第百六十話 江戸の湊
上総の御堂巡りと村人の慰撫を終えた私達は椎津城の港から船で江戸城の入り江に向かった。三艘の安宅舟で江戸城を目指すのだけど、護衛の人数が多くて驚いたのだ。飯塚やお銀も乗り込んでいて、私が無事に上陸するのを見届けると言っていた。最近の飯塚は少し心配症になった気がする。三艘の安宅舟には小田家の州浜の軍旗と大吉祥天の旗が風にはためいている。天気も良くて、絶好の航海日和である。
この小さな艦隊の大将は安西景綱という将で、里見家では家老を務めていた人物である。安西家は安房国西部を支配していた士族である。里見家に乗っ取られた上に家臣化されてしまった家だけど、今では小田家に仕官して菅谷水軍の管理下にあるのだ。とは言っても水軍衆としては菅谷水軍が遥かに劣るので、何れは正木家か安西家に水軍を任せるつもりでいる。
目的地である江戸城の入り江は北条家によって軍港になっている。小田家に支配されるまでは江戸城までの制海権を巡って激しい戦をしていたと、昨夜の宴会で安西景綱が語って聞かせてくれたのである。私は歴オタだから兵法なんかは幾つか知っているけど、流石に舟戦の仕方なんて知らない。前世で村上水軍の歴史を調べたり、大三島の鶴姫伝説を追った時に操船の秘術みたいな言葉は目にしたけど、詳しくは調べなかったんだよね。うちの菅谷水軍も軍船での戦の経験がほとんど無いから、安西景綱の話が面白くて色々質問したりして昨夜は本当に楽しかった。
彼の話によると江戸湾は見た目と違って場所によってはとても浅い場所や潮の流れが急に速くなっている場所があったりと海の難所だそうだ。私の知っている東京湾は穏やかなイメージがあったのでとても驚いたのだ。その江戸湾を航行しているけど、場所によって帆や櫂を使い分けていて、それを指揮する安西景綱がとても頼もしく思えた。初老に差し掛かった年齢の彼だけど、老いを感じさせない力強さがあった。流石は海の男である。そう思いながら声を張り上げて指示する船長や忙しそうに働く水夫を眺め見ると、菅谷の水夫がお上品に見えるから不思議である。
そうしている内に江戸城が遠くに見えて来た。船の舳先に座り込んで物見の人の邪魔者になっていた次郎丸も頭を上げて江戸城を確認したようだ。本当に賢い子である。私は船長の傍で飯塚やお銀とその様子を見ていたら安西景綱が私に言う。
「今暫く致せば湊が見えて参ります。小田家、いや、今は当家で御座いますが、飯塚殿と赤松殿の為さり様には驚き申した。波止場の普請や戦船を造るのに銭を惜しまぬので御座いますから。水夫共も多くの駄賃を頂いて居ります故、皆喜んで居ります。我等水軍衆と致しましては有難き事で御座います」
そう言って安西景綱は飯塚を見てニヤリと笑った。
「安西殿。某は御屋形様の御下知に従ったまで、その様に言われると背中が痒うなり申す」
飯塚がそう答えると二人は笑い合っていた。この様子を見ると山賊系の飯塚と赤松は海賊の安西と相性が良いようだ。それにしてもと思うのが、飯塚の成長が著しい。いつも自分は劣る、劣ると言っているけど、うちの家臣で一番伸びているのではないのだろうか?椎津城の城下町や港もしっかりと整備しているし、吸収した里見家の家臣達とも上手に付き合っているようである。
「飯塚はもっと己を誇るといいよ。私は飯塚にお願いしただけなのだから」
私がそう言うと船長が陽気な声を張り上げるように口を開いた。
「小田家のお武家様は上品でいけませぬ。かような事では海の男にはなれませぬぞ!そうで御座いましょう安西様」
船長の言葉を聞いて、安西は組んでいた腕をほどいて腰に当て、困ったように答えた。
「左様かも知れぬが、御屋形様の御前である。徹三、今少し控えよ。儂の立場が無うなるではないか」
安西の言い様と様子が可笑しくて、釣られるように私も口を開いた。
「安西、船長の言う事は尤もだよ。海の男は船長くらいが丁度良いと思うよ?私は気が小さいから剛の者が傍にいてくれた方が安堵出来るよ」
「お聞きになられましたか安西様。この徹三は御屋形様からお墨付きを頂きましたぞ。御屋形様、海に出られる事がありますればこの徹三をお使いなさいませ。御屋形様の為であれば、明でも天竺でもお連れ致しましょう。御家が嫌になられましたら、この徹三と琉球にでも逃げて、夫婦になるのもよう御座いますなぁ」
船長の言い様に飯塚と安西は顔色を変えていた。お銀も口元に手を当てて、アワワみたいになっている。この船長は本当に剛の者である。
「私を口説いたのは船長で三人目だよ」
「何と!これは前言を撤回せねばなりませぬな。小田家の御家中には勇士がいらっしゃるようで御座います」
「う~ん。一人は私を口説いた事が露見して、父君に折檻されて顔の形が変わっていたよ。もう一人は奥方に露見して随分と叱られたようで、大きな体が小さくなっていたよ」
私は花見の時に政貞と久幹にナンパされた事を話した。皆は目を丸くして聞いていたけど、最後には大笑いしていた。船長はお腹を抱えながら『参りました。参りました』と連呼して、飯塚は『御屋形様の女装は中々のもので御座いますからなぁ~』とか言ったので、迷わずアイアンクローの刑である。『イタタ!お止め下され!お止め下され!』と哀願する飯塚の様子と、お仕置きの後に飯塚の顔に私の手形がくっきりと付いているのを見た安西と船長が私を異形の者を見るような眼で見ていたけど、私が甘くはない事を知らしめられたと思う。
そうしている内に江戸城の入り江に随分と近付いて来た。安西が言うように赤松も港の整備に力を入れている事が遠目でも見て取れた。以前来た時よりも整備されている。波止場の拡張は大工事だから費用も掛かった事だと思うけど、これからの水運を考えると必要な事である。私の存在で歴史が変わってしまったこの関東では、史実のような江戸城が造られる事は無いと思う。代わりに交易の一大拠点にしていこうとは考えている。
私達は無事に江戸城の港に上陸する事が出来た。波止場の拡張は続いていて、大勢の人々が忙しそうに働いていた。港では赤松が待っていてくれて、私達を出迎えてくれたのだ。月イチの評定では顔を合わせるけど、以前と比べると譜代の重臣達と顔を合わせる機会が随分減ったので、元気そうな顔を見ると私も嬉しい気持ちになる。互いに挨拶を交わして、私は早速と気になっていた事を赤松に切り出したのだ。
「赤松、あれかな?」
私は遠くの高台に見える普請中の石垣を指差した。
「左様で御座います。土台が崩れぬように丁寧に普請して居りますので、今暫く時が掛かりそうで御座いますな。ですが、完成致せば皆が驚きましょう」
赤松には試しの一つとして灯明台、現代で言う灯台の建設をお願いしている。灯明台はあるのだけど、現代に残る灯明台と比べて余りに小さくて頼りなかったので大きな灯台を造る事にしたのだ。前世で見学した灯明台は徳川時代の物で、近代の灯台と比べるととても小さいし、今生の今ある灯明台は更に小さくて粗末だったので、石垣の技術を使ってなるべく大きく造るように赤松に依頼したのである。灯台は高ければ高い程いいのだけど、地震で崩れる危険もあるので幾つか造って耐久度を気長に試すつもりだ。硝子の技術もあるから、明かりを紙や油紙で囲わなくて良いので遠くまで光が届くと思う。灯台は金食い虫である。昼間は火を焚いて煙を出さないといけないし、夜は油を焚いて光を船に届けるのだ。管理する人件費も掛かるけど、商船や漁船が安全に航行出来れば交易や漁業の利益で賄う事が出来そうだし、何よりも人の命が掛かっているので手を抜く事は出来ないのである。
江戸城の港では様々な実験をしている。漁具の制作や、民間に貸し出す大型の漁船の建造や干物工場や魚油の生産など様々である。武蔵は人口が多いので、内陸に魚が届くようにしたいし、何れは義昭殿が上野を獲るので良い商売になるのだ。名産品を作るのもいいけれど、先ずは食料の自給率を上げる事が肝要だと思う。
漁具の制作は漁網の開発が主である。漁網の技術は上方の方が進んでいるので、堺の宗久殿から漁師を紹介してもらって招聘している。網を使えば漁獲高は跳ね上がるので、投資する価値は十二分にあるのだ。漁網の仕組みなんて私は知らないので、漁師には開発費用と私が前世の映像などで見た漁網の絵図を渡して研究して貰っている。
漁船の建造は言うまでもなく効率的に漁獲高を上げたいので、小田家で漁船を造って民間に無償で貸し出すのだ。漁網の研究が進めば相乗効果が期待できるし、小舟で海に出ると危険なのでなるべく安全に漁をして貰いたい思惑である。
干物工場や魚油の生産は失業対策も兼ねているので、主力の人員は戦で夫を亡くした未亡人を雇うようにしている。子供でも出来る仕事なので、漁獲量が上がったら工場を拡張して行く予定だ。魚油は江戸時代に行灯などに使われていたけど、匂いが酷いので私的には不満がある。とは言っても、石油なんて無いし、精製技術も無いのでこれは仕方が無いかな?明かりの燃料は必要だし、魚の搾りカスは畑の肥料になるので現状ではこれで我慢である。江戸で技術開発をして、ものに成れば小田領の湊に横展開して行く事になる。
私達は赤松に連れられて、開発状況を視察した。まだ始めたばかりだから大した成果は上がっていないけれど、何れは領民の生活を潤してくれると思う。
上総での御堂巡りのついでに寄った武蔵だけど、一応目的があって、赤松が治める武蔵の視察と政の相談をする為である。赤松からは文で統治についての相談もあったし、私も乱妨取りに遭って売られてしまった上総の民の買戻しを北条家に協力要請したいと考えているので赤松の意見を聞きたいと思っている。上総でお銀から話を聞いて思い付いた事だからまだ政貞に相談もしていない。評定で皆にいきなり切り出すよりも重臣達の意見を聞いてから話した方が良いと思ったし、個別に話せば本音も聞かせて貰えると判断したからである。
椎津城で飯塚には相談したけど、彼は性格もあって私の考えを全肯定してしまうので、飯塚には悪いけど余り参考にならなかった。大国になった小田家中での私の発言力はとても大きい。私が発言した事が何でも肯定される危惧を抱いていたので、近しい重臣の率直な意見を聞くのは必要な事だと思うのだ。私のタガが少しでも外れればあっという間に暴君になってしまうし、自制の為にも相談は必須である。
前世の私の祖父からよく聞かされた言葉がある。『どんなに相手が愚かに見えても自分の知らない事の一つや二つは必ず知っている。だから何かをする時は色々な人の意見を聞きなさい』という言葉が私の中に染み付くように残っている。私が高校生の時に他界してしまった祖父だけど、祖父のこの言葉は大切な形見だと思っている。この時代の人に比べると前世を現代日本で生きて高等教育を受けた私は彼等、彼女等とは隔絶した知識を持っている。そのせいで家臣や侍女と話が通じない事はしばしばあるし、その事にヤキモキする事もある。でも、そこをしっかりしないと彼等を見下す事になるから私の自制はこの時代を生きていく為に必要なのである。
この時代の人達も身分によって教育の差が著しい。農民は村の中の事しか知らないし、武士であっても身分での知識差が大きい。そもそも、与えられる教育が武家社会の礼儀作法と研究されていない兵法くらいだから、社会や世界の事などは教えてもらえないし、教える側もよく知らないのである。天下の情勢などは風聞で知るくらいだし、個々の世界が地元に限定されている感じなので必要ともされていないのだ。私が十二の時に堺に行こうとして政貞に随分と止められたけど、その政貞も堺が何処にあるかよく解っていなかったのだ。小田家に日本地図が無いから風聞で聞いた事を想像するのがやっとだと思う。久幹は嬉々として付いて来たけど彼も同様である。久幹は冒険が大好きな気がする。
情報を得る手段が風聞などで限定的だから、百地にお願いしている情報操作の効果が凄い。お陰で小田家の統治に不満を持つ領民が少ない事は大いに助かっている。敵対国への工作も容易だし、それがそのまま国防に繋がるのだけど、領地が大きくなり過ぎて百地の手勢が足りなくなる事態になっている。なので、私は百地と相談して、百地の忍び衆とは別に諜報機関を作る事にしたのだ。仕事は主に情報収集と情報操作で、忍びでなくても訓練すれば出来る仕事である。信頼出来る人を雇って百地が指導して百地の諜報部の一部門にするべく訓練が始まっている。国防に直結するので、予算の出し惜しみは無しである。そう言えば、前世の日本はスパイ天国だったけど国防は大丈夫なのだろうか?




