第二十八話 家督
年が明け、三月になり私は十四歳になっていた。
身長もぐんぐん伸びて「女らしくなった」と、よく言われるようになった。性差の少ない幼年期は男の子でも綺麗な子が多い。
現代の短髪とは違って元服前は皆髪が長いから、女の子のような子は割といるのだ。つまりは私もそのレベルだったという事だけど、そのうち綺麗になるに違いない。尤も、男装をやめる気も無いので暫くは、綺麗な男の子に見られるだろう。
最近の私は小田城にちょくちょく通っている。
小田城は、小田山の麓に築かれた平城である。四重の堀に囲まれていて、四の溝には城下町が連なっている。
三の溝と四の溝の間には旗本屋敷や米蔵が置かれている。ここには久幹の屋敷もあり奥方が住んでいる。一の溝と二の溝の間には小田家一門の屋敷があり、城の北側に大手門があり、西には旗本屋敷や竜勝寺がある。
転生してから歩き回れるようになった私は、その大きさに驚いたものだ。前世で見たお城は遺構ばかりであったし、国宝に指定されている姫路城などは、今生の今より後の時代に出来たお城だ。リアル戦国の城は武骨だけどとても機能的に思えた。
何より町や寺社を丸抱えにした構造は、総構えそのものである。総構えは北条家が有名だけど、あそこは規模が桁違いである。
それと総構えは特別な事ではないのかもしれない。現代に町の遺構が残っていないだけで、大小の差はあるだろうけど、財力のある大名や国人は普通に作っていると思う。少なくとも河越はそうだったし。
私にはこの小田城が度々落城したと考えるのは、とても難しかった。それでも落ちるのだから戦とは恐ろしいものだと思う。史実ではこの城を太田三楽斎が改造を施し、落ちなくなったと現代には伝わっている。
この太田三楽斎は岩付城を北条に追われると、あちこちの大名家に頼り岩付城の奪還を目論んだそうだ。小田家にも来ていて、後に佐竹を頼り、小田家の片野の城を奪って居城にしている。つまりは私と雪の敵だという事になる。
というか史実の氏治は頼って来た太田三楽斉に片野の城、梶原政景に柿岡の城を任せているんだよね。野心ある武将を入れたら盗られるに決まっている。私もお人好しとよく言われるけど、本物は度量が違う気がする。
私が家督を継いだら彼が尋ねて来る可能性がとても高い。その時はどうしようか?十五年くらい先の話だし、私の存在で歴史も変わっているから今から心配しても仕方のない事なんだけど。
私は薄暗くなった旗本屋敷を通り抜け、二の溝、一の溝を抜けて本殿に向かう。ここは父上が住まう屋敷でもある。
裏手に回り、台所に入っていく。私の姿を認めた侍女達は皆口々に挨拶をしてくれた。私はその中にいる年嵩の侍女に声を掛けた。
「菊、今夜の父上の夕餉は?」
「今宵は鱒の焼き物とつみれのお汁、お菜と玄米のご飯で御座います」
「うん、ありがとう。漬物は出さないでね」
「承知しております。最近では御屋形様も小言を言われなくなりました、お身体の調子も良いようで私共も安堵しております」
「珍陀酒が掛かっているからね。父上が我侭を言ったらすぐ私に言ってね。珍陀酒を取り上げるから」
私がそう言うと皆でクスクス笑った。
父上はワインを大いに気に入ったようだ。私はワインを提供する代わりとして食事の改善を要求したのだ。貯蔵しているワインも全て父上の分にすると話すと渋々了承した形だ。
私はこの機会に小田領の新たな米作りとワイン生産の為の開発を提案した。戸崎と土浦、真壁の米の取れ高は父上の耳にも入っていて、興味があったようだ。お米は三日に一度しか食べさせないけどね。
私は農法の説明をし、小田宗家のみで行うべきとも進言した。それには父上からも同意を得られ、今年から順次試していく事になったのだ。ワインに関しては喰い付きが凄く、資金と人足も確保出来る事になった。苗の大量生産をしなくてはならないね。
父上の夕餉とついでに私の分も運んで貰い、雑談しながら食事をしていた。父上はワインをかざし見ては一口飲む。
「うむ、この珍陀酒は実に良い」
父上の私室にはこたつが設置してある。勿論、私の仕業である。使うのが大名当主ということで、座卓は彫り物をした上に漆塗りである。掘りごたつも設置し、こたつ布団代わりの藍色に染められた木綿の大布は、仕込んだ火鉢の暖気を封じ込めてくれる。
この時代の冬はとても寒い。冬に身体を損なうのは、体の弱い子供や老人が圧倒的に多いのだ。だから父上には温かく過ごして貰いたい。
仕入れた綿で布団と座布団を作り、これも父上に使って貰っている。特に布団は気に入ったようだ。温かい環境と良い睡眠は健康に直結するから、気に入って貰ってホッとしている。
急に構いだした私に父上は戸惑っていたようだけど、最近は慣れたらしく会話も多くなってきたのは、良い事だと思う。
今年で五十五歳になる父上は本当に調子が良さそうだ。落ち着いたら料理の方も現代風にして行くのも良いかもしれない。そう思いながらつみれ汁を飲む。うん、出汁がいまいちだね。
「飲む度に仰いますね、気に入っているのは分かりますけど」
「岡見治部に振舞ったらひどく気に入ってな、分けてくれとせがまれたんだが治部に回せんかの?」
「私は構いませんが、父上の取り分が無くなりますよ?それに余り振舞われては珍陀酒の価値が下がるというものです。功のある者なら恩賞として良いとは思いますが」
父上は私の言葉に少し口を尖らせた。自慢したいんだろうな、相変わらず子供みたいな人である。
「今年は多く作れるのであろう?」
「私の領は去年増やしましたが、倍は行かないでしょうね。今年植えたとしても葡萄は実が生るのに二、三年掛かりますから」
「ふむ、待ち遠しいの」
「長生きして頂けたらいくらでも飲めますよ。食事は侍女に従う約束はお守り下さいね」
「其の方もしつこい、ちゃんと守っておるわい」
眉を寄せながらそう言うと父はワインを一口飲んだ。そしてグラスを置き、居住まいを正した。常にないその様子に面食らい眺めていた。
「小太郎、十五になったら家督を継ぐがよい。其の方なら何とかなるであろう、わしが後ろに居れば国人も騒ぐまい」
「父上!」
「其の方を男として育てて来た。其の方はその若さで立派に領も守っている、異存はあるまいな?」
予想外の言葉に私は一瞬呆けてしまった。確かに史実での氏治は十五で家督を継いでいる。だけどそれは父上が亡くなっての話だ。私は父上を死なせる気は毛頭ない。現に来年亡くなるとは思えないほど今の父上は健康だと思う。流行り病の可能性もあるんだけど、それを言ったら切りがないのだけど、、、。
「それは構いませんが、早過ぎる気もしますが?」
「其の方に早いも遅いもあるまい。それに家臣共も楽しみにしておる」
ふむ、どの道継ぐなら早い方がいいかも?宗家の資金力はすごいし、玉薬の買い占めも出来そうだし、やる事は今とたいして変わらないよね?
「承知しました。父上に負けないように小田の領を守ろうと思います」
私の言葉を聞くと父上は満足そうに頷いた。そうして再びグラスを口に運ぶのだった。
♢ ♢ ♢
私の家督継承は評定で父上から伝えられた。父上の早過ぎる引退宣言に留まるようにとの声も多々あったが、私に関しては概ね好意的だったと思う。
中でも勝貞の喜びようが目を引いた。彼にとっては私は子や孫に思えるのだろう。涙を流す姿を見て私も泣いてしまった。そして勝貞はその場で私への被官を申し出た。
やるだろうなとは思っていたけど、この空気では断る事も出来ず結局受ける事になった。勿論、所領は安堵した。菅谷一族の被官により小田宗家の石高は面高十万石、新農法を行き渡らせれば実高二十万石になる。
兵も菅谷四百五十騎が加わり、桔梗の鉄砲衆も合わせると二千百騎が小田宗家での動員できる兵力になる。桔梗の兵力である五十は何気に大きいのだ。
私も来年の三月に家督を継ぐ事を宣言した。チラリと思ったのは信長の事だ。彼は来年から戦続きになる筈だ。私はスムーズに家督を継げるけど、彼はこれから肉親と争わないといけない。小田家は家臣にも領民にも恵まれているとつくづく思った。
評定から二日後、私は戸崎の城にいつものメンバーを呼び出した。
それぞれがお決まりの席に付き、こたつの温かさに頬を緩める。こたつは私の部屋にも当然設置してある。お陰で冬の読書が捗って、ついつい夜更かししてしまうのが玉に傷だ。侍女がお茶を配り終えるのを見計らうようにして、勝貞が切り出した。
「若殿、お呼び出しとはどの様なお話で御座いましょうか?もしやとは思いますが、家督の件で何か御座いましたか?」
心配そうな勝貞の様子に、私は飲んでいた湯飲みをコトリと置いた。
「今日はもっと重要な話があるんだよ」
私がそう言うと皆がそれぞれに反応し、次の言葉を待つかのように私に視線が集まった。
「実は、いつも新年に連歌の歌会があるでしょう?」
「はぁ、御座いますな」
少し気が抜けたように勝貞が答える。
「あれを止めにしたいんだよ」
私の言葉に皆ポカンとしている。そんなおかしい事は言ってないのだけど?
「失礼とは存じますが若殿の意図が読めないので御座いますが?」
「私は連歌が苦手なんだよ。今までは抜け出して事なきを得ていたのだけど、家督を継いだら逃げられないから困るんだよね」
「若殿が下手連歌なのは存じておりますが、その様な事が重要なので御座いますか?」
政貞、はっきり言ってくれるじゃないか!彼は呆れたように眉を寄せている。
「私にとっては重要なんだよ。歌会は長いし、お酒も入るし、私には苦行のようなものなんだよ。だからやらなくて済むようにしたい」
視界の端に笑いを堪える久幹を捉えた。くっ、私だって好きで下手な訳ではないんだ。この時代では和歌は教養の一つである。しかし私はこれが絶望的に苦手である。
歴史の知識で歌は幾つか覚えているけど、連歌となると続かないし、続いたとしても反則みたいで気分悪いし、どうにもならないのだ。そして勉強する気にも全くならない。
「若殿、苦手なのは承知して居りますが、楽しみにしている者も多いですぞ」
「勝貞、それは分かっているよ。だから代わりの物を用意したんだ」
私は傍らに用意していたものを取り出した。リバーシである。収納しやすいように畳むことが出来るし、表面には赤い色紙を貼り付け8×8のマスが区切られている。凝り性の又兵衛謹製の一品である。
「何かと思えば、また妙な物を作ったので御座いますな」
政貞のヤレヤレと言わんばかりのセリフである。続いて勝貞が質問した。
「若殿、これは何で御座いましょうか?」
私はリバーシの準備をしながら答える。
「そこで笑いを堪えている鬼真壁殿と勝負しながら説明するよ。久幹、私の正面に座って、勝貞と政貞は席を変わってくれる?」
「勝負とはそれは盤双六で御座いますか?」
久幹の問いに私は答える。
「これは私が作ったんだよ。リバーシと名付けたんだ」
そうして私はルールを説明する。元々単純なゲームだし、地頭の良い久幹はすぐ理解したようだ。
「成る程、黒で白を挟めば黒に出来、その逆もまた然りで御座いますか。よう出来て居りますな」
最後まで石を置いたときに色が多い方が勝ちだよ。私はそう言って何度か実演してみせる。そうしてから久幹とゲームを始めた。ゲームが進むと他の皆も理解したのか、それぞれ見入っている。
「はい、これで私の勝ちかな」
「ぐっ、某は慣れて御座らん。もうひと勝負所望致します」
珍しく悔しがる久幹の様子に留飲を下げた私は、ふふんと鼻で笑う。単純なゲームなだけに負けると悔しくなるようだ。
「いいけど、練習しないと私には勝てないよ?」
そして二戦目も私が圧勝した。納得行かないといった顔をした久幹にニヤリと笑いかけた。セオリーがバレたら私が勝てなくなりそうだから、勝てる時に勝つのだ!
「面白そうですな、若殿、某と一手お相手願います」
勝貞の申し込みに私は快く了承する。そして余分に作ってあるリバーシを座卓に取り出し、皆に配った。
「皆の分を作ったからこれで練習するといいよ」
リバーシを受け取った面々はゲームを始める。百地と桔梗、久幹と政貞である。
私は勝貞と対戦し、またしても圧勝でゲームを終える。勝貞は頭を捻っている。納得いかないらしい。そうして暫くゲームに興じていたのだけど一度止めて話をする事になった。桔梗に負けて床に手を付いている百地と、それを見下ろす桔梗が印象的だった。
「皆解ったと思うんだけど、これを連歌の代わりにしたいんだよね。それも勝ち抜き戦にしたい」
「勝ち抜きで御座いますか、最後まで残った者が勝者ですな?」
政貞の言葉に久幹も続く。
「確かに連歌より楽しいかもしれませんな、頭も使いますし勝負とは面白い」
「上位三名には私から褒美を出すつもりだから盛り上がると思うんだよね」
それを聞くと皆表情が変わった。
「面白いですな、しかし他の者にはどうされるので御座いますか?」
私はリバーシを片付けながら勝貞に答える。
「又兵衛が作っているから次の評定にありったけ持ち込んで皆に配るつもりだよ。銭も取らないから評定が終わったら皆でやってみればいいよ、お酒も肴も用意するから楽しんでね」
「しかし、連歌をやりたくないのは解りましたがそこまでするとは」
政貞が呆れたようにしてこの話は終わりとなった。