第七十五話 狼煙
今日は主だった重臣を集めて評定をしている。議題は効率的な陣触れである。移民を受け入れているので新しい村が幾つも出来たから、その分徴兵できる兵も増えているのである。軍勢の多くは足軽である。だけど、武家と違って報酬は無いし、戦に参加するのだから怪我や死亡もあるから領民にとっては負担でしかないのだ。これが背景となって、元を取ろうと略奪が横行するのである。そして軍を率いる武家もこれを容認するのだ。褒美は出せないし士気が下がっては戦にならないからである。これが戦国時代の乱暴狼藉、乱取りを許すである。
乱暴狼藉にはもう一つの背景がある。それは慢性的な食糧不足である。絶え間ない戦に小氷河期の天候不順で、戦国時代の日本は慢性的な飢饉状態なのだ。だから戦を仕掛けて勝てば、率いて来た足軽に略奪を許す。足軽は領民だから略奪で不足している食料などを補填させるのである。
英雄として語られる武田信玄はこれを最も積極的に行った大名である。彼は実の父を追放して家督を奪ったけれど、甲斐の国衆や領民からは支持されている。その理由が信玄の父信虎より無秩序な略奪の許可を得られるという理由だと言うから驚きである。
甲斐はとても貧しい土地である。平地は少ないし、過去に噴火した富士山の火山灰が堆積しているから作物の実りも悪いのだ。天文九年(一五四〇年)に起こった天文の飢饉もあり甲斐の領民は悲惨な飢餓状態に陥ったのである。その様な背景から国衆や領民から信玄は支持を得たのである。そして無秩序な略奪を行っていくのだ。皆が生きていく為である。
でも、略奪される側からすれば当然迷惑でしかない。彼らは甲斐の住民に奪われる為に存在している訳では無いのだ。誰かが生きる為に誰かが犠牲になる。それが最も顕著に表れたのが戦国時代だと思う。
武田信玄のライバルである上杉謙信も大して変わらない。彼は現代では義の人と呼ばれているけど、彼の義とは高貴な血筋の人や支配者層のみが対象である。現代の作家や歴史家が持ち上げるから知らない人は誰にでも慈悲深い人物だと勘違いするだろう。
同じ上杉家中の直江兼続も最悪だ。彼も現代では義の人とか愛の人とか言われているけど、それは彼の兜の前建てだけである。彼は残虐な人間だ。下人を簡単に殺すし、藤島城の虐殺は同じ人だとは思えない行為である。それを伝える記録にはこう記されている。
藪に隠れたるを槍にて突き刺し、木に登りたるを鉄砲にて撃ち殺す。
顔よき女子など寄り集まりてなぶり、童どもの生首を吊るし、老若男女問わず生首を引きずりまわし、修羅のちまたとは、これをば申すべきか。
藤島の百姓一人も残らず殺され、絶えたる村もあり。
普通の人間には想像できない行いだと思う。甲斐の領民が生きる為に略奪を希望するのは理解できる。だけど、直江兼続は民をなぶり殺しにしたのである。見せしめなのか私は知らない。だけど、人にはやってはいけない事があるはずだ。日本中の武家が彼と同じことをしていたならまだ理解出来るけど、そんなはずがある訳が無いのだ。
織田信長の虐殺も有名である。長島の一向一揆や比叡山の焼き討ちもそうである。ただ、相手が僧侶に先導された人々なのが他の人とは違う所ではあるけれど、やはり老若男女を区別せず虐殺しているのだ。私はこの時代に転生し、実際に信長に出会っている。
私の知っている信長は高潔な人物である、とてもその様な行いをする人物だと思えない。もし、この時代にいないはずの私と出会う事でバタフライ効果が発生し、彼の行動を変える事が出来るなら私は全力で彼を助けたいと思う。
話が逸れてしまった。
小田家は百姓町人に至るまで頼朝公以来の譜代である。だから、徴兵しても人は直ぐに集まるし軍令も行き届く。これは他家には無いアドバンテージである。そしてもう一つが小田軍の殴り合いの強さである。
徴兵は村や集落の大きさごとに集められる人や馬などの人数が決まっている。これに従うのが村や集落の義務である。どうしても村の事情で働き手を戦に出したくない場合は村や集落で代理人を雇うのだ。その代理人は各地を彷徨うように活動している傭兵であったり、主を持たない牢人であったり、街のゴロツキであったりするのだ。
そしてその代理人として戦場に来る彼らの目的は手柄よりも略奪である。最初から戦う気が無いのだ。だから傭兵ばかりで構成される軍は非常に質が悪く、戦では略奪や人取りに夢中になり、何の役にも立たないのである。
小田家の軍にはその代理人が殆ど居ないのである。頼朝公以来の譜代であるという自負心が百姓町人にあり、戦になれば直ぐに駆けつけ、戦闘が始まれば果敢に戦うのである。だから小田軍は殴り合いが強いのだ。
それに小田家の軍では乱暴狼藉は厳しく禁じられている。それもあってか、今では傭兵やゴロツキを探す方が難しい状態になっている。小田領では彼らも稼ぐ術が無いのである。結果として傭兵は集まらないけど、ならず者やゴロツキが稼げる国へ行くので、小田領は治安が良くなっているのである。
常陸中部の領民達は小田家にとっては新しい領民である。だから、元の小田の領民と同じように兵を集められるのか疑問があるのだ。素早い徴兵は戦の勝ち負けを左右するのである。私はそれを皆に説明し、この場で意見を募ったのだ。
「確かに御屋形様の意見には一理ありますな。真壁殿は如何お考えか?」
勝貞の問い掛けに久幹は答えた。
「常陸中部での御屋形様の評判は凄まじきものが御座います。先の佐竹家への支援に加え、各地に建立した吉祥天様の御堂も御座いますからな。御屋形様が次郎丸を引き連れて慰撫なされたので、民からの信仰が強う御座います。ご安心召されよ」
そう言えばそんな事をした、あれはとても辛かった。私は羞恥心で致命傷を負ったし、次郎丸は毛を要求されて最後には毛を取られるのを嫌がって抵抗していたのだ。私が力任せに次郎丸を押さえつけて無理やり毛を貰ったけど、次郎丸はキュンキュンと泣いていた。全部、久幹のせいである。
「ですが、河和田から小田城までは距離が御座いますからな。あちらで兵を集めてもこちらに到着するのはどうしても後れを取ります。背中は佐竹家が守ってくれるのでその苦労は御座いませんが」
久幹がそう言うと政貞が口を開いた。
「早馬を出しても時は掛かりますからな。致し方ないと考えますが?」
政貞が答え、久幹が思案するように顎を撫でていると声が上がった。
「ならば、狼煙を使うのは如何で御座いましょうか?武田家では狼煙を使い、陣触れすると聞いた事が御座います。当家でも出来るやも知れませぬ」
雪の隣に座っている将からの提案だけど、実はさっきから気になっていたのだ。何処かで見たような気はするのだけど、名前が思い出せないのである。誰かに聞こうかとも思ったけど、彼に対して失礼になってしまうので聞けないでいるのである。とても目が綺麗な人なんだけど誰だったかな?
「狼煙で御座いますか、、、。名案では御座いますが、某は狼煙を使った事が御座いませんので学ばなければなりませんな」
久幹がそう答えると百地が口を開いた。
「狼煙であれば我らの忍びの技に御座います。他にも鏡を使った連絡方法も御座いますので、必要とあらば我らが致します。ですが、いずれも昼の間は使えますが、夜や天候が悪い時は使えませぬ。その点は御留意頂きたく存じます」
「忍びの技にはその様なものも御座ったか。心強い限りで御座いますな。して、真壁殿はそれで宜しいで御座ろうか?」
政貞の問いに久幹は答える。
「よう御座います。試す価値はあるでしょう。夜や天候に関しては仕方のない事で御座いますから、従来通り早馬を使う事になりますな。狼煙が使えるならば某は賛同致します」
そこからは百地が狼煙の上げ方や運用方法、鏡を使った伝達方法を皆に説明した。特に鏡を使った伝達方法は居並ぶ諸将を感心させた。私もである。それにしても、皆で話し合って物事を決めて行くのが随分上達して来たと思う。以前は言われた事をやるだけだったから物凄い進歩である。
「では、皆様、この意見に賛同頂けますでしょうか?異議のある方は発言願いたい」
政貞がそう言うと皆が口々に『異議なし!』と力強く答える。諸将を見回して頷いた政貞にさっきの目が綺麗な人が口を開いた。
「政貞殿、某も真壁殿と百地殿の手伝いを致したく存じます。御許可頂けましょうか?」
「それは有難い、真壁殿、百地殿はどうか?」
政貞が問うと久幹は『それは助かりますな。忝い』と答え百地は『某に異存は御座いません』と答えた。
それを聞いた政貞は私に問い掛けた。
「御屋形様、狼煙の手筈を真壁殿、百地殿、手塚殿に任せるで宜しゅう御座いますか?」
「え!!手塚なの!!」
私は思わず立ち上がって叫んでしまった。そして不思議そうに私を見る諸将の視線に気が付き慌てて座ったのだ。恥ずかしいし、あの目が綺麗な人が手塚だったなんて全く判らなかった。以前、雪が手塚が人が変わったように働き始めたと言っていたけど別人にしか見えない。あの殺し屋のような目つきはどこへ行ったのだろうか?
ていうか、手塚の中の人は大丈夫なの?それに何で皆は普通に接しているの?私だけ?私だけが手塚が判らなかったの?あ、私だけじゃなかったみたい。桔梗が口を開けて固まっている。
「御屋形様?如何なされたので御座いますか?」
不思議そうに聞く政貞に私は『何でもありません』と全力でおすまし顔を作って答えた。
「此度の件は私も良い案だと思う。久幹、百地、手塚、皆で力を合わせて励んで欲しい」
私がそう言うと、皆から手塚に賞賛の声が上がった。その様子を複雑な気持ちで眺めていたら桔梗と目が合った。桔梗の気持ちが手に取るように解った。




