第六十三話 信長への結婚祝い その4
赤松のせいでメンタルに大きな傷を負った私は宴が終わるとそそくさと部屋に戻った。はっきり言って瀕死の重傷である。そしてふて寝した。翌朝目が覚めて、昨晩の事を思い出して身悶えしながら転げ回っていると、桔梗がやって来て早く着替えるようにと促された。
「殿、朝からそのように暴れていては宜しくないと思われます。それにそのようにお足を出しては、はしたのう御座います。尾張織田様より朝餉を共にと仰られて居りますが如何為さいますか?」
私は転がりつつ傍らにいる次郎丸に抱き着いた。そして桔梗にささやかな抗議をした。
「私はぜんぜん悪くないと思う、赤松のせいだよ」
私の様子を見て桔梗はクスリと笑った。
「熊退治の事を仰られているなら真の事では御座いませんか?それに小田家の者としては殿の御力を誇る事は悪い事では御座いません。桔梗も誇らしく思って居りますし、赤松様にはよくぞ言われたと感心して居ります」
クッ、味方が一人もいない気がする。チートがバレているのは今更だけど、実演させられるのは凄く恥ずかしい。それに赤松のドヤ顔も気に入らない。
それにしても初日から酷い目に遭った。ワインを提供した所までは良い感じだったのに、どうしてこうなった?肝心の帰蝶は顔すら見てないし、今日は会えるのだろうか?朝餉に来るかな?
「朝餉には行くよ、お招きしてくれたのは信秀殿かな?それとも信長殿かな?」
「信秀様で御座います。お支度を急ぎなさいませ、御髪も乱れて居りますよ」
私は桔梗に手伝って貰い支度をした。昨夜は恥ずかしさの余りさっさと退室してしまったから今日の予定がどうなっているのかさっぱり分からない。支度が終わり、朝餉に向かう段になると桔梗に一言言われた。
「朝餉ではあまり豪快にお口を開けられないようお気を付けなさいませ」
「分かってます!」
クッ、朝からお小言を言われるのもきっと赤松のせいに違いない。早く小田に戻って焼き鳥を食べたいよ、、、。
朝餉に案内されるとそこには信秀と信長、それに勝貞も膳に付いていた。昨夜は勝貞が信秀にガン飛ばしていたから気を使ったに違いない。でも勝貞が居てくれると心強くて安心する。ホッとしながら膳に付くと皆に挨拶をした。
「昨夜は楽しゅう御座った。氏治殿、お口に合うと宜しいのだがご賞味あれ」
信秀は朝から上機嫌に見えた。膳には朝から焼いた鯛や小鉢が多く並んでいて持て成したい気持ちが伝わるものであった。
「信秀殿、信長殿、私は信長殿と帰蝶殿のお祝いに参りましたのに、このように持て成されては心苦しく思ってしまいます。今日は信長殿と帰蝶殿に婚姻の贈り物がありますのでお受け下さいませ」
私がそう言うと信秀が破顔して答えた。
「なんの、氏治殿には美味い酒を頂いたばかりか楽しき時を過ごさせて貰いました。遠慮は無用、この信秀、無礼な申しようになりますが氏治殿を気に入りました。今後も是非、お付き合い頂きたい」
機嫌良く語る信秀を見て信長が口を開いた。
「父上、氏治殿は私の『友』であり、客人でもあります。父上のお気持ちも理解できますが、私の役目を取らないで頂きたい」
「良いではないか、ワシも氏治殿を持て成したいのだ。其の方の邪魔はせんから付き合わせろ」
信秀の好感度が高すぎて不安になる。嫌われるよりはいいけど、あまり持ち上げられるとお尻の据わりが悪くて仕方ないよ。勝貞も苦笑いしているし。
朝餉は和やかでもあり賑やかでもあった。信秀は余程気に入ったのか朝から珍陀酒をチビリと飲んでいた。それを信長が嗜めて言い合いになったりしながら食事が進んだ。信長が多弁で信秀に窘められたりと、どっちもどっちだけど、親子の仲が本当に良い事が見て取れた。
私と言えば食事が美味しくて朝からお代わりである。育ち盛りだから仕方が無いのだ。控えている桔梗の視線を感じたけど小さい口なら問題無い筈。そして朝餉を済ますと私は贈り物の支度をする事になった。信長に聞いたら帰蝶も同席するそうなのでやっと本題に入れそうである。
♢ ♢ ♢
帰蝶は朝から落ち着かない気分で氏治の到着を待っていた。信長の話によると今日には熱田に到着するという。嬉しそうに語る信長を少しだけ憎らしく思いながら帰蝶はソワソワと部屋を行ったり来たりしたり、庭に出てみたりと過ごしていた。
昼も過ぎしばらく時が経つと熱田に氏治一行の船が到着したと知らせがあった。そして、更に時を経ると帰蝶が見に行かせた侍女が戻り、興奮した様子で氏治一行の様子を語った。
侍女の只ならぬ様子に話を聞けば信じられないような言葉を耳にした。なんでも巨大な物の怪のような二本の尾を持つ犬を連れていて信長と共に那古野城に向かっていると言うのだ。
物の怪を連れている?そんな話は信長からは聞いていないし、そのような事があるのだろうか?帰蝶は侍女に再度念を押すように聞けば間違いないという。熱田の街はその事で大騒ぎになっていて、その物の怪を一目見ようと信長と氏治一行の後に領民の行列が出来ているという。
帰蝶は何が何だか解らなくなってしまった。帰蝶としては氏治に謝罪して早くスッキリしたいだけなのである。氏治からの書状には帰蝶を責める言葉は一つも無く、婚姻の祝いをしたい旨しか記されていないので氏治がどう考えているかは分からなかった。ただ、光秀の言葉を信じるなら騒ぎにはならない筈である。
戸惑いながら時を過ごしていると、今度は義父の信秀が那古野城に来たと侍女が知らせて来た。なんでも、熱田の騒ぎを聞きつけての来訪らしい。信長と氏治一行が到着したと知らせが来たが、帰蝶は氏治に会う事が出来なかった。義父の信秀が信長を差し置いて差配を始めたので織田家として氏治を遇するのだろう。そうなると女の身である自分が出しゃばることは出来ない。
那古野城内では氏治が連れている物の怪の話題で持ちきりであった。聞けば氏治は女の身でありながら男装しているという。聞けば聞くほど人物が分からなくなった。
その夜の宴に帰蝶も参加する事が出来る訳もなく、仕方ないと静かに過ごしていた。そして夜が深まった頃に歓声のような声が遠くから聞こえて来た。帰蝶は気になって侍女に見に行かせた。そして戻って来た侍女がまた不思議な事を言うのだ。
氏治が皆の前で信秀の槍をへし折ったと言う。帰蝶はまた首を傾げた。氏治は自分と一歳しか歳が変わらない小娘の筈だ。槍を折るなど大の男でも出来ない事だ。だが、侍女が語るにはその事で宴は大いに盛り上がっているという。
分からない事だらけで落ち着かない帰蝶は信長が戻ったら聞いてみようと彼の戻りを待った。夜も更け信長が戻ると早速話をしようと思ったが、当の信長は大いに酔っていて直ぐに床に就いてしまった。
結局、何も分からずじまいで帰蝶は仕方ないと諦めて就寝したのであった。
♢ ♢ ♢
朝餉を摂った私は部屋に戻り、信長と帰蝶への贈り物の準備を始めた。百地と桔梗が仕切りをして荷物を評定の間に運び込む。普通の婚姻の祝いの仕方など知らないので、いつものプレゼン形式だけど気持ちが伝われば問題ないと思う。信秀も信長も気さくな人達だし大丈夫だろう。
準備が終わると見計らったように信秀、信長、平手殿、そして帰蝶だと思われる小柄な女性が評定の間にやって来た。私達は互いに挨拶をする。帰蝶はとても可愛らしい姫君だった。私の一つ下だから十五歳の筈である。この子が焼き餅を焼いていたと思うとなんだかほっこりした。
「改めまして、信長殿、帰蝶殿、婚姻の儀、おめでとう御座います。心よりお祝い申し上げます」
私がそう言うと信長は恥ずかしそうにしていた。そして帰蝶も笑みを浮かべている。
「氏治殿、今更ですが、遠い常陸から態々お越し頂いてこの信長、感激しています」
「本日は信長殿と帰蝶殿の為にお祝いの品を持って参りました」
私がそう言うと勝貞が目録を平手殿に差し出した。平手殿はそれを信長に手渡す。信長は目録に目を通すと少し驚いたようにして口を開いた。
「氏治殿、随分と変わった祝いの品のようですが?」
「それを今からご説明しますね、百地」
私に呼ばれた百地は桐の長い箱を信長の前に置いた。百地は箱を開け、赤い布を外して鉄砲を取り出すと信長に捧げ渡した。その鉄砲を見た信長と信秀は「ほうっ」と同時に声を発した。
「なんと美しい、このような鉄砲は見た事がありません」
信長がしげしげと鉄砲を眺めていると信秀がすり寄って来た。
「信長、ワシにも見せよ」
そう言って信長から鉄砲を取り上げるとじっくりと眺めだした。信長は苦笑しながら信秀の好きにさせていた。
「なんと美しい鉄砲か、この様な物は見た事が無い。氏治殿、一体何処で手に入れられたのか?」
「それは小田領の細工師が装飾したのです。小田家では鉄砲を飾るのが流行って来ていまして私も一丁持っているのですよ。百地、お出しして」
言われると思って自分の鉄砲を持って来ているのである。百地は私の次郎丸のシルエットが入った鉄砲を信秀に捧げ渡した。信秀は信長に贈った鉄砲を返すと私の鉄砲を手に取り眺め始めた。
「これは何と見事な、それにこの絵は次郎丸ですな。このように金銀をふんだんに使われるとは常陸小田家は豊かなのですな」
「宜しければ信秀殿に差し上げますよ。私如きを持て成してくれたお礼です。どうぞお受け取り下さい」
「なんと!しかし、鉄砲は高価な物、確か金十枚はする筈。更にこの鉄砲には金銀が使われて居るから一体幾らになるやら」
大名なのにお金の計算をする信秀が彼らしいと思ってしまった。熱田と津島から上がる銭で戦をしているだけの事はある。
「お気になさらずに、信秀殿のお言葉をお借りすれば私も信秀殿が気に入ったのです。お受け取り下さいませ」
私がそう言うと信秀は破顔した。そして居住まいを正すと口を開いた。
「有難く頂戴します。氏治殿には借りが出来ましたな、この信秀、昨夜から楽しませて貰ってばかり。何ぞ礼をしないと気が済みません。何か信秀に出来る事はありましょうや?」
うーん、お礼と言われてもちょっと思い付かない。でもこういう場合、無欲だと却って失礼になるんだよね?
「そうですね、信秀殿のお気持ちもあるでしょうから。では、我が家と同盟を結ぶというのは如何でしょうか?遠く離れていますが、私は尾張織田家とは仲良くして行きたいのです。信秀殿には利の無い盟になりますが」
私がそう言うと信長が口を開いた。
「氏治殿、お待ち下さい!」
信長の言葉に皆の視線が集まった。彼は居住まいを正すと再び口を開いた。
「常陸小田家との盟はこの信長がお受けいたします。この信長、いずれ家督を継げば氏治殿と盟を結ぼうと常々考えていました。父上にもこれだけは譲れません。この信長が氏治殿と盟を結びたいのです」
信長の言葉に信秀は少し思案してから口を開いた。
「氏治殿、我が家の嫡男がこう申して居ります。同盟の儀は信長と相談されると良い。しかし、盟を結ぶと有らば今宵は祝いをせねばなりませんな」
信秀の言葉を聞いた信長はとても嬉しそうな顔をした。私も予定外ではあったけど、信長とは同盟を結ぶつもりだったから手間を省けるのは良かった。それに信長の本能寺を防ぐ第一段階でもある。家康を差し置いての同盟だけど問題無いよね?
勝手に同盟を決めてしまったけど、勝貞が渋い顔をしていないし叱られる事は無いと思う。遠い他国との同盟だから影響も無いし。しばらく雑談してから次の贈り物を紹介する事にした。
百地が箱から取り出したのはランプである。それを見た信秀や信長は珍しそうに見たけど反応が薄かった。帰蝶も全然話さないけど遠慮しているのかな?
「氏治殿、変わっているというのは分かりますが、これは一体何なのでしょうか?」
並べられた二つのランプを見て信長が頭を捻っていた。
「これは硝子で囲った灯し油です。まだまだ改良の余地があるのですけど、信長殿と帰蝶殿でお試しください。百地、火をお付けして」
百地がランプに火を灯すと帰蝶から歓声が上がった。
「これはまた珍しき灯りですな、それに美しい」
信秀が興味津々にランプを見ている。なんか信長の新し物好きって信秀の遺伝のような気がする。
「氏治殿、この灯し油も作られたのですか?」
「そうですよ、職人が頑張ってくれました。今は試しばかりですが、いずれはこの灯りで町の中を照らそうと考えています」
私の言葉を聞いた信秀は腕を組んで感心したようにして口を開いた。
「氏治殿はそのような事を考えていらしたのか、実に面白い」
ランプの使い方を信長に教えてから次の品を出して貰った。自信作のステンドグラスもどきである。これを見た三人の反応は凄かった。帰ったら八兵衛さんに報告だね。
「またも美しい、これは障子に見えますが?」
信長の質問に私は笑顔で答えた。自信作だから力が入る。
「信長殿の仰る通りです、紙の代わりに硝子を使っています。色が綺麗なので目を慰めるのに良いと思います。これは室の壁に取り付けるのですけど、大工を連れて来ていますので後ほど部屋を教えて下さいませ。こちらの品は帰蝶殿への贈り物です」
私がそう言うと帰蝶が小さく歓声を上げた。そして初めて口を開いた。
「氏治様、このように素晴らしき贈り物は初めてで御座います。帰蝶は嬉しゅう御座います」
本物のお姫様の声は凄く可愛かった。私も姫の筈なのだけど格の違いを感じる。
「帰蝶殿に喜んで貰えて安心しました。今はこの硝子の障子で絵を作ろうと職人が励んでいるのですよ。私も楽しみにしているのです」
「絵で御座いますか?」
帰蝶の反応が可愛らしい。私は感心しながら言葉を続けた。
「この硝子を枠や漆で組み合わせて絵を作るのです。例えば鹿や犬や猫も出来ますし、神仏も良いですね。そしてこの硝子の障子のように壁をくり抜いて飾れば、陽の光を通すのでとても美しいのです」
目を輝かせている帰蝶を見て信長は微笑んでいた。
「しかし驚きました。この様な物を自領でお作りになられるとは。珍陀酒に灯し油、そしてこの硝子の障子、どれも新しき物ばかりです」
そして最後にベッドの紹介になったのだけど、寝台は組み立てないといけないので布団だけを紹介する事にした。桔梗が布団を敷くと信秀は立ち上がって興味深そうに眺め、そして確かめるように手で触れていた。
「氏治殿、夜具と申されたが随分と大きいし、そして柔らかいですな」
「これは布団と申します。信秀殿、この布団は説明よりも使われた方が解りやすいと思います。どうぞ横になってみて下さい」
私がそう言うと桔梗が掛布団を捲って信秀を促した。信秀は脇差を床に置いて敷き布団に身体を横たえる。そして桔梗が掛布団をそっと掛けた。信秀は目を閉じながら口を開いた。
「これは、、、。なんと心地よい」
そしてしばらく無言で寝ていたのだけど、起きる気配が無い。私は信長と顔を見合わせてそっと信秀を覗き見ると普通に寝てた。どれだけリラックスしているのだろうこの人は?
私達は起こすのも悪いと、小声で相談して信秀は寝かせておく事にした。布団は信秀の分も作る事になりそうだね。




