第十八話 鉄砲と信長の手紙
宗久から送られた職人達も各々生活を整え、作業を開始している。米の増産に目途が付きつつあるので、本格的に産業に力を入れていくつもりだ。私はこのタイミングで、戸崎の備蓄米をぎりぎりまで放出した。刈入れ前の値が高く付く時期である。今年の収穫を当て込んでの事だけど、万一の時は宍倉の城の米があるし大丈夫だろう。資金には余裕があるけど増産分の米が入るので、米の価格が高い内に売り払ったのだ。私の行動を見た久幹もそれに倣い、今の私達は潤沢な資金を持っている。勿論、全部使うけどね。結局のところ領を富ませようとすれば、投資するしか無いのである。そしてこの資金の一部で私は千石船を発注した。関東から東北は人が少ない。だから駿府か尾張か堺に交易船を出そうと思ったのだ。出来れば小田原に出したいのだけど、北条とは河越での因縁があるから無理そう。産業に力を入れても売れなければ意味は無いのだ。だから売れる物を作って船に乗せて売りに行き、手に入れた資金で土浦の街への投資や職人を誘致し、産物を増やす予定なのだ。プチ堺計画の発動である!なのだけど、今はようやく各工房が立ち上がったばかりなので、先の話になると思う。
今日は鉄砲鍛冶師の甚平の所へ来ている。百地のアドバイスが効力を発揮したのか、鍛冶場はそのまま使えるとの事。ただ、量産の為にもう一棟必要だと言われたので、急いで建設している所である。百地に依頼した職人はすぐに見つかった。タイミングが良いのか悪いのか判らないけれど、関東はずっと不況だ。田舎だから職人が居ない訳ではないのだ。ただ、腕の良い職人は都会に行ってしまうのである。そのあたりは現代日本と何も変わらないのだ。二名の鍛冶職人を受け入れ、甚平による教育が始まっている。甚平と何度か鉄砲の分担作業の打ち合わせをし、結局追加で鍛冶師を四名雇う事になった。仕込めば年五十丁は楽に作れる、との頼もしい言葉を貰った。鉄砲衆の規模も決めないといけないのだけど、あまり増えても問題が出そうなので、百くらいで考えている。孤児を探すのも案外大変なのだ。彼等の兄弟姉妹が成長すれば撃ち手を増やせるから、それで良しとしよう。
「若殿、鉄砲衆に力を入れておりますが、ここまでするほど使える物なのでしょうか?」
政貞は鍛冶場の仕事を眺めながら疑問を口にした。
「玉込めに時が掛かりすぎるのを言っていると思うんだけど、戦をするのは鉄砲衆だけではないでしょ?」
「まぁ、確かに。我等も居りますからな」
「鉄砲は弓より遠くに届くし威力もあるよね。例えば戦が始まって百丁の鉄砲が敵の将だけを狙って撃ったら、一発くらい当たると思わない?」
「成る程、桔梗に見せて貰いましたが当たればタダでは済みませぬ。百丁の鉄砲に自分が狙われると考えると恐ろしいですな」
想像しているのだろうか、虚空を眺めるようにして政貞は腕を組んだ。
「鉄砲も槍も道具だから使い方なんだよ。卑怯と言う者も出るだろうけど、戦に負けたら意味ないよね?」
この頃って一騎打ちとか普通だから嫌なんだよね。私は遠距離から一方的に攻撃するのが好きなんだよ!
「そうですな、負ければ城に籠もることは出来ますが、領は荒らされるでしょう。育てた領を荒らされるのも癪ですな」
「そこで政貞に提案なんだけど、菅谷でも鉄砲衆を作らない?」
「我らがで御座いますか?」
「毎年五十丁作れるようになると思うんだけど、鉄砲余るんだよね。私が多く抱えてもいいんだけど、いずれは備え毎に鉄砲衆を置きたいんだよ。鉄砲を「バーン」と撃ってから攻め掛かれば敵も驚くよ」
私は政貞に鉄砲を撃つ真似をしながらニコリと笑う。
「ふむ、一考の価値はありますな。確かに数が揃えば脅威ですな。雨の日には使えないと申されたので、そこも気になる所です」
さすが勇将と言われる政貞である。普段は口うるさい先生のようだけど、坂東武者としては一流なのだ。
「それは仕方ないよね。でも雨の中の戦って実際少ないよね?長く対陣するならともかくだけど?」
「そうですな、要は使い処と言う訳ですな」
「鉄砲は今は知る人も少ないけど、必ず日ノ本中に広まると思うよ?先んずれば制すとも言うし、何より軍は確実に強くなるよ。だって桔梗が集めて来た子供達が当てれば、敵将を討ち取れるんだよ。つまり鉄砲は少し練習すれば、誰でも使えて敵を倒せるという事なんだよ」
「あの子等も鉄砲を持てば武者を討ち取れるとは、空恐ろしい。うむ、使えますな。某も検討してみましょう。いずれにせよ父上に相談しないといけません」
「鉄砲は私から買ってね。格安で売るから」
それを聞いた政貞は胡散臭そうな顔で私を見る。
「いくらでお譲り頂けるのですか?」
「金一枚(100万円)でどう?」
「金一枚ですと!いくら何でも高すぎます!」
政貞はお金が絡むと反応が強いんだよね。
「何を言ってるの?私が宗久殿から頂いた鉄砲は一丁金十枚だよ?とても良心的だと思うけど?」
「それは真で御座いますか!金十枚だとすると十丁で金百枚ではありませんか!」
「嘘なんてつきません!あの今井宗久が金十枚でも売れると考えたのが鉄砲だよ?でも、そんな銭は払えないから私は領で作ろうと思ったんだよ」
「そう言う事で御座いましたか……。しかし金一枚は何とも」
「収穫が増えるんだから一部を回せば大した負担じゃないよ。鉄砲より玉薬の方が私は心配だよ、無ければただの置物だし」
新入りの鍛冶師に指導する甚平を眺めながら私は続ける。
「私は玉薬も買い込んでいるよ。出来るなら倉一杯に欲しいくらい。鉄砲が広まれば玉薬は確実に高騰する。解り易く言うと、不作になれば米は高騰するでしょ?玉薬はそれがずっと続くんだよ。だから私は久幹と百地にも備蓄するよう命じているよ」
「そこまで考えておられましたか」
「私が勝貞に命じれば否も応もなく従うだろうけど、それだと意味が無いんだよね。自分の頭で考えて本当に必要だと思わないと、鉄砲衆だって育たないよ。少なくとも私は小田家を守るためには、絶対必要だと思っている」
「ふむ、若殿のおっしゃる事ですから間違いは無さそうですな。しかし、武者が鉄砲を使うかが問題です。若殿のように孤児を拾い集める訳にも参りませんし」
「菅谷なら奉公人を使えばいいんだよ。私は父上に領を貰ったばかりでいないから、桔梗に頼んでいるんだよ。今はやって良かったと思ってるけどね」
「承知しました、それなら出来そうです。それに某もしっかりと考えてみます」
「うん、そうしてくれると助かるよ。一年経つ毎に玉薬は値が上がるから、出来るなら玉薬の備蓄だけでも始めて欲しい。本当に命じたいくらい重要だと思ってる」
「検討致します、若殿も色々考えておいでなのですな」
「領を富ませても戦に負ければ取られちゃうからね、私も必死なんだよ」
本当に必死にやらないと生きていけないのが戦国の世である。早く信長に天下を取って欲しいものである。信長を思い出したせいなのか分からないけど、城に帰った私を待っていたのは信長からの手紙であった。私は私室に戻ると信長の手紙に目を通す。内容は挨拶から始まり近況が記されていた。
「ご無沙汰しております、氏治殿はお元気でしょうか?あれから随分時が経ちましたが、私は初めて氏治殿にお会いした事を……。鮮明に思い出せます」
あれは私の黒歴史だから忘れて欲しいんだけど?
「氏治殿の語られた国造りは順調に進んでいるのでしょうか?……。とても気になります」
貴方はそれ所じゃ無い気がするんだけど?
「氏治殿と語らったあの日、私の世界は大きく変わった気がします。氏治殿のお考えに触れ、私の中の何かが変わったのだと……。そう思えるのです」
だから、忘れて欲しいのだけど?
「氏治殿には容易く看破された策は今も続けています……。とても辛いです」
まぁ、キレイな信長が素のようだからキツイだろうね。でも私に訴えるのは止めて欲しい。
「ですが、氏治殿のおっしゃる通り続けようと思います。最近では誰が敵で誰が味方か判断出来るようになって来ました……。とても悲しいです」
他家の私にそんな事教えていいのだろうか?あと、悲しいとか言われても困るんですけど?
「敵を欺くにはまず味方からを信じて策を弄しておりましたが、氏治殿から頂いた助言を信じて家臣の平手に策を打ち明けました。平手は私の策を理解し泣いていました……。私も泣きました」
おーっ、平手さんの生存ルートが出来たって事だよね!でも私に言わないで欲しいのだけど?
「氏治殿は私の心が強いのだとおっしゃりましたが本当の私はこんなものです……。お恥ずかしい」
信長が赤裸々過ぎて引くんだけど?あと私に言うのは止めて欲しい。
「私も氏治殿に並び立つべく努力をしていますが……。正直、険しい道だと痛感する次第です」
いや、私はそんな大した人間じゃないからね?ただのオタだからね?
「氏治殿から教えを受けた犬千代も毎日槍を折る訓練をしています……。まだ折れていません」
私は何も教えてないんですが?なんで槍折ろうとしてるの、あの不良は?
「私も兵書を読み学んでいるのですがとても難しく理解が出来たとは言えない状態です……。心が折れそうです」
ふむ、漢文だし師がいても内容理解してないだろうしね。でも私に弱音を吐くのは止めて欲しい。
「これでは氏治殿に並び立つ事など夢のまた夢です……。悩んでいます」
私はいつからお悩み相談所になったのだろう?
「文を差し上げたのは氏治殿なら助言を頂けるのではないかと考えた次第です……。期待してしまいます」
私は彼の中でどんな存在になっているのだろう?あと勝手に期待するのは止めて欲しい。
「お土産に尾張の味噌を送ります……。とても美味しいです」
味噌ですか、これは嬉しいな。濃い味好きの信長らしいお土産だね。
「氏治殿の健康をお祈りして筆を置こうと思います……。お元気で」
なんか、死んじゃいそうな雰囲気なんですけど?
「織田三郎信長」
私は一つ息を吐いた。通説の信長は革新的な革命児や権威の破壊者などと呼ばれている。ドラマで描かれている姿はただのチンピラだ。でも資料から伺える彼の実像は神仏を大切にし、権威を理解し同調し、礼儀や約束を重視し、家臣の裏切りにも寛大だ。そこから見える信長像は心優しい常識人だと私は思っている。現に私が触れた信長はナイーブで礼儀正しい若者だった。案外この時期の傾奇者の真似事が彼のトラウマになり後の信長の性格を形作ったのではないかと思えるくらいだ。私はチラリと視線を動かした。そこには私が翻訳した孫子が置かれている。タイトルを変えたのだけど氏治新書はゴロが悪いし、幼名の小太郎もなんか変だったので「私と孫子」に変更してある。深夜のテンションでやらかした気はする。桔梗に遠慮がちに勧めたのだけど、本の厚さを見て頬を引きつらせた桔梗にやんわり遠慮されてしまった。以来、読む者もなく放置してある状態だ。この時代では禁書な気もするけど信長に貸してあげよう。なんか悩んでるみたいだし、人から頼られて悪い気もしないし。信長には天下を取って欲しいから足しになるなら良いだろう。そう決めると私は信長への返書を書き始めた。




