第四十一話 常陸の動乱1
年が明け、天文十八年(一五四九年)の二月になった。来月になったら私は十六歳になる。
今年は信長が美濃の斎藤道三の娘、濃姫と婚姻する筈である。これから彼の時間は大きく動いて行く事になる。そして戦国時代の歴史を動かす中心人物になって行くのだ。
そんな信長と私との間では文通のような手紙のやり取りが続いている。信長からの手紙は赤裸々で明け透け過ぎて返答に困る事も多いけど、その内容は歴史の通説とは違い人間味溢れたものが多い。日常で気付いたちょっとした事や家臣へのグチまで幅広い。お陰で知るつもりのない織田家の内情に詳しくなってしまった私が居る。
最近の話題は私から伝えた結城との戦で使った鉄砲が多い。矢戦だけで結城を退けた事を伝えると信長からは詳しい内容を知りたいと文が届き、私は図入りの長い手紙を書く事になった。
鉄砲に関しては私が貸した孫子を読んだせいか、鉄砲への興味を更に加速させているようだ。あれには悪乗りして図入りの運用法を、色々書いたからかもしれない。そして彼曰く、国友村に鉄砲を五百丁発注したそうだ。この辺りは私が知る歴史の記述と一致するけど、発注したものの碌に数を送ってこないとグチをこぼしていた。たぶん鉄砲指南役である橋本一巴に依頼したのだと思う。
国友村からしても五百丁の依頼を受けたからといって直ぐに出せる訳がないのだ。今の時期なら職人が一丁ずつ仕上げている筈だから、大した数は出せないと思う。ただ、歴史を見るとこの信長の依頼を受けて、国友村は生産体制を見直していく事になる筈だ。
下妻の城の普請は順調で、城ごと任された勝貞と政貞が腕を振るっている。几帳面な政貞が奉行を務めているので、普請に手抜かりは無いだろう。それでも今年完成するかは微妙なところだ、と報告があった。
鉄砲の増産は鍛冶師と鍛冶場を増やす形で着手している。年六十程度の生産を倍に増やす計画である。コツコツ作り貯めた鉄砲は現在では二百丁を超えているし、玉薬も買い続けているので玉切れの心配が無い状態だ。あと三年で五百以上の鉄砲が揃う事になるから、これは他国からすれば脅威になると思う。
内政に関しては小田宗家の所領は新農法が行き渡っている。今年は新たな領土になった下妻、大宝、関に導入する予定である。そして葡萄畑も拡大し続けていて、ワインの製造量が跳ね上がっている。さすがに私が全てのワインを作る訳には行かないので、百地の配下から奉行を任命して、大量生産に対応する事になった。
政貞に約束した新しい甲冑は、私が大まかなデザインをして又兵衛が細部の修正をし、具足師に発注するという流れで製作が始まっている。私が南蛮式にこだわったせいで、又兵衛には随分と苦労を掛けてしまったけど、これが完成すれば鉄砲に対する生存率が跳ね上がるのだから、妥協出来なかった。
そして今年も平和に過ごせればいいなと思っていたら、百地から一報が入ったのである。
小田城の私の私室にはいつものメンバーに加えて手塚、赤松、飯塚、雪が招集されている。常になく緊張が漂う様子に皆顔を引き締めている。私は全員揃ったのを見計らって口を開いた。
「皆、急な呼び出しをして悪いのだけど、良くない知らせが入ったので聞いて欲しい。百地、報告お願い」
私に促された百地は居住まいを正して口を開いた。
「申し上げます。江戸家に忍ばせていた手の者の報告によりますと、江戸忠通が戦の支度を致しているようで御座います。狙いは佐竹領のようなので御座いますが、手の者によると陸奥国の岩城重隆が、これに同調しているようなので御座います。さすがに陸奥国にまで忍ばせては居りませんので、真偽は定かでは御座いませんが、江戸家ではそれを当てに戦するとの報で御座います」
百地の言葉に皆が息を飲んだ。佐竹からすれば北と南からの挟み撃ちである。この場合は軍を分けて守るか、どちらか一方を撃破して残りに向かうかの選択を迫られる極めて不利な状態である。
「百地、義昭殿は江戸家の動きを掴んでいるのかな?」
もし佐竹が察知していれば小田家に援軍要請がある筈だ。私は同盟者としてこれを断る事は出来ない。
「その事で御座いますが、佐竹家に忍ばせている手の者からは何の報せも御座いません。未だに知らぬのではと思われます」
「他には何かある?」
「特に御座いません。ただ、念の為に岩城家に忍びを放ったぐらいのもので御座います」
これはまずい。この状況で初動が遅れたら身動きが取れなくなる可能性がある。
「百地、まずは義昭殿に報告をお願い。私が書状を書くから大急ぎで届けて欲しい」
「承知致しました。馬で駆けさせましょう」
「殿、戦の支度は如何なされますか?」
私と百地の様子を見て勝貞から問われた。私としては戦そのものを止めたい気持ちがある。だけど、岩城家と連携しているなら双方の調停をしないといけないのだけど、時間的に間に合わないと思う。私が悩んでいると久幹が私の心を見透かしたように語った。
「殿、今から調停は難しいと存じます。江戸家だけなら某に伝手が御座いますので交渉は出来ましょうが、此度は岩城家という相手が居ります。江戸家も協力者がいる以上、勝手に戦を止める事は出来ますまい」
久幹の言う通りかもしれない。どの道、戦が避けられないなら負けない事を考えようか?
「わかった、久幹は正しいと思う。何時でも出られるように戦の支度をお願い、これは久幹に命じます」
「承知致しました。して軍勢の数は如何致しましょうか?」
今の小田宗家なら二千二百出せる。ただ、防衛もあるし全軍を率いて行く訳には行かない。
「千七百にしようか?鉄砲衆は全員連れて行く事にする。残りは万一、結城が攻め込んできたら勝貞が使うといいよ。国衆もいるから守るだけなら不足は無いと思う」
私の言葉に勝貞が顔色を変えた。
「殿!某は居残りで御座いますか?」
「勝貞と政貞は領の守りをお願い。勝貞の気持ちは解かるけど、留守を守る者も必要なのだから納得して欲しい」
勝貞は恨めしそうな顔をして私に目で訴えて来たけど、聞く訳には行かない。勇将を皆連れて行ってしまっては、留守中に敵が攻め込んで来たら対応出来なくなってしまう。私は勝貞を宥めて何とか納得してもらった。
「それと赤松も留守をお願いね。次郎丸の件は関係ないから勘違いしてはダメだよ?」
「お待ち下さい!それは余りで御座います!某も殿のお供を致したく思います!」
「剛の者を皆連れて行ってしまったら誰が領を守るというの?勝貞も聞き入れたのだから赤松もお願いね」
赤松も勝貞同様渋ったけど納得して貰った。本当に次郎丸の件は関係ないからね?その日の評定はここまでとして、佐竹からの情報を待ってから再度検討する事になった。私は急いで書状をしたためて百地に託した。
♢ ♢ ♢
佐竹義昭の居城、太田城の評定の間は緊迫した空気が張りつめていた。至急と集められた家臣や国人は落ち着きなく小声で雑談している。今回の招集の理由が全く判らないのが原因である。その様子を見て義昭は歯噛みする。
小田氏治の支援を得て領内の凶作を何とか凌ぎ、そして分裂しかけていた家臣団の統制をようやく取り戻したところで江戸家と岩城家が戦の準備をしているとの報が入って来た。しかも、それを伝えたのは同盟者の小田氏治なのである。
義昭からすれば貴重な報を得られた事に感謝の気持ちがあるが、同時に何故?という思いが強い。何故、小田殿はこのように速く他国の様子を知ることが出来たのだろうか?まさか常時乱破を放っているとでもいうのだろうか?疑問は尽きないが今は小田殿の好意を受け取ろうと、義昭は頭を切り替えた。
義昭が氏治からもたらされた報告を開示すると、集まった諸将は一様に顔色を変えた。岩城家が北から、江戸家が南から攻め込んで来ると言うのである。さすがの佐竹家でも敵軍を同時に相手にする事は出来なかった。義昭は騒めく諸将を黙らせると口を開いた。
「氏治殿が知らせてくれたお陰で不意を突かれる心配は無くなった。だが、これにどう当たるか決めねばならない。皆の意見を聞かせて欲しい」
義昭の言葉を受けて小田野義正が口を開いた。
「某が考えますに、まずは小田様に援軍を求める事が肝要かと存じます。然る後にどう当たるか決めねばなりますまい」
「氏治殿の書状には軍勢の支度はなされたそうだ。そしてどう動けば良いのか指示を求めておられる。だから直ぐに決めて待たせている使者殿に託さねばならないのだ」
義昭の言葉に諸将は感嘆の声を上げた。将の一人が声を上げる。
「敵の知らせをくだされた上に、軍勢まで既に整えられたとは、まるで当家を小田様がお守り下されている様で御座いますな!」
その言葉に他の将も同意する。義昭にしてもそうだった。いくら同盟国とはいえ、ここまでしてくれるものなのか?驚くべきなのか感謝すべきなのか。普通は自軍が痛まない様に振舞うのである。だが氏治は知らせをくれたばかりか、義昭の指示に従うとまで言っているのだ。
義昭が呪いに苦しんでいる時には手を差し伸べてくれ、民が凶作に苦しんでいれば米を与えてくれた。そして此度は佐竹家の危機に兵を自ら出そうとしている。
義昭は目を閉じて氏治の姿を思い浮かべた。吉祥天の生まれ代わりと呼ばれるあの美しい当主は、いつも自分を救ってくれる。義昭は自分も氏治殿の同盟者として、相応しい存在にならねばと心に誓った。




