第二十七話 桔梗
ワインを寝かせてからひと月が過ぎ、桔梗と共に瓶詰作業を行った。緑色の瓶に入った赤いワインはとても綺麗だ。見た目も良く高級感がある。ラベルでも貼れればいいのだけど無い物ねだりだね。
地下牢と言う名のワインセラーから、箱に入れたワインボトルを運び出し、更に私の私室に運ぶ。そして座卓にずらりと並べた。中々壮観である。
「宗久殿には春に贈るとして、まずは桔梗に二本贈るね」
「私も頂けるので御座いますか?嬉しゅう御座います!」
「桔梗は気に入っていたものね。それにあれだけ手伝ってくれたのだから当然だよ。あ、百地と雪と楓と秋にも二本ずつ届けてくれるかな?手伝ってくれた人には贈ろうか、あと硝子の器も付けないとね」
私は仕舞ってあったグラスも取り出し、瓶と選り分ける。
「それと勝貞、政貞、久幹、手塚は、、、いいや、三人にも二本ずつ贈ろう。後は父上に贈るけどそれは私が持って行くね」
「承知致しました」
桔梗が嬉しそうでよかった。保管用もあるし、父上が気に入れば残りは全部父上用かな?次に造れるのは来年だし、皆にはこれで我慢してもらおう。作付け増やした方がいいかもしれないね。
「それと桔梗と子供達に、いや、鉄砲衆にお願いがあるんだけど?」
「私共で御座いますか?」
桔梗は小首を傾げて問う。
「うん、百地にお願いして実綿を沢山仕入れて貰って綿をほぐして欲しいんだよね。ちょっと作りたい物があって」
「実綿で御座いますか、承知致しました」
「あと、鉄砲衆の村で実綿を作ったら私が全部買い取るよ、出来そうなら検討してみてくれる?人も随分増えたから収入源にもなるし」
綿作は三河が有名だけど関東でもぽつぽつ作られている。大規模に綿作が始まるのは江戸時代からである。
「私がやってもいいんだけど、色々しているから手が回らないんだよ。鉄砲衆の村は桔梗の領みたいなものだから村が豊かになる事をどんどんやって貰えると助かるかな。あの子たちの中から出来そうな子に仕事を任せるといいと思う。最初の費用は私が全部出すからやってみない?」
「畏まりました、仰せの通りに致します」
そう言うと桔梗は頭を垂れる。そんな桔梗に私は声を被せた。
「桔梗、違うんだよ?私の命ではなくて桔梗が決めるんだよ」
「桔梗がで御座いますか?」
「うん。桔梗も鉄砲衆を預かる身なのだから、皆の生活をどうやって豊かに出来るか、考えて欲しいんだよ」
「ですが、桔梗は忍びで御座います。主命を果たすのが務めで御座います」
桔梗の言葉に私は小首を傾げる。
「う~ん、そうだね。今の桔梗の立場は少し中途半端だったね。桔梗には十貫文与えているけど、、、。うん、いい機会だから鉄砲衆の村も与えるよ。確か四十石くらいだっけ?」
私の言葉に桔梗が顔色を変え柳眉を上げる。
「そんな!恐れ多い事で御座います!桔梗には荷が重すぎます!」
「そんな事ないよ、あの村は桔梗が作った村でしょ?それに桔梗は鉄砲の名手でもあるのだから、少なすぎるくらいだよ。私は随分と得をしているんだよ?」
「ですが、桔梗は政など出来ませぬ、どうぞお許し下さい」
「桔梗、よく聞いて欲しい。桔梗が今までしてきた事は政なんだよ、鉄砲衆を作るために孤児を集めて、家を建てて、田畑を作って、そうして小さな村が出来たよね?」
「はい、、、」
「そしてまた桔梗が孤児を集めては田畑を増やして村はまた少し大きくなったよね?桔梗が頑張ったから皆が食べられるようになったんだよ」
「そうでは御座いますが、若殿のお力あってこそで御座います。桔梗は大した事はしておりません」
「そのような事は無いよ、私は最初の銭を出しただけ。村を作ったのは桔梗だよ?だからあの村の事を何でも知っているのは桔梗だし、村の孤児皆から慕われているのも桔梗だよ。だから今までと何も変わらないんだよ、少し立場が変わるだけで」
「それに私は桔梗に任せたいんだよ、それでも聞いてくれないかな?」
座卓に乗せた小さな手をぎゅっと握りしめて桔梗は俯いている。やがて顔を上げた。
「承知致しました、桔梗はやってみようと思います」
「ありがとう、桔梗がどんな村を作るか楽しみだよ。悩んだら私に相談してね?村を育てるのはきっと楽しいよ」
思い付きで頼んでみたけどこれは楽しそうだ!桔梗の国造りが上手く行けば、他の村も真似るだろうから村単位で豊かになるかもしれない。そうなれば小田の国力も増えるし良い事尽くめだ。
小領主、桔梗の物語の始まりでもあるから楽しみすぎる。どうしよう?ドキドキしてきた!記録でも作って後世に残したくなってきた。完成したらあちこちの大きな寺社に奉納して、失伝しないようにして未来に伝える。そして未来の歴オタに桔梗たんスゲーとか言わせたい。よし!決めた!未来の歴オタのお前ら待ってろよ!
私が妄想を膨らませていると、怪訝な表情で桔梗に言われた。
「若殿、とても悪そうなお顔をされているように見えるので御座いますが?」
桔梗が鋭いのを忘れていた。私は話題を変えて誤魔化す。
「そ、そのような事はありません!それより綿作はしてみるの?」
桔梗は少し思案するように顎を傾けた。
「そうで御座いますね、実綿が採れれば機織りも出来ますので、やってみようかと思います」
「うんうん、木綿が作れたら最初は皆の着物にするといいよ。皆に回って余ったら売ればいいし、私が買ってもいいね」
「承知致しました。この桔梗、身命を賭してやり遂げて御覧に入れます」
「政貞には私から伝えておくから安心してね」
私の思い付きだけど桔梗が領を持つ事になった。私ものんびりしていられない、記録用の書と写し用の書を準備しないと!
♢ ♢ ♢
翌日の朝、私は真壁の城に来ている。久幹にワインを届けに来たのである。なのだけど私は今木刀を振っている。いや、振らされている。
「珍陀酒を作られるとは驚きました」
縁側に腰かけた久幹はワインの瓶を陽に掲げて透かし見ている。私はというと、さぼりまくっていた剣術の稽古をさせられている。ワインを届けて帰ろうとした私が、久幹に捕まった形である。正直、剣とかどうでもいい、私には身体ブーストがあるし。
「お米と同じで腐らせれば出来ると思ったんだよ。葡萄が無駄にならなくてよかったかな」
「若殿、芯がブレて居りますぞ。力に頼らずしっかり気を入れて下さい」
こちらを見もせずに指摘される。くっ、師匠には逆らえない。
「成る程、米と同じで御座いますか。それにしても美しい酒で御座いますな」
「量が無いから大切に飲んだ方がいいよ、欲しかったら久幹も作ったら?」
「宜しいので御座いますか?」
久幹は顔だけをこちらに向けた。私は素振りを止めて答える。
「最初はそんな気も無かったのだけど、そろそろ産物も考えないといけないし、製法さえ秘匿できれば領全体で作った方がいいと思う。桔梗すら欲しがるお酒だし、私がちまちま作っても限りがあるしね」
「せっかく美味い酒があるのに飲めぬのは口惜しいですな。それに高く売れそうです」
「船も出来るし宗久殿や信長殿に卸したら儲かるだろうね。珍陀酒を楽しむなら硝子の器も欲しくなるよね?」
久幹は再びワインボトルに目を移した。
「確かに、この色を楽しめぬのは勿体ないですな」
「私としては高いけど売れる。そして飲めば無くなるというのが良いね。欲しい人は銭を惜しまないと思う。宗久殿は一度飲んだら抜けられないと言っていたし」
私はそう言いながら久幹の隣に移動し、縁側に腰かけ続ける。
「今年の葡萄の種を沢山集めて、桔梗の村で育てる事にしたのだけど、実が生るのは二、三年掛かるからまた百地頼みになるかな?ただ、三年経つ頃には苗木も随分増えると思う。毎年の事になると思うし」
「ふむ、桔梗殿に分けてもらうにしても、数年なら今から種を育てた方が良さそうで御座いますな」
久幹は瓶を置き、腕を組んだ。
「その方がいいかもね。種も山程あるし。私の葡萄園の三つや四つくらい作れちゃうと思う」
「ほう、ならば畑を作らねばなりませぬな」
「いっそ、四郎と又五郎を奉行にして冬の内に作ってしまうのも手かもね、で、来年種を育てたら早ければ再来年には収穫できるかもね」
「むう、四郎と又五郎がこの様な事で役に立つとは、見誤っておりました」
「成長したよね、堺でボロを着てた時とは訳が違うよ」
堺での出来事を思い出して思わず頬が緩んだ。
「米も取れるようになった、今後は珍陀酒も作れるようになる。戦で荒らされるのは我慢がなりませんな」
久幹は遠くを見るようにして言う。
「そうだね、戦は浪費するばかり。人も物も食べ物も、いい事なんてちっともないよ。真壁は最前線だから守りも考えないといけないね、狙われるのは海老ケ島が先だとは思うけど」
前世の歴オタ時代は戦史に心を躍らせたものだけど、自分がその立場になると考えはガラリと変わった。私も随分と都合の良い考えをしてたものだと反省する。
「そうで御座いますな、こうなると百地殿が頼もしい」
久幹の言葉についでの報告をする。
「百地には忍びを放って貰ったから準備は出来てるよ」
「ほう、初耳ですな」
久幹は私をチラリと横目で見た。私はそんな彼に顔を向けた。
「報告会をしようと思っているから勝貞、政貞、久幹、桔梗は参加して貰うつもりでいるよ。まだ始まったばかりだからどうやって共有するかも決めないといけないし」
「それとあれも作った、伊賀に行くときに話した火を起こす道具。百地は使えるって」
それを聞くと久幹は微かに震えた。
「それは、、、。若殿が仰られた通りであれば敵方に同情致します。いきなりやられては防げるものではありませんからな。城の建て直しなど一体いくらの銭がかかるやら、、、」
「その一度と鉄砲をどの位相手に印象付けられるかで今後が変わってくると思うけど、千葉と北条を呼ぶかもしれないんだよね、それが怖いよ」
そう言って私は空を仰ぎ見る。
「北条は上杉様と小競り合いを繰り返していると聞いております。上杉様が討たれるとなると可能性はありますな」
「戦があるか分からないけど、鉄砲を増やさないとね。玉薬の買い付けもケチってはダメだよ?蔵一杯にするつもりで買い付けてね」
「承知しております。米も多く手に入りましたし、椎茸の代金は玉薬に回しております」
「手塚の奥方の雪は知ってる?雪も鉄砲衆を作るそうだから、鉄砲鍛冶も増やさないといけないかもしれない」
久幹は苦そうな顔をして答えた。
「存じておりますが、先日手塚殿にお会いした時に頬に深い傷を負っておりました。いやはや、何と言えば良いか」
久幹の様子に私はクスリと笑った。鬼真壁にも怖いものがあるらしい。
「あれは、手塚が覗きをして桔梗にやられたんだよ。雪は悪くないから誤解しないでね」
私の言葉に久幹が目を丸くする。
「桔梗殿がで御座いますか?それはまた、はっはっは。手塚殿も悪さが過ぎたようですな」
ひとしきり笑い合った後、私は再び稽古をさせられた。結局逃げられなかったよ。