第八十六話 氏治包囲網 その6
部屋で桔梗とお茶を飲む。獲ったばかりの城なので人が動き働く声や音が微かに聞こえて来る。結城領に討ち入って注意を引きつけるまでは碌に休めないから家臣や兵には申し訳なく思う。
桔梗と他愛ない話をしていると桔梗が何かに感づいたらしく、私に対して自分の口の前に人差し指を立てた。桔梗は僅かに襖を開けると外の様子を伺った。何だろう?と桔梗の様子を伺っていると、桔梗は隙間の空いた襖を閉めて私に言った。
「御屋形様、愛洲様が御庭でこちらを伺っている御様子で御座います」
「愛洲が?何か用でもあるのかな?」
愛洲は物凄くシャイなので人前だと私とも碌に話が出来ないようなのだ。全く剣豪らしくないのだけど、そんな愛洲を私はとても気に入っている。庭でウロウロしているのも私と話したいけど私の周りには常に人がいるから気後れしているのだと思う。
皆は愛洲とまともに話をした事が無いらしく、家中では愛洲は寡黙な武人という評価である。でも、私とのやり取りを側で見ている百地と桔梗は別である。最初は氏子呼ばわりする愛洲に眉を顰めていたし、愛洲も百地と桔梗の前でなかなか私と話せなかったようだけど、二人には慣れてきたようで、最近では二人の前でも普通に話せるようになっているのだ。愛洲の言動を見ているうちに百地も桔梗も愛洲という人物を理解したらしく、百地と桔梗は愛洲の人格に好意を寄せているようだ。
たぶん、初陣の件でも話したいのだろう。愛洲は武人だから使者の役目だと不足なのかも知れない。私は女だから男の世界をキチンと理解してあげられないけど、愛洲にも立場というものがあるだろうからフォローするべきだと思う。
それに、私の直臣で城を持っていないのは愛洲だけである。さすがに功が無ければ城までは任せられない。今回は無事に勝つことが出来れば所領が大幅に増えるので、愛洲にも城を任せたいと考えているのだ。実は小田城と土浦城の中間にある藤沢城を愛洲に与えようかと検討しているのである。
寵臣を作る事はあまり良くない事は知っているけど、私にとっては久幹や政貞同様に大切な存在になっているのだ。相性もあるのかも知れない。なので、愛洲には是非武功を挙げて貰いたいのである。一つ二つでは足り無さそうだから出番を多く与えるべきかも知れない。きっと愛洲もそれを望んでいると思う。
「桔梗、愛洲を呼んであげてくれる?」
桔梗はクスリと笑うと愛洲を呼びに行った。そして桔梗に連れられて愛洲が部屋に入って来た。愛洲が私の前に座ったので私は愛洲に聞いてみた。
「愛洲、何かあった?」
「うむ、ちと氏子に話があって様子を伺って居った。じゃが、良く気付いたのう?」
「気付いたのは桔梗だよ。桔梗が忍びなのは知っているでしょ?」
「ふむ、桔梗殿も凄いのう。ワシは気配など消せぬから察せられたという訳か」
「それで話って?」
「うむ。その、例の件なんじゃが、、、」
やっぱり、初陣の件だった。言い難そうにしているのは桔梗を気にしているに違いない。戦国の女には聞かれたくないだろうね。男子として。あれ?私も女だったはず?あれ?あれれ?まあいいか?
「桔梗、悪いのだけど、少し席を外してくれる?悪い話では無いのだけど、愛洲の名誉に関わるんだよ」
「承知致しました。桔梗は外で控えて居りますので、御用があればお呼び下さいますよう」
桔梗が部屋から出ようと立ち上がるとトタトタと足音が響いて来た。そして私のいる部屋で止まると声を発した。
「御休み中失礼致します。真壁久幹様、御着陣で御座います。菅谷様が至急お越し頂きたいと」
「久幹が!」
さすが久幹、もう来たらしい。
「直ぐに参ります。愛洲ごめんね、愛洲の言いたい事は解っているつもりだから私に任せておけば安心だよ?また後で聞くから。桔梗、次郎丸、ついて来て」
私は急いで部屋から出て広間に向かった。私が広間に足を踏み入れると、土岐家の家臣はもう居ないようだ。私の姿を認めた政貞を見て、久幹がこちらに振り向いた。私は彼らの元に歩みながら口を開いた。
「久幹!もう来たの?」
「急ぎましたからな、御屋形様もお元気そうで何よりで御座います」
「挨拶はいいよ。話を聞きたい」
そう言って久幹は軽く頭を下げた。私達は小さな車座を作って座った。そして久幹が口を開いた。
「まずはご報告を。徳宿と周辺の砦を押さえました。兵と鉄砲を入れ、鹿島を封じて参りました」
「ご苦労様、急いだ様だから疲れていない?」
私がそう言うと久幹はニヤリと笑った。
「これしきで疲れなどは御座いません。鍛えて居りますからな」
「無理はダメだよ?それで兵はどのくらい連れて来たの?」
「今、この城に到着したのは百騎程で御座いますが、追っ付け軍勢が参りましょう。千五百程参ります。ただ、少々急ぎましたので兵が疲れて居ります。四郎と又五郎も城に着いた途端、転がって居りましたな」
「あの二人の武功はどうだった?」
「まだ何も、様子を見ていますと、どうもあの二人は攻めの戦は向いて居りませんな。ただ、他の者より知恵が回りますので守城でもさせると使えるやもしれませぬ。御屋形様、平塚殿と沼尻殿にはご内密に。この様に申しましたが、某は四郎と又五郎を気に入って居るのです」
「わかった。でも、守城を学ばせるのは面白いかも知れない。墨子でも注釈しようかな?」
私がそう言うと政貞が反応した。
「御屋形様、墨子とは?」
(この時代って愛って通じるんだっけ?適当でいいか?)
「物凄く簡単に言うと『どんな人も分け隔てなく大切にしよう』という考えの下に記された明の大昔の人達の事を記した書物だよ。だから人を傷つける攻めの戦はしない。その代わり、守る戦はするんだよ。人々を守るためにね。その守城のやり方を書いてある部分があるんだよ」
私がそう言うと政貞が口を開いた。
「何やら御屋形様の事を言われているような気がするので御座いますが、もしやその書物が御屋形様の手本なので御座いますか?」
私も自分で言っておいてなんだけど、そう聞こえる。そう言えば墨子って小田家の書物にも見当たらなかったし、手本がないな。あっ、確か、評価されなくて日本でも江戸時代に刊行されたんだっけ?でも、四郎と又五郎に可能性があるなら何か作ってみようか?『私と孫子』で恥は今更だし。
「違うけど、そう聞こえると私も思う。だけど、私は戦が嫌いなだけだから立派な考えは無いよ。そう言えば孫子はいつ返してくれるの?もう随分経つのだけど?」
「まだ返す訳には参りませんな。今は皆で写本をしている所で御座います。写本を致すと頭に入りまする。某共は既に済ませましたが、遅れている者も居りますれば、もうしばらく御貸し下さいませ」
「どのくらいの人が写本しているの?」
「重臣は全てですな。それに桔梗殿と雪殿で御座いましょうか?」
全員って、まぁ、小田家の将が育つならいいか。それにしても返してって言っているのに随分と強気に拒否された。普段は忠義、忠義って言ってるくせに。この様子だとしばらく返って来なそうである。
「なら、政貞と久幹の写本を四郎と又五郎に貸してあげてくれる?主命で全て写本するように命じるから。写本をしている間に四郎と又五郎の為に何か書いてみるよ」
「承知致しました。それにしても随分と四郎と又五郎を気に掛けますな?」
「一緒に畑を作った間柄だからね。殴ったり、蹴ったり、泣かした事もある。いつもやる気の無さそうな二人だけど、化けそうな気がするんだよね?誰でも若い頃は失敗すると思うし、却ってそれが教訓になる事もあるでしょ?だから、私に何か出来るならしてあげたいんだよね、怠けたら川に放り投げるけど」
私がそう言うと久幹が口を開いた。
「御屋形様に見込まれるとは、あの二人も大したもので御座いますな。化けるで御座いますか?面白そうで御座います」
「贔屓している訳ではないのだけどね。実際、政に功があって評定では重臣に混ざっているのだから実力はあるんだよ。それに政が出来るという事はたぶん、人の使い方が上手なのだと思う。戦で手勢を引き連れて戦う事は出来なくても、今、私と政貞がしている戦略を練る事は出来ると思う。二人に武力がないなら武力しかない人を付けてあげればいいと思う。出来ない事を無理にやるより、出来る人を使う事を学べばいいと思う」
私の言葉に政貞が答えた。
「御屋形様のお言葉にも一理ありますな。承知致しました。その様に致しましょう。それはそうと、真壁殿が戻られましたので某も安堵致しました。真壁殿、大変ご苦労で御座った」
「私もホッとしたよ。これで結城の気を引く事が出来るね。それに久幹が居てくれると心強いよ。私と政貞は全軍の指揮を執らないといけないし、皆が頼りにならないという訳では無いのだけど、私の初陣から戦場ではいつも一緒だったからね」
「それは光栄で御座いますな。ですが、皆、機会が無かったので致し方ありませぬ。此度の戦でお解りになるかと。ですが、勝貞殿も居りましょうに?」
「某は父上に試されているので御座います。此度はあまり口を御出しになりません」
「なるほど、御屋形様を任されたので御座いますな?この大戦で試されるとは勝貞殿もお人が悪い。某もお手伝い致しますので存分に采配を振るって下さいませ。政貞殿」
「真壁殿、忝い。この政貞、見事お役目を果たして見せまする」
「たった一人、たった一人が一歩引いただけでこんなにも不安になる。私は勝貞に甘えていたんだろうね」
私がそう話すと久幹が言った。
「それだけ勝貞殿の器が大きいという事で御座います。ですが、御屋形様、小田家をこれ程大きくされたのは御屋形様で御座います。某は堺にお供致しましたが、あの若さで小田家の為に動きなさった。某が十二の頃は女子の尻ばかり見て居りました。自信をお持ち下され」
「わかった。だけど、奥方にはお話ししておくね」
「それはご勘弁を。して、如何なさいますか?政貞殿から大まかな状況は聞いて居りますが?」
「私と政貞の考えは、なるべく速く結城領に攻め入って、出来れば城の二、三を獲って結城を引きつけて防衛して、その間に兵の休息と相馬家を降す、という考えなのだけどどうかな?」
「悪くはありませんな。ですが、相馬は小国で御座いますれば無視して宜しいかと?矢代殿と稲葉殿に城を落とされれば相馬の心胆を寒からしめましょう。一城のみでは戦など出来ますまい」
久幹がそう言うと政貞が答えた。
「今は、軍勢を分けて居りますが、軍勢が戻り、土岐で兵を募って長くて二日。そこから古間木か和歌に入るとしても時が掛かりますな。」
「ならばいっそ江戸崎には五百程軍勢を残し、土岐の兵を集め、指揮させて我らの後を追わせます。御屋形様は軍勢を率いて和歌か逆井にお入りなさいませ。そこで軍勢が集まるのを待つので御座います。結城にもそれなりの軍勢を見せておかねば中入りされる恐れも御座います」
「今から急げば明日の朝には入れるね、城攻めしないとね」
「であれば、某にお任せあれ。使える兵は二千二百で御座いましたな?千は見せ兵と聞いて居りますので、五百の兵をお与え頂ければ十分で御座います。鉄砲衆も百連れて参ります。和歌と逆井を獲り、御屋形様をお迎え致しましょう」
「私もその方が安心かな。ここに向かっている久幹の軍勢と野中、矢代の兵にも後を追って貰う様に伝令を送ろうか?政貞お願いね」
「承知致しました。急ぎ向かわせます」
「では某は行って参ります。そうそう、せっかくの守城で御座いますから四郎と又五郎は連れて行きます」
「待って、四郎と又五郎は野中が攻めている府川城に送ろう。たぶん、上の者がいるとあの二人は育たないし、好きにやらせたい。鉄砲衆もいるから万一は無いと思う。絶対豊島の反撃があると思うから、実戦を経験させた方がいいと思う。城が落ちたら二人を守将にする。政貞いいかな?」
「それはよう御座いますが、少々心配で御座いますな」
「まぁ、厳しいくらいが丁度いいでしょう。豊島は小勢で御座いますし、鉄砲を撃ち込まれた経験など無いでしょう。四郎と又五郎は置いて行きます」
「そうだ!久幹、愛洲を連れて行ってくれない?」
「愛洲殿で御座いますか、それなら喜んで。あの御仁の戦ぶりをこの目で見たいと思っていたので御座います。あれ程の武人はそうは居りませんからな」
「うん、お願いね。愛洲がいれば安心だよ」




