第三十八話 海老ケ島合戦その後
海老ケ島での合戦は小田家の大勝利で幕を閉じた。それもまさかの、味方の死者がゼロというおまけ付きである。馬防柵から一歩も出ずに鉄砲と弓矢で敵に対応した結果だけど、矢戦と追撃しかしてないから、被害らしい被害が出なかったのかもしれない。皆が無事で本当に良かった。
結城勢は四百名近い死者を出したようだ。軍の一割近い損害に加えて、貴重な射手を失った結城家のダメージは相当大きいと思う。更に百地に城を焼かれて経済的なダメージも受けている。百地からの報告だと城は全焼で、蔵から屋敷まで悉く燃えたそうだ。百地の忍びの技とファイヤーピストンの合わせ技が、効果を発揮した形だ。城の再建には莫大な費用が掛かるから、結城も暫くは大人しくしていると思う。
戦後の首実検を私はしなかった。皆の手柄を私が確認しないといけないのは分かっているけど、どうしても出来なかった。私は諸将を集めて頭を下げて謝った。皆は快く許してくれて、私の代理で小田の一門と勝貞が取り仕切ってくれた。
小田城の評定の間で行われた論功行賞は、情報を集めて結城の軍勢の動きを知らせてくれた事と、結城の城を焼き払った事で百地丹波を勲功第一とした。次いで私の代わりに采配を振るってくれた菅谷勝貞を第二とし、新兵器である鉄砲で敵を混乱させ大勢の敵を討ち取った桔梗と政貞、雪を第三とした。
鉄砲の威力を間近で見た小田家の諸将は鉄砲衆が評価を得た事について異論を挟む人はいなかった。むしろ鉄砲を知らない人が多くて、今回の戦で鉄砲の威力を見たせいか情報を欲しがり、また鉄砲を欲しがる人が多かった。
戦後の酒宴の席ではその質問が多くて困ったものだ。桔梗と政貞、雪も同様で皆から質問攻めにあっていた。鉄砲の増産は急がないといけないかも知れない。
「恐れながら申し上げたき儀が御座います」
評定の間で論功が終わって一息付くと、珍しく百地から声が上がった。私が許可をすると百地は私の前に座り平伏してから口を開いた。居並ぶ諸将も何事かと興味の視線を注いだ。
「結城家から土産が届いて居りますので、お受け取り頂けますよう」
百地はそう言うと「桔梗」と声を掛けて、それを聞いた桔梗は評定の間から足早に出て行った。一体何だろう?と小首を傾げる私と、居並ぶ諸将は百地の真意を測りかねていた。暫くすると鷹丸を先頭にして、百地の忍びが続々と入って来た。それぞれの手には金銀を入れる箱があって、重そうにしながら評定の間に運び入れた。
私の前にどんどん積み重なる箱は六十近くになった。そして次は太刀や鎧櫃が持ち込まれて、山積みになった箱の横に並べられた。
「百地、これはどうしたの?」
私の質問に百地は小さく口角を上げた。
「結城の城が燃えた際に金銀財宝が運び出されたので御座いますが、それを頂戴して参りました。これら全てを若殿に献上致します。どうぞお受け取り頂けますよう」
百地の言葉が終わると後ろに控えた鷹丸達が、箱の蓋を開けて私に示した。中にはぎっしり金塊が入っていた。さすがの私もびっくりした。これが全部金銀だとすると物凄い金額になる筈だ。私は立ち上がって箱に近付き検分した。幾つかの箱を鷹丸が開けてくれて見たけれど、金と銀がぎっしり詰まっていた。
「これは凄いね、結城家は軍資金も無くなったって事だよね?」
「左様で御座いますな。暫くは何も出来ますまい」
居並ぶ諸将が興味深々でこちらを見ていた。私は皆に手招きして言った。
「皆、こっちへ来て見るといいよ!すごいお宝だよ!」
私の言葉に諸将は続々と集まって来た。皆は金銀を見て口々に驚きの言葉を発していた。お金にうるさい政貞の目付きが凄かった。常にお小遣いが不足しているであろう手塚は、金銀を見てから私に目で訴えて来たけど、そういうのは雪にして欲しい。
そして皆の声は、次第に百地を賞賛する言葉に変わって行った。一通り鑑賞するように確認してから各々が席に戻ると、私は百地に言った。
「百地、此度の戦は大手柄ばかりだね。私が全部貰うのは気が引けるのだけど?」
「その様な事は御座いません。我ら一党は若殿に返しきれない程のご恩を受けました。どうぞお納め頂きますよう」
百地の気持ちがとても嬉しかった。私の都合で常陸に来てもらったのに、彼は恩だと言ってくれる。私は立ち上がって金がぎっしり詰まった箱を百地の前に置いた。
「貰った私が言うのは変だけど、その金は褒美として百地に与えます。本当にご苦労様」
大勝利と百地からのサプライズもあって評定はとても賑やかだった。評定が終わるとリバーシ大会が始まったので私はお酒とつまみを用意する事になった。ちなみに私に許可を得る素振りは全くない。別にいいけど。
それから暫くは政務に忙殺される事になった。皆の論功に加えて死者がゼロとは言っても、怪我人は出たから見舞い金を支給したり、戦の前に避難してもらった村民に損害の補償をしたり、と忙しかった。百地が奪ってきた金銀のお陰でお金に困る事はなかった。むしろ国庫が充実して、今後の内政に遠慮なく資金を投入できるのである。
多賀谷から奪った下妻、大宝、関は菅谷の一族をそれぞれの城代に任命して守ってもらう事にした。この三城は私の直轄地になり、小田宗家の所領が増える事となった。乱暴狼藉を禁じたのと私の吉祥天の噂もあって、民は喜んでいると報告があった。戦後の統治に苦労が無さそうなのでホッとした。
結城との戦の噂が届いたのか佐竹殿から祝いの使者がやって来た。一兵も損なわずの完全勝利は他国をも驚かせたようだ。他にも土岐家、大掾家、上杉家からも使者が来て話を請われた。鉄砲の事は誰も聞いて来なかった、どうも神のご加護で結城の兵を倒したように伝わっているらしい。鉄砲の存在を知られないのはいいかも知れないけど、私的には複雑だった。
私が政務から解放されたのは五月になってからだった。家督を継いだけど平時は別に忙しい訳ではない。私は戦の後始末をしながら家臣に仕事を割り振った。なるべく皆で回せるようにした方が効率がいいし、人も育つと考えたからだ。ただ寺社や国衆や家臣との付き合いは別で、行事に参加する事が多くなった。父上が健在なので教えを乞えるのでなんとかなっている。そして苦手な寺社は代理で対応してもらっている。使える者は親でも使えである。
そして今日は久しぶりに見回り外出で、お供には百地と桔梗を連れている。最近の桔梗は袴を着用していて私と似たような服装にしている。私も十五になって女らしくなったけど、桔梗の美貌に勝てる筈もなく見劣りする形である。別にいいんだけど。
遠くに下妻城が見えて来た。下妻城は水城で島のような曲輪が連結されているように見える。西は広大な砂沼が広がっていて船でもないと渡れない。東も大宝沼があって同様だ。大宝沼の向こう側には大宝城が霞んで見える。そして城下町を丸抱えにしていて、とても広大で堅固な城である。
私は前世で下妻城に訪れている。多賀谷城と地元では呼ばれていて、私が見たのは城址公園になっている石碑のみである。徳川政権による埋め立てや河川の変更で、現代は普通に陸地になっているけど、この時代は香取の海に繋がる広大な沼地が、あちこちに広がっている。だから城はその地形を利用していて、堅固なものが多い。そして下妻城は多賀谷家が力を入れて改修した、広大な城である。正直、降伏してくれて助かった形だ。尤も、兵力差がありすぎて守れる筈もないのだけど。
「面白い城ですな、海老ケ島もそうで御座いますが、まるで島が連なっている様で御座います」
百地は興味深そうに遠くの城を見ている。
「この城を無傷で獲れたのは大きいよ。多賀谷は取り返すつもりだろうけど、私にはそのつもりはないし」
「この城をどうされるので御座いますか?」
私は遠くに下妻城を眺めながら言った。
「下妻と大宝の城は最優先で城の改修をするつもり。百地に頼んだ穴太衆が来てくれたら、下妻城を改修するつもりだよ。銭の心配もないしね」
「土塁を石積みして城を囲うと申されて居りましたな。そのような城は見た事が御座いませんが。それに某は小田の城をそう致すのかと思って居りましたが、下妻の城に致すとは思って居りませんでした」
「百地は五畿に詳しいから知っていると思うけど、寺社では石積みの塀は珍しくはないでしょ?元寇のときに作られた石築地みたいなものだよ。その上に塀を掛けて、屋根は全部瓦にするつもりだよ」
「それは随分と銭が掛かりそうですな」
「百地のお陰だね。結城と多賀谷が知ったら怒るだろうね。返さないけど」
石垣の城は信長の小牧山城や、六角家の観音寺城が先ぶれとして有名だけど、関東では金山城が随分昔から、石垣普請の城として存在している。小田原城ですら総石垣になるのは徳川時代になってからである。
私も石垣の城は考えていたけど、資金の面から断念していた。結城の軍資金を手に入れたので手を出す事にしたのだ。結城家は埋蔵金伝説が後世に残る程の資産家である。まさか、百地がパクって来た金銀がそれじゃないよね?




