第六十話 信長への結婚祝い その1
その夜の信長は上機嫌であった。私室に家臣の平手政秀を呼び、共に珍陀酒をゆるりと楽しむ。
「氏治殿が自ら祝いに来られるとは嬉しいものです。歓迎しないといけませんね」
そう言いながら信長はチビリと珍陀酒を口に含んだ。帰蝶経由でもたらされた氏治の書状には信長と帰蝶の婚姻の祝いの使者として氏治本人が尾張に来ると書かれていた。信長本人が氏治に知らせた訳では無いが、鷹丸から耳にしたのだろうと推察した。
女嫌いの鷹丸は帰蝶に興味を持たず、また、信長の親族であろうと思っていたから氏治に帰蝶の事を知らせていなかった。まさか帰蝶が氏治を探るために光秀を遣わし、捕らえられて知る事になったとは想像もしていない。
「左様で御座いますな。もう四年になりますかな?あの幼かった御仁がどのように成長されたか楽しみで御座います」
平手は懐かしそうにしながら頬を緩めた。
「さぞ、健やかにお育ちになった事でしょう。この信長もお会いするのが楽しみです」
「それにしても、祝いにわざわざ足を運ばれるとは信長様と氏治様の友誼は真のものと推察致します。この戦国の世にあって、しかもこれ程遠く離れておられるのにも関わらず自ら足をお運びになられるので御座いますから」
平手政秀の言葉を聞いた信長は破顔した。氏治が自分を気にしてくれている事がとても嬉しかった。だがすぐに自らを戒めるように表情を正し、そして口を開いた。
「私と氏治殿の友誼ですか、真のものだと信じたいものです。ですが、私は氏治殿からそのお言葉を頂いていません。氏治殿のお言葉を頂くまでは友と名乗る事は出来ません。それにこの信長はまだ何も成してはいません。氏治殿に並び立つには尾張の統一が最低条件ですね」
そう言って信長は再び珍陀酒を口に運んだ。平手はその様子を微笑ましそうに見る。信長はいつも自らの資格を求めている。若者とは純粋でその精神は高潔だ。自らもかつては持っていたその心を懐かしく思いながらも、そろそろ諫めねばなるまいと口を開いた。
「信長様、友とはそのようなものでは御座いません。友とは無私で支え合う者の事で御座います。この平手、信長様のその間違いだけは正したく思います。信長様は氏治様から利を求められるので御座いますか?その逆に氏治様は信長様に利を求めて御出でに御座いましょうか?」
傾奇者の真似事をする策を打ち明けてからは平手から苦言は全く聞かなくなった。そんな平手が今、自分を嗜めている。意外に感じながらも平手の言葉の意味をよく考えてみる。確かに友とは無私であるべきだ。管鮑の交わりで有名な管仲と鮑叔牙もそうであった。
確かに平手の言う事は尤もである。自分は大切なものを大事にし過ぎてしまうきらいがある。それに氏治殿の才覚を目の当たりにして憧れを持ってしまった事も一因かもしれない。氏治殿に並ぶ才覚が無ければ友たる資格が無いと考えていた。だが、平手からはそれがおかしく見えるのだろう、このような事を言うのだから。
もし、自分が氏治殿の立場であれば、、、。確かに平手の言う通りだ。自分は氏治殿に憧れるあまり自らの理想を押し付けていた気がする。氏治殿からすれば迷惑極まりないかもしれない。
「利は、、、求めていません。ですが私は無私で氏治殿を支える事は出来ます。確かに、爺の言う通りかもしれません」
「お聞き入れ下さいますか。丁度良い機会に御座います。信長様自ら確かめられては如何で御座いましょうか?口に出さねば伝わらぬ事も御座います。氏治様の友になりたいのであればご自分の口からお伝えする事です」
「爺、、、」
確かに平手の言う通りかもしれない。自分は恐れていたのだ、一方的に氏治を友として求めて断られはしないかと。
「分かりました。この信長、氏治殿に打ち明けてみる事にします。確かに爺の言う通りです。恐れていては何も出来ません」
信長は決意をその顔に表しながら答えた。
「それがよう御座います。きっと良いようになる事で御座いましょう。それはそうと、氏治様をお迎えする準備もせねばなりませんな」
「そうですね、氏治殿には頂いてばかり。お返しも考えないといけませんね」
信長と平手は打ち合わせを始めた。そうして夜が更けて行った。
♢ ♢ ♢
光秀を送り出した私は結婚祝いの準備と尾張へ向かうための準備を整えていた。荷は船に積むから良いとしても勝貞や政貞に断りを入れないといけない。
私も今や二十万石の大身である。気楽に国外に行く訳にはいかないのだ。以前はコッソリ堺に行ったけど、今同じ事をしようとしてもすぐバレる。不自由なものである。尾張織田家とは友好関係にあるという建前にしているけど、私と信長の個人的な交流で向かうのだから、訳が知られれば良い顔はされないだろう。
織田信秀に会う事も検討したけど止めにした。歴史で語られる彼と、ドラマで見た彼のイメージは粗暴な武将である。それが頭にあって会うのが怖いのである。実際はそんな事は無いのだろうけど、会ったら会ったで面倒事が増えそうなので却下である。
勝貞と政貞にその辺りを話すと案の定、渋い顔をされた。でも、信長には訪問すると書状を出してしまったし、祝いの荷も出来つつある事を伝えると渋々了承して貰えたのだ。そして今回は勝貞が同行する事になった。
私は許可をもぎ取ると意気揚々と準備を進めた。帰蝶の浮気調査が原因ではあるけど、私としては楽しみではあるのだ。信長とは十二歳の時に会ったきりだからどんな若者に成長したかも楽しみだし、歴史では記録に記される事が少ない帰蝶に会うのも楽しみである。
ただ、ちょっと不安があるので雪も連れて行くつもりである。無いとは思うけど、帰蝶が私が信長に懸想をしているとまだ考えている場合はフォローをしてもらう予定だ。その事は雪だけには話をしてある。人妻の目線で説いて貰えば納得してくれるかもしれないし。それに雪は精神攻撃が得意だし。
他には百地と桔梗、赤松と飯塚を連れて行く事にした。この二人はマッチョな見かけによらず人当たりがいいし、武勇の人でもあるので信長の家臣と仲良く出来そうなのが理由である。それに今後信長が家督を継いだら同盟を結んでおきたいし、国同士の交流も考えている。その時に交渉や相談を代理出来る人も必要になると思う。出来る出来ないは別として手だけは打っておきたい。
そして準備を進めていると早速苦情が来た。手塚である。光秀の来訪からずっと戸崎の城に居座っている手塚は最近は主のようになって来ている。お代わりもいっぱいするし、食べるのは良いけどたまには狩りでもして獲物を捕って来ればいいのにと思う。弓の名手なのだから勿体ない。そして私が私室で書き物をしていると手塚が尋ねて来た。
「殿、何故某を連れて行って頂けないので御座いましょうか?」
置いてきぼりが気に入らないらしい。雪が同行するのだけど、暗黒の夫婦関係である手塚を連れて行くと雪が嫌な顔をするに決まっているので置いて行くのだ。手塚には言えないけど。
「手塚には領を守って貰わないといけないでしょ?片野の城を誰が守るの?」
「ですが、赤松殿も飯塚殿もお連れになると聞いて居ります。某だけ留守役とはあんまりで御座います」
「政貞だって留守役だよ?四天王を全員国から出す訳に行かないよ。此度は信長殿の婚姻の祝いだから供も大勢はいらないし聞き分けて欲しい」
「そんな!某も旅に出たいので御座います!某の同行をお許し下さい!」
それが本音なのね。家に帰れなくて毎日領内を旅しているのだからそれで良いじゃんとも思うけど、いつもながら明け透け過ぎて開いた口が塞がらない状態である。手塚は最近我侭が多いからちゃんと言っておこう。
「皆で行ってしまったら政貞が困るでしょ?それに手塚はいつも暇そうにしているけど、たまには政務の一つでもしないといつまで経っても雪に認めて貰えないよ?それに働きの少ない人を優遇しては私が皆に叱られてしまうよ。それも留守役にする理由の一つだからしっかりと励むといいよ」
私にそう言われた手塚は目を見開いて口を開いた。
「某の働きが足りないと?」
何故、心外そうな顔をしているのだろう?片野の城の政務もそうだし、戦では雪の率いる鉄砲衆も手柄を挙げている。それは皆が認めている事なのだけど、手塚の活躍は全く聞かないんだよね。気になって軍目付に話を聞いた事があるけど、何も無いと苦笑いしてたっけ?
「手塚、良い機会だから言っておくけど、私は片野の城を手塚に任せているんだよ。だから今の片野の城の状態は良くないと思う。雪との関係は知っているけど、それとこれとは話は別。浮気もいいけど、このまま続くなら雪が家を割ると思うよ?そうなったら手塚はどうするの?真面目に生きないと最後に泣くのは手塚なのだから少し考えた方がいい。私が庇うにしても限度はあるんだからね?」
私に言われた手塚はショックを受けたようだけど、諦めて退出して行った。あの人の子供のような性格は直らないだろうな。だけど、このままだと他の皆に示しがつかないし、これを機に更生して欲しいと思う。
そうして日数を消化しながら準備を進めた。畳ベッドも完成して私の担当である布団も完成している。大まかな日程を組んで信長には先触れも出した。あとは荷を積み込んで出発を待つだけである。
四年ぶりだけど信長はどんな若者になっているのだろうか?彼ももうすぐ家督を継ぐ。そして日本という国を変えていく大人物になるのだ。出来るなら彼の手助けをしてあげたい。私の力は微々たるものだけど、彼の最期を変えてあげたい。小田家の行く末もあるけれど、彼は私の友人でもあるのだから。




