人を斬った経験はあるが、戦は素人なのである。以前、握り飯を食しながら戦を見物した事があるが、よもや自分がするとは思わなかったのである。
軍勢が集まると真壁殿が号令を発した。真壁殿を先頭に静々と軍勢は進み、暫くすると城が見えて来たのである。まさかこれ程城の近くにいるとはワシも思っていなかった。敵は恐らく気付いていないのだろう、城は静まり返っている。
真壁殿が攻撃の命を下すと軍勢は大声を上げる事も無く城に迫って行った。皆敵が気付いていない事を解っている様子だ。氏子も今宵は全てが奇襲と言っていたけど、この様子なら危険も少なそうなので少しホッとしたワシがいる。だが、このような奇襲が出来るのなら氏子が欲張る気持ちも少しは理解が出来る。
和歌城は小さい城で瞬く間に真壁殿に占拠されてしまった。ワシは一度も剣を振るう事無く終わった事に安堵したのだ。
氏子の軍では乱暴狼藉が禁止されている。なので、ただ一人の兵も略奪をしている者がいなかった。女達や捕らわれた将は部屋に閉じ込められはしたが、それだけである。戦で兵に全てを奪われる所に遭遇した事があるが、あれは人の行いではない。氏子が乱暴狼藉を禁止した事はワシは良い事だと思う。
「愛洲殿」
ワシがそう考えていると真壁殿から声が掛かった。ワシが振り返ると真壁殿は言った。
「運良く多賀谷殿の妻子を捕らえたので御座いますが、某は顔見知りで御座いまして少々顔を合わせ辛いので御座います。そこで、愛洲殿から命は取らぬので戦が終わるまで静かにされるようにと伝えては貰えませぬか?常なら大将である某の役なので御座いますが、副将である愛洲殿にお願い致したい」
ワシは人と話すのが苦手である。だが、真壁殿の気持ちも理解出来る。氏子から聞いた事があるが多賀谷家は以前は小田家に従属していたと言う。真壁殿の領地も近いから近所付き合いがあっても不思議ではないと思う。ばつの悪そうな顔で頼む真壁殿につい頷いてしまったのだ。
ワシは多賀谷の妻子が閉じ込められている一室に向かった。部屋に入ると奥方らしき女子と侍女が自らの身体を盾として子供達を隠したのである。その様子にワシは戸惑ってしまった。ワシはしどろもどろに命は取らぬ事と、戦が終わるまで静かにして欲しいと話をしたのだ。ワシは話が苦手であったが、怯える女子達や子達が不憫になり、常になく言葉を尽くしたのである。
話を終えたワシがホッとしたのも束の間、真壁殿が出陣の命を下した。次は逆井城の城攻めである。真壁殿の話では逃げ去った兵が居るので抵抗があるだろうと言っていた。どうやら次は楽が出来ないだろうと嘆息した。
真壁殿は先程とは打って変わって堂々と軍を進めた。敵方に知られているのだから当然と言えば当然である。逆井城に到着した真壁殿は城を包囲する形で軍勢を配置した。敵方も小田家の軍勢が来る事を察しているので、櫓には弓を持った兵が遠目にも見て取る事が出来た。
真壁殿は和歌城を落とした後に丸太を切り出させていた。恐らくこれで城門を破るつもりだと思う。荷車に乗せられた丸太は先が削られて鋭利になっている。これをぶつけるのだろうが、弓矢で狙われる気がする。
「愛洲殿、某と愛洲殿は門が開けば直ちに突入致しましょう。先程の城攻めでは愛洲殿もご不足で御座いましょうから。此度は少々兵が多いようです。存分に励まれよ」
そう言って真壁殿はニヤリと笑った。普段は優しい御仁だが、戦となると勇猛この上ないのである。手に持つ金砕棒が凶悪である。ワシは嫌だったけど、小さく頷いて同意した。
真壁殿の号令で城攻めが始まった。荷駄に大量に括りつけられた丸太を護衛するように木盾で囲みながらの突撃である。危険なので後から行こうと思っていたけど、真壁殿に促される形でワシまで突撃する事になった。
兵達が声を合わせて城門を破壊しようと試みている。ワシは気配を感じ、剣で打ち払った。敵の兵が弓矢でワシを狙ったのである。多分、ワシが盾を持っていないからだと思うけどいい度胸である。ワシはその兵をひと睨みし、威圧して見せた。しかし、通じなかったようで敵兵はムキになって弓矢をワシに放ち始めた。
ワシは飛んで来る矢を全て防いで見せた。矢を落とすのは得意である。しかし、その兵は増援を呼んだのか更に二人の兵がワシを狙って弓矢を放ち始めた。ワシは慌てて矢を打ち払うが三人がムキになって放って来るので必死になって矢を叩き落とした。
「愛洲殿!真に見事!この真壁感服致す!」
ワシが矢を打ち払う様子を真壁殿は自らの身体を盾で守りながら見ていたのだ。だが、ワシはそれ所ではなかった。必死に矢を打ち払う。真壁殿も喜んでいないで助けて欲しい。
暫くすると城門の閂が折れたのか城門が開いた。どうやら城門の裏に石を積もうとしていたのか大きい石が門に押されて転がって行く。ワシは素早く開いた門の隙間から突入した。弓矢で狙われるよりましだと判断したのである。
ワシが突入すると、敵兵が槍を持って掛かって来た。ワシは槍を躱し、一太刀で兵を斬り捨てる。真壁殿も突入して来て門の内側では乱戦になった。真壁殿は金砕棒で敵を打ち払うように弾き飛ばしていく。この御仁は真に凶悪である。
乱戦になり、明らかに味方が有利になった。兵の数が違うのだから当然である。ワシはこれで人を斬らなくて済むとホッとした。だが、その隙を付くように敵兵がワシに斬りかかって来た。ワシは咄嗟に剣を振るいその敵兵を頭から両断した。ついうっかり(偽)猿飛の剣を使ってしまった。
敵兵は二つに分かれて倒れ伏し、見えてはいけない物が色々見えてしまってワシは気持ち悪くなった。なるべく使うまいと思っていたが、命の危機に身体が勝手に動いたようである。吐き気を我慢しているとまたもや敵兵が躍り出た。ワシはまたうっかり(偽)猿飛の剣を使ってしまい、その敵兵は斜めに切られた胴から上がズレ落ちて腹から下は立ったままという恐ろしい状態になってしまった。
正直、突然襲い掛かって来るのは止めて欲しい。ワシがそう考えていると辺りが静かになっているのに気が付いた。周りを見渡すと敵も味方も立ったままの下半身の死体を皆で見ていた。その中には真壁殿もいて、目を輝かせながら口を開いた。
「愛洲殿、これ程凄まじく、そして鋭い剣は初めて見申した!この真壁久幹!真に感服致しました!」
真壁殿の言葉を合図にするかのように敵兵が逃げ始めた。ワシはこんな事をするつもりが無かったのに上手く行かないものである。敵は戦意を失ったのかその後の戦いは一方的であった。こうしてワシの二度の城攻めは終わったのである。
城を落とすと真壁殿は二つの城に兵を振り分け、逆井城に氏子を迎えると言った。氏子が向かっていると知らなかったワシは驚いたが、今度こそ氏子にワシの気持ちを伝えようと心に誓ったのである。




