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第三十一話 熊退治


 季節は春、時は朝、朝卯の刻!うん、ゴロが悪い。室町時代の時刻読みは詩文と相性が悪いようだ。春になり桜も既に散って暖かくなって来た。朝の白い陽の光と適度に冷たい風が頬に心地良い。この時期の遠乗りは楽しい。冷たい風が中和するから、大して汗をかく事もなく思いっきり馬を飛ばしても、あまり疲れない。


 この時代に生まれて良かった事の一つは馬に乗れる事だ。前世では三輪車、自転車、自動車とステップアップしながら乗ったけど、馬に乗った事は当然なかった。小さい頃に牧場のポニーに跨った位である。ちなみに私の愛馬の名は桜、雄である。綺麗な栗毛の馬で私のお気に入りだ。


 まだまだ原野の多い小田領を馬に駆けさせる。現代では馬を駆けさせる場所は決まっているけど、この時代はその様な決まりはない。だから野山を存分に駆けさせる事が出来る。現代ではこの爽快感は味わえないだろう。


 鞭を入れる。軽い私を乗せた桜は苦も無く速度を上げる。まさに風を切って走るのだ。そうして暫くすると宍倉の城が見えて来た。今日は百地と行動する予定である。ちなみに百地は知らない。


 宍倉の城に到着すると、すっかり顔見知りになった門番が笑顔で応じてくれる。


 「以蔵、今日は良い御日和だね!馬をお願いね」


 私は馬から降りると手綱を以蔵に預ける。


 「そうで御座いますね、若殿もお元気そうで何よりで御座います」


 以蔵は私から手綱を受け取り会釈した。


 私は門をくぐり抜けて三の溝、二の溝と抜けていく。抜けて行く度に百地の忍びが私の後ろに付き従うのだけど、ちょっと数が多すぎる。嬉しくもあるけどなんだか気恥ずかしくもある。そして本殿に到着すると百地が出迎えてくれた。


 百地は膝を付くと他の忍びも一斉に膝を付いた。


 「出迎えもせず申し訳御座いません」


 「百地、私が勝手に来たのだから気にしないで欲しい。さっ、立って。ほら皆も気にしないで立って下さい」


 私は百地を立ち上がらせると膝の土を手で払った。


 「若殿、勿体ない事で御座います」


 百地は戸惑いながら恐縮している。その様子に私は笑みを浮かべて百地を促した。


 「飛ばしてきたから喉が渇いたので水を貰えるかな?」


 「承知致しました、まずは中へお入り下さい」


 私は百地の先導を受けて広間に入った。掃除の行き届いた広間は百地の性格を表すかの様だった。私は腰を落ち着けると水を貰い一息に飲んだ。お代わりを頼んで更に喉の渇きを癒した。


 人心地付いた私を見計らって百地が口を開く。


 「して、本日はどの様なご用件で御座いましょう?」


 「大した事では無いのだけど、村の見回りに行きたいんだ。でも桔梗は鉄砲衆の村に行っているし政貞は口うるさいから百地に供をしてもらおうと思って来たんだけど大丈夫かな?」


 「お供致します。某に気遣いは無用に御座います」


 「いつもごめんね。ところで随分人が増えたようだけど?」


 「そうで御座いますな、今はざっと四百名ほど居ります。無論、子や年寄りなども含めてで御座いますが」


 ちょっと驚いた。人口を増やすのは中々に大変だ。忍びの繋がりで移住して貰っているのだろうけど。


 「皆忍びなの?」


 「そうで御座います、伊賀には貧しい忍びも大勢居りますので声を掛けて集めました。若殿から過分に頂いた土地も御座いますし、田畑も増やしただけ豊かになります。この常陸の地はとても良い地で御座いますな、皆も喜んで居ります」


 百地は微笑をたたえて語った。その様子に私も嬉しくなった。


 「今年は宍倉の田も収穫が増えるから楽しみだね」


 「そうで御座いますな、昨年は驚いたものです。あのようなやり方で収穫が増えるとは」


 「去年と同じ位収穫出来るなら百地は六千石位になるし、国策で進める葡萄畑を作れば収入も増える。まだまだ頑張らないとね」


 「ありがたい事で御座います、伊賀に居りました時は夢にも思いませなんだ」


 「百地が来てくれたから出来たんだよ、胸を張って欲しい」


 私がそう言うと百地は微笑をたたえた。最近の百地は表情が柔らかくなった気がする。良い事だ。


 「ところで、鷹丸の姿が見えないけど?」


 鷹丸は百地の右腕のような存在だ。私も重要な手紙などは彼に託す事が多い。


 「鷹丸は忍びを引き連れ佐竹に潜って居ります。暫くは帰らないでしょう」


 そういえば佐竹の攪乱を頼んでいたのだった。彼が行ったのか。


 「そう、無事に帰って来て欲しいね、私が命じておいてなんだけど」


 「役目で御座いますし、此度は危険も御座いません。ご安心くださいますよう」


 「うん。では百地、供をお願い。宍倉を見てから片野へ行くので」


 「承知致しました」


 宍倉の城を出た私と百地は毎度の事ながら、馬をポクポクと歩かせ村の見回りをする。時折雑談しながら村々を巡り、田植え前の苗の状態を確認する。今年で二回目だけどまだまだ油断は出来ない。


 宍倉を巡り終えて片野へ向かう。


 「そう言えば桔梗とはもう慣れたの?」


 桔梗は領を得た際、姓が無かったので百地の養女になったのだ。今では百地桔梗が彼女の名である。


 「そうで御座いますな、照れ臭くも御座いますが悪いもので御座いませんな。某も子がおらぬ故、戸惑いは御座いますが」


 「桔梗は嫁に行かないと言い張っているから、百地からも話をしてね。私は心配だよ」


 それを聞くと百地は目を丸くする。私は桔梗との顛末を語った。


 「そのような事が御座いましたか、某からも話を聞いてみましょう。ですが、桔梗もああ見えて頑固者で御座いまして、聞き届けるかは分かりませぬ」


 「それでもいいよ、何もしないよりマシだし」


 やがて片野に到着する。村々を巡っていると雪に出会った。馬を繋ぎ彼女の元へ行き、互いに挨拶を交わした。

 

 「雪も村を回っていたんだね」


 「若殿の新しき田植えに興味が御座いましたし、昨年の戸崎や土浦の収穫を聞きますと居ても立っても居れません」


 雪はにこやかに笑う。


 「それは良かった。城主が田畑に無関心だといい事ないからね。で、城主様である手塚は?」


 そう聞くと雪は少し眉を顰めて素っ気なく答える。


 「村を回るよう申し付けましたが、あまり期待出来ませぬ」


 ふむ、相変わらず冷え切った夫婦関係らしい。なるべく触れない方が良さそうだ。


 それから折角だからと雪と共に村々の苗を見て回る。指導する農民がしっかりしているのだろう、これといって間違いはなく安心した。一巡りすると雪から片野の城へ招待されたので行く事にする。奥に通され出て来たのがリバーシだった。どうも雪も気に入ったらしい。


 「若殿、この雪と一手お相手お願いします」


 「雪も気に入ったんだね」


 「はい、若殿はこの様な物までお作りになられて感心致します。それに楽しゅう御座いますね。りばーしとは」


 リバーシ盤を広げながら楽しそうにしている。このリバーシを通じて手塚との仲も良くなってくれるといいな。そんな事を思いながらゲームが始まった。百地も関心があるらしく観戦している。桔梗に負けたものね。


 自分で作っておいてなんだけど、リバーシをしながらお喋りするのはコミュニケーションにとても良いと思う。私の立場が上だから皆が遠慮するけど、ゲーム中は互いに楽しく会話出来ている気がする。そうして会話している内に堺に行く話をした。


 「堺で御座いますか?」


 「うん、五月の終わりか六月に行く予定だよ。良ければ雪も行く?」


 「参ります!」


 背筋を伸ばして即答である。そして満面の笑顔だ、中々旅行なんて行けないしね。


 「うん、来るといいよ。堺の今井宗久殿を紹介するね、とても楽しい人だよ」


 「まあ!嬉しゅう御座います!支度をしなくてはいけませんね、着物も新調致した方が良いので御座いましょうか?」


 堺行きに頬を上気させた雪からの質問攻めで、リバーシは終了となった。正式な日程が決まったら連絡すると約束し、片野の城を出た。


 そして百地と共に暫く馬を歩かせ、一つの村の入り口に入って暫くすると、不意に視線を感じた。もう慣れたよ。視線を感じるままに動かすと手塚がいた。私が馬を降りると百地もそれに続いた。そして私は手塚を手招きする。


 「今日はどうしたの?」


 なんだか問題児の先生になった気分だ。こんな大きい生徒なんて欲しくないけど。手塚は私に一礼すると口を開いた。


 「実は先日若殿から頂いたりばーしなので御座いますが、雪殿に取り上げられたので御座います」


 「えっ?」


 「某もりばーしを気に入って居りまして赤松殿と飯塚殿と腕を競おうと話をして居りましたが、某だけ、りばーしが無く鍛錬が出来ないので御座います」


 リバーシは無料配布も手伝ってか予想以上に受け入れられた。評定後のリバーシ大会は中々の好評ぶりだったのだ。


 「えっと、私はてっきり雪と仲良く打っているのかと思っていたのだけど?」


 「雪殿は侍女と打って居ります。某もお願いしたので御座いますが、断られたので御座います」


 ふむ、つまり苛めっ子にゲームを取り上げられた感じだね。雪、いくらなんでも可哀そうでしょ。ションボリした手塚が哀れを誘った。百地に目をやると私同様に哀れんだのだろう、私に深く頷いた。


 「分かりました、又兵衛の所に行けばあるから貰ってくるといいよ。もう取られちゃダメだからね?」


 手塚はパッと顔色を明るくした。そして深く頭を下げた。


 「若殿!このご恩は生涯忘れませぬ!これで赤松殿と飯塚殿にも面目が立ちまする」


 「いいよ、いいよ。じゃあ私は行くか」


 言い終わらない内に悲鳴が聞こえた。村の方だ。百地と手塚と三人で顔を見合わせた直後、馬に飛び乗り声の方へ走り出した。徒歩であったらしい手塚は走って追いかけて来る。村の中に馬で駆け入ると仰天した。


 熊が居たのだ!それも凄く大きい。遠目に分かる程の大きさの熊であった。屈んでいる姿は小さな小山のようにこんもりとして見えた。そして何かを咥えて運んでいる。あれってまさか、、、。


 「若殿!危険です!お下がり下さい!」


 頭がカッと熱くなった。百地の声を無視して私は馬から飛び降り全力で走った。身体能力がブーストされている私は馬より速く走れる。百地を置き去りに見る見る内に熊に近付くと、子供の泣き声と着物の襟を咥えているのが確認できた。


 私は走りながら腰から太刀を引き抜き、腰だめに切っ先を正面にし熊に突っ込んだ。


 「やあぁ!!!」


 掛け声と共に熊にぶつかる様に太刀を突き入れる。勢いと力任せに更に押し込んだ。


 「ガアァァァ!!」


 熊は涎をまき散らし咆哮を上げ片手を振るった。その際、熊の口から子供が落ちた。私は太刀を手放し後に跳んで身を躱す。そして再度熊の懐に飛び込み子供の襟を引っ掴んだ。そして視界の端に映った百地の方へ放り投げる。


 そして振り返った時に熊に圧し掛かられた。左肩を前足で押し付けられ、私は仰向けに柔らかい首を曝す形になる。一瞬、頭が真っ白になった。


 そして熊は大した予備動作もなく私に食らい付こうと牙を剥き出しに私に迫った。私は牙から逃れようと動く右腕で、熊の横面を思い切り殴りつけた。グチャリと不快な音と感触を残し熊の頭が撥ねた。


 私を押し付ける力が緩んだ隙に熊を再度殴り、抜け出した。そして熊の頭の毛ごと皮ごと耳ごと引っ掴み、頭に拳を叩きこんだ。そして熊の頭を地面に押し付けて殴った。私の膂力に(あらが)えないのか、熊は頭を上げることが出来ず悲鳴のような鳴き声を上げる。私は頭蓋が割れる感触もお構いなしに殴り続ける。


 私の脳内では「頭を潰さないと!頭を潰さないと!」と、それだけが響いていた。


 やがて熊が動かなくなり私は殴るのを止めた。そして荒い息を付きながら、ふらふらと後ずさりぺたんと座り込んだ。今頃になって身体からどっと汗が流れ、心臓がバクバクと煩く脈打っている。

 

 「若殿!」


 百地と手塚が私に走り寄って来た。百地の腕には子供が抱えられている。女の子だった。私は荒くなった息をそのままに絞り出すように口を開いた。


 「子供は?」


 「無事で御座います!それよりお怪我は!」


 顔を真っ青にした百地の唇が震えている。


 「大丈夫、ちょっと腰が抜けただけ。怪我は無いよ」


 百地は子供を傍らに置き、私の手足を手で軽く握り検分する。


 「痛む所は御座いませんか?」


 彼は何度もそう言いながら確認するようにして「はぁ~」と深い息を吐いた。そうしていると遠巻きに見ていたのだろうか、村人達が集まって来た。


 騒めく村人から年若い女性が、助けた子供に走り寄って抱きしめた。どうやら母親らしい。何度も礼を言われ、そしてその後に村人からも口々に賞賛と礼を言われた。


 落ち着いた私は立ち上がり熊を検分した。舌を口の横から出し、うつ伏せに倒れている熊の背中には短い矢が刺さっていた。殺してしまったのは可哀そうだけど仕方ないよね。それにしても、あまり動揺していない自分にびっくりだ。私も戦国の女として心が強くなったのかも知れない。


 「矢が刺さっているね、それにしても大きい」


 私は熊から自分の太刀を引き抜き検分する。うっ、脂が凄い。布で拭かないとダメだね。私は携帯しているボロ布を取り出し太刀を拭った。そして鞘に戻す。帰ったら手入れをしないといけない。


 「その矢傷が元で暴れたのでしょう、子が食い殺されなくてよう御座いました。若殿には心から感謝申し上げます」


 「私は熊なんて見た事が無いのだけど?」


 「たまに迷い込む様に現れる事は御座いますが、この辺りには居ない筈で御座います。それにしてもこの様な大きさの熊は、某も初めてで御座います」


 私の疑問に手塚が答える。そして破顔しながら続ける。


 「それにしても熊を素手で殴り殺すとは驚きで御座います。明日には若殿の武勇が近隣に広まる事で御座いましょう。この手塚も鼻が高こう御座います」


 何故手塚の鼻が高くなるのかな?君何もしていないよね?


 「若殿、某は寿命が縮まりました。今後は御身を大事に控えられますよう」


 百地の言葉に私は頷いた。彼も随分心配をしただろう。それにしても私は強いな、まさか熊を素手で倒せるとは思わなかったよ。一体どこの格闘家なのか。


 「若殿、熊はいかが致しますか?」


 「手塚にあげるよ、持って行けないし肉は村人に振舞ったらどう?」


 「そうで御座いますか、では有り難く頂戴いたします。肉の良い所は明日にでもお持ちしますのでご賞味下さい」


 「なら、折角だから百地にも届けてくれる?心配かけてしまったし」


 「承知いたしました」


 そうして私と百地は帰途についた。帰りの道中の百地の熱い視線に耐えながら。

 


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[気になる点] この時代マタギでもないと獣食わないんじゃね?
[良い点] 面白いけど主人公やばすぎ ちょっとはビビらないのかい [一言] 百地のの腕には 誤字
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