第八十三話 氏治包囲網 その3
軍議を終えた私は愛洲と次郎丸、私の護衛兼連絡役の百地の忍び五人を連れて兵の集まり具合を見に来ている。既に大勢の人が集まっていて、私を見ると皆が膝を付いて頭を下げる。私は構わないようにと言いながら兵の様子を見て周った。
「氏子よ、随分集まっているようだが如何程居るのだ?ワシには見当も付かぬのだが?」
愛洲は私にこそっと問い掛けた。
「勝貞や政貞の話だと四千五百から五千は集まると言っていたよ?飯塚が千五百の兵を連れて行ったから三千五百になると思う。でも軍議でも話が出たでしょ?聴いていなかったの?」
「あの時は厠を必死で我慢しておっての、よく聴いていなかったのだ。すまんの。だが凄い数だの。ワシも門下生と領地から兵を連れて来たが、こう多いと埋もれてしまうの」
「政貞にバレたら叱られるからね?愛洲は知らないと思うけど、この辺りの戦だと四千集められるのは佐竹殿と結城くらいだけど、うちはもっと多いからね。愛洲も坂東の戦は初めてだろうから励むといいよ」
「氏子よ、ワシ、初陣なんだけど?」
「えっ!そうなの?私でさえ初陣は十二だよ?愛洲って三十七だったっけ?」
「ワシは父上に大切に育てられたからの。戦に出た事はないのだ。死合はしたがの。氏子よ、恥ずかしいから皆には黙っていて欲しいのだが?」
「わかった、言わないよ。なら、愛洲の初陣は私が面倒見るよ。安心するといいよ」
「あまり人を斬りたくないのだがの。だが、小田の衆はワシに良くしてくれて居るから励むしかあるまい」
「私は愛洲のそういう所好きだよ。私も人を殺すなんて嫌だし。でも、家臣や領民を守らないといけないから私も仕方なしなんだよ。愛洲とちっとも変わらない。なるべく安全な役目を与えるから安心するといいよ」
愛洲と話していると私の視界の端に最近では見慣れた人物が映った。他の人より頭一つ大きいし、あの姿はよく目立つ。私は愛洲と次郎丸を連れてその人に声を掛ける。
「金剛さん」
何故か金剛さんがいるのである。いつものように褌一丁である。今は三月である。まだ寒いのである。私が声を掛けると金剛さんは跪く。私は金剛さんを立たせると彼の膝の汚れを手で払った。金剛さんが恥ずかしそうにしているけど、素足は良くない。ていうか、ほぼ全裸だけど。
「金剛さんどうしたの?人足が集められるなんて私は聞いていないんだけど、誰かに命じられたの?」
「いえ、仲間たちと御屋形様を助けようと言う話になりまして。俺達も御屋形様には世話になっていますから、槍でも持たせてくれれば少しは働けると思います」
「もう、気にしなくていいのに」
思わず涙が込み上げて来た。戦に参加してもいい事なんて一つも無いのに。私はこぼれそうになる涙を軽く拭った。
「金剛さん、何人くらい来てるの?」
「土浦の人足の皆が来ています」
「えっ!土浦の人足って千くらいいたよね?」
「数は知りませんが、皆来ました。来たけどどうすればいいのか皆わからなくてあっちに集まっています」
そう言うと金剛さんは指で指し示した。私は金剛さんに案内してもらって人足達の元に向かった。小さな丘を越えると大勢の人々が目に入った。これが千人かぁ~。目で見て数を測る能力なんて私には無いけどこうして見ると凄い人数である。彼らに近付くとその中には屋台で見掛ける人もいた。彼らは私が来たことに気が付くと次々と膝をついた。
「うーん。どうしようか?」
「氏子よ、槍も鎧も足りぬのではないか?」
「あるよ、貸し出し用の武具は戦場で失う事も多いし、私は心配性だから多く備蓄しているんだけど、、、」
常南の戦は一方的になるから心配ないけど、結城の連合軍との戦はどうなるか判らない。彼らには命を失って欲しくないし、、、。そこで思い付いた。兵は戦うだけが能ではない。武装して従軍するだけでも武威になると思う。そんな軍記ものを読んだ事がある。私は百地の忍びに政貞と私の黒鍬衆の隊長である順次を呼ぶように命じた。暫くすると鎧をカチャカチャ鳴らしながら政貞と順次がやって来た。
「御屋形様、お呼びで御座いますか?それにこの者達は如何なされたので御座いますか?」
きょろきょろと見回す政貞に私は答えた。
「土浦の人足の皆が助太刀に来てくれたんだよ」
「なんと!随分居りますが、、、。戦に使うので御座いますか?」
「皆来たそうだよ、だとすると千いる事になるね。せっかくだから合力して貰おうと思う」
「天晴な者達で御座います。ですが、どうされるので御座いますか?武具を与え備えに振り分けまするか?」
「武具を与えて従軍だけして貰うつもり。見せ兵にする、それだけでも相手は脅威に感じると思わない?三千五百の兵が四千五百になるのだから。それに久幹と飯塚が合流すれば二千五百くらい戻るから七千、大軍だね」
私がそう言うと政貞が少し考えてから口を開いた。
「確かに使えますな、兵を置いておく事で敵を欺くと御屋形様の兵書にも御座いました。それを致すので御座いますな?」
政貞がキリリと眉を上げる。それでも下がっているけど。でも、私と孫子にそんな事書いたっけ?割と好き勝手書いたから覚えていない。それにいい加減返して欲しいのだけど?後で交渉しよう。
「そんな感じ。忙しいのにご苦労なのだけど、彼らに武具を貸し出して欲しい。あと兵糧は私の黒鍬衆が面倒見るから心配しないで。荷駄は増やしてもいいけど時が足りればでいいよ、あるに越した事ないけど」
「承知致しました。急がねばいけませんな、まだ陽は高こう御座いますが兵も首尾よく集まって御座います。御屋形様も鎧を付けられますよう。此度は平服は許されませぬぞ」
「わかってる、又兵衛に作って貰った南蛮鎧のお披露目だしね。私もせいぜい武将らしく振舞う事にするよ」
政貞が去って行くのを見届けてから私は順次に声を掛けた。
「順次、聞いての通りだから黒鍬衆の一部を人足、、、。人足衆にしようか?彼らの兵糧の面倒を見るように振り分けて欲しい。お願いね?」
「承知致しました。『さと』の衆を付けましょう」
「順次、此度は黒鍬衆の初めての戦になるから期待しているよ。この軍の胃袋は黒鍬衆が握っているからね?武功を挙げる事は出来ないけど、何よりも大切なお役目だから励んでね?」
「承知して居ります、皆も納得してお仕え致して居ります。この福池順次、必ずや成し遂げて見せます」
私は江戸家との戦の教訓から輜重兵を新たに作った。江戸幕府の職制の一つである黒鍬者から名を取って黒鍬衆と呼んでいる。私の黒鍬衆は物資の輸送が専門だけど、石垣の普請も学ばせていて拠点作りも行う部隊にしている。拠点に関しては信長の付城戦術が発案の元になっている。信長は凄い人なのである。
小田家は鉄砲を使った戦になるので塹壕戦が出来るように工夫もした。穴を掘るためのスコップや身軽に動けるように彼らには洋服を制作して着てもらっている。自衛隊の戦闘服がモデルである。なので草色に染めたのだ。風体が全く違うので軍内でも一目見て判るから便利である。
「うん、期待してる。それと、、、。金剛さん」
「はい」
「金剛さんを人足の頭に任命する。此度の戦では小山にも行くから皆の面倒を見るように。それから乱暴狼藉の一切を許さないから肝に銘じて欲しい。他国から来た人足も多くて大変だと思うけどお願いね」
「俺ですか?やれるか分かりません」
「金剛さんは人足の顔役なのだから出来るよ。いい?百人を十個作ってそれぞれに頭を置いて、金剛さんが頭たちに指示を出せば動かすのも難しくないからね?頭達には戦が終わったら特別に褒美を与えるからと伝えるといいよ。人足の皆には銭を三貫文褒美で出すからそれも伝えて欲しい。頭は金剛さんが使い易い人を選ぶといいよ。順次、金剛さんの槍と鎧は私の蔵から適当に選んでいいよ、なるべく立派なのね?あと馬を貸してあげて欲しい。金剛さんは馬には乗れる?」
「乗れますが、真に致すのですか?」
「致すよ、順次、鎧の付け方もさとから教えるように伝えてね」
「承知致しました。ではこれにて」
順次を見送ると金剛さんに肩車をしてと頼んだら拒否された。代わりに肩に乗せると言われたので彼の肩に座り担ぎ上げて貰い、高くなった視線から人足衆に大声で呼びかけた。
「皆、私の為に集まってくれたと聞いている!私はそれをとても嬉しく思う!私はお前達の力を借りたいと思う!戦が終われば褒美を出すよ!でも、ただの一人も討たれる事は私は許さない!皆の仕事は敵に大軍が居ると見せかける事!間違っても討ち入ってはいけないよ!皆の事はこの戦に限り人足衆と呼ぶ事にする!皆の頭はここにいる金剛が務めるから従って欲しい!皆に武具を配るからこれに替える事!兵糧は私が皆の面倒を見るからお米が食べられるよ!皆、しっかり励むといい!」
私がそう言うと歓声が上がった。千人同時なのでビリビリと音が響いて凄い声である。私が金剛さんに降ろして貰うと愛洲が私に問い掛けた。
「氏子よ、そのなりで何処から声を出しているのだ。あんな大声が出せるなどと思わんかったぞ。それに三貫文とは出し過ぎなのではないのか?ワシも小遣いを稼いでいいかの?」
「何言ってるの、愛洲は武功を立てればいいでしょ?皆の仕事を取ってはダメです。それに武者が大声を出せるのは美徳だよ?これくらいは私でも出来るよ。それと銭は皆のお陰で蔵に唸る程あるんだよ。確かに多いけど、使ってくれれば領内に銭も回るから最終的に私が得をするんだよ。前に話したでしょ?」
「聞いたが、このような使い方をするとは思わんかった」
「愛洲も銭を貯め込んではダメだよ?裕福な者が銭を使うから皆に仕事があるのだからね?」
「解っておる、だが、民の為に贅沢せよと言うのは氏子しかおらぬぞ?質素倹約とは聞いた事があるがの」
「無駄な贅沢はダメだけど、ちゃんと考えた贅沢はすべきだと思うよ?皆に仕事が回るからね。そろそろ戻ろうか、私も支度しないといけないし」
夕刻になり陽がだいぶ傾いて来た。百地から報告があり、小山家と宇都宮家の援軍が結城城に到着したそうだ。結城の徴兵はまだ終わっていない様子だと聞いたのでこれで一日の時間が稼げるけど、結城政勝、それでいいの?策は十分練ったのだろうけど、こちらを舐めすぎな気がする。今までの私の消極的な行動が結城政勝に強く印象付いたのだろうか?
でも、考えてみれば小田家は私の入れ知恵で諜報活動を大前提にしているし、皆にも情報の大切さを何度も念押しして伝え、いかに早く情報を仕入れるかが大切であると説明し、今では皆理解してくれている。だから皆の百地への評価が凄く高い。
よくありがちな抜け駆けも小田家では固く禁じている。集団行動が前提である軍隊でそんな事をされては堪らないからである。ちなみに抜け駆けをしたら小田家では最悪お家の取り潰しになる。場合によっては軍全体が危険に晒される事も実例として史実で幾らでもあるからである。
これを話した時の反応が凄かったけど、これも説明すると皆納得してくれたのだ。特に軍を指揮する勝貞と久幹は思い当たることが多いらしく直ぐに賛成してくれたのだ。指揮官から見れば抜け駆けは困るものね?
徴兵に関しても村の長や顔役を集めて話し合いも持っているので協力的である。私がしたのは何故徴兵が必要なのか?戦に勝つとはどういうことなのか?戦に負ければどうなるのか?という事を家臣達に教え、そして家臣に村を周らせて話し合いをさせたのだ。
頭ごなしでも従うだろうけど納得はしてくれない。戦に駆り出される事に心から納得する人はいないだろうけど、どういう考えで徴兵しているのかは理解してもらえる。小田の領民のほとんどは『御屋形様が気にする事じゃない』と笑われたと聞いたけど、新しく出来た村や常陸中部では有意義な話し合いになったと聞いている。結果、今日の陣触れでも今まで以上に人の集まりが良い。
だから小田家の幹部は他国の幹部と戦の観方が変わってきているのだと思う。政貞が今回の結城の動きを聞いて動きが遅い事を指摘していたけど、敵方ではそれが普通なのだ。小田家の将の常識が変化した証拠でもあるのだ。
どちらにしても今の小田家に結城が勝てる道理はない。諜報能力も、兵の質と数も、鉄砲も、資金力も、義昭殿という頼れる同盟者も、結城家とは段違いなのである。皆それが解っているから包囲されたと聞いても笑っているし、負ける心配もしていない。
尤も、敵が倍いても鼻で笑う人達だからその心配は無いけど。私が知っている戦史では旧帝国陸軍の兵士は十倍の敵と聞いても鼻で笑ったそうだ。その先祖が彼らなのだから当然なのかも知れないけど、現代っ子の私からすれば恐るべき人達なのである。
私は城に戻り、政貞を呼び付けた。宇都宮家の援軍が気になるのである。当初は佐竹家が宇都宮領に進軍したと情報を流して撤退させようと考えていたけど、私が直接書状に書いて送りつけた方が確実だし早いと思ったのだ。
もう一つある。宇都宮尚綱が生存している事実である。史実での宇都宮尚綱は結城家や那須家などと争い、後に喜連川五月女坂の戦いで戦死する。だけど、私が結城家に勝利し、城を焼き払って結城の軍事活動を停止させ、更に水谷正村を負傷させたので争う歴史が消滅している様なのだ。その影響は小山家にも及んでいると思う。
結城家と小山家、宇都宮家が手を結ぶ事を想定していなかったのはこの為である。私は史実の知識から結城家と小山家、宇都宮家は争うものだと思い込んでいたけど、私の行動でそれが変わってしまっている事に今回の結城家の連合で気付かされたのだ。
結城政勝からすれば、小田家との戦で将兵を失い、城も焼き払われて頭が痛かった事だろう。自国を守るために周辺と結ぶのは自然な行動だ。水谷正村も片腕を失う重症を負っている。彼も史実では小山家や宇都宮家と戦をして大暴れしているけど、百地の報告を聞く限り小田家と戦をしてから軍事行動をしていないのだ。槍働きが出来なくなった事も関係があるかもしれない。
つまりは、私が史実で知る情勢とは違うものになってしまったのだ。私は大国ばかり気にしていて小国の動きにはあまり関心を寄せていなかったのだ。なので、宇都宮家や小山家とは交流もないのである。今回は連合で結城政勝は兵力を確保したようだけど、連合国を切り離せば小田領への進行を諦めるかも知れない。相手の兵力は少なければ少ないほどいいから、早く切り離して私が安心したいのもある。
私は政貞に宇都宮家と小山家に書状を出す事を提案し、了承を得ると急いで書状をしたためた。百地に明日の朝に両家に届くように指示してから戦の支度を始めた。
私は鎧を付け、愛洲と次郎丸、百地の忍びを引き連れて、待機している勝貞や政貞の元に向かった。私の鎧は南蛮鎧である。でも見た目はどう見ても当世具足にしか見えない。でも又兵衛謹製の逸品だ。
白銀の胴に朱色と橙色で飾られた当世袖と籠手、草摺や佩楯、臑当も同様に朱色と橙色である。立拳は橙色一色で非常に目立つ。兜は朱色で錣も他と同様朱色と橙色である。吹返には小田家の家紋である州浜の紋が銀色で描かれ、兜の前建ては次郎丸のシルエットを模った銀色のプレートが輝いている。ちなみに前建てと胴は鏡面仕上げである。どうやったんだろう?
私が姿を見せると皆から歓声が上がった。勝貞と政貞の元に着くとそこには諸将も勢揃いしていた。皆は私に対して片膝を付いた。そして政貞が口を開いた。
「御屋形様、出陣の準備が整いまして御座います。まだ日暮れまで多少の時が御座いますから江戸崎に到着するのは宵の口で御座いましよう」
「ご苦労様、こんなに兵が早く集まるのは皆が私を信じて励んでくれたお陰だよ。私は皆を誇りに思うよ」
私がそう言うと勝貞が答えた。
「当家には御屋形様の下知を疑う者は居りませぬ。この程度でお褒め頂いては却って恐縮致します」
「そう?赤松と飯塚はうなぎを捕まえて来てってお願いしたら反抗してたけど?」
私がそう言うと赤松が慌てて口を開いた。
「御屋形様!その事は忘れて下され。某も飯塚殿もお下知に従ったでは御座いませんか!」
「うな重を五杯もお代わりした事は忘れてないからね?」
私がそう言うと皆が大笑いした。そして政貞が口を開いた。
「それにしても御屋形様の鎧姿は見事で御座います。常日頃から様々に心配して居りましたが、いつもこの様にして頂ければこの政貞も安堵出来るので御座いますが」
政貞がそう言うとまた皆が笑った。上げてから落とされるのは仕様なのだろうか?
「政貞?褒めた後に小言を言うのは良くないよ?でも、この姿なら義昭殿にお会いしても恥にならないよね?」
「勿論で御座います。どこへ出しても恥ずかしくない武者姿で御座います!」
「政貞には留守ばかり任せていたから口惜しかっただろうけど、此度は存分に腕を振るうといいよ」
「有難き幸せ、この菅谷政貞、必ずや功を挙げて見せまする!」
私は皆を見回してから口を開いた。
「これより土岐治頼の居城、江戸崎城に向かう!出陣!」
こうして私の三度目の戦が始まった。




