第五話 堺へ その2
2023/2/2 微修正
私達は石津の港から船に乗り込んだ。ここからは船の旅である。五百石の船だけど中々快適である。今日も天気が良くて安心して船旅が出来る。
この時代は現代とは違って航路は陸に沿って進んでいく。陸地が見えるだけで安心感があるのも不思議なものだ。でも難破したら確実に死ねると思う。泳ぎは得意だけど着物を着たまま岸に辿り着くのは無理だと思う。裸で泳ぐ事は出来るけど、そうすると乙女ポイントがゼロになるので却下である。一応神に祈っておく、歴オタの神に。
そして私の後ろでは二人の男が船酔いでダウンしていた。四郎と又五郎である。
「まだ一刻(二時間)程しか船に乗っていないのに情けないね。それでも坂東武者なの?政貞にバレたら叱られるよ?」
呆れた私がそう問うと、四郎は気分の悪さを隠そうと努力しながら口を開いた。
「わたしは、ウップ、大丈夫です。大丈夫です……」
真っ青な顔をしながら強がって見せているけど、これはダメだね。帰ったら菅谷水軍に鍛えてもらおう。確かに船酔いは体質差が出るけど訓練すればどうにかなる筈である。軍船に乗る事だってあるのだから鍛えて損はない筈だ。
そして相方の又五郎はピクリとも動かない。まるで屍のようだ。侍女のあやと初は二人の介抱をしている。女達の方が余程頼りになるので、二人の様は情けなく思えてしまう。そして久幹は船酔いも無く元気なものだ、流石は鬼真壁である。
香取の海を横断した時は何ともなかった二人だけど、波の荒い海に出た途端これである。ちなみに二人は共に十七歳。友人同士で仲が良い。それを知っていたから今回の旅の供にしたのだ。仲の良い友人との旅は楽しいと思うし、思い出として心に残ると思ったからだ。私としては気を遣ったつもりだったのだけど人選を誤ったようである。
船に運ばれるだけの道中は暇だったので、船長と色々話をした。リアル戦国の船事情を知るチャンスである。どう見ても海賊にしか見えない強面の船長だったけど、気さくに話をしてくれて楽しかった。
そうして私達は新居で宿を取り、そこから再び船上の人となる。少し心配だったけど、四郎と又五郎は置いて行く事にした。路銀を持たせて陸路で堺に行くように伝えると、余程辛かったのか、とても嬉しそうだった。私も鬼ではないからね、でも菅谷水軍行きにはするけど?
そして私達は津島に到着した。尾張と伊勢を結ぶ港町で信長までの織田氏三代の経済を支えた街だ。この時代では港があるけど現代では治水工事によって埋め立てられて陸地になっている。なんだか勿体ない気がする。そしてここは尾張の国、織田信秀の領土だ。信長は今のこの頃だとやんちゃ坊主をしている筈である。さすがに出会う事は無いと思う。現代では織田信長は戦国時代の英雄のような存在である。興味は当然あるけど、今のこの時期は傾奇者をしている筈だ。不良の信長には会いたくはない。不良はオタの敵なのだ。
ちなみに私と信長は同い年である。史実の氏治さんも同じ「おだ」ながら随分と差が付いたものである。私も気を付けないといけない。この世界の後の世で不死鳥とか言われたくないし、某掲示板で変なスレッドが立つのも困る。私の最大の敵は四百年後のネットのあいつらな気がする……。現代日本での歴史人物のキャラクター化は留まるところを知らない。かの諸葛孔明も、自身が女体化キャラクターにされるとは夢にも想わなかっただろう……。
津島で宿を取って、私達は軽く観光をした。とても人が多く活気があり、織田家の財源になりうるのを納得させられた。語る言葉も坂東とは違って、いわゆる名古屋弁なのだろうか?その様子も珍しかった。津島は居心地が良く数日滞在したい気持ちになった。だけど、急ぐ旅でもあるので後ろ髪を引かれながらも伊賀を目指して歩みを進めた。そしてその道中に意外な人物に遭遇した。まさかの織田信長である。
♢ ♢ ♢
津島の港で尾張のうつけの噂は聞いていた。実在する信長に心躍らせたものだけど実際に出会うと話は変わるのである。
記録にはこう記されている。袖を外した湯帷子に半袴、朱鞘の太刀、紅と萌黄の二色の糸でハデに結い上げた髷、腰回りには火燧袋と七、八個のひょうたんをぶら下げている。そのまんまの人物が馬を歩ませていたのだ。供回りらしき少年が二人、その一人は槍をカカシのようにして背負い持っている。あれってもしかして前田利家だろうか?流石に動揺した。ここで出会うとは思っていなかったし、日本人なら知らない人がいないと言われる戦国時代の有名人織田信長である。
映画やドラマで見たことがあるけど、リアル戦国で見る傾奇者スタイルは鮮烈だった。ただ、戦国時代の大名家に生まれた私は礼儀作法は当然叩き込まれている。その目から見るとみっともないという気持ちの方が大きかった。歴史の知識を知っている私ですらそう思うのだから、この時代の人なら嫌悪感しか抱かないだろう。
信長の振舞いは擬態なのは知っている、そしてこの時代の常識も知っている。信長も当然常識は心得ているだろう、その上であの振舞いをするのだから相当心が強いのだと思う。私が小田でなく、織田に生まれていたら、果たして同じ事が出来ただろうか?多分無理だ、私は心が弱いし、恥ずかしいのは嫌である。久幹も珍しいものを見た風に「ほうっ」と声を漏らした。坂東にはああいう振舞いをする人は居ないし、居たとしても主君を持たない野侍くらいのものだろう。思い返すと私の周りは真面目な人達ばかりだなと思っていたら目が合った。
あ、なんかやばい、こっちに来る。現代日本でも不良に目を合わせてはいけない事は常識である。そして私のようなオタなら尚更だ。私は思わず道の端に移動した、不良に道を譲るのはオタのお作法である。久幹達も私に倣って道を開けるように移動した。が、彼は私達の前で馬を止め、馬上から見下ろすようにして言い放った。
「その方等、この尾張に何用か!」
声が大きいし、その不遜な態度はチンピラそのものである。私はメンタル弱いんだから、こういう対応はやめて欲しい。お供の二人も私にガン飛ばしてるけど、見た目はお子ちゃまである。身分があるのと、信長のお付きだから威張っているのだろうけど、私から見たらただの子供だ。でも、子犬に睨まれているようでとても居心地が悪くなる。やるなら私の後ろにいる久幹にガンを飛ばして欲しい。尤も久幹は身長六尺(一八四センチメートル)で鍛えているから身体もがっしりしている。私の後ろに控える久幹がいるにも関わらず絡んできた度胸は認めよう。でも私だけを標的にするのは止めて欲しい。
「堺に向かう道中で寄らせて貰ったのです。尾張に用は御座いません」
「何?堺だと?其の方等、堺に何用か!」
叫ぶなよ、ちょっとカチンときた。なんでこんな言われ方しないといけないのか。私は援護してとチラリと久幹を見て目で訴える。久幹は軽く口角を上げるのみで動く素振りも見せない。この様子だと助けてくれそうもない。久幹はこの状況を楽しんでるに違いない。きっと、今晩のお酒の肴にするつもりだ。そういう人である。久幹の援護を諦めた私は信長の質問に答えた。
「どこの誰とも知れない方に申す必要はないと思いますけど?尾張ではこれが普通なのですか?名乗りもなく、礼も取らずなど私の国では考えられない事です。貴方の行為はとても恥ずかしい事です。それに、貴方の後ろに控える小者も随分と威勢がいいですね?虎の威を借る狐とはよく言ったものです」
私は努めて平静を装いながら返答した。私にも坂東武者としてのメンツがある。私一人なら謝って逃げ出しただろうけど、私がそうすると背後にいる家臣のメンツも潰す事になるから引く訳には行かないのだ。そして心臓はバクバクだ。
信長の後ろの二人が私の言葉に顔色を変えて「無礼な!」とか「貴様!」とか言っている。まるで悪役の三下だ。私は不良が嫌いなんだから黙っていて欲しい。挑発はしたけど。そして馬上の信長は面白そうにしながら答えた。
「織田三郎信長である!」
知ってるよ!私の中の信長返してよ!
「そうですか、お初にお目にかかります。私、常陸国、小田政治が嫡男、小田氏治と申します」
「おだ?どのような字を書くのだ?」
信長は顔に疑問符を浮かべながら質問した。まぁ知らないよね、田舎の弱小だし。それに小田と織田は非常に紛らわしいと思う。
「小さい田と書くのです。常陸の田舎大名ですからご存じないでしょう?尾張織田家のご嫡男からすれば、私の家など取るに足らない存在だと思いますが」
「これは大変ご無礼を!」
信長は顔色を変えてヒラリと馬から飛び降りると頭を下げた、ちょっとびっくりした。うちの事も知ってるらしい。織田家の一分家に過ぎない信長の家と、私の家では家格がまるで違う。小田家は関東八屋形の一つであり、頼朝公以来の名門なのである。尾張の平定すら出来ていない信長の家とは比べ物にならないのだ。
信長はバツが悪そうにしながら私を見つめる。なんだか目力がすごい。そして信長の後ろにいる二人も慌てて膝を突いた。君たちにガン付けられたのは忘れてないからね?
「謝罪は結構です。所で、いつもそのようなお姿で居るのですか?坂東ではとんと見掛けないのですが、こちらの流行りなのでしょうか?私は田舎者なので教えて頂きたいのですが?」
相手が下手に出るなら意趣返ししてもいいよね?私は安全なところから攻撃する主義なんだよ!私の言葉に信長が「ぐっ」と詰まってる。それに何だか恥ずかしそうにしている気もするけどまあいいや。先に手を出して来たのは君達なんだから覚悟するといいと思う。よし!追い討ちだな!
「そこの槍を持った貴方、随分と威勢が良かったようですが、どうでしょう?その槍が飾りでないのなら私と立ち合ってみませんか?怖かったら主君を見捨てて逃げてもいいですよ?坂東ではありえない事ですけど?」
フルボッコにした。
♢ ♢ ♢
私達は勝幡城にいる。
犬千代(前田利家)を叩きのめして、腹に蹴りを入れて悶絶させてから笑顔で槍をへし折った。その後に三度程、骨の無い所を狙ってわき腹を蹴った。不良はオタの敵だから仕方が無いのである。これで少しは優しい人になってくれることを願うよ。
犬千代は悶絶しながら折れた槍を見つめていた。私にも坂東武者としてのメンツがあるので仕方なしである。それに私にガンを付けてビビらせた代償は重いのだ。あまり私をビビらせるんじゃないよ!それと槍代は払いません。犬千代を叩きのめして気が済んだ私は皆を連れて歩き出したんだけど、非礼の詫びをしたいと信長が城に招いてくれたのだ。この時期の信長の城に興味もあったので了承し、今に至るのである。
私と久幹は部屋に通された。暫くすると貴公子然とした若者が入ってきた。信長は傾奇者コスから貴公子コスに変更したようだ。その変わり様は、まるで斎藤道三との逸話のようである。
「改めて、織田三郎信長です。先程は大変失礼致しました」
そう言って頭を下げた彼だけど、先程とは打って変わって気品に溢れた所作だった。でも、いくら何でも変わり過ぎだと思う。ガチャで例えると、RのカードからSSRのカードになったくらいの違いを感じる。
「お気になさらず、こちらこそ失礼致しました。私、他家の方に招かれるのは初めてなので、実は嬉しく思っているのですよ」
私がそう伝えると信長が破顔した。出会った時とは違って、随分と可愛い顔に見えた。二度目の挨拶から始まり、再度互いの自己紹介をする。私が十二であることを伝えると、意外そうにしながらも自分も同じですと答えた。仲直り出来そうでよかった。ついカッとなってやった、後悔はしていない。遠すぎて戦争にもならないから問題ないと思う。それに喧嘩を売って来たのは信長だから私は全然悪くないと思う。
「先程は容易く槍を折られて居りましたが、あのような事が出来る氏治殿に驚いて居ります。この信長の知る限り、人が成せる業だとも思えません。坂東武者の武勇はよく耳にしますが、実際に目の当たりにすると言葉もありません。信長は領地から外には出た事が無いので、外の世を知らぬだけなのかと考えました。坂東には氏治殿のようなお方が大勢いるのでしょうか?当家の家臣の中にあのような事が出来る者はただの一人も居りません。この信長はとても興味があります」
なにこのキレイな信長?別人過ぎる!
そしてヤバいなである。調子に乗り過ぎた。私も旅に浮かれてテンション変わっているらしい。まあ遠い他国だし問題ないと思う。子供が槍をへし折ったなんて誰も信じないだろう。
「それは存じませんが、私も少々やりすぎました。武芸はここに控える真壁久幹に習いました。私にも都合がありまして、出来ればこの事は内密にして頂けたらと思います」
久幹にパスをしつつ私は答える。巧くごまかして欲しい、そして悩むがいい、私を見捨てた者には罰が必要である。信長は「ほうっ」と久幹を見る。
「では真壁殿は氏治殿より武勇がお有りだという事ですか、私には想像も付きません」
私の後ろに控える久幹を振り返って見ると、彼はニコニコしながら口を開いた。
「織田様、某の武勇は氏治様に及ぶものでは御座いません。氏治様はお心優しく某を師と立てて下さいますが、武芸の腕も力も氏治様には敵いませぬ。それに氏治様程の武勇を持つ者は坂東には居りませんし、並び立つ存在も御座いません」
やめて下さい!フォローする気ゼロだ。しかも来たのはキラーパス、本当に困る。
久幹の言葉に信長は驚いた様子だった。でも十二の小娘が坂東で一番なんて普通は信じないと思う。だけど、目の前で槍を折っちゃったんだよね……。
「氏治殿はあれだけの武勇を持ちながら何故隠そうとされるのですか?家中に勇者がいれば他家も警戒し、戦でも有利になります。自ら利を捨てる行為に思えます」
どうしよう?信長が正論過ぎて私死にそう。目立ちたくないだけなんて武士として言えないし、なんか良い言い訳は……。
「主が悪戯に武勇を誇れば家臣もそれに倣います。それは良くない事だと考えます。何故なら国とは武勇のみで立ち行くものではないからです。主を支えるのは武勇ある家臣だけでありません、算術に優れる者や交渉に長ける者、人の和を取り持つ者もいれば損を承知で主のために尽くす者もいます。商人や百姓にも支えられています。皆で支え合って生きているのです」
私はお茶を一口、軽く含むように飲んで続けた。緊張して喉がカラカラなのである。
「私は理想の主とは武など持たなくても家臣や民を統べることが出来る者だと考えます。ですが、現実は信長殿の意見が正しいのは言うまでもない事です。幸いにも我が家中には武勇に優れた家臣が大勢おります。だから私が武勇を誇る必要がないのです。私はそれぞれの家臣の働きを正しく評価していれば良いのです」
言ってやった!調子の良い事を私は言い切った!あれ?信長が私をガン見してる。
「氏治殿……。そのような考えを私は今まで思い付きもしませんし、聞いたこともありません。氏治殿は私の意見を正しいと言われましたが、私は戦に勝つことしか考えていませんでした。ただそれだけです。思えば父や家臣の言う通りにしていただけのように思います。私は自分の頭で考えていなかったようです」
信長は一拍置くと言葉を続けた。
「私が戦に勝つことしか考えていない事に対し、氏治殿は国を治めることを考えておられました。私は織田家の嫡男であり、いずれはこの織田家を継ぐ身です。家を治める立場でありながら、している事といえば戦の真似事ばかり、どうも私は考え違いをしていたようです」
どうしよう……。殿様モードの信長が生真面目すぎる。ていうか、この人本当に十二歳?史実に伝わる人物像と全く合致しなくて対応に困る。私の適当な言葉をあまり真に受けないで欲しい。それに眼が違う。子供の眼では無く、知性と理性を強く感じる。
「信長殿、私の考えはあくまでも私の考えです。犬や猫や鳥など戦い方はそれぞれ違うものです。それが人なら尚更です。私の家中と信長殿の家中もまた違うものなのです。私たちはまだ家督を継いでいません、考える時間は沢山あります。信長殿には信長殿に合ったやり方がある筈です」
「そうですね……。氏治殿の言う通りかもしれません。私に合ったやり方ですか、とても参考になります」
「私達は若いので経験が足りません。私も偉そうに申しましたが、いつ考えが変わるか判りません。何事にも先達があります。釘の一本ですら先達の教えが無ければ作ることが出来ません。私達は今は学ぶべき時であり、答えを出すのはその後で良いと思います」
私の語る言葉を聞いた信長は瞑想するように目を閉じた。その様子は十二の子供とは思えなかった。暫くすると信長は目を開いた。
「そうですね、私は急ぎ過ぎたのかも知れません。氏治殿のお考えもよくよく考えての事でしょう。では旅の話など聞かせて頂けませんか?私は尾張を出た事がないので興味があるのです」
即興ですゴメンナサイ。私はホッとしながら了承し「大して面白くはないですよ」と前置きしてから、ここまでの旅を語った。堺に用事があり、こっそり国を抜け出してきた事、予想していたよりも旅が快適だった事、関所に辟易した事、駿府の繁栄に驚いた事など。
信長は興味深そうに相槌を打ちながら静かに聞いていた。関所の話は何かを考えるようにしていた、関所撤廃と楽市楽座の人だからね。
「先ほどは無礼にお尋ねしましたが、堺には見物でしょうか?実をもうしますと、私も堺にはとても興味があるのです。何れは訪れたいと考えておりました」
「堺には商売に参ります」
「氏治殿が商売ですか?これはなんとも、驚きました」
「武家が商人の真似事をするのはよく思われないのは知っています。ですが私は我が領を富ませたいと考えています。たとえ人から笑われようとも、家臣や領民の為になるなら何の問題もありません。私はやれることは何でもやろうと決めているのです。尤も、私は商売が好きなので変わり者であることも確かです」
信長が息を飲むのが分かった。彼も志を持つ若い為政者だ。私の青臭い理想に共感出来るものがあるのかもしれない。
「氏治殿には本当に驚かされます。私は自分が恥ずかしくなって来ました。氏治殿と同年でありながら私は何もしていないに等しい」
信長は唇を噛みしめるようにしていた。思うところが多々あるのだろう。彼の現在の状況は複雑で不安定だ。お家争いほど大変なものはない。こうして相対していると早熟なのがよく分かる。立派な教育も受けているのだろう、所作も洗練されているし、語る言葉からは教養と気品が滲み出ている。やはり傑物だ。十二歳でそれなら天才だと思う。私のような歴史の知識を使った反則をしていないのだ。そんな彼につい言ってしまった。
「信長殿は立派に努めていると思います。先程のような振る舞いで他国を欺いているではありませんか?」
「!!!」
信長に緊張が走った。彼の擬態は完璧だ、そのせいで敵も作るのだけど。信長は平静を保つようにして口を開いた。
「なぜ……。そのように思われたのですか?」
「先程の信長殿と今の信長殿を見比べたらそう思えたのです。私も一族や国人への苦労は解っているつもりです、なので兵法ではないかと思ったのです」
「そうですか……。他国の方に見破られるようでは辞めたほうが良いのかも知れません。恥ずかしい事です」
これはまずい、史実では上手くいっているのだ。平手政秀という犠牲はあるけど、敵を欺くのには成功している。私のせいで信長が滅亡までは行かなくても天下取りが無くなってしまうのは困る。歴史の知識も手伝ってつい余計な事を言ってしまった。
「いいえ、続けるべきです。私はとても優れた策だと思います。津島では信長殿の噂は聞きました。皆見たままを信じております。それに私が見破ったというより、たまたま勘が当たっただけです」
私は出されていたお茶を一口飲むと続ける。
「ただ、策は信長殿しか知らないのではないのですか?私はいつも真壁を頼りにしていますが、信長殿にもそのような方が必要だと思います。いらっしゃるのでしょう?」
私の言葉に信長が瞠目する。
「確かに仰る通りです。ここまで読まれると自信を無くしそうですが、これまでの努力も惜しいと感じますので続けようと思います。ですが自らの非才に恥じ入ります」
「そのような事はありません。とても苦しい戦いだと思いますし、ご立派だと思うのです。少なくとも私が思い付いたとしても致す勇気がありません。貴方はとても心が強い人だと思うのです」
セーフ、セーフだよね?危なかった、これからは本当に口に気を付けよう。
「そう言って頂けると心が救われます。私は今日、氏治殿に出会えた事を心から感謝します。とても貴重な出会いだと確信しました」
天下の英雄から凄い言葉を貰ってしまった。過大評価が過ぎるけど、ありがたく貰っておこう。彼が五畿を制圧したら安土城に招いて欲しいな。それまでは私も頑張らないといけない。
「信長殿、私こそ、そう思っているのです。信長殿との出会いは私の宝となりました。今後もお付き合い頂けたらと思います」
その後は穏やかな歓談が続き、私達は泊って行く事になった。随分と気に入られたらしく信長は私に付きっきりだったのには少し気疲れを覚えたけど、悪い気はしなかった。信長とは情報交換をするように色々と話をした。そして思うのは信長の知能の高さの異常さだ、語る言葉も態度もとても十二の子供のそれではなかった。もしかして信長の中の人は私みたいに転生者なのでは?と疑った程だ。そんな信長の様子を見て平手さんが目を丸くしていたのが何だか可笑しかった。そしてホッとした。普段の信長が想像出来るというものである。
翌日。信長は私達を国境まで送ってくれた。例の貴公子然とした装いである。私如きに礼を尽くしてくれるのが嬉しかった。そして供の二人も一緒である。前田利家ともう一人は佐々成政だった。君達がガンを飛ばしてくれた事は一生忘れないから!そして前田利家はまだわき腹が痛そうだった。
「このように気を遣って頂いて感謝致します。名残惜しくは思いますが、またお会い出来る事を楽しみにしております」
私はお辞儀しながら信長にそう伝えた。
「それは私も同じ気持ちです、氏治殿にお会い出来て何かが解って来たような気がします。今の私では氏治殿に並び立つ資格がないと痛感しました。ですが私もいずれは……と、考えております」
もういいじゃん。昨日の事は忘れて欲しい。私的には黒歴史なんだよ。私と信長は別れを惜しみ、いざ行こうと歩みを進めると後ろから声が掛かった。
「氏治様!次にお会いした時にまたお手合わせお願いします!某、氏治様のようになりたいのです!」
前田利家だった。私は別に彼と稽古をしたつもりはないし、私は不良やチンピラが大嫌いなのである。不良はオタの永遠の敵なのでそこに情けは無いのだ。前田利家も負けた私には礼を尽くすだろうけど、相手が変わればただの不良に戻ると思う。信長に関しては明らかに擬態だ。彼と接して理解したけど、彼は常識人で心優しい人だと思う。
「犬千代殿、私は弱い者いじめをする者が大嫌いなのです。貴方が良き人になるならお相手しましょう」
私の言葉に前田利家は「ぐっ」と詰まった。十分に身に覚えがあるのだと思う。この時代の武家は子供でも乱暴者が多い。でも彼はこれから大名にまで出世して行く人物である。佐々成政もそうだ。人を大切にする事を覚えないと彼ら自身の為にもならないと思う。
「小田様、某は心を入れ替えて励んでみます」
前田利家は唇を噛むようにしながらそう言った。聞いてくれるかどうか判らないけど私は思った事を伝えた。
「犬千代殿、貴方に主を想い、そして大望があるのならば、人には優しくなさいませ。それが民百姓であろうとも、私達はそれをすべきなのです。何故ならば、私達はこの世の全ての者に生かされているからです。それを忘れれば民は貴方の主君を滅ぼし、そして貴方を滅ぼすでしょう。人を殺すのも人ですが、人を助けてくれるのもまた人なのです」
私は再び信長に頭を下げると皆を促して伊賀を目指して歩みを進めた。信長主従は私達の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
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