第四話 堺へ その1
立ち合いの後の帰り道、私は政貞に自分の腕力について説明した。六歳の頃に発現した事や稽古を通じて久幹が協力してくれた事、騒がれても面倒だから秘密にして欲しい事も伝えた。
が、政貞から怒涛の質問攻めに遭う。物凄く興奮していて途中から相手にするのをやめた。それでもぶつぶつと大きい独り言で「あのような強さは見たことがない」とか「もしや神仏のご加護があるのやも?」とか言って中々あっちの世界から帰ってこなかった。
坂東武者は武勇が全てみたいな所があるから分からなくもないけど、私的にはどうでもいい。一個人の力なんて大勢の前には無力だし、幾ら力が強くても弓や鉄砲が当たれば私は普通に死ぬのである。使い手が私では集団戦においては死にスキルになるだろう。それに私は大勢で遠くから一方的に攻撃する主義である。何より、私は人を殺せない。
「若殿!」
「なに?もう質問はやめてよね。私は政貞がそんなにしつこい質だと思っていなかったよ。菅谷の名が泣くよ?」
私はそう言ったけど、政貞は微塵も聞いていない感じである。
「やはり鬼氏治と呼ぶのが良いかと思うので御座います!」
「次にそれを言ったら縁切りね。それと勝貞に政貞は使い物にならないって言い付ける。それに秘密だと言ったでしょ!」
「!!!」
私が母親のように叱りつけると今度は眉を下げてションボリしてる。なんかこの人初めて会った時と比べると随分印象が変わった気がする。肩を落とした政貞を引き連れ、私は帰宅したのであった。
翌日、堺行きの打ち合わせである。
旅の支度もそうだけど荷物の運搬があるから供も必要になる。私も女子であるからには世話をしてくれる者も必要だし、それなりの供を連れて行かないと格好も付かない。路銀も多く持って行く。道中何があるか判らないしあって困る事も無いだろう。
「家臣からは平塚四郎と沼尻又五郎を連れて行くよ、それから荷運びの小者を二人、侍女からは若くて丈夫な者を二人選んで欲しい」
「若殿、四郎と又五郎だけでは少々不安で御座います。某も同行致しますが宜しいですか?」
あれだけ堺行きに反対していた政貞も観念したのか協力的だ。良い事である。
「うーん、政貞に来て欲しいのは山々なんだけど、此度は留守を頼みたいかな、城に決裁出来る人がいないのは不味いよね?」
「ですが、護衛は必要で御座います。若殿の武勇を疑っては居りませぬが万一が御座います」
「それなら久幹が来るから大丈夫でしょ?」
「久幹殿で御座いますか?」
「昨日話をしたの聞いてなかったの?政貞も居たでしょ?」
昨日、政貞が呆けている間に堺行きの話をしたら自分も行くと言い出したのだ。私としては心強いし気心も知れているので問題は無いけど、彼のフットワークの軽さにちょっと驚いた。久幹は真壁の領主なのである。
「そっ、そうで御座いましたな」
気まずそうにして冷めた白湯を仰ぐように飲んでいる。聞いてなかったらしい。
「では、そのように手配してくれるかな?あと、口止めも忘れない事。政貞が心配にならないように先々で文を書いて送るからね」
「くれぐれも御身大事に。水が変わると腹を壊しますし、食事も気をつけねばいけません。天気が悪い時はすぐに宿を取るよう、濡れては風邪を引きます故。それから……」
「ハイハイ、大丈夫だよ。久幹もいるし心配し過ぎ。私は支度があるからもう行くからね。父上に露見しないようにお願いね」
まったく、お母さんですか!私は話を打ち切り部屋を後にした。出発までに旅装は勿論、他にもやる事があるのだ。それにしても堺が楽しみで仕方がない。歴オタの血が騒ぐよね。
♢ ♢ ♢
十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」では、弥次郎兵衛、喜多八の二人は江戸から四日市まで徒歩で十二日かかっている。車、電車、飛行機が存在しない戦国時代での移動は徒歩が基本である。
これが現代なら電車、バスなら五、六時間。飛行機なら三十分だ。そう考えると日本の生活がいかに恵まれていたか分かるというものである。私も戦国時代に転生するまではその有難さを理解していなかった。日本を豊かな国に育ててくれた先人には頭が下がる思いである。
旅といえば私もあちこち城巡りの旅を楽しんだものだけど、それは今は昔になるのだろうか?転生した人に聞いてみたい。いたらいたで大変そうだと思う。現代知識で天下取りとか企みそうな気がする。いないよね?
旅のメンバーは喜色満面だった。この時代では旅行に行くのはとても贅沢な事だから仕方ないだろう。喜んでくれて私も嬉しいし。久幹にしてもそうだ。普段落ち着き払っている彼だがどことなく浮ついてるように感じた。彼が居れば道中も心強い。私はこの旅ではなるべく急ぎたいから船を多用する予定だ。基本お忍びだし帰ってからやらないといけない事が多々出来る予定だからだ。椎茸資金が火を噴く予定である。私はこの旅の一切を無駄にしない予定なのだ。
私たちは土浦の港に来ている。ここから船で出発する事になる。なのだけど、政貞の心配トークが長くて出発出来ないでいた。
「久幹殿、くれぐれも若殿をお願い致します。四郎、又五郎、お前達もしっかり若殿をお守りするのだ!これは戦と心得よ!お前たちは若殿の盾となり死ぬのだ!良いな!」
無茶を言う。四郎と又五郎が気の毒である。気持ちは分かるけど小さい子供じゃないんだから、あっ、少女だった。余りに話が長いので私は政貞を止めに掛かった。
「政貞、いいかげんにしなさい。いつまで経っても出発出来ないでしょう。余り駄々を捏ねていると皆に嫌われるよ?」
「はっ、ですが某は心配で御座います。やはり某も同行するべきかと?」
「ハイハイ、皆船に乗って、政貞、父上には露見しないようにね。もし露見したら私のせいにしていいから切腹しちゃダメだよ?お役目もあるんだからね?」
私はそう言うと皆を促し船に乗り込んだ。旅の始まりである。
「永禄六年北国下り遣足帳」という資料がある。永禄六年に京都の醍醐寺から北国に向かって旅立った僧侶の一年に渡る旅の記録だ。一般人の旅が盛んになるのは江戸時代に入って幕府が街道を整備してから、と思われがちだけど、「永禄六年北国下り遣足帳」によると中世の段階である程度の旅行システムが出来ていたと考えられているのだ。
で、よくよく考えたら土浦にも旅籠があったのを思い出した。地元で利用する機会も全く無いから忘れていた。無駄に宿の心配をして損をした気分である。私達は最初の目的地、春日部宿に入り、なるべく清潔そうな旅籠で草鞋を脱いだ。それぞれが腰を落ち着けたのを見計らって皆を集めてお小遣いを配る、勿論、久幹には無いよ?だって殿様でしょ?私は皆にこの旅では大いに楽しんで貰いたいのだ。現代人の感覚が抜けきれない私は自分だけが良い物を食べたりするのに物凄い抵抗があった。
現代においては戦国時代は下克上の世であり、才能や運に恵まれれば誰でも栄達出来るみたいに考えられがちだけど、実際は血統がものを言う世界である。絶対的な身分社会である。私は別に平等主義者ではない、TPOも弁えてるつもりだ。でも、他の目が無い所では出来るだけ皆と同じにしたいのだ。だから部屋も食事も旅の間は平等にするつもりである。皆が嬉しそうにしている所に一つだけ釘を刺すのも忘れない。
「四郎に又五郎、いかがわしい場所で使うのは禁止だからね。もし行ったら私に近付かないでね、魂が穢れるから」
この時代の若い男子のお金の使い道なんて知れてるよね。ふと見ると久幹が目を逸らした。貴方もですか!二人は「その様な事は致しません!」とか顔を真っ赤にして言っていたけど、皆に笑われていた。私を含めて三人も可愛い女の子がいるのだから不潔な事は許さないのである。その日は旅の初日という事もあって皆で遅くまで話をして過ごした。
それから私たちの旅は順調に進んだ。スリに遭ったり、野盗に襲われたりなどのバッドイベントも無かった。道中での買い食いはとても楽しく、地域ごとの味覚を堪能したりした。心配していた関所の通過も特に何事もなく通行できた。ただ、関所の数が異常に多いのには辟易した。大名や国人、寺社の収入源なのは知っているけど、ここまで乱立しているとは思っていなかったのだ。
織田信長が関所を撤廃した気持ちを理解出来た気がする。こんな状態で商人が来る訳ないよね。通行する度に税金を取られていたら利益が無くなってしまう。だから水運が発達する。納得した。けど、水運の利権もあった筈だからどうなのだろう?菅谷も水利権を持っているから後で聞いてみよう。物流という概念がある人にはあるんだろうけど、きっと少数だと思われる。ポツリと関所を無くしても周りで乱立していたら意味無いし。大大名じゃないと意味が無いと思う。関所撤廃は簡単ではない。寺社勢力が絡んでるから弱小の小田家ではまず不可能だろう。小田家は寺社とも仲が良い。でも、いずれは時代の流れで決別する時が来るかも知れない。
ドキドキしながら北条領を横切りつつ、箱根を越えたときは心底ホッとした。上杉朝定を助けた事が、どこでどう伝わっているか分かったものではないのだ。ちなみに扇谷上杉家はまだ存続している。頑張って欲しいものだ。私達の盾として。そして私達は駿府の街に入ったのだ。
駿府の街は今川氏の城下町として有名である。今川氏は京の都を模して駿府の街造りを行い、「東国の京」または「東国の都」と呼ばれ、戦国時代の三大文化の一つとして今川文化が栄えたのは有名である。さすがに土浦の街とは大違いである。私も見るものが珍しくおのぼりさん丸出しになってしまった。現代人なのに恥ずかしいけど仕方がないと思う。小田領は田舎過ぎるのだ。
私達は旅籠に入り、草鞋を脱いだ。一息付くと四郎と又五郎は見物に出かけてしまった。君達私の護衛なのを忘れてるね。政貞に死ねとか言われてなかった?
ここからは船を乗り継いで津島まで行くつもりである。今回の私の旅は椎茸を売るだけではないのだ。売るだけなら商人に任せればいい、政貞の言う通りなんだよね。私は久幹に秘めていた今後の予定を相談した。
「伊賀で御座いますか?」
「うん。津島で上陸して伊賀に行くつもり、政貞には言えなかったんだけどね。絶対反対するし」
「伊賀という事は乱破が欲しいので御座いますか?ですが、乱破なら坂東でも雇えるでしょう?」
「雇うは雇うんだけど家臣にしたいんだよ。私だけの乱破が欲しい。結城家では乱破を多く雇っていると聞いてるし小田家では聞いた事が無いんだよね?」
「ですが、直ぐに戦がある訳でも御座いませんし、必要な時に雇えば済む話だと考えますが?それに乱破を家臣にするなど聞いた事が御座いません」
この時代はそうなのである。現代で言うところの忍者は忍び、乱破、素破、草などと呼ばれ、伊賀衆・甲賀衆のような土豪集団もあれば、乱波・透破のようなただのゴロツキ集団もある。戦には足軽として参加し、夜討ち朝駆けといった撹乱を得意にしている。主に金銭で雇われ、特定の主は持たないのも特徴である。例外もあるけど、風魔とか?そして武士からも蔑まれている。久幹の反応もこの時代では常識的なものだ。
「久幹、私も乱破がどういうものかは知っているよ。でも武家は彼等を蔑むけど、彼等の力が必要だから雇っているのも事実だよ。彼等にはそれだけの価値があるんだよ」
「確かに仰る通りでは御座いますが、禄を払い続ける価値があるかと言えば某には無いと思われます。銭は大切で御座います」
「ある!例えば今、小田家と敵対しているのは結城家だけど、敵が攻め込んで来てから兵を集めていたらどうしても遅れを取る事になるよね?そして兵を集めている間に乱取りが始まるんだよ。事前に乱破を仕込んでおけば敵の動きは判るんだから戦の準備だって事前に出来る。とても重要な事だと思うよ?」
「まぁ、確かに」
「それに敵の様子を常に掴んでいれば憶測や噂に振り回されなくて済むし、戦にだって活躍してくれる。問題は忠義を尽くしてくれるかなんだけど、これは家臣にしてみないと判らないけどね」
この時代には情報という言葉すら無い。現代において情報の重要性は常識だけど、この時代ではそうでもない。武田の歩き巫女や北条の風魔衆など優秀な大名家では積極的に活用しているのだ。久幹が考え込んでいる。私に最も理解があるのが彼だ。彼が反対するようだと誰も認めてくれないだろう。諦めないといけないかも知れない。でも欲しいな乱破。
「他には?他には何か御座いますか?」
むっ、これは脈ありかな?
「あるよ、大きいのが二つ、小さいのが幾つか、ただし絶対秘密だけど聞く?」
「伺いましょう」
私は久幹に説明を始めた。表情があまり変わらないから伝わっているのか少し不安になった。彼は腕を組み黙考していたがやがて口を開いた。
「恐ろしい事を考えますな……。もし、自分がやられたと考えると……。ですがそれを今の小田家で出来るので御座いますか?」
「これから出来るようにするんだよ。そのためにも良い乱破?を家臣にしないと絵に描いた餅になるんだけどね」
「承知致しました、某も見てみたくなりました。お守り致しますので伊賀に行きましょう」
「さすが久幹!話が解るね!」
「御屋形様への御説明は若殿が致すのですぞ?某が唆したと思われては困りますからな」
「うっ、分かっているよ。そこまで面倒は掛けないよ」
「しかし、雇うと申されましたが当てはあるので御座いますか?総当たりに尋ねる訳にも行かぬで御座いましょうし?」
「旅に出る前に文を送っているから大丈夫だと思う」
あれ?なんか忘れているような?
「あっ!政貞に文を書くの忘れてた!」
その夜、政貞に文を書いた。謝罪の言葉もたっぷり添えたんだけど怒ってるんだろうな。こうして私達は伊賀に向かうことになった。リアル忍者に会えるのである。