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第百七十話 ビブリオマニア


 半兵衛が小田家に仕官してから一月(ひとつき)が過ぎた頃、美濃の竹中重元が小田家にやって来た。来月の吉日には戦があるからギリギリの到着である。


 竹中重元を登用出来るか心配していたけど、親子が分かれているのは良くないので私は安心したのだ。幾ら優秀とは言っても半兵衛はまだ十二なので親は必要だと思う。私は半兵衛を連れて重元を出迎えたけれど、半兵衛を見た重元は涙を流して再会を喜んでいた。光秀から子煩悩だと聞いていたけど、自分の子供が半兵衛のように可愛くて優秀だったら無理もないと思う。


 竹中重元からは上杉攻めに参加したいと要望があって、半兵衛の郎党が少ない事を私は気にしていたので、喜んで許可をしたのである。重元からは今回の戦を半兵衛の初陣にしたいと伝えられたけど、私は半兵衛から初陣は済ませたと聞いていたので、それを重元に伝えると、半兵衛が青猿と家来を引き連れて勝手に野盗退治に出掛けたそうで、半兵衛本人はそれを初陣と主張したのだそうだ。更に元服も半兵衛の自己申告なのが発覚した。可愛い顔をしているけど、考え方がワイルド過ぎて流石の私も呆れたのである。半兵衛曰く、気持ちが大事なのだそうだ。とてもトウィンーズの言葉とは思えない。


 そして元の名の重虎から重治に改名したけど、治の字は私から取ったそうだ。開いた口が塞がらないとはこの事である。私は重元にどうして認めたのか聞いてみたら、言っても言う事を聞かないし、元服の儀は行う予定だったから、その時に検討すればいいと考えていたそうだ。


 何だか、色々と突っ込み所が満載過ぎて理解に苦しむけど、解った事は、重元が半兵衛に甘い事と、半兵衛は自分の事は自分で決める質である事だった。


 なので、私はこの戦を半兵衛の初陣にして、元服の儀もしてしまおうと提案したのだ。勿論、烏帽子親は私である。烏帽子親と烏帽子子は血縁関係が無くても、それに近いものとして扱われる。国主である私が烏帽子親を務めるのだから、半兵衛は私の一門の扱いを受ける事が出来る。烏帽子親である私は半兵衛の仮の親になるからである。優遇し過ぎると家臣から反感を持つ人が出そうだけど、半兵衛の立場が強化されるのは喜ばしいので、私としては問題無しである。ただ、一門からまたクレームが付きそうである。それは私が一門の烏帽子親を断っていたからだ。後継者問題があるので、変に繋がりを作りたくなかったのである。


 私の提案を聞いた竹中重元は文字通り顎を落としていた。新参の竹中家が、小田家の一門になるのだから驚くのも無理は無いと思う。私は政貞の子が生まれれば烏帽子親になると政貞や勝貞に宣言しているし、久幹には久幹の子である四歳になる小次郎の烏帽子親になる事を約束している。だから単に順番の問題である。菅谷と真壁は私の最側近だし、竹中家もそうするつもりなのだ。ただ、家臣は色々勘ぐってしまうとは思う。そんな事があって、竹中家は大慌てで新居や城を整える事に奔走する事になる。


 十月になり、あと十日で出陣となる。半兵衛が来てから一月以上経つけど、毎日、熊蔵のスペシャルメニューを食べて、午前中は剣や弓、槍の稽古をし、午後は政貞と光秀の政務の手伝いをしている。最近は半兵衛の弟の久作も食卓に呼んでいる。それは竹中家の食卓事情を半兵衛の母親である妙から聞いたからである。


 ある日、私は桔梗と半兵衛を伴って、竹中の屋敷に遊びに行った。半兵衛が自慢の書を見せたいと言っていたし、竹中家とは付き合いが無きに等しいので、お互いの事を知りたいと考えたからだ。元服の儀は出陣の直前に行う事が正式に決まったので、竹中家は小田家の一門に内定している状態である。ちなみに偏諱(へんき)は治を与える事になる。


 竹中の屋敷に到着すると、善左衛門が屋敷の前で家来と待っていてくれたけど、重元と妙の姿が見えなかった。どうしたのだろうと思っていたら、私の様子を見た善左衛門が申し訳なさそうに頭を下げた。


 「御屋形様、申し訳御座いませぬ。殿と奥方様は取り込み中でして、某がお出迎えに―――」


 「ぎゃあぁぁーす!!」


 善左衛門が言い終わらない内に屋敷の中から叫び声が聞こえて来た。


 「御屋形様。父上の危機で御座います。早う参りましょう」


 半兵衛がそう言って屋敷の門を潜った。私と桔梗は顔を見合わせてから半兵衛に続く。半兵衛は屋敷には入らずに中庭へ向かったので、桔梗と後を付いて行く。男女が争う声が聞こえて来て、ただ事ではないと足を速め、中庭に到着し、声の主を探すと、屋敷の座敷で重元が妙に腕を獲られて組み伏せられていた。


 「いだだだだっ!離さぬか!無礼者!無礼者!」


 顔を真っ赤にした重元がじたばたと藻掻いているけど、腕の関節を完全に決められているようである。そして重元を押さえ付ける妙は鬼の形相で重元を睨め付けていた。


 「離しませぬ!今日と言う今日は勘弁なりませぬ!」


 妙はそう言いながら更に重元の腕を捻り上げる。


 「ぐおぉぉぉ!腕が!腕があぁぁぁ!!」


 「あれ程申し上げましたのに性懲りも無く書などを求めてお前様には呆れました!!」


 「があぁぁ!離さんか!この家の主は儂ぞ!主に手を挙げるとは何事か!女子(おなご)と思うて手加減して居れば、今日と言う今日は勘弁ならん!そこへ直れ!!」


 「いいえ離しませぬ!お前様!力でこの妙に敵うとお思いか!!」


 壮絶な夫婦喧嘩だった。二人とも元気一杯な様子だけど、私には踏み込んで行く勇気は無い。私と桔梗がオロオロしていると、落ち着いた様子で半兵衛が進み出て、二人に声を掛けた。


 「父上、母上、御屋形様の御前で御座います。お控え下さい」


 半兵衛にそう言われた二人はハッとした様子で中庭に居る私を見て、慌ててその場に平伏した。取り合えず乱闘が終わったようなので、私はホッとしながら二人に声を掛けた。


 「もういいのかな?よく解らないけど、喧嘩は良くないよ?」


 「お恥ずかしい所を御見せ致しました。お出迎えにも上がらず、この重元の無礼をお許し下さい!これ!其の方も詫びんか!」


 重元が妙にそう言うと、妙は一度重元を睨め付けてから私に詫びた。


 「いいよ、いいよ。お邪魔していいかな?」


 私がそう言うと、二人は慌てて立ち上がり、私達を客間に通してくれた、出されたお茶を飲みながら喧嘩の理由を聞いたけど、重元が勝手に本を買った事が原因だと妙は語った。本を買うくらいで喧嘩になるのが不思議だったけど、喧嘩は程々にと私は二人に伝えたのだ。暫くすると妙も落ち着いたようで、私は妙と世間話をしていた。妙は割とお喋りな人で、色々な話をしたけれど、私は半兵衛がどんな食事をしていたか知りたかったので、妙に聞いてみたらとんでもない状況だった事に驚いたのだ。


 半兵衛の父親である重元が湯水のように銭を使って、半兵衛に本を買い与え続けていたそうだ。購入する本の量が尋常ではないと妙は主張していて、お陰で台所は火の車で、主食は粟と稗を混ぜた麦ご飯だというから驚きである。栄養はあるかもしれないけれど、魚も肉も摂らないのは問題がある。妙は重元の浪費が本当に苦しかったようで、吐き出すように私に訴えて来たのである。

 竹中家は小なりと言えど領主である。多少の贅沢くらいは出来る筈だけど、一体どんな使い方をしたらそうなるのか見当も付かない。妙が今着ている着物も年季が入っているし、女の目線で見れば気の毒になる。本を買い漁って家を傾けるとか洒落にならない。


 「御屋形様。今ではこの様に私は茶を頂いて居りますが、美濃に居た頃はお客様にお出しするのみで、自分で飲む事も叶わなかったのです」


 しみじみとそう言った妙の様子を見て、半兵衛と重元に目をやると、胡坐をかいて座っていた二人がいつの間にか正座になって、両手を膝に乗せて、下を向いていた。悪い事をしたと思ってはいたらしい。二人が同じポーズを取っているのを見て親子なんだなと変に感心してしまった。


 「重元、私は妙の味方をする訳ではないけど、ものには限度があると思うよ?私も女子(おなご)だから台所の事はよく知っているけど、妙はよくやっていると思うよ。こんなに尽くしてくれる奥方なんてそうは居ないよ?」


 「仰る通りで御座います。今後は控えると致しますかな、のう?重虎?」


 「左様で御座いますね、父上」


 にこやかにそう答えた二人を見て、妙は柳眉と(まなじり)を上げていた。うん、私もそう思う。多分、この二人は懲りていない。


 「妙はこれから重臣達の奥方との交流があるのだから、身なりを整えてあげて欲しい。散財は程々にしないといけないよ?家の事に口を出すのは私も憚られるけれど、余り酷いようなら主命として銭の差配を妙に任せる事にするからね?」


 「御屋形様、直ちに命じて頂いても宜しいと思います。この様な主命は末代までの恥で御座いますが、この妙は身命を賭して成し遂げてみせます」


 妙がそう言うと、重元が慌てたように口を開いた。


 「まあ、まあ、そう慌てずとも、この重元は十分反省して居ります。書を求めるのは()()控えますので、ご安心を。のう、重虎?」


 「この半兵衛も父上を支えて参りますので、御屋形様はご安心下さい。書を求めるのは()()控えましょう」


 どのくらいが少々なのか全く判らない。言質を取らせない言い方も怪しいけど、私も本好きだから気持ちは解るんだよね。ただ、生活を破壊するのは別だから、しっかりと見張るとしよう。


 暫くは妙の愚痴を聞いていたけど、妙が侍女に呼ばれて退席すると、半兵衛と重元は足を崩して爽やかな顔をしていた。この親子は救いようがない気がする……。


 「重元、商人をここに呼ぶから、妙に良い着物を沢山作ってあげてね?小物も整えないといけないよ?」


 「承知致しました。御屋形様にご心配をお掛けして申し訳ございませぬ。桔梗殿も驚かれていたようで、面目次第も御座いませぬ」


 部屋の隅に控えている桔梗が重元に頭を下げたけど、桔梗も呆れて聞いていたと思う。桔梗は本嫌いだしね。


 「いいよ、いいよ。妙を大切にしてあげてね。半兵衛、自慢の書を見せてくれるのでしょ?」


 「左様で御座います。私の部屋にお連れ致しますので、そちらで」


 私と桔梗は半兵衛に案内されて部屋を移動した。


 「半兵衛の大の自慢の部屋で御座います」


 「大の自慢?」


 「左様で御座います。御屋形様も書がお好きなので気に入って頂けると思って居ります」


 可愛らしい声で半兵衛はそう言って襖を開けた。八畳くらいの部屋の中を見れば本、本、本と本で埋め尽くされていた。壁には書棚があり、棚は横置きの本で埋め尽くされている。冊子も多いけど、巻物も随分と集めたようだ。床を見れば、高く積み重ねられた冊子があり、まるで本の林のようにあちこちに積まれている。奥を見れば小さな空間になっていて、文机が置かれている。この時代でこれ程の本を個人所有している人は多くはないだろう。間違いない、半兵衛はビブリオマニアだ。


 ビブリオマニアとは愛書狂や読書狂と言った意味合いがある。簡単に言うと本マニアだけど、本に対して異常な愛情と情熱を持つという特徴がある。ビブリオマニアは大昔から世界中に存在していて、その定義も様々である。例えば、美しい装丁の本を()でる為だけに本を集める人もいるし、本が好きで数を集める人もいる。貴重な本だけを集める人もいれば、自分の気に入った本を何冊も所有する人もいる。その最たる特徴は本に対する異常とも言える独占欲である。後世の為に本を残す考えなどは欠片もなく、自分が本を収集する事に全てを掛けるのである。


 現代でもビブリオマニアは大勢いる。日本でもビブリオマニアの定義は様々で、稀覯本を集める事だったり、年に三百冊読む事がマニアを名乗っていい条件だと言う人もいるし、ブリタニカ国際大百科事典を全て読破しないとマニアの資格がないとか、グイン・サーガは読まなきゃダメだよねとか、アン・ブックスを読破するのは基本だよねとか、三千冊の蔵書で初心者であるとか、小説は本では無いと主張する人もいるし、学術書でないと本では無いと言う人もいる。本当に様々である。数多くの主張や偏見がぐちゃぐちゃに混ざったディープな世界。数多の趣味がある中で、歴史が古く、罪深い者達の欲望が渦巻く世界。それが本の世界の真実である。


 日本の神保町は世界で一番古書店がある街として知られている。日本人は本好きなので、ビブリオマニアも大勢いると言う訳である。私も前世で神保町に行った事があるけど、古書店と言っても様々で、歴史の本が多い店や、海外の本専門とか色々あって、私はとても興奮して本を漁ったものである。昔はもっと沢山、本屋があったそうで、スマホの普及で本が売れなくなって閉店が多いと店員さんから話を聞いたのだ。


 半兵衛の知識量はおかしいとは思っていたんだけど、これで謎が解けたのである。妙が本の量が尋常ではないと言っていたけど、妙の言葉は本当に正しかった。重元と半兵衛が悪いと思う。こんなに買ったら妙もキレるよ。そう思いながら隣にいる桔梗を見たら、口に手を当てて驚いていた。半兵衛はそんな桔梗の様子をニコニコして眺め見ていた。


 「凄い量だね。半兵衛、入っていいかな?」


 「御屋形様は驚かれないのですね?」

 

 半兵衛は自慢したかったのかな?今の私の蔵書はハンパないので、半兵衛の蔵書くらいでは驚かないのである。


 「私は半兵衛より沢山持っているからね。私の大の自慢だから(いず)れ見せてあげるよ」


 私がそう言うと半兵衛は驚いた様子で目をしばたたかせていた。


 「私の書より多いのですか?是非、拝見致したく思います!」


 私は半兵衛から入室の許可を貰うと、積み重ねられた本をひょいひょいと避けながら奥にある空間に移動した。半兵衛も慣れた様子で入って来て、私と半兵衛は腰を下ろした。桔梗を見れば、入り口で立ち尽くしていて、戸惑っているようである。


 「桔梗もこっちに来るといいよ」


 私がそう呼び掛けると、桔梗は床をきょろきょろと見回して、「お片付け致します」と床に積まれた本に手を伸ばした。


 「書に触らないで下さい!」


 半兵衛が鋭い声でそう言うと、桔梗は伸ばした手を引っ込めた。そして驚いたように半兵衛を見たのだ。子供の割に冷静で穏やかな半兵衛しか見た事が無かったので、叱責に似た言葉を桔梗に投げ掛けた事に私は驚いた。言われた桔梗も自分がどうしてそう言われたのか理解出来ていないと思う。私も驚いたけど、理解は出来てしまう。多分、半兵衛は書痴も入っている。


 書痴の定義も様々だけど、半兵衛は他人に本を触られるのが嫌いな質なのだと思う。それと恐らくは、床に積まれた本も、半兵衛なりに計算して置いているのだと思う。この空間に座ると解るけど、本の林に囲まれて読書出来るのは本好きにとって幸せな環境である。


 私は桔梗を再度呼ぶと、桔梗はおずおずとした態度で私の横に腰を下ろした。


 「半兵衛の気持ちと考えは理解出来るけど、桔梗に謝らないといけないよ?」

 

 私がそう言うと半兵衛は床に手を突いて桔梗に詫びた。


 「桔梗殿、半兵衛の無礼をお許し下さい。私は自分の書に触れられるのが嫌いで御座います。直さねばと思ってはいるのですが、あのような事を申してしまいました」


 「半兵衛様のお許しも無く書に触れようとした桔梗が悪いので御座います。お気になさらずに」


 何というか、半兵衛はある意味、非常に厄介な性格をしている。勝手に元服するし、勝手に初陣するし、普段はとても良い子なんだけど、私がしっかりと管理しないとダメな気がする。愛洲も生活無能力者だからちょこちょこ様子を見に行っているけど、半兵衛も大した違いが無いような気がする。一人暮らしをさせたら生活費を全て本に注ぎ込みそうだ。そして、そんな半兵衛の生活を見かねた彼女が食事の世話をしたり、お小遣いをあげるけど、そのお小遣いも本に注ぎ込んで叱られるという未来が見えた。この調子で行くと、半兵衛はロクデナシになりそうな気がする。


 「実は、母上にも同じような事を致してしまったのです。母上はお許し下さいましたが、半兵衛はまた過ちを繰り返してしまいました。情けない事です」


 妙……。妙が不憫過ぎる。息子に本を買い与える事を喜びにする駄目亭主に、ビブリオマニアの息子……。悪い意味で最強の組み合わせである。私は妙に優しくする事を心に誓った。


 半兵衛は再度桔梗に謝罪して、ようやく和やかな雰囲気になった。私は文机の上に置かれた書付の束が気になって、半兵衛に聞いたのだ。


 「半兵衛は書付も集めているの?」


 私がそう問うと、半兵衛はぱっと顔を輝かせた。


 「これは父上と井ノ口の市へ参った際に手に入れたのですが、どう纏めようかと思案致している所です」


 半兵衛はそう言いながら私に書付の束を差し出した。


 「触っても私を叱らない?」


 「叱りませぬ、半兵衛は十分反省しました。桔梗殿もここの書はお好きにお読み下さい。この半兵衛が特別に許します」


 半兵衛の言葉の端々に違和感を感じるけど、読書狂とはこういうものなので気にしないでおこう。桔梗は絶対読まないだろうなと思いながら、私は半兵衛から書付の束を受け取ると、パラパラと捲りながら目を通した。字の手習いに使った物や、文を書き損じた物や、帳簿を書き損じた物など様々である。この時代は紙は貴重なので、書き損じたから紙を丸めて捨ててしまうような事は無い。障子の張替えに使ったり、行灯に張ったり、用途は様々である。だから、市などで束で売られている事があるのだ。


 「こういうのも面白いよね。私も書付は溜め込んでいるけど、量が多すぎて目も通していないよ」


 「御屋形様も書付の良さが解るのですね!母上は半兵衛が集めた書付を行灯の張替えに使おうとした事があるのです。私がいち早く気付いてお返しして貰えたのですが、一歩遅れれば大変な惨事になる所で御座いました」


 「そ、そう……」


 半兵衛が何歳の頃の話か判らないけど、妙が大変だという事はよく理解出来る。他人にはゴミに見えても収集家にとっては宝物だからね。でも、書き損じた紙を後生大事に宝物にしている息子を持った母親の気持ちとはどんな感じなのだろう?そう思いながら私が書付を読んでいると、半兵衛は立ち上がって、書棚から冊子をまとめて取り出した。そしてその冊子を重そうにしながら桔梗の前にどんと置いた。


 「この書は半兵衛の気に入りで御座います。とても良い書なので特別に桔梗殿にお貸し致します。桔梗殿に無礼を働いたお詫びで御座います。読まれましたら、どの様にお考えになったかお聞かせ下さい。楽しみにして居ります」


 目の前に置かれた大量の本を見て、桔梗は眼を見開いて、口に手を当てて慄いていた。


 「きっ、きっ、きっ、桔梗は気にして居りませぬ!お詫びを頂く訳には参りませぬ!」


 いつになく必死な様子の桔梗に対して、半兵衛はニコニコしながら答える。


 「いいえ、お詫びを致さねばこの半兵衛の面目が立ちません。とても良い書で御座いますから、桔梗殿もきっと満足頂けると思います」


 眼をキラキラ輝かせながら本を勧める半兵衛を見た桔梗は断れなかったようで、「でっ、ではお借り致します……」と返事をしたのだ。本の表紙を見ると戦国策と記されていた。桔梗はこの本の感想を半兵衛から求められるようだけど大丈夫だろうか?桔梗が敗北する所を初めて見たけど、桔梗も子供には勝てないようである。但し、半兵衛への感想返しはこの時代における教員レベルの知識が必要になる。いつも私を見殺しにした罰が当たったようである。

 顔色を変えたまま、目の前に積み重ねられた戦国策を桔梗はじっと見つめていた。どうやって誤魔化そうか必死に考えていると思われる。本嫌いの桔梗にとっては拷問に等しい。その様子をニコニコと半兵衛は眺めている。


 「戦国策があるという事は、半兵衛は三史は読んだの?」


 「はい、読みました。実はその三史絡みなのですが、此度、御屋形様に御見せする半兵衛の自慢の書なので御座います」


 半兵衛はそう言うと、書棚から箱を取り出して私の前に置き、蓋を開けた。中には巻物が入っていて、随分と傷んでいるのが見て取れた。


 「御屋形様にこれの良さがお解りになると嬉しいので御座いますが」


 半兵衛はそう言いながら、私の前に置いた箱をどかし、巻物を少し広げて私の前に置いた。かなり古い物のようで、あちこちボロボロで虫食いが散見される。私は破損に気を付けながら巻物を読んだ。


 「私は目利きに自信が無いから、あまり期待しないでね?…………これは史記だね、うん?……。これってもしかして……。宋代の史記?」


 「御名答で御座います!流石は御屋形様です!」


 流石なのは半兵衛だよ。その歳で本を目利きするとか凄過ぎる。私のコレクションに漢書があるから見当が付いたけど、本当に侮れない子である。


 「古い史記は私も探しているけど、まだ手に入れていないんだよ。これはとても貴重だよ。読みたいけど、傷みが酷くて破けてしまいそう。怖くてこれ以上広げられないよ」


 「それが玉に瑕なので御座います。とても良い書なのですが、これ以上広げると破れてしまいそうで困っているのです。とても良い字で書かれているので愛でる分には不足は無いので御座いますが……」


 半兵衛の趣味が渋過ぎる。十二歳のセリフとは思えないけど、宋代の書物はこの時代でも貴重品扱いなので、何とかしてあげたい。私が生きた現代まで残ったら、国宝とは言わないけど、国指定の遺物に指定されると思う。


 「半兵衛。半兵衛が嫌でなければ、この書を修繕に出してみない?」


 「修繕で御座いますか?」


 「うん。この書のように古い物を直す人達がいるんだよ。堺の今井宗久殿に送って修繕を依頼したらどうかな?修繕の費用は、私が半兵衛の元服のお祝いとして出してあげる。でも、修繕には時が掛かるから、一年掛かるか二年掛かるか判らないよ?この書は半兵衛の宝だから我慢出来るかな?」


 私がそう問うと、半兵衛は暫く悩んでいた。自分の蔵書を手放すのが惜しいのだと思われる。変な表現かも知れないけれど、半兵衛はマニアとして一人前なのだと思われる。愛書狂にとって、自分が一番気に入っている物を手放すのは勇気が要るのだろう。


 「御屋形様。半兵衛は修繕に出そうと思います。この手が届かぬ所にこの書を送ってしまう事は大変心苦しいので御座いますが、この書がこの半兵衛の元に戻る日を、一日千秋の想いで待つと致します。まるで我が子を戦場に送り出すような心持ちで御座いますが、この半兵衛の元に戻りし時は、きっと立派になって帰って来ると信じます」


 何というか、まあいいか?本当に大切にしているようである。宗久殿には大切に扱うように特にお願いしておこう。万一、破損させたら戦になる気がする。

 

 「所で半兵衛?この書は何処で手に入れたの?」


 「この書は父上が奈良を訪れた折に、市で一山で縄で括られて投げ売られていたそうで御座います。他の巻物に紛れ込むように御座いました。傷みが酷いので、目利きから逃れたのだと思われます」


 重元も侮れない。全ては半兵衛の為だろうけど、何処かに行く度にお土産として本や巻物を買ってくるんだろうな。あの様子だと、妙にはお土産が無い気がする。それからは半兵衛と本の話題で盛り上がった。半兵衛気に入りの書を次々と紹介され、私と半兵衛は書評を交わした。その間、桔梗はピクリとも動かずに、半兵衛から借りた戦国策をジッと見つめていた。


 余り長居してはと、私と桔梗は竹中の屋敷をお(いとま)する事にしたけど、半兵衛の部屋から出る際に、桔梗はワザと忘れた振りをして戦国策を置き去りに帰ろうとした。でも、半兵衛に忘れ物だと指摘されて、戦国策は風呂敷に包まれて今は桔梗の手にある。帰り道を桔梗と二人で歩いていると、桔梗が訴えるように私に言う。


 「御屋形様。桔梗はこの書を読まねばいけないので御座いましょうか?」


 「河越で桔梗は私と百地に嫌なものは断れと言っていたでしょ?断れなかったのは桔梗なのだから観念するしかないよ」


 私がそう言うと、桔梗は泣きそうな顔で訴えて来た。


 「ですが、桔梗はこの様な難解な書は読めませぬ。半兵衛様は書を読んで桔梗の考えを求められましたが、桔梗にはどうお答えすれば良いのか判りませぬ」


 「う~ん。私が考えてあげてもいいけど、多分、半兵衛は見破るよ?桔梗に欺かれたと知ったら半兵衛は傷付くかもね?私も手伝うから、桔梗は先ず読んでみるといいよ」


 「他に策は無いので御座いましょうか?全てを欺く御屋形様であれば何か策がある筈で御座います」


 ふ~ん。君、私をそういう目で見ていたのね?


 「こればかりはどうしようもないね。半兵衛は良かれと桔梗に貸したようだから、これを機に書を読んでみるといいよ。私や政貞や光秀も居るから、私達が政務をしている間に桔梗は学問をするしかないね」


 半兵衛から宿題を貰った桔梗は戦国策を読み解く作業に入る事になった。そして出陣を控えた十月五日。信長から先触れの使者が来たと、赤松からの早馬がやって来た。いよいよ、上野攻めが始まる。

 

 一万文字と長い話になってしまいました。分割しようとも考えたのですが、キリが悪いので一話で掲載しました。


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― 新着の感想 ―
[一言] そのうち重治が「私と孫子」「私と政」を読んで興奮して早口になった長文の感想を聞きたいです
[一言] 強烈なブーメランが突き刺さるwww
[一言] 養子縁組ルートに着々と…(笑) でも、キャラ変わらなきゃ家督はわたせませんね。
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