第十六話 田植え
百地衆が住まう忍びの城となった宍倉の城に来ている。ここは城内の一角にある兵舎である。集うのはいつものメンバー政貞、久幹、百地、桔梗と百地の忍びが二十名だ。想定外の土浦の参加で忍びの数を増員したのだ。彼等が各領内を手分けして回り、塩水選で種籾を選定する事になるのだ。だからここで百地の忍びにも覚えて貰うのだ。そして塩水選は小田家のトップシークレットになる技術である。彼等なら安心して任せる事が出来ると思う。
「では始めるけど口外禁止は守ってね。信じているけど念のため」
「分かっております。若殿が何をされるか楽しみで仕方ないのです。早くやりましょう」
急かす政貞に久幹も続いた。
「若殿があれだけ口止めされるのですから、嫌でも興味が湧きます。某も気になって仕方ありません」
百地と桔梗は相変わらず静かなものである。その様子を可笑しく思いながら答えた。
「これだけで今の小田領なら、一割くらい収穫が増えるんだよ。それよりもこの作業が終わってからが大変なんだよ?政貞の領は手伝えないんだから、覚悟した方がいいよ?」
「心得ております。百地殿の忍び衆の応援を頂いておりますから、判断に迷ったら若殿に伝令してもらう手筈になっております。ご安心下さい」
絶対甘く見てると思う。土浦は一万五千石、村を全て回るのは大変な事だ。私の領は真壁と合わせて一万千石、四人で分担するから一人当たり約二千七百石である。勝貞に叱られている政貞が目に浮かぶよ。私は作業を開始した。百地に用意してもらった大きい桶に水を入れる。桶にはあらかじめ線を引いてある。これに塩を入れるのだけど、うるち米(普通のお米)の比率は1.13である。いちいち計るのが面倒なので桶と塩を計る升は規格化したのだ。毎年使うしね。私はマスに入った塩を投入し、良くかき回した。塩が溶け込むのに少し時間がかかるのでかき混ぜながら暫し待つ。
「何をするかと思えば塩で御座いますか?」
政貞は拍子抜けと言わんばかりの様子だ。私は百地の忍びに説明する。
「水の分量は桶に印を付けたけど、多少少なくても大丈夫だからね。それと塩を入れたら暫く馴染ませてね」
私の言葉に忍び達はメモを取る。記録を指示したのは私だ。一年に一回しかやらないから、忘れるのを心配しての事である。
「続けるよ」
メモを取り終えるのを見計らって種籾を投入する。それを優しくかき混ぜる。皆が桶を覗き込んでいる。こうすると軽い種籾が浮いてくるのだけど思った以上に浮いた。ていうかヤバイ位浮く。実家でやった時の比ではないのだ。たぶん、生育不良の米が多いのだろうと思う。品種改良された現代のお米のノリでやったけど、これは一割増どころじゃない気がする。権さんとやった時は種籾の量が少なかったから大して気にならなかったのだけど。
「浮いてる米がありますな」
政貞に私は答える。
「この浮いた米はね、死んでるんだよ」
私がそう言うと皆一様に声を漏らした。
「死んでると言われましたがどういう事で御座いますか?」
「この浮いた種籾は芽が出ないんだよ。だから死んでいると言ったの。種籾をそのまま蒔いても死んだ種籾からは芽が出ない。田を見れば分かるけど、稲が無くて雑草だけになってる所があちこちあるよね?それは死んだ種籾を蒔いた所なんだよ」
「成る程。言われてみればそうですな。しかし不思議ですな」
久幹は顎に手をやり感心したように呟く。そして百地と桔梗の視線が怖い。あの目は絶対何か勘違いしている目だ、私には解る。
「まだあるよ、浮いてる種籾の中には死にかけの種籾もあるんだよ。死にかけの種籾を蒔けば芽は出るけど成長しないんだ、だからその分は無駄になるんだよ」
「ほう」とそれぞれが息を漏らすのを聞きながら私は作業を続ける。
百地に作って貰ったすくい網もどきで浮いた種籾を用意してある別の桶に移していく。量が多いので少し時間が掛かったけど作業が終わった。
「この沈んだ種籾は中に身が詰まった良い種籾だよ。種籾を別の桶に移して何度か水で優しく洗って塩を落とすんだよ。洗った種籾はまた水に入れて、八日から十日間くらい浸してから、土を敷いた桶にこの種籾を蒔けば最初の準備は終わりかな」
私は塩水を捨て、水を何度も投入し優しく洗う。
「死んだ米で御座いますか。考えた事もありませんでした」
腕を組み、うんうん頷きながら政貞は感想を述べる。
「成る程、倍と言われたのが分かる気がします」
そう述べる久幹に一応言い訳をしておく。この人鋭いんだよね。
「私もたまたま気が付いただけだから、権さんとは色々試したし」
権さんを道づれである。現代知識は説明が出来ないから毎回困っている。それを聞いた久幹ははっとしたようにして口を開いた。
「もしや、権にはこのような気付きをする才でもあるのやも」
止めてあげて下さい!私のせいで権さんに迷惑が掛かるのは困る。
「私も権さんもたまたまだと思っているんだから迷惑になるよ?それより政貞と久幹は種籾を植える準備は出来ているの?」
話を逸らすんだ!本当に権さんには頭が上がらない。
「ご心配なく。若殿のご指示通り、土の被せ方も何度も確認しております」
「それなら安心だね。種籾を蒔いたら全ての村に行って確認してね。彼等ならその道の人達だから一度やれば心配は無いと思うけど、種蒔きも収穫も年に一度しか無いから慎重に行きたいよね」
「そうですな、何事も最初が肝心です」
いちばん舐めプしてそうな政貞がとても良い事を言っている。私は忍び達に向き直った。
「皆、解ったかな?もし不安があれば質問してね。遠慮して失敗してもつまらないからちゃんと聞いてね」
私の問い掛けに幾つかの質問が出る。内容は質問と言うより確認の類だったけど、真剣な様子がとても嬉しかった。続けて段取りの再確認も行う。
「では、明日から出かけて貰うけど、作業は時間が掛かってもいいから丁寧にお願いね。特に塩水はしっかりゆすいで落とす事。種籾をゴシゴシ擦らないで優しく掻き混ぜる事。数日掛かっても問題ないから焦らないでね」
「はっ」
綺麗に揃った返事を可笑しく思いながら「行っておいで」と彼等を送り出した。八日が過ぎ私は各村の種籾を検分して回った。百地の忍び達はきっちり仕事をこなしたようだ。百地を登用したのは想定外の出来事だったけど、ここまで助けられると私にも運があるのだと思えてくる。これがもし他の誰かだったら、ここまで信頼出来ていなかったと思う。出会ったばかりの頃の頑なな百地を思い出して、クスリと笑った。私は各村に種蒔きを指示した。それと同時に勝貞と政貞にも伝令を送った。菅谷は一族総出で対応するようだ。
種蒔きから時が過ぎ、ようやく芽が出て来る。戸崎の城に桶を持ち込み観察していたのだ。農法には自信があるけど、心配だったのは言うまでもない。私は心配性なんだよ。それを合図に私達は各村を再度見回る。稲の成長具合のチェックは田植えまで続けるつもりだ。勝貞にも伝令を送り、疑問があれば連絡するよう念を押した。そうして暫くすると稲が生長し、田植えのサイズ的にも丁度良くなってきた。田への水引も終わっているし代掻きも済んでいる。村の顔役にはそろそろ植えても良いのではないかと言われたが、私は許可しなかった。戦国時代は現代と比べると寒いのだ。寒の戻りが気になっていた私は、田植えを先延ばししている状態である。それから四日後、私は田植えの指示を出した。一番の重労働、田植えである。明治時代に始まった正条植えは、収穫量を上げる代わりに作業の負担が増えるのだ。現代なら機械を使って一人で出来てしまう作業も、この時代では手作業である。村総出で行うのだ。真っ直ぐ植える為に、すじつけという道具で田の泥にラインを引いていく。グラウンドを慣らすトンボに似た道具だ。道具はこれしか作っていない。他の農具は少し研究しないと今は無理なのである。田にラインを付けたら田植えの始まりだ。二、三本を一株に植えていくのだ。その様子をいちいち確認し各村を回っていく。うん、ちゃんと出来てる!三日が過ぎ私の領は田植えが完了した。初めは戸惑いながら始まった田植えだが、コツを掴むと皆黙々と作業をしていた。整然と植えられた苗を見て思わず顔が綻ぶ。収穫がとても楽しみだ。




