第三十五話 佐竹義昭の苦悩2
太田城にある私室で義昭は陰鬱な日々を送っていた。毎日のように起こる凶事に加え、不穏で不吉な噂や報告の数々、彼の精神は病みつつあった。唯一の望みは数日前に出した使者の返事だけである。
そして待ちに待った返事が返って来た。書状を受け取った義昭は、私室に飛び込むように入り戸を閉める。そして恐る恐る書を開き読み進める。
「来て下さるか!」
義昭は嬉しさの余り部屋をぐるぐると歩いた。そして戸を開け縁から空を見上げた。視界の端にチラリと映ったものを見るとカラスの死骸があった。
♢ ♢ ♢
私は勝貞、久幹、百地を連れて太田城の城下に入った。ここまでの道中では村に入る度に大騒ぎになった。私の吉祥天様の噂の為である。私は拝まれたり助けを求められたりで大変であった。そして城下でも同様だった。
城へ続く道の両端には人が並び、まるでお祭りの様である。その道を兵に守られた私が進み、後ろからは大量の荷駄が続く。大体この旗が悪いと思う。出がけに渡された大旗には「大吉祥天」と書かれている。皆で用意していたらしい。
旗印に神仏を祭るのは割と普通だけど、今回はこのせいもあって佐竹の民の反応が凄いのだ。
「このまま城が獲れそうですな。何やら勿体ない気がして参りました」
傍らで馬を歩ませる久幹が冗談めかして言った。
「獲ったら獲ったで大変だよ?領を纏めるのは大仕事になるし、謀反や東北の大名も警戒しないといけないよ?」
「そうで御座いますな、ですが若殿に野心があればそう難しくも無いでしょう」
獲るのは出来ると思う。それこそ本気になれば歴史をひっくり返すような勢力に、出来るかもしれない。でも私は無駄に殺し合うのが嫌なのだ。だから小田家は専守防衛にするつもりだ。
この時代は戦が好きでたまらない連中が大勢いる。殺しが楽しくて仕方のない連中も大勢いる。私もそうだけど現代の歴史好きが思う程、戦国時代にはロマンは無い。あるのは無秩序を言い訳にした犯罪だけだ。でもそれをしないと自分も生き残ることが出来ない。結局、力の無い私も流されるしかないのだ。情けないけど。
「私には小田の民だけで手一杯だよ」
そうして暫く進むと太田城に到着した。門には出迎えの人々が大勢いた。私達は丁重な扱いを受け太田城の広間に通された。初めて会う義昭殿と互いに挨拶をし座に就いた。
「この度は無理なお願いをお聞き入れ下さいまして、この佐竹義昭、感激致しております」
そう言って彼は頭を下げた。私は慌てて頭を上げて貰う。
「同盟国として当然の事です。先ずはこの目録をお受け取り下さい」
私は今回持ち込んだ物資の目録を渡した。義昭殿は一礼すると目録に目を通す。その手が微かに震えていた。
「この様な、この様なお心遣いを頂けるとは。それに他国にこれ程の援助を致すとは聞いた事がありません。なんとお礼を申し上げればよいのか、、、」
目を見開き私を見る義昭殿の唇が震えていた。計略の事は悪かったと思っている。でも民には関係ないし、この位は人道援助の範囲だと思う。ちなみに虫害は私のせいじゃないからね?
「困った時はお互い様です。これを機に我が小田家と佐竹家の絆が深まれば良い、と思っています。義昭殿は聞いた事が無いと仰りますが、これからはいつも致せば良いのです。小田家と佐竹家ならば、それが出来ると確信しております」
「なんと!」
義昭殿だけでなく、家臣の人達も衝撃を受けているようだ。この時代は相手が弱っていたら噛みつくだからね。百地をけし掛けたのは私なんだけど、、、。でも佐竹が南常陸に野心を持たないなら、真の友好国として振舞うつもりだ。
義昭殿は瞑想するかのように目を瞑り、暫くすると口を開いた。
「同盟は一時のものと思っておりました。いずれは矛を交えるとも。しかし、小田家にはそのような考えは無かったのですね。この義昭、恥じ入るばかりです。苦しい時に手を差し伸べてくれる者が真の友だと聞いています。小田家はそれをなさった、、、。この義昭、恥を承知でお願い申し上げます。今後も二心なくお付き合い下さいますよう、お願い申し上げます」
そうして義昭殿は頭を下げた。佐竹の家臣がざわついている。当然だと思う、余りにも赤裸々な心情の吐露だから。おおよそ戦国大名が口にしていい言葉ではない。私はまた彼の頭を上げさせた。
「義昭殿、私は来年家督を継ぐ事になりました。その私がお約束いたします、小田家は佐竹家と共にあると。ただ、私は他国を攻める戦が嫌いです。ですから他国に攻め込む戦には協力出来ないと思います。それを認めて頂けるなら私は義昭殿を決して裏切ることは無いでしょう。そして神仏に御誓いしましょう」
「氏治殿のお心、承りました。我が佐竹家は小田家との真の盟を誓いましょう」
どうしてこうなったのかは分からないけど、再同盟を結ぶ事になった。私がまた調子のいい事を言ったせいだとは思うけど、マッチポンプすぎて破裂しそうである。
その夜は宴会になった。私がワインを提供したら大反響だった。皆初めて見る赤いお酒とその味とグラスの美しさに感心していた。義昭殿が泣いていたのが気になったけど。
♢ ♢ ♢
小田氏治の訪問から二日目。佐竹義昭は目を覚ますと庭に出た。朝日が心地よく大きく伸びをする。小田氏治の訪問から凶事がピタリと収まった。門や庭に死骸がある事も無くなった、あれほど警戒していたにも関わらず毎日死骸が転がっていた今までが嘘のようであった。
「吉祥天様のご加護、あるのやもしれない」
思わず独り言ちた。このように気分が良いのは随分と久しぶりであった。あの美しい次期当主は本当に加護を受けているように感じられた。それに彼女からの援助は家を大いに助けるし、その言葉は真実だろう。でなければ同盟国とはいえこれ程の援助は考えられなかった。
先日は大名らしからぬ心情を吐露してしまった。だが義昭は後悔していなかった。むしろ真の同盟が結べた事を心から喜んでいた。言いたい者には言わせればいい。小田家に負けない豊かな国を造る、それが義昭の望みになっていた。
義昭は氏治とよく話をした。周りからは義昭が氏治に懸想したかのように映っただろう。だが当人はそれ所では無かった。氏治の教養と知識は義昭を大いに驚かせた。口から出るのは知らない事ばかりである。
そして話題も豊富で農業から職人、兵法、他国の大名との親交、堺の商人との交流など多岐に渡った。義昭は十八歳、対して氏治は十四歳である。余りの知識と見識の違いに驚嘆し、そして興味をそそられた。
「尾張の織田信長殿ですか?」
「はい、とても優秀なお方とお見受けしました。義昭殿も行かれることがあればお会いすると良いと思いますよ。その際には私が紹介状を記しましょう」
遠く離れた他国の大名の嫡男と親交があるなど想像の埒外であった。この若さでどれだけ行動力があるのか。
夢中で話をする義昭を見て勝貞が眉を顰めていた。
「義昭様には少々遠慮が足りないのではないのか」
小声でそう訴える勝貞に久幹は答える。
「尾張の信長様に若殿とお会いした事が御座いますが、まさにあの様でした。御心配は分かりますが」
「ふむ、若殿は随分と人を惹きつけなさる。だがご自身が女子である事を少しは考えて貰いたいものですな」
勝貞にとって氏治は主君であり可愛い孫のような存在である。若い男が近付くのが気に入らなかった。その心情を察している久幹は可笑しさを隠しながら諫めた。
「若殿は吉祥天様に祝言しないと願を掛けたそうです。余りご心配されませぬよう」
「むぅ、それはそれで問題だとは思いますが」
見知らぬ男に取られるよりはいいかと勝貞は自分を納得させた。それでも心配な勝貞は目を皿のようにして、義昭を見張るのであった。
義昭と氏治は起請文を交わし、より強固な同盟を誓約した。氏治は早く帰国したかったが、義昭にせがまれて四日間逗留する事になった。さすがに気疲れし辟易したので、勝貞にも手伝って貰いようやく帰国する事になった。
義昭は別れを惜しみ、次は自分が訪問すると氏治に約束した。そうして帰国の途についた訳だが、今度は帰りの道中の村々で引き留められた。氏治が吉祥天の加護を受けているという噂と氏治が到着した途端、佐竹家の呪いが無くなったという噂が民衆の信仰心に火を付けたのである。
帰国する氏治に加護を願う者が殺到し、氏治一行の後ろには行列が続く有様であった。そしてその行列は国境まで続き、さすがの氏治も観念したのか馬から降り民衆と対面した。
国境に集う民衆は千を超えていた。吉祥天を広めてくれた桔梗への仕返しを心に誓いながら、氏治は民衆を納得させるべく跪まづかせた。
千人の民衆が跪まづく様子は氏治を怯ませた。彼女自身は謙虚な人間であり目立つ事を嫌う性質である。それでも治めないと小田領に付いて来てしまっては佐竹に義理が立たないのである。
氏治は手を合わせ民衆に対するように祈りを捧げた。勿論フリである。本人は分不相応な行動に終始冷や汗をかいていたのは、言うまでもない。
そうしてからようやく帰国と相成った。




