第七十三話 現代料理再現 その3
料理人の熊蔵が来てからひと月近く経過した。私は熊蔵に現代料理を教えているけど、流石はプロである。手先も器用だし理解も速い。既に幾つかの料理はマスターしているのだ。所詮は現代の家庭料理ではあるけれど、この時代には無い料理の技法である。料理にもちゃんと歴史があるのだ。
現代日本では当たり前に世界中の料理を食べることが出来るけれど、これは凄い事なのだ。食材は勿論、調理法まで本なり人なりが当たり前に教えてくれるのである。だけど、この時代はそうはいかない。食材は限られているし調理法は秘伝になるのである。たかが料理と侮ることは出来ない。美味しい食事は人の心と体を大いに潤わすのである。それが常識となっている現代人は幸せであるし、ある意味不幸であると言えると思う。知識や物の有難味が薄れてしまうからだ。私もこの時代に生まれ変わったから言える事だけど、前世の私では考えもしなかった事だと思う。欲しい物は全て親が与えてくれたし、身の安全も国が保障してくれたのだ。日本という国を育んでくれた多くの祖先に感謝である。
このひと月は食に関する仕事ばかりしていた。熊蔵へのレシピ伝授は勿論、鶏小屋の製作や宗久殿には南蛮胡椒(唐辛子)を発注した。唐辛子は熊蔵率いる料理番衆に栽培して貰う手筈である。久幹には塩の増産を指示し、交易に頼っている醤油も小田領で作るように勝貞に頼んだ。安価な醤油を手に入れる為である。そして蕎麦の栽培も決定し、触れを出して領民にも奨励する。蕎麦も領内で作れば安価で民が食べる事が出来るのである。
新しい事を始めようとするとあれもこれも必要になるけど、領内で完結出来るようにすれば結果的には利益になるし、領民の生活にも潤いが出るのである。やるべき事は一度にやってしまった方が効率が良いのだ。そして今日は念願のうな重を作るべく熊蔵とうなぎのタレの製作である。朝早くから台所に籠もって大鍋でコトコト煮込む。
「何とも良い香りで御座います。この汁でうなぎを煮るので御座いますか?」
身分差を気にしてぎこちなかった熊蔵も今では普通に会話出来るようになっている。私の要求は他家とは随分違うだろうから苦労していると思う。
「煮ないよ。この汁を冷ましてから壺に入れて、焼いたうなぎを浸して何度か焼くんだよ。うなぎの脂が汁に混ざると汁もどんどん美味しくなるから作る程に美味しい汁になるんだよ」
ちなみに、焼いたうなぎをタレに漬ける事でタレが低温殺菌されるんだけど黙っておく。説明が難し過ぎるのだ。そうしていると赤松と飯塚が台所にやって来た。私は赤松を呼んだのだけど、飯塚はタレの匂いに惹かれて来たのかな?
「良い香りで御座いますな。この赤松をお呼びとは、もしや新しき料理の試食で御座いますな?御屋形様の料理の話は愛洲殿や百地殿から聞いて居ります。この赤松、偶々で御座いますが今朝は朝餉を抜いて御座います。存分に試食できるかと?」
絶対偶々じゃないと思う。熊蔵が昨日知らない武士が色々聞いて来たと言っていたし多分、赤松だ。本当に油断も隙もあったものではない。赤松がそう言うと飯塚も続いて口を開いた。
「某もご相伴にあずかりたいですな。とても良き香りで腹が空いて参りました」
相変わらず耳の速い赤松と飯塚である。でも残念だけど仕事を頼みたくて呼んだんだよ。しっかり働いて貰うつもりである。私は鍋を掻き混ぜる手を止めて、期待して機嫌良さげな赤松と飯塚に口を開いた。
「残念だけど違うかな。赤松にお願いがあるんだよ、飯塚も来たならついでに手伝ってあげて欲しい」
私の言葉に赤松と飯塚は互いを見合わせた。飯塚は『赤松殿、どういう事で御座ろうか?』『ふむ、某の調べでは試食できると睨んだので御座います。ここは押し切りましよう』と小声で話している。
私の目の前でいい度胸である。
「赤松と飯塚でうなぎを捕まえて来て欲しいんだよ。なるべく大きいのね」
「うなぎで御座いますか?」
頭の上に?を浮かべたような顔で赤松と飯塚はきょとんとしている。
「うん、泥抜きもあるから三日位したらうなぎの料理を作るから赤松と飯塚は一番に食させてあげるよ」
私がそう言うと赤松が嫌そうな顔をして口を開いた。
「うなぎは美味いものでは御座いませんぞ。某、幼少の頃に勇気試しで食した事が御座いますが、とても食せるものでは御座いません」
そんな事で勇気試しするなよ!何でうなぎなんだよ!うなぎは塩焼きとかもあるのだから一体どういう食べ方をしたのやら。
「赤松殿の言う通りで御座います。いくら御屋形様でもうなぎを美味く作るのは難しいかと」
赤松に続いて飯塚も反論する。普段、忠義、忠義言っている割に嫌な事ははっきり言うよね?君達?だけど、この時代なら二人の意見は当然だと思う。料理法が確立されていないから塩焼き位でしか食べられないだろう。だけどこの世にはぶつ切りにして煮て食べる剛の者もいるんだよ、イギリス人とか。
「私はうなぎを食したいんだよ。これは主命だからね?うなぎをいっぱい獲って来て。おっきいのね!」
私の言葉に赤松と飯塚はうぐぅみたいになって肩を落とした。
「では、百姓に銭をやって集めさせましょう」
赤松の言葉に私は答えた。
「赤松、私はあ・か・ま・つが捕まえて来たうなぎを食したいんだよ。頑張って捕まえて来るといいよ。おっきいのをいっぱいだからね?捕まえて来るまで帰ってきちゃダメだからね?」
私の言葉に赤松と飯塚は『そんなご無体な』と情けない顔をしているけど、私も心を鬼にして言っているんだよ。決して次郎丸の件や尾張での熊退治の暴露を根に持っている訳では無いよ?でも、うなぎを捕まえて来たら忘れてあげられると思う。
熊のような二人が肩を落として出て行くのを見送ると熊蔵が遠慮がちに口を開いた。
「御屋形様、手前共に命じて頂ければ獲って参りますが?」
「いいの、いいの。熊蔵は忙しいのだからあの二人に任せておけばいいんだよ」
私がそう答えると熊蔵は何とも言えないという顔をした。
♢ ♢ ♢
鉄砲鍛冶師の甚平、細工師の又兵衛、硝子師の八兵衛、塗師の喜平、木地師の助六の五人は氏治から登城するよう命じられた。常にない命に五人は何事だろうか?と一瞬身を固くしたが、命であるなら従わない訳には行かないと五人連れ添って小田城にやって来たのだった。小田城に到着すると本殿の一室に通され、又兵衛制作の座卓にそれぞれが腰を落ち着ける事になった。何か重大事でもあったのだろうか?と皆で話していると盆を持った氏治が、次いで桔梗が部屋に現れた。
「皆、よく来てくれたね。今日は日頃のお礼にお酒と食事を用意するからゆっくりしていってね」
そう言いながら盆に乗せた珍陀酒と清酒を桔梗と共に膳に並べていく。
「おつまみも直ぐに来るから、先に飲んでいるといいよ」
そう言うと氏治と桔梗は忙しそうに部屋から出て行ってしまった。五人は呆然と見送っていたが、甚平が口を開いた。
「毎度の事だが、御屋形様のなさりようは読めねぇな。大名のご当主様が酒を運んで来るなんて堺の仲間達に言っても誰も信じてくれねぇだろうな。まっ、御言い付け通り一杯やるか」
そうして酒を飲み始めると又兵衛が口を開いた。
「この珍陀酒にしても本来は手前共が飲める代物では御座いませんからね」
目の前に並ぶ珍陀酒を見て又兵衛は飲み干すまで帰らないと密かに心に決めていた。
「全くだ、仕事場に珍陀酒を差し入られた時は腰を抜かしたよ」
堺の出である五人は南蛮酒の価値をよく知っていた。庶民には決して手が届かない高級品である。それをお裾分けと氏治が持って来るのである。他にも季節の野菜や果物や清酒などせっせと運んでくるのである。
暫くすると大皿に盛られた料理が次々と運び込まれる。侍女の菊が一皿毎に説明をする。甚平達は恐縮しながら菊の説明を聞く。どれも見た事の無い料理ばかりであった。そしてその香りに喉を鳴らした。菊が退出すると我先にと箸を伸ばす。
「美味ぇし甘めぇ、、、。だが、俺の知っている卵じゃねぇ」
不思議そうに甘卵を眺める甚平に続いて八兵衛が口を開いた。
「これは海老の様で御座いますが、こんな美味い海老は食べた事が御座いません」
海老の天ぷらを食べた八兵衛は目を見開いている。又兵衛や喜平、助六も揚げたての天ぷらを頬張って目を輝かせている。海老の他に鯛や野菜の天ぷらが積み上がるように皿に盛られている。そして料理が美味いと酒も進む。酔いが回り始めると自然と仕事の話になった。
「お前さん達に俺の気持ちは解らねぇ!御屋形様に菅谷様、真壁様、百地様に桔梗様が頭を下げに来るんだぞ!一体どうやって断れって言うんだ!」
常陸中部を制した氏治主従は甚平に鉄砲の増産を依頼したのだ。それまでは年間百二十丁が目標であったが今では年間二百五十丁が目標になっている。
「御屋形様の恐ろしい所はな、出来るようにされちまうことだ。次の日には大工が入って来るし、数日すると鍛冶師が送られて来る。それで御屋形様が言うんだよ、これで甚平も安心だねってな。俺は、、、。やるしかねぇんだよ、、、」
そう言うと甚平は珍陀酒を呷るように喉に流し込む。その様子を見て八兵衛が口を開いた。
「手前は硝子の障子を二百作るように頼まれましたが、御屋形様はゆるりと作ればいいと言うので御座います。ですが、ゆるりだと、、、。間に合いませんね、、、」
八兵衛の硝子製品は堺で人気を博している。引き合いも強く、品質も以前より良い物と今井宗久から要求されているのである。一つ一つ形が違うので茶器のような扱いで収集家が競って買い求めている背景もある。それに飛び込みで氏治が思い付いた硝子製品を作らされるので意外に忙しいのである。
「手前共も重箱を二百に大椀を百作るようにと御屋形様が申されました。堺に送る漆器も御座いますから手が足りませんね。御屋形様はやはりゆるりで良いと申されたので御座いますが、、、」
頬を赤くした喜平が言うと助六も相槌を打つ。漆の塗りを減らした安価な漆器は都の貧しい貴族や武家から引き合いが強いのだ。手頃な値段で手に入る漆器は貧しいが見栄を張らねばならない人々から人気であった。それを気の毒そうに聞いた甚平は口を開いた。
「又兵衛、お前さんはどうなんだ?」
甚平に振られた又兵衛は答える。
「御屋形様だけならいいので御座いますが、ご家中の方からの依頼も増えていますね。最近は南蛮鎧や鉄砲の装飾が多御座いますね。正直手が足りません。その上に御屋形様が次々と仕事を持って来るので、、、。御屋形様に初めて御目通りした時に出来る限り作りますと言った事を後悔しています」
この五人の中で一番忙しいのは又兵衛である。又兵衛なら何でも作れると思っている氏治は次々と仕事を積み上げているのである。江戸時代後期に蒸気機関を作った細工師の話が頭にある氏治は、又兵衛なら蒸気機関ですら作れると思っているのである。又兵衛も又兵衛で氏治からの依頼に対して決して出来ないと言わないから文字通り何でも依頼されているのである。
「今の所は何とかなっていますから、励むしか御座いませんね」
そう言うと又兵衛は珍陀酒を喉に流し込んだ。後日、氏治から早合の大量生産を依頼され、苦悩の日々を送る事になるが今の又兵衛は知る由もない。
そうしてそれぞれの心中を暴露し終わった頃、氏治と桔梗が部屋にやって来た。それぞれの前に重箱が置かれていく。
「これはうな重と言って、うなぎの料理だよ」
そう言った氏治は重箱の蓋を開けるように促した。うなぎと聞いて一瞬表情を硬くした面々であったが、氏治に促されるまま重箱の蓋を開けた。うなぎは不味い魚だと知っていた五人だが、嬉しそうに話す氏治の面子を潰す訳には行かない。だが、蓋を開けると香ばしくも甘い香りに仰天した。
「赤松達は喜んで食していたから味は保証するよ。それと奥方へのお土産も用意するから持って帰ってね」
氏治はそう言うと桔梗を連れて部屋から去って行った。甚平は氏治を見送るとポツリと言葉を漏らした。
「奥方って、うちのかかあの事言ってんだろうな、、、」
甚平達がうな重に舌鼓を打っている裏で台所では五杯目のお代わりを要求する赤松と飯塚に氏治は柳眉を逆立てていた。




