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第七十二話 現代料理再現 その2


 又兵衛に依頼した調理器具が次々と出来上がって届けられた。どれも現代では当たり前の道具だけど、この時代には存在しない料理道具である。小田城の台所の改造も終わり準備万端である。そして一週間が過ぎた頃に佐竹家から料理人達がやって来た。総勢三十九名の大所帯である。てっきり一人だけやって来ると思っていた私は驚いてしまった。そして、食べる事ばかり考えていた自分が少し恥ずかしい。


 よくよく考えれば当然だ。ご家族もいるだろうし、仕事となれば大勢に食事を作る事もあるのだし、役割分担もあるだろう。屋敷は用意していたけど他の人の分も急いで用意しないといけない。私は慌てて城下の空き家を探させて仮の住まいにする事にした。


 やって来た料理人は熊蔵という人だった。名は体を表すと言うけど見た目もクマ―な感じの人だった。久幹の身長六尺(一八〇センチメートル)より少し小さいけど、ガッチリした体つきは料理人と言うより野武士のような感じだ。人は見かけによらないと言うけど、この体格で料理上手なのだから不思議なものである。


 私は桔梗に熊蔵を屋敷に案内してもらって一旦落ち着いてもらう事にした。次の日に熊蔵と今後の活動について話し合った。大勢を雇う事になったので私は熊蔵に土地を提供する事を提案した。熊蔵は恐縮して断ったけど、無理やり飲んで貰う形になった。私としては大勢来る事になったお詫びもあるし、やって貰いたい事を思い付いたからである。


 その一つが養鶏である。養鶏自体は桔梗の鉄砲衆の村で既に行われている。桔梗の村では鶏を飼い、その鶏が産む卵は貴重なタンパク源になっている。ただ、この時代の鶏は神聖な鳥であり食用として見なしていない。ニワトリはお伊勢様、つまり天照大御神アマテラスオオミカミ神使しんしで、つまりは御使い様なのである。地域差もあるだろうけど、少なくとも桔梗達は鶏を食用と見ていないのだ。鶏から卵を貰うけど鶏を食べる事はしないのである。


 以前、私が育った鶏を食べようと思って連れ去ろうとした事があるけど、村のさよちゃんに命乞いをされた事があるのだ。その時の言葉は忘れられない。


 『若様、正五郎を食べないで、、、』


 涙を浮かべながらさよちゃんに訴えられてしまった。そんな事を言われると思っていなかった私は正五郎と名付けられた鶏を小脇に抱えたまま戸惑ってしまった。そして、この時代の鶏の扱いを思い出して鶏をさよちゃんに返した経緯があるのだ。


 確かにそういう風習だから仕方が無いとは思う。だけど、鉄砲で仕留めた鶴を笑顔で捌く桔梗達の気持ちは私には解らない。この時代の鶴は高級食材である。だけど、現代人の感覚を持つ私からしたらとても食べる気にはならないのである。だって鶴だし、、、。


 桔梗に鶏を飼うように勧めたのは私だけど、思惑が外れた形なのだ。なので料理番衆が出来そうなので、ついでに養鶏や菜園などもして貰おうと考えたのだ。いずれは豚や牛も飼育したいけど、この時代は牛なんかも家族同然に扱うから抵抗されそうな気がするけど気長に挑戦するしかなさそう。


 私は熊蔵と打ち合わせをしながら特に鶏には名前を付けないように念を押した。野武士のような熊蔵がちょっと引いていたけど、唐揚げを食べれば納得する筈である。野鳥でも良いのだけど、私は前世で食べ慣れた鶏の唐揚げが食べたいのである。


 それと将来的には土浦の街に食事処を幾つか出す予定である事を熊蔵に話した。思い付きだけど、私の街作りに必要な物である。そして当面は私が伝授する料理で屋台も幾つか引いてもらうつもりだ。人が多いし勿体ないのと美味しい屋台は必須である。うどんとか蕎麦とか出せる物は幾らでもあるのだ。頭を傾けている熊蔵に今日は休むように伝えてこの日はお開きとなった。


 ♢ ♢ ♢


 小田領に来てからの熊蔵は驚きの毎日であった。佐竹領での料理大会で栄誉を勝ち取った熊蔵は小田家の料理番に抜擢された。今まで想像すらした事のない出世であるし、何より吉祥天様の生まれ変わりと云われる小田氏治に直接仕える事が出来るのである。同僚や街の人々から羨まれ、意気揚々と小田領に向かったのだ。


 小田城に到着すると小田氏治自ら門で出迎えられたのには心底驚いた。ニコニコしながら親し気に来訪を歓迎されたが、料理人に過ぎない熊蔵を大名当主自ら門まで出迎えるなど想像もしていなかった。


 「熊蔵だね?私は小田氏治です。これから宜しくね」


 そう言って熊蔵を眺め見る氏治の様子に一瞬呆けた熊蔵だが慌てて平伏した。だが直ぐに氏治に立たされ膝に付いた土を氏治自ら払われたのだ。熊蔵は自分の身に起こった事が理解出来ないでいた。この時代の身分は絶対である。身分ある者が下々の者に奉仕することなど有り得ない。小田家は頼朝公以来の名門の家である。佐竹家からも粗相が無いよう厳しく注意されて来たのだ。


 「さっ、皆も立って。着物が汚れてしまうよ」


 氏治はそう言うと皆を立たせ、困惑する熊蔵達を門に招き入れた。そして事もあろうか、本殿に上がるよう言われたのである。広間に通された熊蔵達は改めて氏治から挨拶され、そして一人一人名乗るよう氏治に請われた。あまりの出来事に、ここまで熊蔵達はただの一言も口を開いていなかった。その無礼に気付いた熊蔵は慌てて名を名乗る。小田領に来る道中に考えて来た口上は頭の中から消えていた。


 熊蔵のみならず小者や女房、子供達まで名を名乗らせた氏治はニコニコしながらそれを聞いていた。皆がそれぞれ名乗る中、多少の落ち着きを取り戻した熊蔵は改めて氏治を眺め見た。男装をしているが白い肌に艶やかな黒髪、クリっとした目が愛らしい。そして楚々とした佇まいに暫し目を奪われた。


 そうしていると広間に一匹の大きく真っ白な山犬が入って来た。次郎丸である。次郎丸はゆったりとした動作で氏治の横にはべるように腰を下ろした。熊蔵も噂には聞いていたがこれ程大きく美しい犬だと思わなかった。そして氏治にはべるその姿はまるで神の御使いのようであった。


 (吉祥天様の生まれ変わりとは真であった!)


 その場にいる全ての者がそう思ったのだろう、気が付けば熊蔵達は平伏していた。その後、今日はゆっくり休むよう氏治に指示され、桔梗と呼ばれる美しい娘が熊蔵達を家に案内した。促されるままに付いて行くと立派な門扉の屋敷に通された。


 「この屋敷を御屋形様が熊蔵殿に下されました。以後、お好きに使われますよう。必要と思われる道具は運び入れてあります。不足があれば用意致しますので申して下さい。他の皆様の仮宿は夕刻までに用意致します。御屋形様はそれぞれ家を用意すると申されましたのでそれまではご辛抱頂けますよう」


 桔梗の言葉に熊蔵は仰天した。料理人に屋敷を与えるなど聞いた事が無い。それに自分は一流と名乗れる料理人でもないのだ。


 「きっ、桔梗様!大変ご無礼では御座いますが、お間違いでは御座いませんか?手前共はただの料理人で御座います。この様なお屋敷を賜る訳には参りません!」


 熊蔵がそう訴えると桔梗は小首を傾げて口を開いた。


 「御屋形様が御用意されたのです。断っては無礼になります。お気持ちは察しますがお受け取り為さいますよう」


 そう言うと仕事があるからと桔梗は去ってしまった。残された熊蔵達は口を開けたまま呆けたように屋敷を眺めていた。


 次の日。熊蔵は登城すると本殿の一室に通された。そこには氏治が見た事も無い巨大な膳の前に座っていた。傍らには次郎丸と桔梗、そして一人の武士が座っていた。その武士は愛洲宗通あいすむねみちと名乗った。その名は熊蔵も知っている名であった。高名な剣士が小田家に仕えた事は佐竹領でも話題になったのである。


 そこからは白昼夢でも見るかのようであった。大名当主と対面で話をしたのである。あまりの事に汗すら搔かなかった。ただ真っ青になって氏治に返答した。氏治は熊蔵に土地を与えると言う。熊蔵は断ったが聞き入れてもらえなかった。そこで鶏を飼育する事や氏治が考えた料理を覚える事や料理屋や屋台を引く事などが次々と決まって行った。どれも熊蔵が想像もしていなかった事ばかりである。


 特に鶏を食したいという氏治の願いに熊蔵は頭を捻った。桔梗同様に熊蔵も鶏は神聖な鳥だという認識である。吉祥天様の生まれ変わりである氏治に似つかわしくない願いであったが熊蔵は頷く事しか出来なかった。鶏に名前を付けないよう強く念を押す氏治の様子に更に頭を捻る事になったが考えても仕方が無いと気にしない事にするしかなかった。


 更に次の日、氏治の料理を覚える事になった。大名当主、しかも年若い氏治に料理の腕があるのだろうか?と疑問に思ったが言われた通りにするしかない。そして氏治が桔梗と愛洲を伴ってやって来た。それぞれが大きな箱を持って。


 氏治は箱から次々と道具を取り出した。どれも見た事が無い道具である。そしてそれは料理に使うものだと言う。


 「御屋形様、この様な道具で料理を致すので御座いますか?」


 桔梗はフライパンや手鍋を眺めながら疑問を口にした。熊蔵も同じ気持ちだった。


 「そうだよ。まっ、見ているといいよ。熊蔵はちゃんと見て覚書おぼえがきしてね。今日は卵焼きを作るからね。菊、頼んでおいたお出汁は出来ている?」


 氏治は侍女の菊に問い掛けた。


 「用意して御座います」


 氏治は菊から出汁を受け取るとニコリと笑った。氏治は篭に盛られた卵を別の器に次々に割り入れ、箸で掻き混ぜてから出汁と塩を投入しまた掻き混ぜる。


 「お出汁は目分量でいいからね。無い時は水でもいいよ。それと、今日はお塩を入れたけどお砂糖を入れても美味しいよ。お砂糖は宗久殿から頂いた物が手付かずであるから好きに使っていいからね」


 砂糖は熊蔵も知っている。南蛮品で高価である。だが、知っているだけで見た事も使った事など勿論無いし、味すら知らない。甘いとは聞いているが聞いただけである。熊蔵の師ですら知らないのである。熊蔵は困惑したが今は氏治の料理を覚えねばならないと集中し直した。


 氏治はそう言ってから長方形の変わった形の鍋らしき物を炉の上に置き、箸で摘まんだ小さな布に染み込ませた油を鍋に擦りつけていく。実に手慣れた様子である。熊蔵達は目を皿のようにして注視する。


 「このお鍋は内側が黒くなっているけど、これはごま油を煮たお焦げだよ。こうするとお鍋で焼いてもくっつかないからね。お鍋の作り方は後で教えるね」


 氏治は熱せられた鍋に箸に付いた卵を少し垂らした。ジュッと卵が音を立てる。


 「今見たように卵が直ぐに焼ける位にお鍋が熱くなったら頃合いだから目安にしてね。じゃあ焼くからここからは見て覚えてね」


 そう言うと氏治は卵を鍋に投入する。そして箸でかき回すと卵は直ぐに半熟になりそれを器用に折り畳んでいく。あっという間に厚焼きの卵が出来上がり、更に鍋を動かし卵をひっくり返して熱を通す。その様子を見た熊蔵達は「おーっ」と一様に声を漏らした。


 卵の焼けた香りが辺りに漂う。この場の誰もが知らない香りだが食欲を刺激する香りである。誰かのお腹がぐぅと鳴った。


 「済まぬ、この香りを嗅いだら腹が鳴ってしもうた」


 そう言った愛洲を見て氏治はコロコロ笑った。


 「愛洲は試食を楽しみにしていたからね。一番に食させてあげるよ」


 氏治は皿に卵焼きを置いて包丁で切り分けた。そしてそれを愛洲に差し出す。


 「済まんの」


 愛洲は受け取った厚焼き玉子を幸せそうな顔で頬張る。


 「これは美味い!!」


 愛洲は焼きたての厚焼き玉子をハフハフと口の中で冷ましながらどんどん平らげていく。熊蔵達はそんなに旨いのか?と愛洲の様子を眺める。やがて食べ終えた愛洲は口を開いた。


 「ワシの地元にはお伊勢様があるから卵は喰わぬが、この様に美味なものだとは知らんかった。所で、酒を所望したら氏子は怒るかの?」


 「そのくらいで怒らないよ、お酒くらい用意するよ。燗がいい?」


 「うむ、卵のお代わりも所望したい」


 「順番だからね、料理人達には味も知って貰わないといけないから。菊、愛洲にお酒お願い」


 愛洲の感想を聞いた熊蔵は強く興味をそそられた。氏治が披露した料理の技法は熊蔵の知らないものであったし、料理が好きだから進んだ道である。香りだけでも美味しさが解ってしまう。


 「他にも卵を使った料理は沢山あるから追々作って行くね。今日は熊蔵に覚えて貰うつもりだからどんどん作るよ。卵も沢山あるから全員食せるからね、楽しみにしているといいよ」


 氏治がそう言うと皆から小さな歓声が上がった。


 

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― 新着の感想 ―
まぁ養卵も銭になるからドンマイ
[良い点] 茨城県南部は温暖だから、砂糖キビの栽培が可能な気がします。(流石にビーツ「砂糖大根,てんさい」は、無いだろうが)。まあ、水の量が少ない様に配慮は居るだろうけれど。氏治のオーバー,テクノロジ…
[一言] 今日気付いた! よかった、連載楽しみにしてます。
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