第七十話 愛洲宗通 その3
氏子との面接で疲れ果てた儂の様子を見た下がり眉が口を開いた。
「御屋形様、この御仁を庇う訳では御座いませんが、ちと厳しすぎやしませんか?某の家は代々小田家にお仕え致して居りますので仕官の事は存じませぬが、かように厳しいものなので御座いましょうか?」
下がり眉は儂を気の毒そうに見ている。そして続くように百地と呼ばれる男も口を開いた。
「某もそう思います。話を聞いて居りましたが、この御仁、誠実なお方とお見受け致しました。どうか寛大なご処置を」
そう言って百地と呼ばれる男は平伏した。当の儂は困惑していた。下がり眉にしても百地と呼ばれる男にしても儂に同情してくれるとは思わなかったのだ。さらに百地と呼ばれる男は平伏までして見せた。なんという男か!今思い出したが百地は聞き覚えがある。伊賀の忍び衆だったと思うが、その百地なのだろうか?
「私のせいみたいに言わないで欲しい。この位の面接なら笑顔でやり過ごすのが普通なのだけど、牢人さんはいい人過ぎて少しだけ酷だったかな?」
氏子の言葉に儂は衝撃を受けた。これほどの試練を笑顔が普通だとは思わなかった。
「普通、、、。で御座いますか?して、この御仁は佐竹家に仕官が叶うので御座いましょうか?」
下がり眉の質問に氏子が答えた。
「う~ん、義昭殿は優しい御方だけど、政務は別だよね?牢人さんが佐竹家で何が出来るのかが重要だと思うけど?」
「佐竹家は名門で御座いますからな、御目通りが叶うかも分かりませんな。この御仁には失礼と存じますが身なりも良いとは申せません、難しそうでございますか、、、」
儂も分かってた、修業しながら来たと誤魔化そうと企んでいたけど甘かったようである。更に儂は無一文の身、仮に佐竹家に仕官し出来たとしても無一文では衣服を整え直す事も出来ない。いきなり銭を借りるのも体裁が悪いと思っていた。
「御屋形様ならどうにか出来るはずで御座います」
百地が静かにそう言うと氏子が答えた。
「流石に会ったばかりの牢人さんに紹介状は書けないよ?義昭殿に義理を欠く事になるし、、、。」
そして氏子は少し考えるようにしてから口を開いた。
「私に仕えるのはどうだろう?牢人さんさえ良ければだけど?」
氏子の言葉に儂は驚いた。だが、明らかに同情である。このまま仕官しても良いのだろうか?しかし、佐竹家に行ったとしても面接が通るとは到底思えない。儂が返答にまごついていると百地と呼ばれる男が口を開いた。
「御屋形様のご温情、この百地、感服致しました。この御仁が困らぬよう、某が手助け致しますのでご許可頂けましょうか?」
「分かった、百地に任せるよ。政貞もそれでいいよね?」
「某も異論は御座いませぬ。百地殿、不足があれば某もお助け致す故、遠慮なく声を掛けて頂きたい」
「承知致しました」
何、この人達?いい人過ぎる。だが儂は仕官すると言っていないんだが、この空気だと断れないし、今から佐竹家に行って面接するのも怖いので小田家に仕官出来るならいいか。正直幸運だと思うし、この二人の様子だと家中で虐めも無いだろうし。ちなみにここまで儂は一言も口を聞いていない。
「では、そういう事で牢人さんは暫く私の護衛をしてもらう事にするよ。百地と一緒だしいいよね?」
「承知致しました」
儂は氏子にそう返答したけど、本当に儂を雇うつもりらしい。氏子もお人好しである。
「そう言えばちゃんと名を名乗ってなかったね。私は小田氏治です、一応大名なので牢人さんの面倒はちゃんと見るよ。牢人さんのお名前は?」
え?氏子って大名なの?確かに御屋形様とか呼ばれていたけど、女子の氏子が大名だとは思わなかった。すると儂は直臣になったという事である。氏子が太っ腹過ぎる。儂は驚きながらも慌てて名を名乗った。
「某、愛洲宗通と申します。以後、小田家に忠誠を誓います」
儂はそう言って平伏した。色々あったけどこれも運命というものだと思う。儂より腕が立ちそうな氏子に護衛が必要だとは思えないが良しとしよう。
「あ、愛洲ね、これからよろしくね。き、き、き、桔梗、愛洲に風呂と着物を用意してあげて」
「承知致しました」
儂は桔梗という美しい娘に連れられて風呂を馳走になる事になった。何故か氏子の様子が変だったが儂の気のせいだろうか?
♢ ♢ ♢
愛洲が退席してから暫くは皆無言だった。それは彼の名に心当たりがあったし、その事で衝撃を受けているからだと思う。現に私がそうだ。
「お、御屋形様、愛洲宗通と申せば剣豪として名高い人物だと某は記憶して居ります。真剣勝負で一度も後れを取った事が無いとか、あの御仁がそうなので御座いましょうか?」
政貞の言葉に私は直ぐに返答出来なかった。愛洲宗通は剣豪、愛洲移香斎の子で佐竹家に仕える人物である。それに上泉信綱や柳生といった剣豪が教えを受けたという伝説の存在である。愛洲宗通は北畠滅亡後に佐竹家に仕えるのだけど、彼の行動は不明な点も多く現代でもよく解っていない。
でも、北畠家はまだ健在のはずだし、どうしてこの時期に佐竹家に仕官しようとしていたのか謎である。はっきり言えるのは、義昭殿から私が愛洲宗通を取ってしまったという事だ。剣豪を家中に迎える事が出来ると家には大いに箔が付く。周辺の大名も一目置く事になるだろう。
そしてこの箔が馬鹿にならない。高名な剣術家が居るだけで武威にもなるし、彼の存在が各地の剣術家の注目となって優秀な者が仕官してくるかも知れない。これからは鉄砲の時代ではあるけれど、武士にとって剣とは大切なものである。
でも、彼がそうだとしても全く剣豪に見えなかったし、面接で感じた彼の人柄は戦国時代の武将とは随分とかけ離れている気がする。私が受けた印象は現代人に近いものがある。剣豪ってもっとギラギラしていて戦う事ばかり考えてるイメージがあったけど?
もう雇ってしまったし、今更佐竹家に行けなんて言えない。義昭殿には悪いけど、ここは幸運だと思って喜んでおこう。
「本人がそう言っているのだからそうなんでしょ?それより、愛洲の処遇を決めないといけないよ。私も突然の事で戸惑っているんだよ」
私がそう言うと百地が口を開いた。
「愛洲と言えば伊勢の剣豪で有名で御座います。よもやあの御仁がそうだとは某も驚きました。それに匕首を付きつけてしまい、無礼な振舞いを致しました。後で詫びをせねばなりますまい」
私は面接しただけだからセーフだと思う。おにぎりもあげたし。
「いずれにせよ、無碍な扱いは出来ませぬな。当家の剣術指南役が妥当であると存じますが?」
政貞の言葉に私は頷いた。護衛兼剣術指南役になって貰おう。
「それでいいと思う。門下生も大勢いるはずだから屋敷や道場も用意しないといけないよね?」
政貞は腕を組みながら思案気に口を開いた。
「そうで御座いますな、して、どちらに用意致しましょうか?」
「小田に屋敷を一つ、これは一の溝に用意して。一門と同格にする、お詫びとしてね?」
「承知致しました、名のある御仁で御座いますから異を唱える者も居りますまい」
「それと土浦に屋敷と道場を用意して欲しい。土浦は街の拡張をするし、これから栄えるから便利だと思う。それとご家族を迎えられるように不足ないようにして欲しい。どれ程居るのか分からないけど、愛洲と相談して決めて欲しい。支度金も忘れないでね?二百貫あれば足りるかな?」
「十分で御座いましょう。ここで銭を惜しんでは当家の名に傷が付きまする」
「それと今宵は歓迎の宴をするから小田に用意してね。百地と赤松に愛洲の接待役を、百地、それでいいよね?」
「承知致しました。非礼の詫びも御座いますので誠心誠意、歓待致します」
「それと父上と主だった者に連絡を、特に重鎮は全員出席するようにして欲しい」
こうして私達は愛洲を歓待する為に動き出した。思わぬビッグネームが家臣になったけどいいのだろうか?光秀にも驚いたけど今回はそれ以上である。私は戦国時代の有名人を青田買いするつもりは無い。小田家の家臣に不満など無いし、武勇だって他と比べても負けていないと思っている。
軍師的な人は欲しいとは思うけど、今の所は当てはないし、求めたからと言って直ぐに見つかる訳でもないから気長に機会を待つつもりである。それにしても愛洲宗通が来るなんて想像の外過ぎるよ。




