第六話 堺へ その3
2023/2/2 微修正
尾張を出た私達は伊勢に入った。ここは北畠晴具の勢力圏である。北畠家の先祖には北畠親房という人物がいて南北朝時代に神皇正統記を記した事で有名である。そして我が小田家にも関わりがあったりする。何より彼の息子、北畠顕家は花将軍と呼ばれた日本屈指の名将である。個人的には一番だと思っている。私が憧れる武将でもあるのだ。
彼が後醍醐天皇に上奏した「北畠顕家上奏文」は彼の内面を窺える素晴らしい思想が垣間見え、二十一歳でこの域に達するのは常人では不可能だ。そしてこの人は民にも優しいのだ。
「風林火山」の旗印といえば現代人は武田信玄を連想すると思うけど、最初にこの旗印を使用したのも北畠顕家なのである。清廉な花将軍の掲げる「風林火山」と略奪と殺人を主とする武田信玄の掲げる「風林火山」では旗の意味すら違ってくるのではないか?と個人的には思っている。ドラマで「風林火山」の旗印を見る度に何とも言えない気分になったものだ。
同じ孫子でも学ぶ者の人間性で解釈が変わるのだと思う。北畠顕家は孫子の良いところを採用し、武田信玄は孫子をそのまま実行している気がする。武田信玄は自らの蛮行を自覚していて後年には言い訳のような事を言っている。彼は自らを高く評価しているけど言い訳はみっともないと思う。あくまで私の私見だけど。
そんな事を道中で考えながら、私達は桑名から入り安芸に到着した。この辺りになると、だいぶ田舎で山ばかりになる。ここでは寺に宿泊する事になった。私と久幹は縁側で疲れを癒すように涼を取っていた。
ここまでハイペースで来られたものの、堺まではまだまだ距離がある。身体を壊しては元も子もないので今日は早めの休息である。ま、私は体力も並みじゃないので侍女の為なんだけどね。ちなみに私は元気いっぱいである。夕暮れを眺めながら涼んでいると二人の旅装の男が近付いてきた。久幹が脇に置いた太刀をそっと掴み警戒する。二人は私達に近付くと、笠を取り膝を突いた。
「小田氏治様ご一行とお見受け致します、我ら百地丹波の手の者に御座います。主の命によりご案内せよと仰せつかりました。明日より伊賀の里へご案内致したく」
百地の配下だった。私が書状を出した相手は百地丹波である。これは特に考えがあった訳ではなく、現代で有名な人をチョイスした結果である。百地ほどの大物を私が養えるはずもない。私の狙いは弱小の乱破集団であり、上忍である百地に頼めば紹介も容易であると考えたからだ。
「それは助かります。明日からは頼ることになりますが、宜しくお願いします」
私が礼を述べると彼らは目を丸くしていた。私は大名の嫡男であり、世間的にはハイクラスである。腰が低過ぎるのは良くないとは分かっているのだけど、このクセが中々抜けないのだ。翌日から百地の配下の先導を受けての旅となった。二人に名前を聞いたのだけど「ご容赦を」と教えてもらえなかった。忍びの掟なのだろうか?
伊賀は山に囲まれた盆地である。自然、その道のりは険しいものになる。それでも人の足に踏み固められたか細い道は心細さを和らげてくれる。人の気配とはこんなにも頼もしいのだ。私達は伊賀に入った。遠目にポツポツと見える民家が安堵を与えてくれる。夕暮れ前には到着出来るとの事で私達は再び彼等に追従した。
田畑を横切る形で道を進んでいたのだけど直ぐに違和感を覚えた。田の実りが余りにも少ないのだ。もう暫くしたら収穫時期の筈だ。私は疑問に思い、百地の配下に声を掛けた。
「あの、伊賀では日照りでもあったのですか?このように稲が少なくては収穫しても碌にお米が採れませんよね?」
「いえ、常からこのようなものです。豊作でも他領の半分も米が採れませぬ。他国の方は驚かれると思われますが、この地は実りが少なく、貧しいので御座います」
彼の言葉に私と久幹は思わず顔を見合わせた。地域差でそこまで変わるものなのだろうか?私が疑問に思っていると、久幹も疑問を持ったようで百地の配下に質問した。
「それでは年貢も集まらないだろう?領主も民も暮らしていけるのか?いや、暮らしているのだろうが」
流石の久幹も驚いたようだ。勿論、私もだ。小田領でこんな事態になったら大問題になっている。
「それが故の忍び働きで御座います。これ以上はご容赦下さい」
ふむ、成る程。米が取れない分を忍び働きで補っているという事らしい。足りるのだろうか?兵士一人の一年の米の消費量は一石と言われている。もちろんそれはある程度の家の話で、雑穀など色々な物を混ぜたりしてかさ増しするのが普通だ。でもこの田の収穫でお米が食べられるのだろうか?
年貢にしてもそうだ。集めた米で食料や軍資金に換金し、領土を運営するのが基本だ。米が無いと戦があっても動員をかけられない。兵糧にもなるからだ。何とも言えない気分で歩く内に百地家の屋敷に到着した。小奇麗にはしているが建物は古く痛みも激しく見える。私もこの時代に生まれて色々見てきたけど、領主の屋敷としてはかなり貧相だ。
私とは久幹は座敷に通された。身分を慮ってか上座である。出された白湯を飲みながら暫く待つと、三十代くらいの男性が入室してきた。きっと、彼がそうなのだろう。
「お待たせ致しました、百地丹波と申します」
私の百地丹波のイメージは総髪の白髪である。勿論ゲームキャラだ。そして目の前にいる彼は総髪の黒髪だった。目つきは鋭いけど、落ち着いた雰囲気の人である。
「常陸国、小田政治が嫡男、小田氏治と申します」
互いに挨拶を済ませると、百地丹波は早速と本題に入る。
「書状は拝見致しました。して、いかほど忍びを用立てれば良いので御座いましょうか?常陸の国に参るとなると、いささか駄賃が掛かりますが宜しゅう御座いますか?」
あれ?ちゃんと伝わってないっぽい?
「いえ、書状にしたためた通り、忍び衆を家臣として迎えたいのです、雇いではありません」
私がそう訴えると、百地丹波はニコリと笑った。
「ご冗談を、忍びを家臣と致すなど、聞いた事も御座いません。失礼ながら申し上げますが、小田様はお若い御様子、思い違いがあったとしても不思議では御座いません。真壁殿と申されましたな?それでよう御座いますか?」
むむ、私が世間知らずで勘違いしてると思っているみたいだ。しかも久幹を守役だと思ってるっぽい。でも無理もないか。人は見た目が大事と言うけれど、十二歳の私を見たらそう思うのが普通だと思う。
「百地殿、若殿の仰って居られる事は間違い御座いません。我等は忍びを家臣と致すために参ったのです」
久幹がそう言うと、百地丹波は顔色を変えた。
「まさか……。そのような事を信じろと仰るのか?失礼に存ずるが、我ら忍びが武家からどのように扱われているのか、知らぬとは言わせませぬぞ」
百地さん、ちょっと怒ってる?歴史で忍びの扱いは知っていたし、今生の戦国時代での皆の見方も知っている。でも家臣にしたいと言っただけでここまでの反応をするとは思わなかった。
「百地殿、真壁は常陸国の国人です。私を心配してここまで付いて来てくれたのです。忍び衆を家臣に求めに参ったのはあくまでも私です。思い違いでも何でもありません」
大名と国人の関係は基本的には対等だ。久幹が殿呼ばわりしてくれるのは彼が私を立ててくれているからだ。百地は発言した私を見て諭すように語り掛けた。
「小田様、小田様はまだお若い。我ら忍びを家臣にするなど御父上やご家中が許しますまい。失礼を承知で申し上げます。我等が道中お守り致しますのでお帰り下さい」
「百地殿、私が子供に見えるのは承知していますし、世間を理解してないように見えるのも承知しています。ですが私は間違いなく自分の所領も持っていますし、私の家臣にするからには全力で守ります。それが領主の務めと心得ております。百地殿は私の父上と家中を引き合いに出されましたが、心配には及びません。私が守るからです」
「これは……参りましたなぁ……」
拒否反応が凄くて判断に困る。でも、せっかくここまで来たんだしこのまま帰るのも癪だ。もうちょっと粘ってみよう。
「百地殿、忍びを初めてお使いになったのはどなたかご存じですか?」
私がそう言うと百地がピクリと反応した。
「元々は聖徳太子様が大伴細人を志能備として用いたと私は書物で学びました。その末裔である忍びを蔑む者は一体何者なのでしょうか?聖徳太子様は帝の血を引くお方です、その尊き方が御認めになった貴方がた子孫は、何故自分達を卑下するのでしょうか?」
百地は腕を組み、瞑想するかのように沈黙している。私はその様子を見つめていた。やがて百地は口を開いた。
「小田様が我等の祖先をご存じであったとはお見逸れ致しました、お許し下さい。小田様の仰る通りで御座います。我等にも誇りは御座います。ですが、今の世での扱いはなんら変わるものでは御座いません。小田様のお考えはよく解りました。我らをそのように見てくれている御仁がいるなど夢にも思っておりませなんだ」
そう言うと百地は微笑んだ。なんだか頑なな態度が哀れに思えた。
「百地殿、紹介頂けるだけでも良いのです。私の所領は六千五百石あります。その内から人数に見合う所領を用意するつもりです。今は三千石までになりますが、家を継げば七万石になりますから、働き次第で加増も出来ます。ただ、報酬で釣るのは私の本意ではありません。私に、小田家に忠義を尽くしてくれるのが条件になります。それでもご紹介頂けないでしょうか?」
私がそう言うと百地と久幹の顔色が変わった。
「若殿!幾ら何でも出しすぎです!所領の半分ではありませぬか!」
あれ?珍しく久幹が動揺している。
「石高は増やせるから問題ないよ。来年の収穫は倍にする予定だよ?」
「待ちなさい、お待ち下さい。どうやって?戦でも致すつもりで御座いますか?あれほど戦を嫌っていたのにどういうおつもりで御座いますか!」
「戦などしないよ、小田領を守る戦はするけど他領など攻めません。ちゃんと当てはあるから安心だよ」
「倍に増やすと言われて信じる者など居りません!そのような事が出来るなら誰も苦労は致しません!某は若殿を心配して言っているのですよ!」
「問題ないと言いました。私は出来ない事は言いません。久幹、政貞みたいだよ?久幹らしくない」
「師として弟子の心配をしているのです。某は薄情な人間では御座いません!」
「師ならば弟子を見守るのも務めのひとつだと思うよ?」
「若殿が尋常の方でないことは某も存じて居ります。ですが余りにも現実味がありません。ではどうやるのか、この真壁にも解るようにお教え下さい」
「それは秘密だけど?」
「なっ?ひ、秘密で御座いますか?」
「うん、秘密だよ?」
私と久幹が笑顔で睨みあう、それを呆気に取られた様子で見ていた百地が口を開いた。
「三千石で御座いますか、まるで夢のようですな」
「ええっ!」
今度は私が驚いた。その様子に百地も久幹も面食らっている。なんで三千石が夢のようなの?百地は伊賀の上忍三家の一つの筈。伊賀の石高は十万石だから二、三万くらい持ってるんじゃないの?どういう事?うーん、他人の収入は聞き辛いな、どうしよう?
「あの……百地殿。何故三千石が夢のようなのですか?とても失礼ですが解らないのですが?」
怒りませんようにと遠慮がちに聞いてみた。
「我が所領は千石も御座いません。伊賀は米もあまり取れませんので実際は二、三百ぐらいで御座います。恥になるので御座いますが」
マジですか?私の知っている歴史と違う?あれ?そういえば百地は城も持っていた筈。天正伊賀の乱では籠城していた筈。あれだけの兵を抱えるならそれに見合った収入が必ずある筈。三百くらいで足りるはずがない。
「あの、城などはお持ちでは?」
「小田様が我等をどのように見ているのか存じませんが、数ある土豪の一つに過ぎませぬ。城など持って居りません。ですが、決して忍びの技で劣るものでは御座いません。それが我等の誇りで御座います」
つまり歴史に記されるより土豪が細かく割拠している状態ってこと?あれ?そんな事ありうるの?私の記憶が間違っている?だとしたら上忍の百地も家臣にできる可能性があるってこと?うーん、なんだか交渉し難いな。でも彼は頑固なようだけど信用できる気がする、これはチャンスかもしれない。
「百地殿、私は考え違いをしていたようです。お許し下さい」
私は深く頭を下げた。その様子に百地は慌てたように言う。
「小田様、我等にそのような気遣いは無用で御座います。我等の祖先を語るお方にお会い出来ただけで十分で御座います。我等に忘れ掛けていた事を思い出させて頂き、心から感謝致します」
そう言って彼は平伏した。私はそんな彼に語り掛けた。
「百地殿、私は貴方に出会えて本当に良かった。私には貴方しか考えられません。所領は三千石、私に仕えて頂けませんか?貴方が懸念する事全てから私が守ります。もし私が約束を違えるなら遠慮なく討ち取って下さい。証が必要であれば起請文も定めましょう、お聞き届けいただけませんか?」
私の言葉にガバっと身体を起こし、百地が信じられないと言ったような眼差しを向ける。
「何を言われますか!家臣に命を懸けるなど聞いた事も御座いません!」
「ならば百地殿が私の家臣となれば皆が聞く事になるでしょう。それなら何の問題もありません」
「いくらなんでも度が過ぎて居ります!そのような事をしていては命が幾らあっても足りませぬ!それは命を粗末にするというものです!」
「私は自分の命も家臣の命も領民の命も等しく大事です。私には命を粗末にする趣味はありません!」
今度は私と百地が睨みあう。互いにヒートアップし語調が強くなる。やがて百地が居住まいを正し口を開いた。
「小田様は我等に何をお望みか?対価に釣り合いが取れません!」
「忍び働きは危険な仕事ではないですか!私は出せるのならばもっと出したいくらいです!百地殿こそ命を粗末に考えているのではないですか!」
「忍びが命を懸けるのは当然の事です!」
「私の家臣になるからには安易に命を懸けるのは許しません!例えそれが忍び働きだとしても命を優先してもらいます!」
「まだ家臣になるとは申して居りません!」
「ならば家臣になれば問題ありません!」
「なんと頑固な……」
「百地殿、私は決して頑固ではありません。私たちは同じ世で生きているのですから互いに支え合えば良いではありませんか。忍びが家臣になってはいけないと誰が決めたのですか?私には百地殿が必要なのです。この通りです、どうか家臣になって下さい」
私は百地に平伏した。この行為がある意味の暴力なのは分かっている。でも私の誠意を示す方法を他に知らない。
「お止め下さい小田様!そのような事をしてはいけません!」
百地が慌てて私を起こした。互いに座り、居住まいを正し見つめ合った。そして百地は微笑むようにして口を開いた。
「真壁殿は尋常の方ではないと仰いました。全くその通りで御座います。百地一党、小田氏治様に忠誠を誓います!以後、お見捨てなきよう!」
そう言うと百地は私に平伏した。私は嬉しさを隠しきれず笑顔で言ったのだ。
「百地殿、訂正しておきますが私は普通です。間違えてはいけませんよ!」
こうして百地丹波は私の家臣となった。
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