第七十四話 寸話その1 氏治とみかんとりんごと赤松 寸話その2 そばと小田家の重臣達
寸話その1 氏治とみかんとりんごと赤松
年が明けて天文十九年(一五五〇年)四月、とうとう私のターンが来たのである。去年から料理番の熊蔵に現代料理を仕込んだり、その料理を皆に振舞ったりと転生者らしく現代知識無双をした私は絶好調である。現代料理だけではなく熊蔵の作る料理も素晴らしくて父上も私も感心したものだ。
家臣達からは自分の家の妻や侍女に熊蔵の料理を手習いさせたいという嘆願もあり、私はそれを許可したのだ。今では月に一回、熊蔵の料理教室が開催されているのである。熊蔵もなるべくお金の掛からない料理をチョイスして教えているから奥方達や侍女からはとても感謝されているようだ。世の御台所様はやりくりが大変なのである。
女性に囲まれるのが恥ずかしいのか、熊蔵は顔を真っ赤にして指南しているけど、あまり意識していると熊蔵の奥方が嫉妬するよと言ったら一瞬で顔色を変えていた。奥さんが怖いのだろうか?ちなみに、この料理教室には桔梗や百地衆の女性も参加しているのである。私の現代料理はまだまだ秘匿する予定だ。外交にも使えるし、今は秘密にしておくのである。
そして私の現代料理再現は一つのピリオドを打つ予定だ。最後の料理は鶏の唐揚げである。さよちゃんの鶏、正五郎事件から随分経つけどようやく唐揚げを作れるのである。料理番衆が育てている鶏が良い頃合いなのだ。この日の為にマヨネーズの製法を熊蔵には伝授済みである。
私は桔梗と熊蔵を引き連れて意気揚々と鳥小屋に向かったのだ。次郎丸は危険なので当然お留守番である。桔梗からお小言を貰うかと思ったけど、特に何も言われなかった。私の現代料理は桔梗の胃袋も屈服させた様である。うな重と雉の親子丼が大好物になったようだからね。
鳥小屋に到着した私達は鶏を物色した。なるべく太っている鶏を二羽選んで私は両脇に鶏を抱えたのである。熊蔵が自分が運ぶと言ったけれど、私にとっては因縁もあるので自分で運ぶのである。もう逃がさない、絶対だ!
そして城に帰ろうと歩き出すと後ろから声が掛かったのだ。
「御屋形様!みかんとりんごをどうされるおつもりで御座いますか!」
その声に振り返ると顔を真っ青にしてワナワナと震えている赤松が居た。ていうか、何で私の鶏に名前付けてるんだよ!みかんとりんごって果物シリーズかよ!
どうも、私の鶏の世話を勝手にしていたようだ。私は熊蔵に視線を送ると顔が汗でびっしょりだった。熊蔵は知っていたのだろうけど言えなかったんだろうなぁ。熊蔵からすれば赤松は遥かに目上の人だし、熊蔵自身が告げ口するような性格の人ではないし。赤松が悪いのに決まっている。
「食べるに決まっているでしょ?それと、私の鶏に勝手に名前を付けないで欲しい。食べ辛くなっちゃうでしょ?」
私がそう言うと赤松は私の前に走り込むようにして平伏した。
「御屋形様!どうか!どうか!みかんとりんごの命だけはお助け下さい!この赤松凝淵斉、一生に一度のお願いで御座います!」
「赤松は先月も一生に一度のお願いって言っていたよね?私は赤松のお願いを聞いたのだから此度は聞かないよ?それに私は鶏を料理するのを何年も我慢していたのだから諦めなさい」
「そのような事を我慢していたのは日ノ本広しと言えど御屋形様ぐらいのもので御座います!鶏は神聖な鳥で御座います!どうかお考え直しを!」
むっ!さりげなくディスってくれるじゃないか赤松!お陰で忘れた筈の次郎丸の件と尾張での熊退治の暴露を思い出したよ。ここで話していても時間の無駄である。私は鶏の唐揚げを作る使命があるのだ。
「赤松、諦めなさい。私は忙しいからもう行くからね」
私は桔梗と熊蔵を促して足早に歩き始めた。後ろから赤松の声が聞こえるけど無視である。桔梗と熊蔵が気にしているけど私は全く気にならないので問題無しである。
後日、評定後の宴会で鶏の唐揚げを出したら大反響であった。その時に気になって赤松を見ていたけど、ご飯をお代わりして美味しそうに唐揚げを食べていた。本当に解らない人である。
寸話その2 そばと小田家の重臣達
土浦城の大外堀の普請が始まって随分経つけど、政貞の努力もあってだいぶ形になって来た。このまま行くと政貞は城造りの名人として名を残すと思う。現に下妻城は白漆喰で天守閣を備えた石垣造りの城である。関東に突然出現したこの城は後世の歴史家を悩ませる事になるだろう。
この土浦城の大規模な石垣造りの総構えも後世の日本の城郭構造の専門家を迷わせるに違いない。土浦城の堀はただ囲うだけではなく、幾つかの堀と連結して水路として機能するように設計してあるのである。それは防衛の都合では全くなくて、私が屋形船を回遊させたいからそうしただけである。完成したら皆で屋形船で宴会をする予定だけど、そんな発想だとは専門家は絶対気が付かないと思う。
石垣の上には桜の木が既に植えられている。これも防衛の事は一切考えてなくて、季節になったら私達や領民が御花見出来るようにする為である。小田家の逃げ城である土浦城に敵が攻めて来るなら小田家はどの道お終いである。だから防衛の事はあまり気にせずに設計したのだ。
土浦城の普請には多くの人足が参加している。出稼ぎに他領からも大勢の人が集まって来ていて、小田領の景気と治安の良さを見て、家族を呼んで移り住む人々が大勢いるようだ。小田家としては開墾地が広がるし、人口が増加するのは大歓迎である。この動きは大宝や関の城での普請場でも同様である。
そして人が集まればそれを目当てに商人がやって来る。普請場の近くには多くの露店や屋台が集まっていて毎日お祭りのようである。そこには熊蔵率いる料理番衆の屋台も出店していて小田家が支払った人足代を僅かばかりだけど回収しているのだ。金は天下の回りものである。
料理番衆の屋台はうどんと蕎麦の屋台である。そしてどちらも人気があるけれど蕎麦の人気が凄いのである。一杯二十文のうどんに対して蕎麦は二十五文であるにも関わらず毎日行列ができるのだ。私も熊蔵達に蕎麦打ちを教えた甲斐があるというものである。味りんや各種調味料を使ったスープは他では真似が出来ない味を出すし、そば切り自体が今の時代に存在しないのである。新しい食がブームを作ったのである。
私も桔梗も蕎麦が大好きで、こうして二人で食べに来る事が楽しみの一つになっていた。この時代なら蕎麦の屋台はファストフードと言えると思う。外で食べるのは楽しいのである。
そして目当ての屋台に向かったのだけど、行列の最後尾に見慣れた人達が並んでいた。政貞、久幹、百地の三人である。三人とも小田家の重臣であり身分の高い人達だけど、お行儀良く人足の後ろに並んでいるのがシュールである。忍びの百地が屋台に並んでいるけどそれでいいのか?と疑問に思った。私の持つ忍者のイメージが台無しである。
私と桔梗は顔を見合わせたけど、政貞達に近付くと声を掛けた。
「皆、良い日和だね。こんな所で会うとは思わなかったよ」
私が声を掛けると驚いたように三人は口々に挨拶をしてくれた。そして政貞が口を開いた。
「これは御屋形様、かような所でお会いするとは某も驚きました。御屋形様も蕎麦を食しに参ったので御座いますか?」
「そうだよ、桔梗と一緒にね。城でも食せるけど、外で食するのは一味違うんだよ」
私がそう言うと政貞はうんうんと頷いた。
「御屋形様は我等に良き食を与えて下さいました。某、この蕎麦が大の好物で御座いまして、日に一度は食しているので御座います」
政貞が蕎麦にハマっているようである。
「久幹と百地も気に入っているの?」
私が聞くと久幹が答えた。
「某は政貞殿に誘われて食したので御座いますが、この様に美味だとは思いもしませんでしたな。河和田で食する事は叶いませんので残念で御座います」
「久幹が気に入ったのなら河和田でも食せるように手配するよ。楽しみがあった方が仕事にも身が入るだろうし」
私がそう言うと久幹は身を乗り出すようにして口を開いた。
「真で御座いますか!これは有難い。御屋形様のご温情に感謝致します!」
嬉しそうに相好を崩した久幹に続くように百地が口を開いた。
「某も政貞殿と同様で御座います。我が配下の者も衣服を変装し蕎麦を楽しんでいるので御座います。御屋形様には我等一党、皆感謝して御座います」
トップである百地がバリバリ目立っているけど見なかった事にしよう。嬉しそうで文句なんてとても言えない。
私達は列に並んだ。人足の人達と目が合ったので軽く会釈をすると人足達も会釈する。ここには身分は存在しないのである。あるのは蕎麦好きが守らなくてはいけない仁義のみである。人足の人達も私が領主である事は知っている。だけど、ここでは私に平伏する事を禁じているのだ。ただ好きな物を食するだけである。私達は列に並びながら蕎麦の話に花を咲かせた。その中で政貞が提案する。
「御屋形様が蕎麦の作付けをご指示為さった時は何事かと思いましたが、実際食しますと合点が行きました。先々を考えますともう少し増やした方が良いかと考えまする」
「うーん、そうなんだよね。屋台も増やすつもりだし、土浦には蕎麦の食事処を幾つか出したいし」
「であれば、河和田にも出して頂きたい。あちらでも蕎麦を作付け致します故」
「直ぐは無理だけどね。でも、そんなに遠い話ではないから今から準備しても良いかもね。私もここまで人気が出るとは思っていなかったし、まだ、ざる蕎麦も出していないからね」
「御屋形様、ざる蕎麦とは何で御座いましょうか?」
興味津々な百地の質問に私は答えた。
「今、食している蕎麦は掛け蕎麦と言って熱い汁を掛けているけど、夏は暑くて食し難いよね? ざる蕎麦は小さい椀につけ汁を入れて葱とか山葵を合わせて、箸ですくった蕎麦を浸して食するんだよ。涼しく食せるから汗もかかないしね」
私の説明を聞いた三人は『おーっ』と声を漏らした。そして私達の前に並んでいる人足の人達もである。聞こえちゃうから仕方ないよね?
そうしているとようやく順番が回って来て、皆で近くの石に腰掛けて蕎麦を食べたのだった。




