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第六十九話 愛洲宗通 その2

 

 儂はふらつきながらも佐竹領を目指して歩みを進めていたが、途中で見掛けた野良着の娘が握り飯を食そうとしているのが目に入った。空腹で限界寸前だった儂は意図せずふらふらと娘に歩み寄った。


 そんな儂の様子を見た娘は警戒するような素振りで握り飯を隠すようにして口を開いた。


 「何か用ですか?」


 野良着姿に似合わぬ言葉に違和感を覚えたけど、常陸の田舎でも言葉遣いを知る者くらいは居るだろうと気に留めなかった。それよりも握り飯である。何とか分けて貰ってこの飢えを凌がないと流石の儂も死ぬかもしれない。儂は握り飯を分けて貰おうと口を開き掛けたが、その瞬間に腹が盛大に音を鳴らした。


 娘はそれで察したのか握り飯の包みを儂に差し出した。儂は「忝い」と言いつつ、握り飯を受け取ると夢中で食べ始めた。そして全て平らげるとようやく人心地着いた気持ちになった。儂は娘に礼を言った。


 「娘よ、真に助かった。ここ数日、食うや食わずで困って居ったのだ。この恩はいつか返そうぞ」


 儂がそう言うと娘が答えた。


 「別にいいよ。牢人さんみたいだし期待していないから」


 ちょっとカチンと来た。確かに今の儂は牢人と言えるかもしれない。だけど、剣の道では名の知れた存在だし、佐竹家に着けば確実に仕官できる自信もある。でも、娘には握り飯を貰ったし、ここは大人である儂が一歩引く事にしよう。


 「はっはっはっ。牢人に見えても仕方ないが、これでも剣の道では名の知れた者なのだ」


 「ふーん、全然そうは見えないけど?」


 娘は怪しむように儂を見ていた。儂はその視線に居た堪れなくなった。儂は人と目を合わせるのが苦手な方である。特に娘のように真っ直ぐ見られると何だか心を見透かされたようで落ち着かないのだ。儂はそんな気持ちを悟られまいと娘と会話を試みた。


 「娘よ、名は何と言うのだ?」


 儂が問うと娘が口を開いた。


 「氏子だよ?」


 「氏子?」


 何だか変な名前だ。もっと女子(おなご)らしい名にすれば良いのにと思った。もし儂が親であればもっと華の有る名にしただろう。それにこの娘は百姓の子の割に美しい顔をしているし、何となく品もある。


 名に負けぬ容姿をしているのだからもっと考えて名付けるべきである。娘の両親に一刻ばかり説教をしたい気分だ。それにこの娘は親が情を掛けて育てなかったのだろう。だからこのように人を疑うような頑なな態度を取る所からもそれが伺える。哀れである。儂に愛情を注いでくれた父上とは大違いである。


 儂はこの哀れな娘に秘剣を見せてやる事にした。正直、百姓の娘には過ぎた褒美になるけど、今回だけは特別である。儂は父上とは違って無暗に剣を見せない事にしているのだ。長い練習の末に体得した秘剣、(偽)猿飛の剣を。


 結局、父の域までは到達しなかったけど、儂としては満足している。この剣を使って負けた事ないし、今の所は無敵である。


 丁度いい具合に脚長蜂が氏子の周りを飛んでいて氏子もそれを気にしているから追っ払う事にする。


 「氏子よ、握り飯の礼に儂の秘剣を見せて遣わそう」


 儂は太刀に手を掛けると掛け声と共に抜き放った。


 「秘剣!(偽)猿飛の剣!」


 脚長蜂に向かって伸びた儂の太刀は華麗に蜂を切り裂くと思いきや、狙いが外れてスカってしまった。儂は太刀を抜き放ったままの形で固まってしまった。正直、凄く恥ずかしい。儂の様子を見た氏子はコロコロと笑っていた。


 「牢人さん、そんなんじゃ何処にも仕官出来ないよ?私が手本を見せてあげるからよく見るといいよ」


 儂は赤面しながら太刀を仕舞うと、氏子は足元に落ちている小枝を拾い、その小枝を無造作に振るって蜂を叩き落とした。三匹も、、、。何この娘?儂の目には一度しか振るったようにしか見えなかったんだけど?一瞬で三度も振るったって事?困惑する儂を見て氏子はニヤリと笑った。


 「最低でもこれくらい出来ないと小田家には仕官出来ないかな?」


 氏子は小枝で肩をトントンと叩きながらそう言った。屈辱である。儂が長い年月を掛けて体得した(偽)猿飛の剣をあっさりと否定されたのだ。だが、氏子が振るった小枝の動きを見切れなかったのも事実。何故、百姓の娘がこれ程の腕を持っているかは謎だが、事実は事実として受け入れなければなるまい。


 きっと高名な武芸者に教えを乞うたに違いない。儂はそれを問い質そうと口を開き掛けたが声を出す事は叶わなかった。いつの間にか喉元に刃が当てられているのである。そして物凄い殺気を感じた。この儂に気配を悟らせないとは並大抵の腕ではない事を儂は感じた。


 「御屋形様、御無事で御座いますか?」


 儂の喉元に刃を当てている男は氏子にそう言った。


 「問題無いよ。良い人みたいだから安心だよ。それよりも、この人はこのままにしておくと碌な運命にならなそうだからちょっと城に連れて行こう」


 氏子が御屋形様?儂は混乱した。城に連れて行くとか言っているし何だか危険な気がする。儂は慌てて口を開いた。


 「氏子よ!儂は佐竹家に用があるのだ、解放しては貰えぬか?」


 「義昭殿の所に?」


 どうも知り合いらしい。ならば安心出来そうだ。儂を疑い深そうな目で見る氏子が口を開いた。


 「義昭殿の所へ行くのなら尚更このまま行かせられないよ。百地、戸崎の城に連れて行ってね。次郎丸も逃がしちゃダメだよ?」


 次郎丸って何?とか思っていたらいつの間にか儂の後ろに巨大な物の怪の犬が居た。儂は思わず「ヒェ」と情けない声を出してしまった。この手練れの男に物の怪の犬が相手では流石の儂も抗う事は出来なかった。そして儂は城に連行されたのである。


 城に連行された儂は一室に通された。だが、百地と呼ばれる男は儂が逃げないように背中に刃を当てているし、次郎丸と呼ばれる物の怪の犬も油断なく儂を見ているのが感じられた。


 部屋の中には巨大な膳が置いてあり儂は驚いた。長く生きて色々見てきたつもりだったけど、まだまだ世の中には儂の知らない事は多いのだなと思った。そして、その巨大な膳の前に氏子がちょこんと座っていた。


 「この御仁は御屋形様のお知り合いで御座いますか?」


 異常に眉の下がった男は不思議そうに儂を眺め見ていた。儂も何故連れて来られたのか解らないからお相子だと思う。儂は百地と呼ばれる男に座るように促され巨大な膳の前に座った。


 「義昭殿を訪ねるそうだよ?仕官するつもりらしいけど、このままだと絶対無理だから私が少し教えを説こうと思ったんだよ」


 氏子の言葉を聞いた下がり眉は儂を品定めするようにジロジロと見た。


 「殿も物好きで御座いますな。して、何を説くので御座いますか?」


 下がり眉の質問に氏子が答えた。


 「うーん、仕官したいようだから、取り敢えず面接の仕方かな?」


 「面接?で御座いますか?それは一体何で御座いましょう?」


 うん、下がり眉がいいこと聞いてくれた。儂も気になっている。


 「面接はね、私達の立場からすれば仕官を望む人の能力や人柄などを調べる行為になるかな。そして仕官を望む人の立場なら自分の能力や人柄を相手に示す行為になるかな。誰だって変な人は雇いたくないでしょ?それに仕官を希望する人だって相手に自分を知って貰いたいよね?だからこの場合は牢人さんが義昭殿に気に入られるような受け答えが出来るように訓練するんだよ」


 氏子って頭いいな。確かに氏子の言う通りかもしれない。もし儂が雇う側だとしたら変な人は嫌だし、氏子の言う通り儂の良い所を佐竹家に売り込めれば仕官も確実になる。


 「では、早速段取りを教えるから牢人さんは私の言う通りにしてね。逃げようとしたら次郎丸に食べられちゃうから注意が必要だよ?」


 何気に怖い事を言う氏子が気になったけど面接とやらで仕官が叶うなら安いものである。儂は氏子の言う通りにする事にした。儂は一旦部屋から出た。そして「牢人さんどうぞ」という声が聞こえて来たので再び(ふすま)を開けて「失礼します」と言いながら部屋に入った。何だかさっきとは違って氏子の声が冷たく感じたけど気のせいだろうか?


 儂は巨大な膳の前に座ると氏子が口を開いた。


 「私は座っていいとはまだ言ってませんけど?」


 何やら紙束を片手にした氏子はとても冷たい声で儂にそう言った。儂は焦って慌てて立ち上がった。そんな儂の様子を冷たい目で見ながら氏子は「ハァ」と溜め息を付きながら口を開いた。


 「はい、どうぞ座って下さい」


 儂は氏子の言葉に従って膳の前に座った。何だろう?急に部屋の中が寒くなった気がする。それに何か凄い嫌な汗が出て来たし、儂、もしかして緊張している?なんだか死合の時より怖い感じがする。そんな儂の気持ちなどお構いなしに氏子は紙束を見ながら口を開いた。


 「えーっと、牢人さんでしたね?我が家に仕官したいそうですが、どのような理由からですか?」


 えっ?理由って?儂はただ、適当な家に仕官してのんびり老後を楽しみたいだけなんだけど、それを言ったら、氏子怒るよね?いや絶対怒る気がする。さっきとは雰囲気が全然違うし、儂の勘に狂いは無い筈である。何かそれらしい理由を考えないと不味い気がする。


 「はい、この戦国の世にあってお家をしっかりと保っている小田家なら安心して我が腕を振るえると思い参りました」


 儂がそう答えると氏子はこちらをチラとも見ずに口を開いた。


 「そうですか、他所様からはそう見えるんですね」


 あれ?何この冷たい反応?儂、おかしい事を言ったかな?儂が困惑していると氏子は言葉を続けた。


 「では、牢人さん。貴方の特技を教えて下さい」


 特技って儂の秘剣を見せた筈なんだけど?そうか!氏子は訓練と言っていたから再度答えれば良いのだな。


 「はい、剣が得意で御座います。特に秘伝の秘剣、猿飛の剣で敵に後れを取った事は御座いません」


 「武士ならば剣が得意なのは当たり前ではないのですか?私は貴方の特技を聞いているのです」

 

 氏子は儂をチラとも見ずに冷たくそう言った。儂は焦った、確かに氏子の言う通り武士ならば剣が出来て当たり前である。でも儂の特技って何かあっただろうか?考えろ儂!早く答えないと氏子が怒る気がする!


 「さっ、魚を獲るのが得意で御座います。それに自作の銛で魚を突いた事も御座います」


 儂はまたしても嫌な汗を掻いた。思えば剣を無くした儂はただのろくでなしである。それにもっと人生の役に立ったり、人の役に立つ特技を習得すべきだったと思う。


 正直、儂は剣で斬り合いをするなんて好きじゃないし、剣の修業をしたのだって父上の跡を継ぐ為だったし、そこに儂自身の意思は無かった気がする。それに儂自身も自分は剣には向いてないと思う。


 「ふぅん、そうですか」


 えっ?何?そのどうでもよさそうな感じ?儂に聞いたのは氏子だよね?氏子は筆を取りさらさらと何かを書き込んでいた。何だろう?気になる。


 「次の質問です。貴方は金一枚を手に入れたとします。その金一枚で貴方は何を買いますか?」


 金一枚、大金である。実は儂には欲しい物がある。それは絵具である。旅の途中で堺に立ち寄った折に店を覗いた事があり、その際に目にしたのだが一目で気に入ってしまった。だが、儂には持ち合わせも無いし、実家に帰ることも出来ない根無し草の生活である。手に入れたとしても旅の荷物にする事も出来ない。いつかは落ち着いて存分に美人画を描きたいものである。


 しかし、ここで素直に絵具を買うと言っていいものだろうか?頭のいい氏子の事である、どのような突っ込みがあると知れたものではない。しかし、他に欲しい物なんて無いし、ここは心のまま答えても良いのではないのだろうか?如何な氏子でも儂が美人画を嗜むとは思うまい。


 「某なら絵具を買います」


 「絵具ですか?」


 「某、少々心得が御座いますので」


 儂がそう言うと氏子は思案気な顔で儂を見つめた。なんだか心を見透かされそうな感じがして儂は額から流れ出る汗を思わず拭った。あの眼差しは覚えがある、母上の何でもお見通しの目である。若い娘である氏子が同じような目をするとは思わなかった。暫くすると氏子は興味を無くしたように視線を外して何やら書き込んでいた。儂はホッとしたけど、それって儂に興味が無いって事?


 「では、質問を続けます。貴方が無人島に行くとして、一つだけ道具を持ち込めるとしたら何を持って行きますか?」


 えっ?無人島?長く生きている儂だけど、そんな事は一度も考えた事は無かった。でも、儂が無人島に行くとして氏子の言う条件だと何を持って行くだろう?火を起こせないと困るから火打石は必須だと思う。でも、氏子がわざわざ聞くのだからそんな在り来たりな答えを希望しているとも思えない。氏子なりの狙いがある筈である。


 儂が思い悩んでいると氏子が膳をトントンと指で叩き始めた。不味い、早く答えねば!でもどうしよう?火打石なんて在り来たりな事は言えないし、、、。


 「そ、某なら笛を持って行きます!」


 「笛ですか?」


 儂の答えに氏子は初めて人間らしい反応を見せた。適当に答えたから心配だったけどこのまま押し切ろう。


 「はい、無人島では自分一人きりなので、寂しくならないように笛を吹けば心を慰めることが出来ます!」


 我ながら良い返しだと思う。氏子が何を望んでいるのかは未だに解らないが、笛のような雅な道具なら(おなご)である氏子の凍てついた心も溶かせるかも知れない。


 「そうですか、野垂れ死にですね」


 えっ!違うの?何が何だか解らなくなった。一体何と答えれば正解だったのだろうか?やはり火打石だったのだろうか?儂は動悸が激しくなるのを覚え思わず胸を押さえた。流れ出る汗が着物を濡らし、思うのは早くここから逃げ出したい気持であった。


 世に牢人は多くあるが、その理由が解った気がする。どうも儂は仕官を甘く見ていたようである。己の腕があれば仕官が叶うと思っていたが、現実は違ったのである。先に氏子も言っていたけど人間同士である、合う合わないがあるだろう。それにここで碌に受け答えの出来ない儂が佐竹家で面接を受けて果たして通るのであろうか?


 面接はその後も続いた。氏子の言葉少ない質問とやはり言葉少ない感想が儂の心を抉った。儂は今までの人生でこんなに辛く、恐ろしい思いをした事が無かった。死合を何度かしたがこれに比べれば茶番である。所詮は野良犬同士の喧嘩なのである。


 「では、最後の質問です。貴方は小田家に仕えたとして、一体どんな貢献が出来ますか?」


 無表情で質問する氏子に怯えながら儂は考えた。儂って何が出来るのだろう?あわよくば佐竹家で剣術指南役になろうと企んでいたが、果たしてお家の役に立つのであろうか?考えてみれば、自分が大名になったとして剣が強いだけのごろつきより(まつりごと)に長けた者や軍略に精通した者の方が役に立つと思う。


 儂って何が出来るのだろう?再度自問して悩んでいたら自然に口が動いていた。


 「何も、、、。何のお役にも立てそうに御座いません、、、」


 自然と漏れるように出た言葉に儂は驚いたが多分本心である。儂の言葉を聞いた氏子は驚いた様子で儂を見つめていた。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 圧迫面接!絶対面白半分わざとやってるでしょう!
[一言] 座る事については古来よりの一般常識ですね! 志望理由は、コンプライアンスの観念がチキンとあると感じた事がきっかけですね。少なくとも無駄に命をすり減らしてまで働きたくはないですから。 金一…
[良い点] 戦国ピーポー目線での圧迫面接とか、またも想像外で取り合わせの可笑しさにじわじわ来る〜!牢人さん最後涙目だったりする?なんだかヨシヨシしてあげたくなる可愛さが。氏子さんのホイホイ具合に今後も…
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