第二十一話 硝子師八兵衛
炉の中は炎が燃え盛っている。小さな入り口からは蛇の舌のような、細い炎がチロチロ顔を出しては消えてゆく。それにしても暑い。じっと見つめるその先で溶けた硝子を棒の先端に刺した八兵衛が緊張した面持ちで運んだ。
硝子工房の工事が終わり、私は八兵衛の仕事を見学している。私は前世で硝子吹きの動画を見ている。その知識が役に立つかは不明だけど、八兵衛の仕事を見て出来そうならアドバイスするつもりである。八兵衛の作品を見た限りでは吹き竿の使い方を覚えればこの時代には存在しない美しいグラスが出来る筈だ。そしてもし、それがモノに出来るのならば応用して様々な硝子製品を作ることが出来るようになるだろう。パッと思い付くだけでも風鈴やランプや花瓶などだ。一番の需要はグラスになるとは思うけど。八兵衛は棒の先端に付けた硝子を炉で炙り、くるくる回している。オレンジ色に光を発した溶けた硝子がとても綺麗だ。頃合い良しとしたのだろうか、八兵衛は溶けた硝子を金床に置きやっとこで棒から外した。そして素早く硝子をやっとこで掴み直し、鉄の細い槌で軽く叩き始めた。しばらくすると出来上がったのは透明な何かであった。 全身から汗を滴らせた八兵衛は私を見ると済まなそうな顔をして瞳を落とした。
「八兵衛さん、一度出ましょう」
私は八兵衛に声を掛けた。落ち込んでる様子が見ていられなかった。用意していた水を手渡し、受け取った八兵衛はそれを一気に呷った。
「若殿、失敗です。申し訳御座いません」
八兵衛は俯いて肩を落とし私に詫びた。
「いいから、いいから、ここに座って八兵衛さん」
私はそう言いながら近くの丸太を指し示した。二人並んで腰を下ろすと八兵衛がポツリと漏らした。
「炉に硝子を仕込んで、取り出す事は出来るようになったので御座います。ですがそこから先が解りません」
「失伝した技をここまで取り戻したのだから、胸を張っていいと思うよ?」
「ですが、銭を出して頂いております。若殿のご恩に報いなくてはなりません」
職人って本当に一本気な人が多い。こんなに努力している人へ、私の知識を与えてしまう事に罪悪感を覚えた。でも、このままだと彼はいつか潰れてしまうだろう。領の利益もあるけれど、彼の重荷を消し去ってあげたい気持ちが強くなった。
「私に考えがあるんだけど。やってみる?」
「考えで御座いますか?」
「その道具も作ってある。あとは八兵衛さんの腕次第かな」
「その腕が無いから困っているので御座いますよ」
八兵衛は眉を寄せこぼした。私は前世の記憶を頼りに幾つかの道具を作って貰っている。まずは吹き竿、これは現代人なら何かしら映像で見ていると思う。細い鉄のパイプだ。もう一つは厚い木板をへこませた道具、名前は知らないけど動画ではこれで形を整えていた。最後が先の尖った長いトングのような道具。これも名称不明だが、吹いて丸くなったガラスに穴を開ける道具である。あとは練習で何とかなる気はするんだけど、私はやったことないし八兵衛に頑張ってもらうしかない。少なくとも今よりはいい筈だ。
「まあ、試してみようよ」
私は八兵衛に吹き竿の話をした。
「息を吹き込むので御座いますか?」
「うん、今使っている鉄棒は止めて鉄の筒を使うんだよ。で、硝子がとろとろになったら取り出して、息を吹き込んで欲しい。多分、そうすると膨らむから」
八兵衛は腕を組んで頭を捻る。
「息などで膨らむので御座いましょうか?失礼かと存じますが手前には考えが及びません」
「ともかく試してみようよ、ダメだったら他の方法を考えよ?」
「はぁ」気のない返事をする八兵衛を置き去りにして、私は道具を取りに行った。戻った私は八兵衛に吹き竿を手渡す。
「吹き竿と名付けたんだけど、さっきの鉄の棒の代わりにこれを使ってみて」
八兵衛は吹き竿を受け取るとひとしきり眺め、そして穴を覗いた。穴が開いてると覗きたくなるんだろうな。不承不承な感じではあったが八兵衛は作業を始めた。私はそれを見守っている。八兵衛は火傷をしないように持ち手を水で冷やしてから炉に吹き竿を突っ込む。中には硝子が溶けた壺がありそこから硝子を竿で掬う。溶けた硝子が落ちないようにくるくる回していく。八兵衛は私を見る。私は八兵衛に頷いた。そして彼は吹き竿に口を付け息を吹きいれた。とろけた硝子は風船のように丸く膨らんでいく。八兵衛は息を吹き入れながらも目を丸くしていた。膨らんだ硝子は重力に従って形を崩した。私は慌てて八兵衛に指示した。
「八兵衛さん!炉に戻してくるくるして!」
それを聞くと八兵衛は慌てて炉に戻し吹き竿を回し始めた。歪んだ硝子が再び形を取り戻した。それを見て八兵衛が叫んだ。
「若殿!出来た!出来た!出来ました!あああ出来たぁぁぁ!」
泣き笑うようにして叫ぶ八兵衛だったが、私はそれどころではなかった。この先をよく覚えていないのだ。どうしよう?どうしよう?頭の中をぐるぐる回す。そうだ!穴を開けるんだった!私はトングもどきをひっつかみ構えるように持った。そして叫んだ。
「八兵衛さん私の前にそれ持って来てくるくるして!」
八兵衛ははっとしたように我に返ると炉から吹き竿を抜き、回しながら私に差し出した。硝子の熱気が凄い。私はそっと閉じたトングもどきの先端を膨らんだ硝子に触れさせた。あっと言う間に穴が開いた。
「これでいい!あとはどうやって冷やすの?!」
八兵衛は吹き竿を回しながら目を見開く。私も八兵衛もパニックになっていた。
「こっこっこっ、このまま回していれば固まります!」
「わかった!頑張って!」
「わっ若殿!水!熱い」
私は慌てて八兵衛の手と吹き竿に柄杓で水を掛けた。竿の熱まで頭が回っていなかった。危うい所だったけど火傷を回避出来てほっとした。そして八兵衛の言う通り炉から外した硝子は温度を下げ冷え固まっていく。その様子に私と八兵衛は歓声を上げ見入っていた。やがて八兵衛は棒を立てるようにして土間に硝子を置いた。それは丸い硝子だった、私が開けた穴が小さく丸い壺のようだけど、ともかく成功だ!
部屋が暑かったので私と八兵衛は硝子を竿ごと外に持って来て壁に立て掛けた。そして二人でしゃがみ込みじっくり検分する。
「ちゃんと器になってるね、穴小さいけど」
「まさかこの様になるとは思いませんでした」
荒い息を吐きながら八兵衛はポツリと言った。硝子の器を見つめるその目からは涙が流れていた。
「よかったね、八兵衛さん」
「若殿のお陰で御座います」
「違うよ、八兵衛さんが技を守って来たから出来たんだよ。ちゃんと胸を張って欲しい」
私と八兵衛は暫く硝子を眺めていた。そしてふと思った。
「八兵衛さん、これどうやって竿から外すんだろうね?」
「……」
硝子製品の完成はまだまだ先になりそうだ。
次の日から私は八兵衛の硝子工房に通う事にした。まだまだ完成とは程遠く、今のところ二人掛かりでないと作ることが出来ない。なので私が助手をする事にしたのだ。興味もあったし。前日に作った硝子は結局割れてしまった。竿が貫通してたしね。
政務は政貞と久幹に丸投げだ。尤も、戦も無いし訴状も無いので大した仕事も無いのだけど。四郎と又五郎は果樹園拡張を任せている。今頃、人足相手に威張っているだろう。私は野良着を着込み、八兵衛と硝子の器を作るべく作業を開始した。一つ作っては検分し意見を出し合う。初めて作った時はまんまるだった硝子も形を変える事が出来るようになった。へこました木板がようやく活躍した。結局回しながら押し付ければ良かっただけであった。道具や環境も改良した。吹き竿は長く変更したり、小さい物も作れるように細い吹き竿を作って貰った。作業台や道具の配置にも工夫を凝らした。
そうしてひと月が過ぎ八月、夏真っ盛りの頃にようやく完成したのだ。制作したのは小さなグラスである。八兵衛の喜びように私も嬉しくなった。ずっと努力してたのだから。ひとつ出来ればこちらのものである。八兵衛は次々とグラスを作っていく。完成度を高めるためだ。やがて満足出来るグラスが完成した。のだけど、今私はグラスを作っている。毎日見ていたのでやり方は頭に入っていた。楽しそうな八兵衛がちょっと羨ましくなり、頼んで私もやらせて貰った。八兵衛にフォローしてもらいながら何日か練習すると私にもグラスが作れたのだ。そうなると楽しくなってくる。八兵衛と交代でグラスを作っていく。失敗作は割って炉に戻して再利用だ。グラス作りにハマった私は嬉々として硝子工房に通った。そしてそれは政貞に叱られるまで続いたのだった。




