第十九話 手塚と鉄砲と桔梗
信長への手紙と本を百地の忍びに配達を依頼した。百地便なら誰かに取られることも無いだろうと考えての事だ。帰りは遊んでから帰って来るようにとお小遣いも渡した。気分転換は必要である。葡萄の棚作りは完了したので今日は梨の棚を作るつもりだ。例によって四郎と又五郎を引き連れての作業である。ぶつぶつ文句を言いながら付いて来る二人を無視して、てくてく歩き果樹園に到着する。紆余曲折あって大規模になってしまった果樹園だが、私のお気に入りである。趣味でこれだけの果樹園を持てるのだから、大名の嫡子も案外悪くないものだ。そろそろ人を雇って管理してもらおう。船が完成すれば売る事も出来るだろうし、この調子なら産物にする事も出来そうだ。梨も栽培は順調で小さな実が鈴なりに生っている。秋の収穫は大仕事になるだろう。梨は水分の塊なのでジュースにしても良いかもしれない。尤も、絞る道具などは無いので、私が握り潰す事になるのだけど。
作業には大分慣れてテンポ良く支柱を立てていく。梯子を垂直に立て二人に支えさせて私が登り、力任せに大きい木槌で支柱を打ち込んでいく。端から見ればシュールな光景だが、チートを解放した私は気にしない。戦で使うより農作業で使う方が遥かに役に立っている状態だが、私らしくて良いと思っている。こればかりやっているせいか、四郎と又五郎も作業の手際も良くなってきている。ぶつくさ言いながらも仕事はキチンとこなしているのだ。尤も、私が監視している間ではあるけど。細い丸太を通し組み上げる。そして細い縄を枝の下に何本も這わせて、ようやく棚が完成する。私は満足げにそれを見上げて悦に入る。中々の出来である。そうしていると不意に視線を感じた。感じたそのままに視線を動かすと、林に半身を隠すようにしてこちらを覗いている人物と、目が合った。まるで夫の浮気を電柱の陰から観察する妻のような仕草で、私を見ているのは手塚石見守だった。そういうのは心臓に悪いから止めて欲しい。世が世ならストーキング行為で連行される行為だよ?私はほおかむりを外すと手塚を手招きした。そうすると手塚は木の陰から姿を現し私の前で膝をついた。
「手塚、どうしたの?」
私は立つように促しながら聞くと彼は答えた。
「実は、若殿にお願いがありまして参上致しました」
「お願い?」
「はっ、若殿の家臣になられた桔梗殿が持っている鉄砲なるものを某も欲しいのです」
ほほう、手塚は興味があるんだね。確かにその目つきはスナイパーに向いている気はする。でも目つきだけで人を殺せる気もするけど。私は手塚を手招きし、転がしてある丸太に腰を掛けた。そして横に座るように手塚を促す。彼が腰を下ろした様子を見て口を開いた。
「ふむ、鉄砲ね。どうして欲しいの?」
一応理由も聞いておこう、今後鉄砲を家中に広めるときの参考になるかもしれない。手塚は小田四天王の一人だし、彼が使うようになれば続く者も出やすくなるかもしれない。
「実は某、毎日桔梗殿を観察していたのですが、ある日から桔梗殿が子供達を連れて出かけるようになったのです。そして何やら筒のようなものを構え、そしてその筒から火を吹き出させて鳥を仕留めていたのです。まるで妖術のようでした」
まて!お前桔梗をストーキングしてたのか!私は頬をヒクつかせながら先を促した。
「そして某は桔梗殿を観察する内に気付いたのです。あれは妖術ではなく武具であると。それも極めて強力であると見ました。可憐な乙女である桔梗殿が、妖術使いでない事に胸を撫で下ろしつつも、某はその武具が気になり桔梗殿に伺ったのです」
そう言うと夢を見る蛇のような目で遠くを見るようにして彼は続けた。
「声を掛けるのは初めてで御座いましたので……。とても緊張致しました。戦では恐れを知らぬこの某が、まるで野に咲く一輪の花のような桔梗殿に声をお掛けするのは、とても勇気が要りました……」
「……」
「そしてそんな某に桔梗殿は優しく微笑んでくれたのです。良い香りがし、とても幸せな心持になったもので御座います」
お前何言ってるんだよ!奥さんいるよね!
「そして桔梗殿は仰っしゃったのです。これは鉄砲と言って鉛の礫を飛ばす武具であると。そして若殿から頂いたものであると。桔梗殿のお声はとても美しく、まるで天女に相対した心持になったものです」
そう言うと彼は「フッ」と微かに笑った。「フッ」じゃないよ!なにポエムってるの?鉄砲の話なのか桔梗への惚気か分からないんですけど?
「某も坂東武者で御座います、これは戦で使えると思ったのです。何より桔梗殿がお使いになっている武具で御座います。桔梗殿の目に狂いは無いでしょう」
いや、それ私が貰ってきたんだけど?
「そして鉄砲を手に入れ桔梗殿に師事致せば、一緒にいられる事にも気付いたので御座います!」
結局それが目的か!
「某の気持ちを桔梗殿にお伝えするのには暫しの時が必要かと存じます。ですが、桔梗殿に鉄砲を師事し、共に時を過ごせば某の気持ちを伝える事も、容易になるやも知れぬと考えたので御座います」
まて、私に浮気の片棒を担げと?
「そのような理由がありまして、若殿から鉄砲を頂きたく参上した次第です」
とても正直なのは良い事だと思うけど、黙れよこの変態ストーカー!それにしても桔梗はモテる。お淑やかだし、色白だし、可愛いし、髪もサラサラで艶々してるし、優しいし、強いし、女子力高いし、あれ?なんだか涙が出そうなんだけど?別に嫉妬はしてない筈?
「如何なされました?」
「別に何でもないよ、汗が目に入っただけ」
私は手ぬぐいで涙を拭いた。
「それで鉄砲だったね?」
「はっ、是非某にも頂きたく存じます」
「今は鉄砲は余分に無いんだよ、今作っている所だから完成待ちになるよ?」
私の言葉に手塚が目を剥いた。
「―――なっ!それはいつ頃出来るので御座いましょうか?」
お前怖いんだよ!私はそっと手塚から距離を置いた。
「早くても冬前じゃないかな?それにタダではあげられないし、浮気の片棒を担ぐ事は出来ません!奥方に言いつけるよ?」
「うっ、それはご勘弁を」
「あんなに綺麗な奥方がいるのに何を考えているの?奥方がそんなに怖いなら桔梗に手を出さなければいいでしょ?」
手塚は立ち上がると空を見上げ口を開いた。
「お若い若殿にはまだお分かりにならないでしょうが、男にはやらねばならない時というものがあるのです。足を挫けば膝で這い、指を挫けば肘で這うので御座います。この某の熱き心を桔梗殿にお伝えせねばならないのです。いづれ……。若殿にも分かる時が来るでしょう……」
わかんねーよ!
「百歩譲って桔梗から鉄砲を教えてもらうのは許すけど、手を出したら奥方にいいつけるよ!絶対だからね!」
「そっ、それは。もしこの様な事が露見すれば、某は数日寝込む事になるでしょう。いや、下手をすればこの世におらぬかもしれません。某が仕える妻はそれはそれは恐ろしい御方なのです。どうかご勘弁を」
某が仕える妻?夫婦関係が凄く気になるセリフだけどこの男はダメだ。
「桔梗に手を出さないと誓う事、鉄砲は代金を支払う事。この二つの約束を守れば鉄砲は譲るし、桔梗への師事も認めます。手塚は危なそうだから起請文も出してもらった方が良いかもね」
「仕方ありません、桔梗殿の御側にいる為なら誓わざるを得ません。鉄砲の代金も支払いますが如何程で御座いましょうか?」
起請文はスルーしたね。油断できないな。
「鉄砲は高価なんだけど金一枚だよ」
「なっ、そのように高価なので御座いますか!」
「一応言っておくけど、堺での相場は金十枚だからね?身内価格で金一枚は格安なんだよ?」
「しかし、某にはそのような大金を用意するのは不可能で御座います」
「何言ってるの?手塚は城代でしょ?無理をすれば金十枚だって払えるでしょうに」
「某の家はお小遣い制なのです。妻から頂ける僅かな銭を大切に使っているのです」
この人は何を言っているんだろう?
「城の経費で求めればいいでしょ?城代なのだから軍資金から出せばいいでしょ?」
「我が城は妻が差配しております。某には実権が無いので御座います」
どれだけ信用が無いのよこの人。じゃ、なに?奥方が政をしてるって事?
「では奥方にお願いするしかないよね」
「いや、それは難しいかと、妻はとても勘の良い御方なのです。企みが露見するでしょう」
「うん、企んでいるんだ?この話は無かった事になるね」
「お待ち下さい!言葉のあやで御座います。今や某の心はこの空のように青く澄んでおります。誤解なさらないよう」
ん~どうしたものか?タダであげる訳にはいかないし。そうしていたら遠くに桔梗と子供達の姿が見えた。お弁当を頼んでいたのだ。
「若殿、お食事をお持ちしました」
桔梗は私に一礼し、次いで手塚に一礼した。
「ありがとう、四郎!又五郎!お昼だよ!」
私は昼食を摂る事にした。手塚は放っておこう。今日は皆で食べる約束をしていたので桔梗も子供達も一緒だ。勿論、手塚の分は無い。
「手塚様、宜しければこちらをどうぞ」
桔梗が自分の分のおにぎりを手塚に差し出した。
「かっ、かっ、かっ、かっ、かたじけのう御座います」
どれだけ緊張してるんだよ。手塚は大切そうにおにぎりを捧げ持っている。無視しとこう。それにしても桔梗は優しい。私なんて一個も譲らない覚悟なのに大したものである。にしても鉄砲どうしようかな?もぐもぐしながら考える。動機はともかく、手塚が鉄砲を使えるようになるのは喜ばしい事だ。練習は早ければ早いほどいいんだけど……。
昼食を終えた私は手塚に伝える。
「手塚、今から片野の城に参ります。案内しなさい。桔梗、供をしてくれる?」
「お待ち下さい!某、誓いは守りますのでどうかそれだけは!」
必死の形相で彼は土下座した。そういうの止めて欲しいのだけど。
「安心しなさい。奥方に鉄砲の話をするだけだから心配いらないよ」
「真で御座いますか?」
「私が手塚を売る訳ないでしょ?」
「この手塚、一族の末端まで若殿に忠誠を誓います」
そう言うと地べたに座り直し彼は平伏した。いや、貴方実権が無いんでしょ?私達は手塚の案内で片野城に向かった。私は奥に通され手塚の奥方と対面した。ちなみに彼女は雪と言う。とても綺麗な人である。手塚には勿体ないと思う。手塚は真っ青な顔で座っている。浮気バレるよ?
私は雪に鉄砲の話をした。これからの戦は鉄砲が主流になると考えている、鉄砲は高価だけど自分が作っているから格安で譲れる、玉薬はいずれ高騰するから今の内に備蓄する必要がある、手塚が鉄砲に興味を持っている、使い方はここにいる桔梗が教えるなど。そして軽く片目を閉じウインクする。それを見た雪は瞬時に察したのだろう。チラリと桔梗をそして手塚を見た。私は小さく頷くと雪も同様に頷いた。
「若殿には大変ご迷惑でしょうが、宜しくお願い致します」
「私も鉄砲撃ちは早く育てたいので問題ないよ。ただ、知らない者は鉄砲の値が高過ぎると感じるようだから、雪に説明がいると思ったんだよ」
「私も鉄砲なるものは見た事も聞いた事も御座いませんが、若殿がそうおっしゃるなら必要なのでしょう。夫が習得しましたら見させて貰います」
「うーん、では桔梗を派遣するから手塚が習っているのを見るといいよ。びっくりするから」
「それは楽しみで御座います」
「真面目な話なんだけど片野の城は佐竹を抑える重要な城だから鉄砲もなるべく早く入れたいんだよ。雪もよく見て判断して欲しい」
「畏まりました、この雪、敵に片野の城を抜かせないと御誓いします。どうぞお任せいただけますよう」
そう言って雪は平伏した。えっと、まぁいいか。雪の方が頼りになりそうだし。こうして手塚は鉄砲を手に入れる事が出来るようになったのである。ちなみに練習は雪が付いているので浮気は出来ないだろう。




