第五十八話 明智十兵衛光秀と帰蝶 その5
私と百地は光秀の話を聞く事になった。百地のお陰で話を聞く事が出来るようになったのだけど、百地のせいで私のメンタルが削られたのは納得がいかない。百地とは話し合いが必要なようだ。そしてさりげなく相槌を打っていた桔梗も同罪である。どうしてくれようか?
光秀が語り始めたけど、それを聞く私の顔色がどんどん悪くなっていくのを感じた。どうしてそうなるのかさっぱり解らない。
それに光秀も光秀でお人好しが過ぎると思う。どこの世界に無報酬で美濃から常陸くんだりまで間者働きをする者がいるのだろうか?それに彼だって生活が厳しいだろう。斎藤道三と帰蝶姫ってそんなに横暴な人なのかと思えてしまう。
「つまり、私が信長殿に懸想していると帰蝶殿が疑っているのですね?」
私の質問に光秀は決まりが悪そうな顔で答えた。
「その様で御座います。信長様が大層、氏治様を気にして居られるようで御座いますのでそう思われたのだと思いますが、某も帰蝶様からお聞きした話で御座いますので詳しくは存じません」
「明智殿、私が信長殿にお会いしたのは四年前、十二歳の頃に一度だけなのです。堺への旅の途中でたまたまだったのです。文のやり取りは致していますがただそれだけです。まずは、帰蝶殿には懸想などしていない事をお伝え下さい。私と直接話したと申しても構いません。いえ、そう申した方が良いでしょうね」
「この事は外には漏らせませぬな、家臣だけで済めば良いですが、民が知れば何が起こるか想像も付きませぬ。明智殿もそのように心得て頂きたい」
百地の言葉に光秀は少し青くなって質問した。
「民が、で御座いますか?」
光秀の問いに百地は私に視線を動かした。
「私は吉祥天様に祝言しないと誓ったのです。それがどうしてこのようになったのかは知りませんが、私が吉祥天様の生まれ変わりと呼ばれるようになったのです。そのような事は全くありませんが、そのお陰で領内が良く纏まっているのです。民に私が信長殿に懸想していると噂が流れればどのようになるか解らないのです」
私って意外に流言に弱いのかも知れない。桔梗のせいなのだけど。それにしても帰蝶姫ですか、今年婚姻するのは知識で知っていたけど、信長の手紙には一言も書かれていなかったんだよね?
「明智殿はそれが判れば帰蝶様に義理が立つのですな?それならば我等が秘して居れば小田家では問題になりますまい」
「そうで御座いますが、このようなご迷惑をお掛けして何とお詫び致せば良いのか。この光秀、どのようなご処分でもお受けいたします。願わくばこの光秀の首一つでお許し下さいますよう」
そう言って光秀はまた平伏した。彼は色々運が悪かっただけだと思うけど、本人は居た堪れないだろうな。疑われるような行動を取った信長が悪いと思う。それに帰蝶姫も迂闊が過ぎる、この時代の姫ってこうなのだろうか?史実の信長は側室が沢山いたから女好きなのは間違いないだろう。でもよりによって私を疑うのは止めて欲しい。
「明智殿、許すも何も明智殿も被害者ではありませんか。そのような事を言わないで下さい。ですが、念のため手を打とうと思います」
私の言葉に百地が質問した。
「どうなさるので御座いますか?」
「信長殿に婚姻の祝いをしよう、私も一緒に行くよ。顔を合わせて話せば帰蝶殿も判ってくれると思う。女は証拠が無いと納得しないからね」
「それはよう御座いますが、政貞殿が何と言われますか。この百地も政貞殿には逆らえませぬ、殿に仰って頂くしか御座いませんが?」
うー、そうなんだよね。久幹なら面白がって自分も行くとか言いそうなんだけど、政貞は固いんだよね。黙って行ったら絶対怒るだろうし。
「そこは百地も一緒にお願いするのが家臣の務めだと思うけど?桔梗も一緒に頼んでくれるよね?」
「某、政貞殿には恩義が多くあります故」
「菅谷様はいつも正しくあらせられます。桔梗では御力になれそうもありませぬ」
きっぱりと断るのが君達らしいね。少しは迷う素振りくらい見せてもいいと思う。それにしても、一体何があったんだろう。私の狂犬を二人も手懐けるなんて政貞が凄いんだけど?
「わかったよ、私が政貞にお願いするから百地は私の供をしてね、桔梗もだからね?」
私達を呆然と眺めている光秀に私は話し掛けた。
「明智殿、聞いた通りです。お祝いの品を用意したら尾張に参ろうと思います。ついでに帰蝶殿にお伝え下さい。それと今宵は宴を用意致しますので、先ほどの事は忘れてお寛ぎ下さい」
私の言葉に光秀は畏まって答えた。
「このようにお騒がせした上に、馳走まで頂く訳には参りません。御無礼の責任すら取っていないので御座います。何か某に罰をお与え下さい。何なりとお申し付け頂けますよう」
光秀の気持ちも解るけど、それは私にとっても罰ゲームなんだよね。彼は生真面目過ぎて帰蝶姫の命を断れなかったのだろうな。他家に嫁いだのだから本来なら聞く謂れも無いだろうし。
「では私の持て成しを全て受けて下さい。それを罰とします。武士に二言はありませんよね?」
「それでは罰になりませぬ!」
「武士に二言はありませんよね?」
私が再度笑顔で威圧すると光秀は観念したように頷いた。
その晩は私の私室で小さな宴を開いた。座卓で寛ぎながらの気楽な宴である。なのだけど、、、。
「明智殿、これは珍陀酒と申しまして、我等が殿が造られた酒で御座います。酒精が強いのでちびりと飲むと宜しかろう」
そう言って赤松はグラスに並々注がれた珍陀酒を一気飲みした。お前何やってるんだよ!ていうか何でいるの?私呼んだ覚えが無いのだけど?
「そのような飲み方はいけませんな。某のように適度に摘まみながら飲むのが宜しかろう。明智殿、こちらの鳥も絶品で御座います。ご賞味あれ」
そう言って手塚は光秀に鳥串を勧めて、自分は三本一気に食べていた。なんで手塚もいるんだよ!
「はっはっは、男ならチビチビはいけませんな。酒とは一気に呷るもので御座る。この珍陀酒は値が張るので中々飲めませぬからな」
そう言って飯塚はグラスに並々注がれた珍陀酒を一気飲みした。なんで飯塚まで、もういいや。
「赤松に飯塚に手塚、私は呼んだ覚えが無いのだけど?」
「某は次郎丸の様子を見に来たので御座います。たまたまで御座います」
赤松に続いて飯塚が口を開いた。
「某は殿のご機嫌伺いに参ったので御座います。たまたまで御座います」
そして残った手塚はだけど。
「とても暖かそうで御座いましたので寄らせて頂きました。たまたまで御座います」
手塚は今日も家に帰れないのね。だからと言ってうちに来ないで欲しい。赤松とか飯塚の家に泊まればいいじゃん。
私が楽しみにしていた焼き鳥が無くなりそうなので必死に確保していたら光秀がガン見していた。まずい、大名としての威厳に傷が付く。だけど焼き鳥の方がちょっとだけ大事だったので気が付かない振りをした。
それを見咎めた桔梗に苦言を貰った。なので「なら明日、鉄砲で狩って来てよ」と言ったら光秀が反応した。
「氏治様!鉄砲をご存じなので御座いますか?」
何だか喰い付くようだったので桔梗に私の鉄砲を持って来て貰った。甚平が特別に作ってくれて、それを凝り性の又兵衛が魔改造して装飾している派手な逸品である。金銀がふんだんに使われていて次郎丸のシルエットが入っている。私はそれを光秀に渡した。
「某が見たのとは大分違いますが、このように美しき鉄砲をお持ちとは思いませなんだ。この光秀も欲しいと思っていたので御座いますが、何分値が張るので諦めていたので御座います」
そう言って鉄砲を色々な角度から眺めたり構えたりしていた。明智光秀といえば鉄砲の名手として伝わっているけどこの時期は持っていないらしい。確かに金十枚じゃ買えないよね。
「ならば玉薬も付けて一丁差し上げましょう。桔梗、明智殿にお渡しして。それと鉄砲の使い方を教えてあげてね」
「承知致しました」
そうすると光秀が慌てた様に口を開いた。
「氏治様、このように高価な物は頂けません!お気持ちだけで十分で御座います!」
「良いではないですか。常陸まで来たお駄賃だと思って下さい。それに約束をお忘れですか?」
私がそう言うと光秀は困ったような嬉しいような顔になった。あの明智光秀に鉄砲を譲れるのは歴オタとしてもポイントが高い。明智光秀は私が育てた!とか言ってみたい。私は桔梗に他の鉄砲を持って来て貰って光秀に渡した。光秀は「忝い、忝い」と繰り返してとても嬉しそうだった。信長もそうだけど男子はそういうの好きだろうしね。喜んでくれて私も嬉しい。
それを見ていた手塚が私に訴えるように話し掛けた。
「殿、某も鉄砲が欲しいので御座います。某にも頂けないでしょうか?」
「どうして手塚に私があげないといけないの?雪が沢山持ってるでしょ?」
「雪殿は某に触らせてもくれないので御座います。なので未だに持っていないので御座います。赤松殿も飯塚殿も菅谷殿も持っていますが、某だけ無いので御座います」
「私は貴方の母上ではないのだから雪にお願いしなさい。皆自分で買ったのだから、手塚も真面目に生きれば雪がいつか認めてくれるよ」
手塚は甘やかすと碌な事にならないので却下である。
そして今度は次郎丸に大きな前足で肩をトントン叩かれた。さっきから気付いていたけど次郎丸のおねだりモードである。
ピシッと座って良い子アピールしているのである。私はご飯粒を一粒手の平に乗せて次郎丸に与える。それを大きな舌で器用に食べるのである。そしてすぐに良い子アピールが始まる。
次郎丸は自分で狩りをしているし、今日は麦飯を大量にあげたのでちゃんと食べている。だけど私達が食べていると欲しいらしく、子犬の頃から同じようにして飯粒を一粒だけあげるのである。この図体になっても一粒の為に良い子アピールする次郎丸はとても可愛いけど、沢山あげるとクセになるのでこれからも一粒である。
赤松と飯塚が賑やかに盛り上げているから光秀も鉄砲を抱えながら楽しそうに珍陀酒を飲んでいた。下戸だと伝わっているけど珍陀酒は飲めるのかな?そうして夜は更けて行った。




