第四十二話 常陸の動乱2
佐竹家に使者を送った私達は、出発に備えて各々支度をした。今回の戦は他国の防衛戦になるので、軍需物資の輸送も必要になる。
私には領土拡大の意思が無かったので、兵站には全く手を付けていなかった。防衛だけなら必要ないと考えたのだ。だけど現実には佐竹家と強固な同盟を結んだので、援軍を出す事態になっている。しかも佐竹家とは別行動になる可能性が高いので、相手の物資を当てにする訳にも行かない。そうなると単独での遠征になるので、自然と補給の心配をするのである。
転生した当初は、土木建築もこなす輜重兵の構想は持っていたのだ。現代人なら兵站の重要性は誰もが知る所であるし、常識でもある。なのに私はそれを軽視してしまったのだ。
江戸氏の本拠地は河和田城である。現代なら、六号線を車で走らせれば二時間もあれば到着するけど、この時代だから当然徒歩である。江戸領を軽く迂回する形で軍勢なら二日は掛かる距離だから、近くもあり遠くもあるのだ。そもそも常陸が南北に長いので、感覚的には遠く感じるのだけど。
久幹の手により集められた兵が、続々と小田城に集まりつつあった。結城との戦で使った馬防柵や小荷駄の準備も進んでいる。大軍を率いる訳ではないので、そこまで準備に時間は取られなかった。そして待ちに待った使者が帰って来たのである。
皆を集めた評定の間で、私は義昭殿の返書に目を通していた。その様子を皆が固唾を飲んで見守っている。私が書状から目を離すと、待ちきれないといった感じで勝貞から声が上がった。
「殿、書状には何と?」
「江戸勢を足止めして欲しいそうだよ。佐竹殿は岩城勢を追い返したら直ぐに合流する、と言ってるね」
「足止めで御座いますか。そうなりますと江戸勢が何処を攻めるかで変わって参りますし、北常陸までは随分と距離も御座います。間に合えば良いので御座いますが、、、。百地殿、手の者から知らせはあり申したか?」
「それなので御座いますが戸村の城ではなかろうかと」
百地の言葉に勝貞は頭の中で地図でも見ているかのように目を閉じて顔を上げた。
「確かに江戸勢から狙いやすい城ですな。であれば早急に出立し、城に籠もり佐竹様を待つ形になるかと?」
「そうだね、江戸家の兵力もまだ分からないし、まずは行くしかないね。城に籠もれれば鉄砲もあるし、持ち堪える事は難しくないと思う。問題は間に合うかなのだけど、、、。久幹はどう考える?」
腕組みをして思案気な顔をしていた久幹は、私の質問に答えた。
「出来るならば小幡を急襲して拠点にし、飯沼から切り取って行きたい所で御座いますが、いかんせん兵が足りませんな。兵が三千もあれば面白い戦が出来たかもしれませんが、残念で御座います。戸村の城に向かうしか無いでしょう」
物騒な事考えてた。久幹は隙あらば領土を増やそうとするんだよね、でも考え方は正しい。江戸の勢力を弱められれば、後々の戦は無くなるかも知れない。私が多賀谷の勢力を削って封じたのと、何も変わらないんだよね。ん??ちょっと待って?兵は出そうと思えば出せるから結城次第になる。江戸家の城を後ろから切り取れば、江戸家も軍は返さざるを得ないよね?家臣や国人は簡単に見捨てられない筈だし、、、。
「百地、結城と水谷は動けそう?」
「結城は築城に注力している様子で御座います。水谷は回復したと聞いて居りますが、槍働きは出来ないでしょう」
「久幹、私は義昭殿に他国を攻める戦はしないとお話したのだけど、佐竹家を守るために江戸家に攻め入るのは、それに反すると思う?」
「某は何も問題ないと考えますが、そもそも戦を仕掛けたのは江戸家で御座います。仮に我等が攻め入っても何も問題は無いかと?」
「勝貞は?」
「某も久幹殿と同意見で御座います。そもそも戦を仕掛けた江戸家が悪いのは明白で御座います」
「久幹、陣触れを出し直して四千の兵を久幹に預けたら、どこまでやれる?」
私の言葉に久幹は喜色を浮かべた。小田家も無理すれば四千程度の兵は集められる。私が消極的すぎて、国人にまで陣触れを出さなかっただけなのだ。
「城の二、三は切り取って御覧に入れます。ですが、そうなりますと勝貞殿のご助力が必要かと?」
久幹の言葉を聞いた勝貞は、まるで花が咲いたようなとても良い笑顔になった。男の人でもそんな顔するんだね、、、。そして評定の間の隅っこで体育座りをしていじけていた赤松がガバッと顔を上げ、久幹の元に這うように近付いた。
「久幹殿!某は?某の力も必要では御座らぬか?」
必死な様子の赤松の主張に、久幹は苦笑いしながら私に目で振った。昨日からまるで子供のようにいじけていたから、気になっていたのだけど留守は政貞も平塚もいるし、大丈夫かな?だけど次郎丸の件は忘れてないからね?
「わかった!赤松も来るといいよ。久幹、軍の再編成をお願い、戸村に行くよりも飯沼のほうが遥かに近いから久幹の策で行く事にする」
私の言葉に赤松はまるで花が咲いたような、とても良い笑顔になった。君もですか、、、。
「はっ、承りまして御座います。ですが今集めた兵を無駄にしたくは御座いません。勝貞殿に託し、早駆けに小幡の城に迫り夜襲を掛ければ、容易く落ちると存じます」
久幹がなんだか信長みたいな事言ってる。神速と形容される彼の戦い方は現代でも有名なのだ。ゲームでもそんな能力付いてるし。でも奇襲は悪くない。
「わかった、久幹に任せるよ。赤松は勝貞と行くといいよ、乱暴狼藉が無いように厳しく見張って欲しい」
「お任せ下さい!殿の軍は吉祥天様の軍に等しいと兵共も心得て居ります。この赤松凝淵斉、必ずやお役目を果たして御覧に入れます!」
「百地、書状を書くから義昭殿に届けて欲しい。それと結城と水谷はしっかり見張ってね」
「承知致しました。必ずやお役目を果たして御覧に入れます」
そうして評定が終わると勝貞と赤松は早々に出陣して行った。私は国衆の兵を集めてからの出陣となる。他国に攻め入る事は無いと思っていたけど、中々ままならないなと嘆息した。
♢ ♢ ♢
小田城から出陣した菅谷勝貞は兵を叱咤し、急がせながら赤松凝淵斉、飯塚美濃守、手塚石見守とその妻、雪と共に小幡城に向かっていた。勝貞は一時は留守役かと肩を落としたものだが、久幹の献策により戦場に出る事が出来、何より主君である氏治の元に居られる事に喜びを感じていた。その様子は赤松凝淵斉や飯塚美濃守にしても同様であった。
勝貞は馬上で油断なく目を光らせながら、出がけに交わした真壁との会話を思い出す。
「勝貞殿、此度の戦では出来るだけ城を切り取ろうと考えて居ります。殿はあの御気性で御座いますからこのような機会は中々御座いますまい。領が増えれば兵も財も増えます。そしてそれは殿の御身を守る力になります」
確かにそうである。勝貞は傷付く敵兵にまで心を痛める氏治の姿を思い出す。あの心優しい主君を守るには力が居る。勝貞にとって氏治は娘にも孫娘にも思える存在である。出来るのならばあらゆる辛苦から守ってやりたいと思っている。
「最低でも小幡、飯沼、天古崎を切り取りたいと考えて居ります。佐竹との同盟が続くなら十分守り切れるかと。ですから、仮に敵方が降伏しても所領の安堵は認めない方針で行きたいので御座います。寝返りの心配を残しては獲る意味も御座いませんので」
「確かに真壁殿の言う通りかもしれぬな。あの地は片野の城からだいぶ離れておるから援軍するにも時が掛かる。佐竹との盟が続くなら守るのも容易かろう」
「では、御賛同頂けると?」
「無論、殿のお力になる事であればこの菅谷は否も応も御座らん。此度の戦で軍配を預かったのは真壁殿なのだから存分に某を使うと良い」
殿をお守りするには力が居る。勝貞は久幹との会話を反芻するようにして、自らの胸に刻んだ。
勝貞の率いる千七百の軍勢は日が暮れても、その足を止める事はなかった。松明も付けず月明かりを頼りに一路、小幡城を目指した。途中で何度か休息し、遠くに小幡城を目に捉えた時は既に深夜であった。
勝貞はここで兵に休息を命じたが、火の類を使う事は許さなかった。敵方から発見される事を危惧しての事である。勝貞は同行している百地の忍び鷹丸に命じ、小幡城の偵察に向かわせた。暫く待つと鷹丸が戻り小幡城の様子を勝貞に伝えた。
「小幡城は寝静まっている様子で御座います。油断しているのか門番すら居りません」
鷹丸の報告に勝貞は勝ちを確信する。直ちに軍を動かし音を立てないよう命じてそろそろと小幡城に迫った。城門を目で捕らえたが城兵が騒ぐ気配も無い。勝貞は鷹丸に城内から門を開くよう命じた。暫く待つと城門が開き、勝貞の軍を招き入れた。
余りに上手く行き過ぎている事に勝貞は警戒を強めたが、門を潜ると傍らに寄せられた城兵の屍に、百地の忍びが上手くやったのだと安堵した。
勝貞は攻撃を命じ、小幡城は瞬く間に小田軍に占領された。捕らえられた江戸通春は家族ごと保護されるように、城の一室に閉じ込めた。降伏した兵も一か所に集められたが、武装を解除されるのみで危害を加えられる事はなかった。
勝貞は捕虜とした兵に命の保証と金子を与え、飯沼城と天古崎城の様子や江戸軍の動向を聞いた。江戸忠通は佐竹領への進軍の為に各支城からも兵を集めていて、守りが手薄になっている事が判明した。
江戸忠通からすれば北の岩城家と南の江戸家で、佐竹家を両側から磨り潰す必勝の策である。佐竹家からは、領内の凶作や家臣の不和の話が忠通の耳にも入っており、天の時までが忠通に味方していると確信していた。
背後の大掾家との関係は良くも悪くも無かったが、ここ数年の平和から攻め込まれる心配はしていなかった。だから全軍で佐竹家に攻め込む手筈を整えたのだ。
敵兵から情報を得た勝貞はこれを勝機と見て、奪取したばかりの小幡城を手塚石見守とその妻、雪に任せて、その夜の内に千の兵を率いて天古崎城へ向かった。そして小幡城同様に夜襲を仕掛け、占領してしまったのである。勝貞は一夜の内に二つの城を落としたのであった。
まさに神速の快進撃であったが、勝貞は満足していなかった。夜が明けてから三百の兵と五十の菅谷の鉄砲衆を、天古崎城に残して一族の者に預けると、七百の兵を率いて小幡城に取って返した。兵に休息を取らせてから、小幡城には三百の兵と雪の鉄砲衆五十を残して、千の軍勢を率いて飯沼城に進軍する。
二城を獲ったにも拘わらず、それに満足せずに飯沼城に向かう勝貞のギラギラした眼差しに、小田家四天王の赤松凝淵斉と飯塚美濃守は内心舌を巻いた。有無を言わせぬ圧力に二人は自然と従う形になったが、一方で納得もしていた。主君である氏治の注釈した孫子には、神速の用兵の重要性が記されていた。菅谷政貞を中心としてその理を学んだ二人は、それを実践してみせる勝貞に憧憬の念を抱いた。
飯沼城に到着した勝貞は直ちに攻撃を命じた。その用兵は極めて乱暴なものであったが連戦連勝に士気高くなった小田軍には却って良い効果をもたらした。強行した行軍や連戦の疲れも見せずに飯沼城に攻め掛かる。
敵軍の襲撃を予想もしていなかった飯沼城主、桜井忠房は大した抵抗もできずに小田軍に降伏した。勝貞は桜井の一族と城兵の生命を安堵し、桜井側から求められた交渉に耳を貸さずに放逐した。
こうして二日と経たずに勝貞は三つの城を手中にした。そしてこの戦は菅谷勝貞の武名を坂東に轟かす事となった。




