第五十一話 政務の日々
鷹狩という休暇を満喫した私は河和田城に帰って来た。初めて体験した鷹狩りはとても刺激的であった。まるで大きなイベントを、特別に体験させて貰ったような気持ちになった。
義昭殿の人柄を更に知る事になり、私はどうしてこの人をあんなに恐れていたのだろう、と考えてしまった。恐らく史実の佐竹家の、暗い部分ばかり覚えていたせいかも知れない。小田家は佐竹家に滅ぼされたのもあるし、小田原征伐以降の佐竹家は、武力より謀略で領土を広げている部分もある。
尤も、大名同士の付き合いをしていなかったからなのだけど、やはり人同士、話をするべきだなと思う。佐竹との協力関係は今後も長く続くだろう。史実ばかり考えても迷走しそうなので、自分の目を信じようと思う。
河和田城に戻った私を待っていたのは久幹であった。私の私室に入ってもらい話をする事になった。
「随分と楽しまれて来たようで御座いますな」
開口一番、恨めしそうな顔で久幹に言われた。
「楽しかったのは否定しないけど、義昭殿との約束だからそんな顔をしないで欲しい」
「承知して居りますが、こちらも手が回らないので御座います。殿が外れられると滞る仕事も多くありますからな。今少し内向きの仕事が出来る者が欲しい所で御座います」
「人を育てていくしかないよね。常陸中部は戦の心配も無さそうだし、真壁の者を育てたらどう?」
「分かっては居るので御座いますが、無骨者が多く二の足を踏みます。この様な事なら育てておくべきでした」
「時は掛かるけど真壁の家の者を育てようか?私にも何人か預けてくれていいから」
久幹は顎に手をやり少し思案した。随分と考えているけど気持ちは解かる。この時代だと算盤仕事を嫌う人はとても多い。でも文を書けない人はいないのでやらず嫌いだと思う。
「承知致しました。家の者を御預け致します。それと小田城の奉行を何名かこちらに頂きたく思います。河和田も水戸もまだまだ人が足りませぬ」
「わかった、勝貞に頼んで派遣して貰うとするよ」
「それと、殿にお願いが御座います。常陸中部の村々に吉祥天様の御堂を建てつつありますので、完成した所から御見回り下さい。民も喜びます故」
久幹、忙しいと言いながら仕事を増やしていないかな?信仰心を利用するのが手っ取り早いのは解っているけど、私の仕事を勝手に増やすのは止めて欲しい。それにお願いと言いつつ決定なのが納得いかない。でも拒否すると怒りそうなので言えない私がいる。
「わかったけど、程々にしてね?あまり祭り上げられては私が困るよ」
「承知して居ります。此度だけで御座いますからご辛抱下さい。某とて心が痛んでいるので御座います。それと今一つお願いが御座います」
全然心が痛んでいるように見えない久幹から、更にお願いがあるらしい。
「なんだろう?」
「四郎と又五郎を奉行として、派遣して頂きたいので御座います。こちらでも葡萄の栽培を致したく思いますので」
「それはいいかも知れないね。あの二人はきっと暇をしている筈だから、手配をしておくよ」
「あの二人はこの方面では抜きん出て居りますからな。何が幸いするか分からないものです。堺ではあれほど叱ったもので御座いますが、武しか知らぬ我が家の者と比べれば余程役に立ちます」
久幹の中で四郎と又五郎の株が鰻登りである。このまま内政専門で育ててしまってもいいかも知れない。あの二人はセットで置いておくと力を発揮するようだし、もしかしたら内政の大家として成長するかもしれない。
そして話を終えた久幹は去り際に、畳まれた紙を私に手渡して退出して行った。なんだろう?と開いてみると、新しく建てる御堂のリストだった。あまりの数に変な声を出してしまった。そして久幹が去った方角を睨みながらふと考える。
久幹が第二軍団として私の手元から離れてしまうので、勝貞と相談して物事を決めて行く事になるのだけど、やはり考える頭数は多ければ多い程いい。私の腹心を眺めると小田四天王の面々や、平塚、沼尻、野中が上位の家臣としているけど、皆武勇を重んじる人ばかりだから無理に頼んでも、良い結果にならないだろう。
小田家は内政向きの将がいないというか、必要が無かったから育っていないのだと思う。私も転生者らしく、有名武将の青田刈りでもすればいいのかとも思ったけど、史実で知っているのと相対する人として知るのでは、天と地程の差がある。
つまり、知らない人は信用できないし、史実で活躍したから小田家で活躍できるとは限らない。性格も合わないかも知れないし。史実で内政が得意と思われていたからと言って、登用してポンと仕事を与えても相手も困ると思う。何故ならば誰でも置かれた環境と相談しながら、仕事をして経験を積んでいくのだから、完成された人材が転がっていると考える事に無理があると思う。
百地の登用は想定外で、元々が乱破を登用しに行ったのである。たまたま互いの持論をぶつけ合って彼の人柄も気に入ったので、家臣になって貰ったのだ。私は彼を信じて登用したから、やはり信じて仕事を任せられるのである。
でも、軍師的な人が欲しいとは思う。今の私の参謀は勝貞と久幹である。政貞はどちらかと言うと内政向きだと思うので、そっちの方を任せている。現に、政貞の几帳面な性格にも合っていて、多賀谷から得た領土は政貞が治めている。
実を言うと明智光秀の登用はかなり真剣に考えている。それは人材のコレクションではなく、信長の本能寺の変を防ぎたい思惑があるのだ。長良川の戦いの後だから六年後になる。その時は何かと理由を付けて一族ごと保護しようかと考えている。そうすれば本能寺の変を防ぐことが出来るだろう。よく小説で歴史の強制力とか聞くけど、私の存在が小田家を二十万石の大名にしているのだから、特に問題ないと思う。
そして私は豊臣秀吉が大嫌いである。木下藤吉郎時代の彼は割と好きな部類になる。力を持った木下藤吉郎がどういう人間になるかは、歴史を知る者なら誰でも理解するところだろう。信長が本能寺で討たれれば史実通り豊臣秀吉がやって来て、彼の気分で関東の家々の未来が決まるのである。これが最近は博打に思えてしまうのだ。
転生当初は秀吉に所領を安堵して貰おうと思っていた。だけど今は信長を知り、義昭殿を知っている。だから彼等には死んでほしくないし、出来れば信長に天下を治めて貰ってその下に組み込まれた方が、小田家にとっては良い事のような気がする。
そんな事を考えてから、私は溜まっていた書類に目を通し始めた。それらは新しく城代になった者の質問であったり、要望であったりと様々だ。私は一つずつ返書をしたため指示やアドバイスを送る。
そして書状の中に信長からの文があるのに気が付いた。戦もあればその後の統治もあって忙しかったので、気付くのが遅れてしまったようだ。
私は文を読んでから返書をしたためた。返事が遅れた事をまずは詫びて、今回の戦の顛末や義昭殿との鷹狩りの事などを書いたのだけど、随分と長い手紙になってしまった。私は書状を鷹丸に託し、ついでに土産も持って行くようにお願いして再び政務に埋もれる事になった。
久幹から真壁の家臣が送られてくると、私は彼等の指導に時間を取られるようになった。久幹からは随分と言い含められて来たようで、皆真剣に取り組んでくれた。のだけど算術から教えなくてはいけない人もいて、相応の苦労をする事になった。
暫くすると吉祥天様の御堂が完成したと、次々に報告が入って来るようになった。私は百地と桔梗と共に、久幹が置いて行ったリストと照らし合わせてから、村々を訪問した。
訪問先を先触れして街や村の御堂を回って歩くのだけど、行く先ではどこでも凄い歓迎を受けた。そして大量の貢ぎ物である。私はこれを全て辞退した。
生活が楽でない者から年貢以外の物を取ることは出来ない。吉祥天様の御堂は私の所有物とし、街や村の管理にして僧を置くことを禁じた。久幹から話を聞いた後に思い当たり、慌てて触れを出したのだけど、寺社の管理にすると僧が私腹を肥やすだけなので、民に迷惑が掛かってしまう。
存在するだけで統治の邪魔になる僧って一体何だろうと思うけど、彼等は苦しい生活をしている人から取っても眉一つ動かさない人達なので、関わらない方がいいのだ。
御堂の管理は清掃くらいのものである。ならば街や村の人達でそれをするだけで十分である。私は御堂を訪問する度に街や村の人達と直接話をして僅かな供物以外は必要ないと念を押した。街や村の人達は拍子抜けした顔をしていたけど、私の話を聞き入れてくれた。
そして何処へ行ってもお願いされる事がある。次郎丸の毛を分けて欲しいと言うのだ。御神体と共に祀りたいと請われたので、次郎丸の毛を少し分けて貰いそれを小さい櫃に入れて、各地で祀られる事になった。次郎丸の毛が無くならないか心配である。




