第百六十二話 夫婦喧嘩と武田晴信
思いも寄らない苦難を乗り越えて、私は小田へ帰って来た。瀕死と思われた百地も元気を取り戻しての帰還である。この旅では百地との友情が深まったと思う。それに人生について色々と考えさせられた旅でもあった。切っ掛けがマヨネーズである事が納得できないけど……。そして桔梗は要注意である。私は二度と桔梗の性癖に振り回されないと決意したのだ。
留守を任せていた政貞が城門まで出迎えてくれたけど、今一つ表情が優れないのが気になった。何か問題でも発生したのだろうか?気になって聞こうとしたけれど、政貞からは私達が疲れているだろうと休暇を提案されたので、私達は一日休む事にしたのだ。私も気疲れを感じていたので、素直に政貞の提案に従う事にしたのだ。今夜は父上とゆっくり過ごしたいとも考えていたし、緊急の案件であれば直ぐに報告がある筈だと考えた。
そして翌日。私は政貞と共に普段から執務に使っている部屋に足を運んだけど、先に部屋に入っていた光秀の顔を見て驚いたのだ。目の下に隈がくっきりと浮かんでいて、過重労働をし過ぎたのでは?と一目で思えてしまう状態に見えたのだ。
「光秀、その顔はどうしたの?政貞、光秀は休ませているの?」
私は驚いて二人にそう問い掛けたけど、光秀は顔を顰めてから『大事御座いませぬ』と一言だけ言った。私が政貞を振り返ると、政貞は渋面を作りながら私に目で訴えて来た。私は政貞と光秀の様子を見て大事と捉えたので、政貞と別室に移動して話を聞く事にした。光秀のあの様子だと話をしないと感じたのだ。
私と政貞は別室に入ると互いに向き合って腰を下ろした。そして私は政貞に事の理由の話を請うたのだ。政貞は渋面を崩さずに語り始めたけど、余りの内容に私はその場でパタリと倒れたのである。
事の発端は光秀と妻である煕子殿との夫婦喧嘩だそうだ。光秀が余りにも仕事に打ち込み過ぎるので、光秀の身体を心配した煕子殿が休みを貰うように光秀に訴えたそうだ。でも光秀はお役目は戦と同じであるとか、私に大恩があるから励まなければならないとか言って煕子殿の訴えを無視したそうだ。そしてそんな事が何回か続いて夫婦喧嘩にまで発展したそうだ。
光秀は屋敷に帰りたくないからか政貞には素直に夫婦喧嘩をした事を打ち明けてからこう言ったそうだ。
「菅谷殿。この世の全てを忘れられる、のめり込めるお役目をお与え下さい。この明智十兵衛光秀、生涯に一度のお願いで御座います!」
カッコイイ事を言っているような感じだけど、全力で仕事に逃げようとしているのが本当に情けないと思う。こういうのは男らしいとは言わない。政貞も政貞で、光秀のお願いを聞いて仕事をどんどん与えたそうだ。これを聞いて私は頭を抱えたのである。本当にうちの男共は意気地が無いと思う。政貞は仲裁する立場でしょうに!
私は起き上がると腕を組んで政貞を一睨した。
「政貞。貴方は何をしているの?それでは解決にならないし、光秀も煕子殿も救われないでしょう?」
「御屋形様はそう仰られまするが、某には光秀殿の御心も解り申す。我等は命を賭してお役目を果たしているので御座います。それに、某に夫婦喧嘩を仲裁致す才覚は御座いませぬ」
「最後が本音だね?雪と手塚の別れ話の時も逃げようとしたけれど、此度も逃げられないからね?」
私がそう言うと政貞がぐぅと詰まった。こういう時の政貞は本当に頼りにならないのである。それにしても光秀も光秀である。夫婦喧嘩で死に掛けているとか洒落にならないよ。煕子殿はきっと心配していると思う。史実の明智光秀は愛妻家として現代に伝わっているし、煕子殿も生活が苦しい中で連歌会の催しを光秀が担当することになった時に、自分の黒髪を売ることで光秀の為に費用を工面したと伝わっている。後世の誰もが賞賛するおしどり夫婦なのである。
「逃げは致しませぬ。某も日々弱って行く光秀殿を見ている内に怖くなって来たので御座います。この政貞は御屋形様のお帰りを一日千秋の想いでお待ちして居りました。どうかお知恵をお授け下さいませ」
そう言って政貞は平伏したけど、私は懐から扇子を取り出して政貞の頭をパチンと叩いた。本当に情けない言い様である。
「お叱りは御尤もで御座いますが、早う致さねば光秀殿が死にまする」
「政貞がお役目を与えたからこうなったのでしょう?それに私は夫婦になった事なんて無いのだから仲裁の仕方なんて知らないよ。政貞は奥方と喧嘩をした時はどうしているの?」
私は前世で恋人も居なかったし、私の両親が夫婦喧嘩をしている所を見た事が無い。以前、お母さんに喧嘩をした事が無いのかと聞いた事があるけれど、お母さん曰く、子供の前では喧嘩をしない事をお父さんと約束していると言っていた。だから私は夫婦喧嘩を見た事が無いのだ。よって、仲裁の仕方も解らないのである。
「当家では、只々、嵐が過ぎ行くのを待ちまする。それが当家の決まりで御座います」
「情けないね、勝貞に知られたら叱られるよ?」
「御心配には及びませぬ。父上も似たような者で御座いますれば」
新事実が発覚したのである。勝貞のそんな話は聞きたくなかった。私の中のカッコイイ勝貞像が音を立てて崩れて行った。
「き、聞かなかった事にする。勝貞には内密にお願いね?」
「承知致しました」
そして暫く沈黙が続いた。話し合いをすればよいのだろうけど、私と政貞で巧くフォローが出来るとは思えない。誰か、こういう事に明るい人は居ないだろうか?こんな時に限って赤松が居ない。赤松ならば巧く取り持ってくれそうな気がする。早馬を送って武蔵から来てもらおうか?思い出したけど、史実の信長も秀吉の浮気に悩む『ねね』の心を気遣った優しい言葉で励ました手紙が残っていたなぁ。史実の信長も大変だったに違いない。
私と政貞はウンウンと唸りながら考えたけど妙案が浮かばなかったのである。そして苦し紛れに出た案が私の父上に相談するであった。父上の奥方、つまりは私の母上は私が生まれた後に病で亡くなっている。父上は後妻は取らなかったけど、父上の若い頃を知る菊からは仲睦まじかったと聞いていた。人生経験の豊富な父上なら何とかしてくれる気がする。私と政貞はそうと決めると父上の部屋を訪れた。私と政貞の様子を見た父上は怪訝な顔をして片眉を上げていた。
私は父上に事の次第を話したのだ。父上は黙って聞いてくれたけど、聞き終えると呆れたように口を開いたのだ。
「政貞。其の方がしかとせねばならぬ話である。年若き小太郎には荷が重き話である事は仕方なき事だと考えるが、その方は妻がある身である。以後は精進するがよい。此度は我も合力致すが、明智も意気地がないにも程があろう」
父上はそう言うと続けて政貞にお説教を始めた。政貞は汗を掻いて平謝りしていた。そしてお説教が途切れた所で私は父上に質問したのだ。
「父上はこの様な夫婦喧嘩の仲裁に覚えがあるのでしょうか?」
「うむ。昔に赤松の父が奥方と壮絶な喧嘩を致しての、命の獲り合いになった事がある。我はその仲裁をした覚えがある。奥方が振り回した薙刀で我も手傷を負ったが、あの時は生きた心地がしなかったのを覚えて居る」
また赤松だった。親子二代で私と父上に面倒掛けるんじゃないよ!父上も手傷負うなよ!ここまで来ると呪いである。武蔵では私と百地がマヨネーズで死に掛けたから洒落には聞こえない。私が愕然としていると父上が言葉を続けた。
「小太郎、明智と奥方を今宵の夕餉に招くがよい。酒を飲み、心から語らえば解り合う事も出来よう。我と其の方等はその手助けを致すのだ。政貞、其の方の奥方も参じさせよ、女子が少のうては明智の奥方も心細かろう。しかと申し付けたぞ」
「は、初で御座いますか?」
何だか政貞が悩んでいるようだけど、きっと奥方に知られたくないのだと思う。とはいえ、父上の命令は小田家では絶対である。今は私が当主をしているけど、父上の権威は小田家では絶大なのである。私は話が纏まったと判断して退出しようとしたら「待て、小太郎」と父上に呼び止められた。
「何でしょう?父上?」
「うむ。明智の奥方には得物を持参致さぬように申し伝えるがよい」
父上……。煕子殿は暴れたりしないよ……。
その夜。光秀と煕子殿は顔を青ざめさせてやって来た。何故か政貞も顔色が悪かったけど、奥方に叱られたに違いない。光秀と煕子殿は私と父上のプライベート空間である居室に通された。ここには座卓が設置されていて、皆で食卓を囲めるようになっている。
光秀は私と食事をする事が多いから察しているだろうけど、煕子殿は酷く緊張している様子だった。大殿と呼ばれる父上と夕餉を共にするのだから無理も無いと思う。元々が謙虚な人だし、緊張もしているだろうから私は煕子殿を光秀から少しの間借りて、事の事情を話したのだ。そうしたら煕子殿が泣いてしまって私も慌てたけれど、どうにか宥めて夕餉の席に付いて貰ったのである。夕餉の場では私と政貞の奥方の初は煕子殿を気遣い、父上も煕子殿に気遣いを見せたのだ。我が父ながら出来る男である。
そうして皆で夕餉を摂りながら光秀と煕子殿にお酒を勧めたのだ。父上が手ずから珍陀酒を光秀と煕子殿に振舞い、二人に酔いが回ってくると初が本題に切り込んだ。初は光秀と煕子殿を叱るような事は言わなかった。光秀の振舞いをやんわりと諫め、互いの意見を尊重するように諭したのだ。流石は戦国時代の現役の人妻である。たとえ話の一つ一つが勉強になるのである。多分、政貞の事を引き合いに出しているのだろうけど。
初の話が終わると光秀は煕子殿に向き直り、居住まいを正してから両手を突いて煕子殿に詫びたのだ。この時代の武家では考えられない行為である。光秀はこういう事が出来てしまう人なのだ。光秀は煕子殿を自分と対等だと考えていると思われた。彼の煕子殿への愛情が伝わってくるようであった。その様子を見て、父上や政貞や初は大いに驚いていたけど、暫くすると皆の目には涙が浮かんでいて、良かった良かったと皆で言い合ったのだ。煕子殿が泣いてしまって光秀も私達も困惑したけれど、暫くすると笑顔を取り戻してくれたので一安心出来たのである。
その後は仕切り直しとお祝いだと父上が皆にお酒を勧めて、この日の夕餉は光秀と煕子殿の仲を取り持つ事に成功したのである。そして光秀と煕子殿が仲直りした途端に政貞が饒舌になったけど、初に睨まれて直ぐに静かになったのである。私は光秀に休暇を命じて、身体を大切にして欲しいと伝えたのだ。
私は帰宅する光秀と煕子殿を門外まで出て見送った。二人は私に随分と詫びたけど、私は気にしないようにと伝えたのだ。寄り添って歩いて行く二人の手が繋がれていた。小さくなって行く二人の背中を見送りながら私は想う。私がこの時代に生まれて皆の運命が変わってしまった。だけど、光秀と煕子殿の愛情は変わらない。史実では悲惨な最期を遂げた二人だけど、今生では幸せになって欲しいと心から願った。
翌日から私は政務に復帰した。休暇を取らせた光秀の穴を埋めるべく気合を入れていたのだけど、光秀が頑張り過ぎて大した仕事が無かったのだ。あれ程あった訴状も殆ど処理されているし、私が上総に出掛ける前に命じた政策も実行済みだった。政貞から政務の進捗状況を聞くと、私が手を出す必要も無いと思われたので、残りの仕事は光秀を酷使した罰として政貞に押し付けたのである。
楽が出来ていいと、私室に移動して鼻歌交じりで書状の整理をしていたら武田晴信からの書状が目に入った。彼からの書状は毎月届くけど、内容は武田家と小田家の友好を請うもので、毎度代わり映えが無いものである。武田信繁に強気な発言をしてしまったし、武田家とは相容れないので返書もせずに無視している状態である。
私は書状を弄びながらぼんやりと将来起こるであろう武田家との戦の事を考えていると、桔梗から百地の来訪を告げられた。部屋に入って来た百地は少し緊張した面持ちだったので、何かあったのだろうかと思い、私は背筋を伸ばしたのである。百地は私に平伏し、居住まいを正すと口を開いた。
「御屋形様。武田家に忍ばせた者共から報が届きまして御座います」
「えっ?武田家?」
私は一瞬で緊張した。大国になって大きな軍事力を持った今でも私の武田晴信への恐怖は変わらないようだ。
「軍勢が動いた訳では御座いませぬが、武田晴信公の躑躅ヶ崎の館にて、侍女や女中、奉公人の下男下女に至るまで素性改めが御座いました。武田の地に所縁を持たぬ者は尽く館から追い出され、国外に追放されたようで御座います。また、それを皮切りに、武田家の領内の各拠点でも素性改めが行われたそうで御座います。下男下女として忍ばせて居りました我が手の者も国外追放となり、某に報せて参りました」
「討たれた者はいないんだね?」
「御座いませぬ。ですが、武田晴信公のこの動き、明らかに我等を狙っての事かと?ですが、解せませぬ。武田晴信公の今日迄の為さり様を見まするに、問答無用で根切に致しても不思議は御座いませぬ」
確かに百地の言う通りかもしれない。武田晴信が百地の忍びが入り込んでいる懸念を持ったなら、皆殺しにした方が確実だし、敵である私の戦力を低下させる事に繋がるのだ。何だか、武田晴信らしくない。
「何人戻ったの?」
「二十四名で御座います。何れも年老いた者共で御座いますが、抜かりなく武田家を見張って居りましたので真に残念で御座います」
「でも良かったよ。命が一番大事だからね。でも、百地の言う通り武田晴信殿らしくないね?」
「左様で御座います。こうなりますると不気味で御座いますな?御屋形様からは武田晴信公は並ぶ者無き軍略家とお聞き致しましたが、何やら企みでもあるので御座いましょうか?」
百地にそう問われた私は腕を組んで考え込む。私が武田家に対して敵意を明言したから、武田晴信は当然、小田家を最大の敵国だと考える。佐竹家と組んでいるのは知っているだろうから、さぞ頭を抱えた事だと思う。現に、小田家との戦を回避するために定期的に書状を送って来ている。
武田家が小田家に対抗するには幾つか方法があると思うけど、一つは武田家、今川家、北条家で甲相駿の三国同盟を結ぶ事。でも、これは史実になかった連合軍による二回目の北条攻めで状況が変わり、消滅していると思われる。盟約を結んだのが一五五四年だけど、今は一五五四年の七月。太原雪斎が動いている様子は無いし、北条氏康も同様だ。恐らく、三国同盟は結ばれない。
となれば、別の手段になるけど、最も早道なのが信濃の平定だ。四十万石の領地を獲れば、武田家は六十二万石の大大名になれる。金山収入を合わせれば八十万石位の力がありそうである。その上で、今川家と北条家を滅ぼす事が出来れば、大国である小田家と佐竹家の同盟軍に抗する事が出来ると思う。けど、これは理想論だ。武田家の勢力拡張を私が黙って見過ごす事は無いからだ。算盤を弾くまでもなく、武田家は詰んでいると思う。たとえ、今川家の援軍があったとしても、外交なり、信秀と信長に協力要請すれば、今川家は封じられると思う。
だけど、問題もあるんだよね?山に囲まれた甲斐への侵攻は困難を極めると思う。山や谷を堀にして、あの武田晴信が全力で守りに入ったら、大軍を用いたとしても多大な損害が出るだろうし、狭い地形で大軍が意味をなさなくなる可能性が高い。黒鍬衆を作って補給部隊は作ったけれど、所詮は徒歩の部隊なので補給活動も問題である。地の利がある武田晴信に補給部隊を狙われれば、大軍なんて維持できるものではない。それに、私が兵の損失を恐れ過ぎて積極的に動けなくなる可能性も高い。いや、私の性格だと間違いなくそうなると思う。
小田家は大小合わせた小競り合いに至るまで、今の所は全戦全勝である。大戦も奇襲や有利な状況での戦いばかりだったから、将兵にも緩みがあると思うし、何より平城の攻略は楽なのである。だから一気に勢力を拡張できたのだけど、甲斐ではそうは行かないと思う。
私は武田晴信が村上家なり、小笠原家と戦を始めたら甲斐に攻め込み、甲斐への入り口を制圧して、国力にものを言わせた持久戦で数年掛かりで武田家を磨り潰すつもりでいた。でもこの様子だと、武田晴信には隙が無いと思われる。奇襲で一気に甲斐への入り口を確保するのは難しそうである。
私は暫くそうして考え込んだけど、直ぐに良い案が出る訳もなく、気になった事を百地に聞いた。
「武田家の忍びは当家に入り込んでいると考えた方がいいのかな?」
私がそう質問すると、百地は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「御屋形様のご懸念通りで御座いましょう。御領地が大きくなり過ぎました。鉄砲町や職人町がある新治は十分に固めて居りますし、譜代の領民が居るご領地は、よそ者が入りますれば直ちに知らせて参りますので、守りは固いと申せまする。しかし、他のご領地は手薄と言わざるを得ませぬ。更に申せば、各国に『情報収集』を致す為に忍びを多数放って居りますれば、敵方の忍びを防ぐ手勢がまるで足りませぬ」
「伊賀の拠点はどうなっているの?」
「伊賀では孤児を集め、忍びの技を仕込んで居りまする。ですが、物になるまでは十年程掛かりましょう。桔梗や鷹丸、或いは秋のような才ある者は別で御座いますが、数としては当てに出来ませぬ」
「う~ん。忍びの登用って難しいんだよね?百地を口説いた時も随分抵抗されたし?」
私がそう言うと百地は懐かしく思ったのか、柔らかく頬を緩めた。
「伊賀や甲賀で声を掛けているので御座いますが、中々良い返事が貰えませぬ。恐らくはこの百地の組下に入る事を嫌って居ります。忍びには様々な流派が御座いますが、忍びとしての自立心が強う御座います。ですので、我らと対等に遇されるのであれば、登用も叶いましょう」
「百地と対等は無いよ。派閥が出来てしまうのは困るからね。ここは焦らずに新たな『諜報部』の育成を気長に待とうか?武田家に隙が無くなって来たようだけど、当家が攻め滅ぼされる懸念は無いに等しいからね。私は重臣の暗殺が怖いから、その対策だけはしたいと思う。特に軍団長や政貞は替えが利かないから護衛を付けるように命じる事にする」
「承知致しました。ですが、御屋形様ご自身が護衛を増やさねばなりませぬ。君主こそ替えが利かぬので御座います」
「私には百地や桔梗、愛洲が付いているからこれ以上は必要ないよ。次の評定で命じるから、百地からも一名は忍びの護衛を付けてあげて欲しい。また人が足りなくなるね?」
その後も私と百地は国防と諜報に使う忍びの割り振りを話し合った。武田家に忍ばせている忍びは身の安全の為に一度撤収させて、上野を監視して貰う事になった。こうなると領地が大きくなるのも考え物である。




