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第三十話 私と孫子


 春が近付いて周囲もバタバタしだした。寒さが緩んでくると無性に外に出たくなる。だけど出たら出たでやっぱり寒い。まだ桜も咲いていないし、暖かくなるのはもう少し先だろう。


 筑波の山の頂にはまだ雪も残っているし、この季節は突風のような強風が吹くので、油断していると冷たい風にやられて身体を壊すのだ。今は若いし体力もあるからいいけど、歳を取ったらどうなるのだろう?とたまに考える。


 前世では二十一歳まで生きた私だけど、今生ではまだ十四歳だ。合わせて三十五歳が私の正体ではあるけど、中身が成長した実感は無い。ただ、現代日本に住んでいた頃と比べると、随分のんびりした性格になっている気がする。


 時間に背中を蹴飛ばされ、あくせく働く現代人と違ってこの時代はのんびりしている。毎日八時間以上働かないといけない日本と違ってやる事をやったら自由時間である。尤も職人や商人は現代以上に働いてるけど。


 農民も米だけを作っている訳ではないけど、農地に限りがあるから、一年中土をいじっている訳ではないのだ。開墾するにも重機の無いこの時代では簡単にはいかない。だから彼等は人足や内職をして、稼ぎの足しにする者もいる。


 冬の間の仕事を作ってあげれば良いのだけど、これが中々難しい。私も自分の所領を持ってまだ二年位だから、急ぎ足な考えかもしれないけど仕事を与えるために、仮に何かを工業化しても果たして売れるのだろうか?と疑問に思ってしまう。


 そもそも食べるだけで精一杯の人が圧倒的に多いのだ。そして売るにしても近隣の民には購買力が無い。そうなると大都市に持って行く事になるのだろうけど、工業化した安価な製品に乱立した関所の税が圧し掛かるから、利益が無くなる。だから買い付けに来てもらうのが良いのだけど、試せないでいる。


 結局高級品を堺に出す事に落ち着いているんだけど、いずれは小田領に仕入れや購入に人々が訪れるようにしたい。堺に出す千石船は季節の良い時しか出さない予定だ。台風がどこから来るか知っているし、季節から外れて発生する事も知っている。だからなるべく安全だろうという時期にしか出さないつもりだ。


 先の事を考えると銭の確保も問題になる。何故なら現代のように政府が通貨を発行していないのだ。そして平安時代の銅銭が未だに使われたりしている。他には明から輸入した宋銭や明銭、それを真似て勝手に作った私鋳銭がある。個人が勝手にお金を作ってしまうのだ。私も歴オタの端くれだから知ってはいたけど、悪銭も入り乱れる秩序の無さに呆れたものだ。


 そして銭をお金と感じるようになるまで暫く掛かった。考えてみれば前世でドル紙幣を触ったことがあるけど、子供銀行券のような感覚でお金だと思えなかった。


 私にとって一万円札は正にお金である。乱暴に扱う事が出来ないし、落書きなど以ての外だ。日本のお金は信用もあるし印刷技術も優れているし、何より馴染みがあるからだろう。前世の感覚が色々邪魔をする事が多々あった。


 そのような訳で私は銀で銭を買っている。買った銭を小田領にばらまいているのだけど、焼け石に水な気もする。やらないよりましなので続けようとは思っている。農業生産力を上げ産物を作って、民が食べられるようになり、副収入を得られるようにするつもりだ。その次に何か工業的なものを考えたい。


 お金と言えば日本で初めて金貨を作ったのが武田信玄である。彼は自領に金山を所有していて有名な甲州金を鋳造する。もう作っているのだろうか?前世では画像でしか見た事が無かったから、是非手に入れてコレクションにしたいものである。

 

 私はこたつに入りながら、座卓に並べた蛭藻金を眺めている。蛭藻金は草履の裏に似た形で打ち付けて作ってあるから、模様が付いたようになっている。なので一枚一枚違うのだ。それをピカピカに磨いてあるのだけど、これがとても綺麗なのである。


 私はこの時代に生まれてから、色々な物をコレクションしている。主に太刀や小太刀、長刀(なぎなた)など見た目で選んでいるけどこれが楽しい。本もそうだし、最近は宗久殿から茶器や茶入れも購入している。そしてこの蛭藻金もその一つだ。


 いずれは小田城の本殿の隣に西洋式の屋敷を作って、コレクションルームを設置する計画である。その為に小田城の強化もしないとね。


 「若殿、少々お行儀が悪いかと」


 蛭藻金を眺めてニヤニヤしていたら、お茶をお盆に乗せて持って来た桔梗に窘められた。


 「綺麗だから眺めていただけだよ、そんなに変だった?」


 「若殿は偶にとても悪いお顔をされます。控えられますよう」


 最近慣れて来たせいか桔梗も小言を言うようになってきた。女子力では敵わないので素直に言う事を聞いておく。私は金を小さい箱に詰めていく。


 「今日はお出掛けにならないので御座いますか?」


 「うん、寒いからね。早く暖かくなると良いのだけど。夕餉は父上と摂るけどそれまではのんびりしているよ」


 そうしながら桔梗にこたつを勧め、他愛もない雑談をする。今年の葡萄の苗木の話や綿作の話など、最近の桔梗は村の話をよくするようになった。皆の生活もあるだろうけど、村を発展させるのが楽しいのだろう。


 「葡萄の苗木は桔梗の村でも育てた方がいいかもね。小田領全体に広める事になったから、自分の村の苗木は残した方がいいよ」


 「そうで御座いますね、そう致します」


 そうして話をしていると政貞がやって来た。入室を許可された政貞は居住まいを正し座った。


 「若殿、織田三郎信長様よりご使者が参っております。準備が整いましたらお呼び致しますので、支度をお願いいたします」


 孫子の件かな?そういえばすっかり忘れていたよ。私は桔梗に手伝って貰いながら着替えをした。暫くすると政貞が再び現れて一緒に使者の待つ広間に向かう。


 広間に入ると平伏した使者よりも、その後ろにある幾つかの箱に目が行った。何事だろう?私は居住まいを正し座ると使者に声を掛けた。


 「ご使者殿、遥々常陸までご苦労様です。頭をお上げ下さい」


 「某、織田三郎信長が家臣、平手長政と申します。我が主、織田三郎信長様より小田氏治様へ、書の返却をするよう仰せつかりました。どうぞお受け取り頂けますよう」


 そう言うと書の入った箱を差し出した。それを政貞が受け取る。私が礼を言うと彼は続けて口を開いた。


 「我が主より礼品を預かって参りました、こちらもお受け取り頂けますよう」


 そう言って目録と書状を床に置き差し出す。政貞が受け取り私に渡した。私は目録に目を通す、絹や木綿、太刀、味噌などが記してあった。お礼にしては随分多いので驚いてしまった。


 「この様にお気を遣わせてしまい、信長殿には申し訳なく思います。平手殿、この氏治がとても感謝していたとお伝え下さい。」


 「承知致しました。我が主、織田三郎信長様からも心より感謝していると、御伝えするよう仰せつかりまして御座います」


 平手長政殿は平手政秀殿の息子さんだそうだ。彼に聞くと政秀殿は少し前から急に元気になったそうだ。信長の真意を知ったからだろう。現代に伝わる平手殿の最期は哀れの一言だ。それが無くなるというのなら私も嬉しい。


 私は彼と幾つかの世間話をした。彼によると信長は元気にやっているようだ。今年は有名な正徳寺の会見がある可能性がある。何故可能性かと言うと現代でも幾つかの説があるのだ。そして来年には濃姫と結婚する筈である。


 信長の家督継承は三年後、天文二十年である。そして彼の戦いの人生が始まる。同い年で同じ『おだ』の家督を継ぐ信長に、どうも親近感を覚えてしまう。戦国の英雄に失礼だとは思う、私は遥かに格下だし。


 そうして使者との謁見が終わり、私室に戻った私と政貞はこたつに落ち着いた。桔梗がお茶を用意してくれたのを見計らって、政貞が口を開いた。


 「若殿、書をお貸ししたと聞きましたが、何をお貸しになったので御座いますか?」


 私は傍らに置いた返却された孫子の入った箱をチラリと見る。冬の長夜のテンションで作成した孫子だけど、黒歴史になってないか少し心配になった。

 

 「元々は桔梗の為に作ったのだけど、私が注釈した孫子だよ」


 控えている桔梗は私のセリフを聞くと、ピクリと肩を動かした。桔梗、今から読んでもいいんだよ?


 「若殿が注釈で御座いますか?その様な事を為さるとは初耳ですな。差し支えなければ、某にも見せて貰いたいので御座いますが?」


 「別にいいけど」


 私は孫子を箱ごと座卓に置き、政貞の方に手で押す。箱を開けた政貞は書を取り出そうとして手を入れたがその動きを止めた。


 「ん?何ですかなこれは?」


 そう言いながら再び手を差し入れ重そうにしながら書を取り出し座卓に置いた。


 「これはまた随分な厚みですな、「私と孫子」?で御座いますか。なんとも面妖な」


 政貞、毎度毎度言ってくれるじゃないか!


 「別に無理して見なくていいんだよ?私は桔梗の為に作ったのだし」


 そうして桔梗に視線を動かすと目を逸らされた。そんなに読みたくないんだ?


 「いえ、少々面食らっただけで御座います。有り難く読ませて頂きます」


 軽く頭を下げてから政貞はページを開いた。目で文字を追う政貞を見て何となく気恥ずかしくなり、私は信長の書状を読むことにした。


 ― ― ― ― ― ― ― ―


 「氏治殿から書状を頂いてから随分と時が過ぎてしまいました。氏治殿は健やかに過ごされていると信じています、、、。ですが心配です」


 私の心配をするほど友達レベル高かったっけ?


 「私の謀略の日々は変わりません。最近では鷹狩に精を出しこれを利用して家臣を育てています、、、。大切ですよね、情報」


 そういえば情報の概念を孫子に書いた気がする。信長はしっかり読んだらしい。


 「氏治殿からお借りした「私と孫子」は写本して毎日目を通しています。お恥ずかしい話ですが初めて目にした時は余りの厚さに腰が引けました、、、。情けない事です」


 桔梗があれだけ嫌がるからね、辞書を読めと言われているようなものだから仕方ないよ。


 「ですが、写本に挑戦し氏治殿の兵法を理解するにつれ、私は夢中になっていました。氏治殿の思想や兵法に触れる毎日はとても楽しいものでした、、、。傍らに氏治殿が居るようでした」


 私の兵法じゃなくて孫子の兵法だからね?それと何故私が傍らに?ちょっと怖いんだけど?それに内容は私のオリジナルじゃなくて、未来の歴史家の研究の成果だから、人の成果を奪ったようでなんかむず痒いな。


 「氏治殿の兵法は私を変えました。私の中の何かが結びついたのを感じています、、、。開眼したかのようです」


 元々戦の天才だからね。現代の理論を吸収したら凄い事になる気もするけど、信長なら大丈夫な気がする。私的には信長は人として尊敬してるんだよね。信長が早く天下に号令できれば私ものんびり暮らせるし。だけど本能寺は防がないといけないかも知れない。


 「時が掛かりましたが氏治殿の兵法の写本が終わり、お返し致すべく使者を送った次第です、、、。家宝にします」


 孫子の兵法だからね?それと家宝は大袈裟すぎるから止めて欲しい。


 「平手も時間を作っては氏治殿の兵法を読み、来るべき家督争いに備えている次第です、、、。同族と争うのは嫌なものです」


 そういう血生臭いお家の事情を話すのは止めて欲しい。それと私の兵法じゃなくて孫子の兵法だからね?


 「僅かばかりではありますが、お礼の品物を送ります、、、。味噌もあります」


 あんなに沢山貰って悪い気がする。でも尾張の財力なら大した事ないのかな?うちの領も見習いたいよ。


 「犬千代も毎日槍を折る鍛錬をしています。最近では腕と肩に筋肉が付いたようです、、、。まだ折れません」


 あの不良まだやってたのか!そんな事してたら無駄な筋肉がついて槍の腕が落ちるのでは?


 「氏治殿と再びお会い出来る事を楽しみにして筆を置きます、、、。お元気で」


 「織田三郎信長」


 ― ― ― ― ― ― ― ―


 「ふう」私は書状を読み終えると息を付いた。そしてすっかり冷めてしまったお茶を一息で飲む。手紙からは信長の頑張りが伝わってくる。歴史上の偉人だからと言って努力をしない訳がないのだ。努力したからこそ結果が残せる。信長は努力においても天才なのかもしれない。犬千代は無駄な努力だけど、彼の将来が少し心配だ。


 私は書状を綺麗に畳んで仕舞う。信長の書状は国宝クラスのお宝である。勿論、私のコレクション行きになる。後の世の歴史家の手に渡るように、滅亡しないようにしないとね。書状はガラス板でも作って保管した方がいいかも知れない。そうしてから顔を上げると政貞と目が合った。


 「若殿、これは真に若殿が記されたので御座いますか?」


 何とも剣呑な目つきで私を伺っている。


 「そうだけど?」


 いつも困ったような眉をしている政貞の眉が更に下がっている。


 「この書はとても素晴らしいものだと某は思いました。ほんの少し読んだだけで御座いますが、若殿のお考えに触れ魂が震えるかのようで御座います。どうかこの書を某に御貸し頂けないでしょうか?」


 「そんな大袈裟な。あまり持ち上げられると恥ずかしいから止めてね。貸すのは構わないから持って行っていいよ」


 それを聞くと政貞はこたつから出て後ろに下がり居住まいを正して平伏した。そしてそのまま口を開いた。


 「某、まだまだ学び足りぬ事を痛感致しました。若殿のお心を知るべく励みたいと存じます」


 確かに私の孫子はこの時代だとオーパーツ的な何かだけど、むず痒い。でも皆が戦略や戦術に通じてくれれば小田家のパワーアップに繋がるかも知れない。恥ずかしいけど我慢しよう。


 「気楽に読むといいよ。あと読み終わったらききょ」


 「お茶を持って参ります」


 言い終わらない内に桔梗が去った。そこまで嫌がる事は無いと思う。


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― 新着の感想 ―
[一言] また氏治のツッコみ付の信長の手紙www 最後の方の犬千代の斜め上な槍を折る努力と「まだ折れません」にまた噴き出しましたwww 信長がパワーアップして本能寺フラグも折ってくれるといいですねꉂꉂ…
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