第百六十三話 信長と義昭
光秀と煕子殿の騒動から一カ月が過ぎた。時は天文二十三年(一五五四年)八月である。
義昭殿の上野攻めが稲の刈り入れ後の十月に決まり、同盟国である小田家にも佐竹家から正式に援軍要請があり、私が義昭殿の元へ出向いて打ち合わせを行う事になった。そんな私の元に一通の書状が届いた。差出人は太原雪斎である。
太原雪斎とは以前に北条攻めの援軍要請で会ったきりだったし、太原雪斎個人との交流がある訳ではなかったので、何か重大な事でも起こったのではないかと恐る恐る書状に目を通した。そしてその内容を見て驚いたのである。
太原雪斎からの書状には、休戦中の織田家から要請があり、佐竹家の上野攻めに参陣する為に、織田家の軍勢の今川領の通過を許可して欲しいと言って来たそうだ。大将は柴田勝家で、軍勢の数は五百。義昭殿からも織田家の通行を許可して欲しいと書状が届いたようで、今川家では対応を協議したそうだ。今川家の重臣達は織田家の要請に対して非常識であると共に、織田家と佐竹家が繋がっている事に大いに疑問を持ったそうだ。
ところが、太守である今川義元は例の無い要請に興味を持って、そして小勢であれば問題が無いとして、そして『この程度の事なれば、大国の主として寛容を示すのも良かろう』と軍勢の通過を許可したと記されていた。書状のこの部分だけ太字で書かれていて、太源雪斎がキレているのが伺える。
太原雪斎は義元の決定に納得が行かないようで、もし私が理由を知っているなら教えて欲しいと言って来ているのだ。お堅い太原雪斎には似つかわしくない砕けた話し言葉で文字が綴られていて、状況を正確に伝えようとしている意図が見える書状だった。だけど、私って太原雪斎と仲が良い訳ではないのだけど、友達認定でもされているのだろうか?疑問である。
以前、鷹丸に信秀と信長に北条家との戦の報告に行って貰ったけど、その時に上杉憲政の暴言の話を聞いて信長が激怒したそうだ。そして上野攻めには信長も参加すると鷹丸に言い、私は鷹丸からその報告を聞いて、当初はまぁいいかと思っていたのだけど、後から不安になって信長に書状を出して、危険な事はしないようにお願いしたのだ。だから信長が本当に来るとは考えなかったし、まさか、軍勢を繰り出して来るとは思わなかったので、太原雪斎が知らせて来た内容に大いに驚いたのである。
今川家は大勢の家来を抱える大国である。重臣も大勢いるけれど、今川義元の治世では、今川義元と太原雪斎の二人だけで政が進められているのは後世にも伝わる有名な話である。普通なら重臣の反対に遭って、こんな事が認められる筈は無いのだけど、今川家は義元の力が強く、彼が認めれば何でも通ってしまうのである。
太原雪斎の書状から察すると、義元は太原雪斎に反対されたけど自分の意見を押し通したのだと思う。見方を変えれば、通行を許可した今川義元は大物の貫録を見せつけた感じにも取れるけど、花倉の乱からその後の記録を見るに、彼は優秀な割にうっかりな所があるんだよね?
援軍の大将は柴田勝家だと記されているけど、鷹丸から聞いた信長の言動を考えると、信長は身分を隠して軍勢に参加して来る可能性が高いと私は考えた。もしそうだとしたら、まるで悪戯小僧のようなやり口である。
信長は尾張一国と西三河、六十二万石の後継者である。もし、援軍の道中で信長が討たれる事があったら大事では済まない。信長が通ろうとしているのは不倶戴天の敵である今川義元の領地だし、北条家は私と義昭殿の敵対国である。この様子だと、北条家にも同様の要請をしていると思われる。
でもおかしい。いつもの信長なら私にも相談くらいはする筈だけど、今回は義昭殿と信長二人で相談して決めている。もしかして意図的に私がハブられている?私が聞けば反対するだろうから義昭殿と相談して決めた?兎も角、義昭殿に会って話を聞くしかない。
太原雪斎に対しては、小田家にも同様の要請が来たので許可をしたと返書するしかないと思う。私は信長と今川家を挟撃をする構想を持っているから、今川家とも太原雪斎とも仲良くなりたくないのだ。尤も、この構想は今の所は私だけの考えなので、信長にも知らせていない。太原雪斎に対しては心苦しいけど仕方が無いのである。
でも彼の事だから、この事で小田家と佐竹家、尾張織田家の関係を怪しんでいるかもしれない。織田家との同盟は外部に公言していないので今の所は秘密と言うか、普通の人は常陸に居る私と義昭殿が尾張の織田家と同盟しているなんて考えないだろう。家として縁も所縁も無いし、家格がまるで違うし。
義元の常識からしたら常陸の小田家や佐竹家と尾張の織田家が対等同盟を結んでいるなんて考えられないと思う。それにこの時代は婚姻などの人質を差し出すなり、交換する事で同盟が結ばれるのが一般的である。
だから、流石の太原雪斎も同盟を結んでいるとは考える事が出来ないと思う。なんだかんだ言って、今川義元も太原雪斎も古い時代の人だから、信長や義昭殿のように柔軟な考え方は出来ないと思う。
それに情報の伝達手段が限られているこの時代では、意図的に集めない限り、噂が広まるまでは知る事など出来ないと思われる。しかも今はまだ一五五四年、群雄割拠の真っ只中である。戦争の技術も築城や学問、文化や常識の変化などがこれから花開いていくのである。だから友情で同盟関係にあるとは流石の太原雪斎も想像出来ない筈だ。
兎も角、義昭殿の所へ行って先ずは確認である。太原雪斎への返書は急いで返さなければならないけど、どうやって誤魔化そうかな?頭を捻る必要がありそうだ。
太原雪斎から書状を受け取った二日後、私は主だった家臣を引き連れて義昭殿が居る太田城に向かった。小田家と佐竹家の国境まで佐竹義堅殿が出迎えに来てくれて、私は佐竹家に守られながらの訪問になった。
佐竹義堅殿は佐竹家の分家、東家の当主である。義昭殿からの信頼が厚い重臣である。小田家と佐竹家は戦や交易、経済政策の支援などで交流が多く、他家にも拘らず小田家も佐竹家も互いに顔見知りが多い状態になっている。
小田家に続いて急成長している佐竹家だけど、小田家に追いつけと佐竹家中は貪欲に活動しているようだ。義堅殿曰く、所領を持っていた頃よりも生活が随分と豊かになったそうで、家中の義昭殿への信頼がとても高いのだと言っていた。そして、兵も軍費も全て義昭殿が用意するから楽でいいと笑っていたのだ。義堅殿は会う毎に人間が柔らかくなっている感じがする。人間は生活が豊かになれば自ずと品性を求めるようになるので、小田家も佐竹家も他の戦国武将と比べるとお上品になって来ているようだ。倉廩実ちて礼節を知るである。
太田城に到着すると、義昭殿との挨拶もそこそこに早速軍議である。他家同士の軍議慣れをしている小田家と佐竹家は、やるべき事をさっさとやって、話は酒宴ですればいいみたいな感じになっているのである。酒宴では次郎丸の席と食事も用意されているから、次郎丸は落ち着きなくソワソワしっぱなしである。
その軍議では、今回の上野攻めは十月である事や佐竹家の軍勢は一万である事が私に告げられた。それを基にして小田家の軍勢を決めたけど、佐竹家と同じく一万を出す事になり、合計で二万の軍勢で攻め込む事になった。
私は義昭殿に降伏勧告の使者を出したのか聞いてみた。上杉家は領地を削りに削られて、今では三十四万石である。小田家と佐竹家の同盟軍に抗せる訳も無いのだから降した方が血も流れないし、何より楽である。私の質問に義昭殿は笑いながら答えてくれたけど、上杉家から来た和睦の使者に対して、所領の全てを差し出せば命だけは助けると返答したそうだ。それ以来、使者が来なくなったそうである。義昭殿は敵には容赦なく厳しいようである。
この様子だと、義昭殿の本気を感じた上杉家の首脳陣は義昭殿を動かす事を早々に諦めて、私の所に義昭殿を止めてくれと言って来たのだと思う。義昭殿も信長も上杉憲政に切れていたから許さないだろうし、上杉憲政は勝貞と久幹にボコられているからトラウマになって冷静な判断が出来なくなっているかもしれない。
上杉家の立場で考えれば、名門である御家を潰す訳にも行かないし、援軍の当ても無いだろう。百地の情報操作も手伝って、周辺国への心証も最悪だろうし、周辺国からすれば上杉家に加担すれば大国である小田家と佐竹家を敵に回す事になるのだ。私が彼の立場なら、さっさと野に下ってしまうけど、この時代の人はそんな事は考えられないだろうから気の毒である。
それにしても義昭殿から信長からの援軍の言葉が出てこない。まさか、当日まで秘密にするつもりなのだろうか?結局義昭殿は信長の事には言及せず、軍議は終了したのである。
そして夜になり、酒宴が始まった。私と義昭殿は上座に座り、他愛もない話をしていた。出来上がりつつある小田野殿や、義廉殿、義堅や政貞と久幹が集まって来て、今回の戦の談義を始めたのである。私は義昭殿と話を聞いていたけど、話が途切れた所で義昭殿に話し掛けたのだ。
「此度の戦は今までに例が無いくらい楽な戦になりそうですね?かつては権勢を誇った上杉家も戦を諦めている節がありますし。義昭殿が上野を獲ればご領地は合わせて九十七万石。ご領地の商売の上りを考えれば百万石以上の力を持つ事になりますね」
私がそう言うと、義昭殿は嬉しそうな顔をして答えた。
「左様ですな。氏治殿のご領地の半分ではありますが、この義昭も氏治殿の盟友として恥ずかしくない領地を持つ事が叶います」
義昭殿がそう言うと小田野殿が続けるように口を開いた。
「当家がこの様な大領を持つ事が叶うと思うと、この小田野も励んだ甲斐があると安堵致しまする。油断は禁物で御座いますが、此度の戦の勝ちは揺るぎませぬ」
「小田野殿の仰る通りになりましょう。上杉が兵を掻き集めても八千も集まりますまい。当家が結城と戦を致した経験で考えますれば、上杉方は雑兵を集めるのにも難儀致すとこの政貞は見て居りますれば、先ずは安堵出来るかと存じます。国人の寝返りも考えますれば、万に一つの取りこぼしも無いと存じまする」
「それよ。この義昭も政貞殿のお考えと同様である。油断は出来ぬが、上杉の力は無きに等しいと見て居る。だが、上野の国衆が一人も降って来ないのが気に掛かる」
一人も降って来ていない?私はてっきり数人の国人は佐竹家に寝返っていると思っていたけど、そうではない事に少し驚いたのだ。義昭殿からすれば気になるに決まっている。上杉家の結束は案外固いのだろうか?義昭殿に下野と上野の一部を獲られた上杉憲政の国力は三十四万石程になっている。お米が多く採れる平野部を義昭殿に獲られた上杉憲政はさぞ頭が痛い事だろう。先の大戦で国人は動揺している筈だし、佐竹家は上杉家を滅ぼす事を明言しているのだから国人の離反があって当然だと思う。でも……。上杉家にはあの人が居るんだよね。
「義昭殿?もしかしたら、長野業正殿の力かも知れませんね。名のあるお方ですし、長野殿が国人を抑えているのかも知れません」
私がそう言うと義昭殿は顎を摩りながら少し沈黙した。
「長野殿とは河越で会うた事がありますが、あの御仁ならばあり得ますな?そう言えば正木殿も長野殿の元に身を寄せて居ります。ですが、上杉憲政の名声は地に落ちて居ります。更に申せば援軍の当ても御座いますまい。如何に名があろうとも我等に抗する事など出来ぬ筈」
「そうですね。上杉家からは義昭殿を止めて欲しいと何度も使者が来ましたが、近頃はその使者も来ないので覚悟を決めたのかも知れません。義昭殿?上杉家の家臣や領民には寛大な御処置をお願いしたく存じます」
私がそう言うと義昭殿は酒杯を傾けてぐいっと飲み干した。
「後々の統治も御座いますれば、乱妨取りも致しませぬ。当家も小田家に倣い軍律を変えて居ります。御安心召されよ」
義昭殿が男前である。乱妨取りを抑えるのは本当に大変だし、この時代では非常識な行為である。それをやろうとする義昭殿は本当に尊敬に値する人物である。それはそれとして、さて、そろそろ聞いてみようか?私は重臣達が居なくなったのを見計らって義昭殿に話し掛けた。
「義昭殿、信長殿はいつ頃御着陣されるのですか?」
私がそう問い掛けると義昭殿の動きがピタリと止まった。そしてゆっくりと私に顔を向けた。
「の、の、の、信長殿で御座いますか?こっ、こっ、こっ、この義昭には何が何やら……」
義昭殿、ドモリ過ぎである。この様子だと、信長から口止めされているようである。
「義昭殿がこの氏治に隠し事をされるなんて思いもしませんでした。氏治は義昭殿を心から信じて居りましたのに……」
私が軽く科を作りながらそう言うと義昭殿は慌てたように口を開いた。
「そっ、そっ、そっ、その様な事は御座いませぬ!しっ、しかし!この義昭にも事情があるのです」
「どの様な事情なのですか?」
「そっ、それは……。いっ、言えませぬ」
そこまで言えば白状したも同然だけど、多分、信長と義昭殿で男の約束とか交わしたに違いない。信長は二十歳、義昭殿は二十二歳、二人とも若いし、友人だから、交わした約束は死んでも守りそうである。ちなみに私は前世と合わせると四十一歳である。
義昭殿は嘘が下手というより、吐いたことが無いのだと思う。名門の御曹司だし、武家の男子であるから嘘など以ての外みたいな感じだろうし、必要も無かったんだろうな。私が無言でじーっと見つめていると、次第に汗を掻き始めて、落ち着きなく懐から手拭いを出して汗を拭き始めた。今更私が言っても信長は来るだろうし、義昭殿は生真面目だから苛めたら可哀想なので許してあげよう。
「承知しました。此度はもう何も聞きません。ですが義昭殿?私はいつだって義昭殿や信長殿を案じているのです。それだけはお忘れにならないように。それにしても此度の謀はまるで童の悪戯のようですね?義昭殿も信長殿も大国を背負う身です。お若いお二人なので悪戯の一つや二つは致し方ないとは存じますが、よもや大国を相手にこの様な事を致そうとは、この氏治は驚きを通り越して呆れてしまいました。男が無茶無謀を致すのは氏治も十分存じております。ですが、今少し自重して頂きませんと、この氏治は義昭殿と信長殿が心配で仕方がありません。いっその事、お二人を当家の城にでも閉じ込めておこうかとも考えましたよ?このような悪戯は此度限りにして貰いたいものです」
私がそう言うと、義昭殿は「御尤もで御座います」とか言って居たけど、私の小言が終わると危機を脱したみたいな顔になって、文字通り胸を撫で下ろしていた。そして必死に話題を変えようと色々話し掛けて来た。こうなると義昭殿も可愛いものである。そうしていると、義昭殿は思い出したようにして私に言った。
「失念して居りましたが、氏治殿に会わせたい者が居るのです」
義昭殿はそう言うと、大きい声で「玄馬、こちらに参れ!」と家臣を呼んだ。広間の出口の端っこに、いつものようにボッチ席で独自の空間を作っている愛洲の反対側に座っている人が居たけど、その人がそうらしい。愛洲の事は佐竹家の人達も知っているからそっとしておいているようだけど、愛洲の対面に座っている人は新参の人だと思われる。きっと愛洲に気を遣ったに違いない。
義昭殿に呼ばれてやって来た彼は音無玄馬と名乗り、私は挨拶を受けたけど、義昭殿から羽黒流の忍びだと説明されて驚いたのである。
義昭殿は羽黒流の忍びを丸抱えにして、小田家の百地のように重臣の列に加えたのだそうだ。羽黒流は最上家や奥州の諸大名に仕えていたと私は歴史の記録を読んで記憶しているけど、義昭殿は一体どうやって引き抜いたのかと興味津々である。
私は興味も手伝って思わず彼を凝視してしまった。音無玄馬は私に恐縮しまくっていたけど、昔の百地を思い出してほっこりしたのである。私も百地を音無玄馬に紹介して、義昭殿とはお互いの忍びを使った連絡の手段を検討する事にしたのだ。そして義昭殿は丁度いいと、小田野殿やうちの政貞や久幹を呼び、音無玄馬を登用した経緯を話してくれた。
義昭殿は私が貸し出した鷹丸を凄く評価していて、今後の戦に忍びは欠かせないと考えたそうだ。そして、将来的に奥州に攻め入る事を考えて奥州の忍びを雇おうとした。義昭殿が奥州に人をやって調べてみると、出羽に羽黒流の忍びが居る事が判明して、義昭殿は羽黒流の忍びを登用する事を決断して小田野殿と数人の供を引き連れて出羽を目指して奥州に潜入したそうだ。
道中には敵対国である結城白河家や二階堂家、田村家、畠山家があったけど、山伏姿に扮した義昭殿一行は特に障害も無く通る事が出来たそうだ。そして出羽に潜入して羽黒流の頭目である音無玄馬に接触して登用に成功したそうだ。義昭殿は多少の苦労があったと言っていたけど、義昭殿の大冒険の詳細を聞いた私は大興奮である。
傍で聞いていた政貞は、お酒の勢いも手伝ったのか義昭殿が単身で潜入した事に苦言を呈していた。小田野殿も政貞に同調して義昭殿に苦言を呈していたけど、義昭殿はどこ吹く風である。戦国男児らしいと思ったし、私も十二歳の時に城を抜け出して百地を登用したので、義昭殿の行動には苦言を呈する事は出来なかった。
それにしても、信長も義昭殿も冒険したいお年頃のようである。信長が着陣するまであと二月程あるけど、きっと嬉しそうにやって来るんだろうな。信長の事だから自分の安全が第一なのは理解しているだろうから、他にも手を打っていると思われる。でも心配だから、百地に頼んで信長の軍勢は監視して貰おう。




