表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/177

第三十七話 海老ケ島合戦

天文十七年(一五四八年)三月五日。


 結城政勝は四千五百の軍勢を率いて家督を継いだばかりの小田氏治の領地に進軍した。途中にある下妻城主、多賀谷朝経は結城政勝に同調し小田家から離反し結城家の軍勢に加勢した。


 結城政勝は秘密裏に軍備を進めてからの挙兵であり、この進軍も小田家にとっては奇襲になる、、、。筈だった。


 結城勢がいざ小田領に侵入すると村々はもぬけの殻であり、麦の一粒も略奪することが出来なかった。不審に思い飛ばした物見の報告によると、すぐ先の海老ケ島に陣を張って待ち構えているという。奇襲によって一城を奪い、そこを根城にして小田家の動揺を誘う計画は、早くも破綻した。


 麦の一粒も奪わずに撤退も出来ない。小田政治は新年早々に病に倒れたと聞いている。相手はただの小娘、生意気にも待ち構えているというのなら、一合戦して追い散らしてやらんと息を上げて進軍し、小田の備えに対して陣を敷いた。


 結城政勝は、人馬の喧騒を耳に煩く感じながら舌打ちをした。自らの目論見が外れ、奇襲とならなかった事が腹立たしかった。出発する際に、諸将に殊更奇襲を吹聴した自分の面目が潰れた形だ。


 「政治が倒れたと聞いたときは天が小田家を見放したと笑っておったが、小娘風情がこんなにも早く軍勢を集めるとは忌々しい事だ。」


 政勝は陣幕の中で床几に座り、不機嫌さを隠さずに酒を煽る。居並ぶ家臣や国人は政勝の不機嫌さに同調するように、口々に氏治を罵る言葉を口にしている者もいれば、政勝の顔色を伺いながら、機嫌を取ろうと言葉を発する者もいた。


 「偶然なのかは分かりませぬが、正面決戦が出来るなら未だにこちらが有利で御座います。采配は菅谷が握るので御座いましょうが、小田の家中は動揺しているとの噂も御座います。旗色が悪くなれば味方する者も居りましょう」


 水谷正村は獰猛な笑みを浮かべながら語る。


 「敵方はどうやら馬防柵を組み守りを固めて居るようです。あのような気弱では陣を崩すのは容易いかと思われます」


 将の一人である山川政貞の発言に、他の者も沸きたった。こちらの士気は十分高い事を確認し、政勝は居並ぶ諸将を見渡すようにして口を開いた。


 「明日、早朝に堂々の決戦を致し、小田の小娘の軍勢を追い散らし、海老ケ島を獲る。各々そう心得よ!」


 そうして諸将はそれぞれの持ち場に帰って行った。政勝はそれを満足そうに見やりながら杯を再び傾けた。


 ♢ ♢ ♢


 結城勢の布陣に小田の軍中は騒がしくしながらもよく秩序を保っていた。そしてその士気は大いに高かった。家臣は当然として町民や村人までが小田家の家臣のようなものである。桔梗によって吉祥天の生まれ変わりという巨大な十字架を背負わされた私だけど、それは家臣と領民の支持が異常に高くなるという結果をもたらした。これでは桔梗を怒りたくても怒れない、どうしよう、、、。


 私の居る本陣では小田家の諸将が集まり、穏やかに歓談していた。その表情には危機感も気負いも見られなかった。なんだかいつも通りである。陣のあちこちには吉祥天と書かれた旗がなびいていて、私の視界に入る度に私の心を削って行く。そして本陣には大吉祥天の大旗が飾る様に置かれている。もう逃げられない気がする。


 「若殿、結城が陣を敷き終わったように御座います。如何なされますか?」


 久幹はとても爽やかな顔をしている。普段は見る事のない彼の甲冑姿は堂々とした体躯に良く似合っていた。傍らに置いてある金砕棒が凶悪すぎる。結城の兵に早く逃げてと言ってあげたい。


 「どうせ戦は明日になるのでしょう?ならばこちらもゆるりとしているといいよ。夜襲も警戒しているから不覚を取ることも無いと思うけど?」


 私がそう言うと勝貞が少し顔を顰めながら口を開いた。


 「それはそうで御座いますが、今少し緊張感を持たれてはと思います。それに具足も付けられないとは感心致しません」


 「皆が守ってくれるから私は何の心配もしていないよ。皆、そうだよね?」


 私は居並ぶ諸将に笑顔で問い掛けた。そうすると皆が破顔し、口々に力強い言葉を発していた。内心ではどきどきしているけど余裕を見せる演出も戦のうちだと信じているし、鎧を付けるのが面倒なのはナイショだ。それにしても私の吉祥天様の噂のせいだろうか、異常に士気が高い。私の一番の仕事は皆を抑える事かもしれない。


 「もう一度確認するよ。乱暴狼藉の類は悉く禁止する。もし破ればそれが重臣や国人であっても私は容赦しない」


 「若殿は勝った後の事ばかり気にされます。この赤松凝淵斉、仰せとあらば必ずや従います。なぁ!皆!」


 赤松の言葉に皆が同意を示した。そしてそれに飯塚が続く。


 「若殿の軍は吉祥天様の軍に等しい!その軍が狼藉を働いては天下に示しが付きませぬ、雑兵に至る悉くに周知致して居りますのでご安心下さい」


 私は飯塚の言葉に頷いた。でもそういうのは止めて欲しい、宗教って本当に怖い。このまま祭り上げられ続けるのだけは回避しないといけない。結城よりも身内の攻撃の方が痛いとか勘弁して欲しい。


 暫くの間は皆で雑談したりしてから、軍議は一時解散となった。陣幕の端っこでリバーシを打っていた手塚が気になったけど、まあいいや。


 翌早朝、ついに合戦が始まった。私は高台に設置した本陣からその様子を眺めていた。この時代の合戦は矢の撃ち合いや石の投げ合いで始まる。今日の戦もそうして始まった。


 私は桔梗の備えを見ていた。馬防柵の内側に鉄砲衆が並んでいる。そしてそこには「毘」と墨書された大旗が風になびいている。今日は朝から天気もいい、乾燥もしているし鉄砲を使うには条件がいい。他の兵に比べて明らかに小柄な桔梗の鉄砲衆だけど今日は大活躍してくれる筈だ。


 遠くを見ると敵の射手がぞろぞろと、小さい集団を作りながら近付いて来る。そしてそれに槍を持った足軽が続く。あの敵は全員が私の首を狙っていると思うと、少し怖くなった。そして結城勢を見て、軍配を肩にトントンと当てながら勝貞が口を開いた。


 「随分と繰り出して来ましたな、千は居ますな。様子も見ずに強気な事です」


 「それだけ私が侮られているんだよ、父上が健在なのも知らないだろうし、家中が揉めていると噂も振りまいたからね。陣を崩せば寝返りがあると思っているかもね」


 「愚かな事です。そうだとすれば、敵は我等を甘く見ている事になりますな。存分に痛い目をくれてやりましょう」


 勝貞と戦場を見ていると鉄砲の音が鳴り響いた。鉄砲衆の射程圏に入ったようだ。布陣を終えた政貞、桔梗、雪には鉄砲の射程が分かる様に、原野のあちこちに印を付けさせてある。焦って撃つ人も出るだろうから、念のために手を打った形だ。


 断続的に鳴り響く鉄砲の音を聞きながら遠くを見ると、既に倒れ伏す兵が何人も見て取れた。弓の射程外からの攻撃は予想出来ていなかったようだ。


 「これは、、、。分かっては居りましたが大したものですな」


 勝貞が腕を組み唸っている。その視線の先では敵兵の戸惑いも見て取れた。


 「いずれ千丁持てれば守りに苦労する事は無くなると思う。百丁でこれだからね。鉄砲は鍛冶場の規模を大きくしてもっと沢山作った方がいいかもね」


 敵は何をされているのかも分からないのだろう。それでも前進を止めないのは、指揮官も鉄砲を知らないから判断が出来ないのだろう、と考えた。この時期の関東に鉄砲が入ってきているかは判らないけど、あの様子を見ると知らなそうだ。


 やがて矢戦が始まった。こちらは弓を使える者は全員前線に配置してある。沢山の矢が敵に降り注いだ。敵の射手がバタバタ倒れ、それを乗り越える様に突撃して来る足軽も、同じような運命を辿った。


 さらにそこに鉄砲が加わるのである。遠距離での撃ち合いで結城が勝てる道理はない。どんどん増えて行く敵方の死体に胸を痛めながら、私は見守り続けた。


 「敵の将が落馬しましたな」


 勝貞が指差す方向に視線を動かすと、確かにそうだった。今はその馬も倒れている。そうしていると百地が本陣にやって来た。いつもと違い目をギラギラさせていた。そして彼は跪き口を開いた。


 「若殿、結城の城、曲輪の悉くに火を掛けまして御座います。この目で確かめて参りました、あの火勢では消すことも叶わないでしょう。半刻もしない内に敵方にも知れると存じます」


 「なんと!」


 勝貞はバシッと軍配を足に打ち付けた。私は百地に歩み寄りその手を取った。


 「百地ありがとう!これでもうこの戦は勝ちだよ!」


 私は百地を立ち上がらせると勝貞に向き直った。


 「勝貞!敵が引いたら追い討ちを掛ける!手筈通りお願いね!」


 ♢ ♢ ♢


 結城政勝はイライラしながら戦況を見守っていた。そして同時に湧き出た疑問に答えが出せずにいた。弓が届かない距離にも関わらず兵が死ぬのである。物見の報告も要領を得ず、聞いた事が無い音がすると兵が倒れた、と口々に言うのである。一体何が起こっているのか見当も付かなかった。


 政勝は腕を組んで様子を伺う。やがて矢戦が始まるが、味方の兵がバタバタと倒れて行く。小田勢の弓矢が嫌に多い。そして見晴らしのいい原野に、結城の兵だけが屍を晒していた。


 この時代の射手は貴重な存在である。弓は訓練を積んだ者でないと使い物にならない。それが手も足も出ずに倒れ伏すのだ。そして続く足軽も次々に矢の餌食になる。現場の混乱も政勝は見て取れた。


 「及川光村殿、討ち死にで御座います!」


 「なんだと!」


 戦が始まって半刻も経っていないのである。結城方の将の討ち死には陣に居残る将も動揺した。信じられぬと口々に言う。そうしていると本陣に再び伝令が飛び込んでくる。


 「申し上げます!結城の城、曲輪の全てが燃えて居ります!消火もままならない程で御座います!」


 「なにぃ!!」


 「ふざけた事を申すな!そのような事がある訳が無い!」


 怒りに顔を歪ませた政勝が兵ににじり寄る。その様子を見ても伝令の兵は恐れもせずに口を開いた。


 「ふざけてなど居りません!真で御座います!」


 兵の真剣な様子に政勝は身体の力が抜ける様であった。(家族は大丈夫なのか?曲輪が全部燃えているだと?金銀や兵糧も焼けるというのか?この者は謀っているのか?しかし、この者には見覚えがある、だがそんな事が有りうるのか?)政勝の頭の中をぐるぐると不吉な想像が駆け巡る。


 結城政勝も歴戦の将である。彼は戸惑いながらも今の戦況と城での火災、そして火災が本当であれば、今後の対応もしなくてはならないと考える。そしてチラリと戦場に目を向けると決断した。


 「兵を引かせよ!城が燃えては戦にならん!」


 政勝はそう叫んで床几を蹴飛ばした。


 ♢ ♢ ♢


 水谷正村は前線で指揮を執っていた。だがその顔にはいつもの猛禽類のような鋭さは消え失せ、ただただ戸惑いを漂わせていた。


 矢も来ないのに味方が倒れ血を吹き出す。敵陣からは聞いた事も無い音が響き、煙が大量に舞っている。ともかく弓の距離へと兵を叱咤し矢戦を始めたが敵の矢が嫌に多い、そしてあの音がなると味方がバタバタ倒れ伏すのである。一体何が起こっているのか解らない。


 貴重な射手が次々に死んでいくのを見て冷や汗をかく。そして預かった千の兵には脅えが見える。水谷正村は兵に突撃を指示した。だが敵勢の矢と謎の音で突撃した兵もすぐに足を止め、次々矢の餌食になるのである。


 敵は馬防柵から出るそぶりも見せない。このまま引いて一兵も討ち取れなくては面目が立たない。手を打ちあぐねている水谷正村の元に伝令が走り込む。


 「殿!及川光村殿、討ち死にで御座います!」


 「なんだと!」


 味方の将の戦死に水谷正村は顔色を変える。何も出来ないまま味方の将が討たれてしまった。歯噛みしながら突撃を再度命じた。だが、またしても弓とあの音で兵が足を止め逃げ惑う。(これでは戦にならない!)


 兵を叱咤しようと更に前線に馬を進めた。そして声を上げ兵を叱咤する。そのとき水谷正村の右腕に衝撃が走った。思わず槍を取り落とし、馬の背に前のめりに倒れ伏した。凄まじい激痛が走り、声も出せなかった。


 「殿!」


 口々に叫んだ家臣は水谷正村を馬ごと後方に連れ走った。そして馬から下ろすと怪我を調べようと右腕の着物を引き裂いた。そこからは夥しい血と腕に開いた丸い傷が目に入った。


 「これは呪いなのでは?」


 家臣の一人がポツリと呟いた。それを聞いた他の者が動揺する。水谷正村は身体を起こし激痛に顔を歪め自分の傷を見た。丸い穴から血が溢れている。そしてその腕は太く腫れて来ていた。とにかく血止めと腕を縛った。


 (これは矢傷ではない、一体何をされたのか?)水谷正村はもう兵の指揮どころではなかった。負った傷の内側で焼けているような痛みが続き、腕は丸太のように腫れあがる。そして血も止まらない。そこへ別の伝令が走り込んでくる。


 「水谷様!結城のお城が燃えて居ります。兵を引くよう御屋形様から下知で御座います!」


 「な、なんだと?」


 掠れたような声でそう言うと水谷正村は気を失った。


 ♢ ♢ ♢


 引き上げる結城勢の背中を追いかけるように、味方が総攻めに移った。遠目に久幹の旗印が目に入る。一番先頭を走っているようだ。イノシシの旗印は彼に良く似合っている。猪突猛進のイノシシだけど、当人である久幹は思慮深い人物だ。自分の性格と正反対の旗を掲げている久幹を見て、彼らしいと思った。


 鉄砲衆も菅谷と雪の軍勢と一纏めになり、移動を始めた。目的地は下妻城である。今回の戦では私は結城領に攻め入るつもりはない。結城の領土を獲ったところで、足利公方家に仲裁されるのに決まっているのだ。それに取ったら取ったで、北条家と千葉家が敵になるだけだ。だから今回は多賀谷のお城を貰うつもりである。


 勝貞には結城勢を追いつつ、下妻の城を囲むように命じてある。出来れば降伏して欲しいものだ。私の居る陣も慌ただしく、撤収の準備が進められている。そして私も移動を開始した。


 海老ケ島から下妻はとても近い。半刻も馬を走らせると、下妻城を包囲しつつある小田軍に合流出来た。私は勝貞に案内されて、新たに作られた本陣に腰を落ち着けた。


 暫くすると多賀谷から使者が来たと知らせがあった。随分早いなと思いながら私は使者と会う事にした。


 使者と対面した私は一方的に要求した。


 下妻、大宝、関の城を明け渡す事。

 城を明け渡せばこれ以上追い討ちはしない事。

 帰参は決して許可しない事。

 返答は一刻以内にする事。

 返答が無ければ直ちに城攻めを開始する事。

 

 以上を使者に伝え帰らせた。敵の要求は一切聞かないつもりである。蝙蝠外交に付き合う気はさらさらないのだ。


 「若殿にしては随分と手厳しいですな」


 勝貞は意外そうにしていた。私が歴史の知識で多賀谷を知っていたからこその判断なのである。


 「示しが付かないからね、それに多賀谷は降伏すると思うよ?駒舘と和歌が残るから結城をそそのかして取り返そうと考えるんじゃないかな?」


 「ですが、後が面倒ですな」


 「下妻、大宝、関は川が丁度いい境界になっているし、結城や水谷が攻めて来ても守り易い。だから城を獲ったら防御を固めて鉄砲を置けば早々抜けないよ。菅谷の一族に任せるから勝貞が大変かもね?」


 「それは大任ですな。政貞を扱き使うと致しましょうか」


 そうして私達は多賀谷の返答を待った。多賀谷は降伏勧告を受諾し、それぞれの城から去って行った。こうして私の最初の戦が終わったのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 各話の小見出しにくすりとさせられました。 [気になる点] 面白くなったところで1章完でお預け感が半端ないです。 [一言] 面白くで一気に読みました。 これから戦国の英傑たちとどんな係わり…
[一言] 自分も戦国時代ものを書こうかと思っていたので参考までに読ませていただきましたが大変面白かったです。私ではここまで面白くは書けないかも。 以前、真壁の町を訪れた事があり、皇室献上米だという山根…
[一言] これから面白くなると思っていたところの一旦終了ということで、とても残念ですが、是非続きを期待してお待ちしてます。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ