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第百五十八話 上総にて その1


 遠くから声が聞こえて来て微睡みから覚めると、桔梗が私を揺り起こしていた。眠たい(まなこ)を半分開いた私は、抱きしめていた次郎丸の尻尾に顔を埋めた。でも、寝る時は次郎丸と仲良く並んで寝ていた筈なので、いつの間にか次郎丸が逆さまになったらしい。


 「次郎丸、逆さまで寝るのはお行儀が悪いよ……」


 私はそう言って次郎丸を窘めてから再び目を閉じたら桔梗の声が聞こえて来た。


 「お行儀が悪いのは御屋形様で御座います。次郎丸は正しく寝ていますのに、御屋形様の寝相が悪過ぎて逆さまでお休みになって居ります。それに御着物も乱れて居ります、かようなお姿を誰かに見られては一大事で御座います。お控え頂けますよう」


 なにゅ?と顔だけを上げて見てみれば、確かに私が逆さまに寝ていた。次郎丸にしがみ付いて寝ていた筈なのにおかしいのである。私が起き上がって着物を直していると桔梗が更に言った。


 「御屋形様、御褌は付けない方が良いと思われます。女子(おなご)の身で御褌を付けられているのは、日ノ本広しといえど御屋形様だけで御座います。お改め頂けますよう」


 「褌を付けていないと落ち着かないんだよ、他人に見られる訳ではないのだから問題無いよ」


 この時代の女性には下着が無い。前世でショーツを当たり前に履いていた私は下着が無いと落ち着かないのだ。なので、幼少の頃から褌を着用しているのである。私の褌姿を初めて見た時には桔梗は目を丸くして絶句していたのだけど、以来、事在る毎に窘められるのである。褌は淑女の最後の着衣だよ?


 「そうかも知れませぬが、桔梗は宜しくないと思います」


 私は欠伸をしながら桔梗の小言を聞き流した。その様子を見た桔梗にまた窘められたけど、この時代の女性の振舞いは窮屈で嫌なのである。プライベートタイム位は好きにさせて欲しい。そう考えているとお腹がぐぅと鳴った。


 「朝餉の用意も直に整います。飯塚様、高城様、村上様、父上も参られますので、お支度をお急ぎ下さいませ。次郎丸、お前も狩をしてきなさい」


 桔梗にそう言われた次郎丸はキュンと返事をしてから大きく伸びをすると、部屋から出て行った。近くの野山で朝食の獲物を探しに行くのである。私は桔梗に急かされながら顔を洗い、歯を磨いてから着物を着換えて支度をする。髪を整えて部屋から出ると、飯塚達が待つ私の私室に向かったのである。


 私は上総の椎津(しいづ)城に来ている。上総は飯塚を軍団長として任せているけど、飯塚の拠点であるこの椎津(しいづ)城に私の為の私室を作ってくれたのだ。大きな座卓も用意してくれていて、私が寛げるように配慮してくれたのである。


 大国の主となった私は他国の小さな国人や商家などから贈り物を贈られる事が多くなった。勿論、相手の立場を考えると下心があるのは言うまでも無いと思う。だから全て断っているけど、外様の家臣からも贈り物が贈られて来る事がしばしばである。私の歓心を買いたいのだろうけど、そういうのは逆効果なので止めて欲しいのだ。私の譜代の家臣はそういう行為を一切しない。私が喜ばない事を知っているし、何より武士がする事ではないので当然だと思う。だから、私が喜ぶ日常を用意する程度で、あとは国と民に尽くしているのである。その一つがこの私室だと思う。


 百九十万石の主とはとても凄いもので、出来ない事が無いのではないかと思う位の権力がある。でも、私自身がそういうものを望まないし、私を敬愛する譜代の家臣もそれに価値を置かないから、大国であっても私も、譜代の家臣達も増長する事がないのがとても喜ばしいと思っている。ただ、小田家の一門衆はそうではないようで、私と縁戚である事を理由にして特権を主張する人々が後を絶たないのだ。家来筋の命令など聞けないという訳である。これには家臣達も困ったようで、政貞に陳情として上がって来ている。それと、勝手に他国と誼を結んだ家もあって、私は泣く泣く御家の取り潰しと放逐を命じる事になったのである。領地の統治は順調なのだけど、一門の暴走で頭を悩ませる形である。


 元々はそんな人達では無かったのだ。でも、戦に勝って領地がどんどん広がると欲が出るようで、かつての私を支えてくれた一族とは違う顔を見せるようになってしまったのである。俸禄は十二分に支払っているけれど、一門として権勢を誇りたいのだと思う。そうしたいのなら自分の立場というものを少しは考えて欲しいと思わず愚痴が出てしまう。


 それ以外にも問題があって、私が未だに世継ぎを決めていないから一門の間で確執が生じているのだ。百九十万石の世継ぎが自分の家から出れば、その家は関東での権勢を欲しいままに出来るだろう。それもあって、私は一門から世継ぎを決めるように責付かれているのである。彼等の最大のライバルは岡見のようで、一門の中で最も出世しているし、父上の友人であり、私からの信頼も厚いので、世継ぎ輩出を狙う他の一門から随分と警戒されているようである。


 これに関しては私が悪いと思う。結婚をしない事は私の我が儘であるし、私の世継ぎが居ないのは普通に問題だと思う。だけど、今の一門の様子を見ていると養子なり養女なりを貰う事に不安を感じるのだ。御家争いで家が割れるのはよくある事だし、下手に養子を取って一門が(まつりごと)に口出しするような事があっても困る。というか、確実に口出しするだろうし、今の小田家の律令の制度内の役職にも不満を持っていると言うから何が起こるか判らないのだ。家来筋の政貞が家臣団のトップに居る事も気に入らないらしい。最近では新参者の光秀が政貞の右腕になった事に不満を漏らす人も居ると言う。そういう話を百地から知らされて、政貞は困ったように眉を下げていたし、光秀は自分が人から羨まれる立場になっている事に驚いていた。政貞の代理が出来る立場なのだから事実上のナンバースリーなのである。光秀については軍団長達も、譜代の家臣達も不満を漏らしていない。政貞と光秀の仕事が激務である事を知っているし、光秀も上手に人付き合いをしているようで波風は立っていないようだ。滅多に直臣を取らない私が登用した事もあって気を遣っているのもあるのかも知れない。そして直接諜報活動をして彼等の様子を見聞きしている百地は危機感を持っているようで、一門の監視を厳しくしていると言っていたのだ。


 正直に言うと、私は一門を優遇する気は全く無い。岡見に司法省を任せているのは彼に能力があるからである。小田家は律令を導入してから自然と実力主義になってしまった。戦の度に領土が広がって、それを治める為に出来る人間を宛がうからだけど、そのせいで血に甘えて来た一門が冷遇されているように見えるかもしれない。ただ、その過程で一門に対して危機感を持った私が彼等に軍事力や法的な権力を行使出来ない役目に意図的に配置した事実はあるのだ。どちらにしても頭の痛い問題が残っている形である。


 私室に入ると皆が揃っていて、座卓にはズラリと料理が並んでいる。私は席に着くと、皆と挨拶を交わした。そしてそれぞれが座卓を囲んでから私は口を開いた。


 「随分と豪華な朝餉だね?」


 私がそう問うと飯塚が後ろ頭を掻きながら言う。


 「御屋形様が上総に入られると聞いた民が献上した食材で御座いますが、どうにも断れずに受け取ったので御座います。幼子までが貝を採って持って来るので参りました。貝や魚などは日保ちも致しませぬし、勿体ないので食い尽くさねばなりませぬ。御屋形様も気を入れて食して頂かねばなりませぬ」


 飯塚がそう言うと高城が続けて言った。


 「民の多くは御屋形様に感謝致しているのです。救済米に無法者の取り締まり、年貢の免除を致しました。荒れ果てた村の家々も復興を果たし、村は生き返ったが如きで御座います。民も御屋形様に礼がしたいので御座いましょう」


 「皆が励んだお陰だよ。でも、気持ちは嬉しいね。お銀は領地を上手に治められているかな?」


 お銀とは飯塚の娘である。領地が急激に膨張した小田家では信頼出来る譜代の家臣を城代に任じているけどその数が足りなくなり、何人かの女城代が誕生しているのだ。私が知る説では徳川政権による一国一城令が公布される前の日本の戦国時代の城や砦は五万以上あったと言われている。小田領にも多くの城と砦があって、誰に城を任せようかと政貞と頭を捻ったのだけど、信頼出来ない外様より譜代の家臣であれば女子(おなご)でも問題無いだろうと各軍団長に希望があれば叶えるように命じたのである。その一人がお銀であり、彼女は上総の支城の一つを任されているのだ。ちなみに赤松も娘のお金に城代を任せていて、小田の金銀と呼ばれている。赤松と飯塚同様二人は仲が良く、競うように統治に励んでいると百地からは聞いている。二人とも結婚はしていてお婿さんを貰っているそうだけど、そのお婿さんも他の城代を務めている。歳は十七歳でピチピチである。赤松家と飯塚家の仲が良過ぎてなんだか羨ましいのである。


 「日々政務に励んでおります。御屋形様のお陰を持ちまして、このお銀は女子(おなご)の身でありながら城を任される栄誉を賜りました。何れは桔梗様や雪様のように戦場(いくさば)でも御屋形様の矛となれるように励む所存で御座います」


 頬を紅潮させながらそう答えたお銀はやる気に満ちている様子である。戦国時代の女子(おなご)の扱いは言うまでもないけど、それもあって男子と同じ仕事をする事が出来るのが嬉しいのだと思う。桔梗と雪は小田家の子女の憧れでもある。女子(おなご)の身で領地を治め、戦では鉄砲衆を率いて武勲を挙げているのである。籠の中の鳥のような生活を強いられている武家の娘達が憧れるのも無理は無いと思う。


 「うん、励むといいよ。だけど、私もお銀も所詮は女子(おなご)なのだから(おのこ)に張り合おうと考えてはいけないよ?」


 「承知して居ります。このお銀も、そしてお金殿も何れは鉄砲衆を率いて御屋形様のお役に立てるように励むと誓ったので御座います。徒に(おのこ)に張り合おうとは考えて居りませぬ。ご安心下さいますよう」


 老婆心バリバリで忠告したつもりだけど通用していない気がする。それに、鉄砲衆を率いるとは聞いていない。赤松と飯塚には鉄砲衆を立ち上げるように命じたけど、お銀とお金に任せるのだろうか?私が目だけで飯塚に問い掛けると、飯塚は顔を逸らしたのだ。たぶん、娘にお願いされて断れなかったのだろうと思う。隣では高城が手拭いで汗を拭いているし間違いないと思う。そして村上は我関せずである。


 私達は雑談をしながら朝食を楽しんだ。武家の作法とは程遠い様子ではあるけど、一人で食べる食事は美味しくないので未だにこのスタイルは変えられないでいる。譜代の家臣である飯塚や、いつも行動を共にしている百地や桔梗は慣れているけど、高城は恐縮しながら食事をしていた。村上は性格だろうけど堂々としたもので、朝から飯塚とお酒を普通に飲んでいた。そしてお銀も同様である。


 これには私も桔梗も驚いて思わず顔を見合わせたのだ。十七の娘が水を飲むようにお酒を飲んでいる様子に驚いていると、お銀はニコニコしながら私にお酒を勧めて来たのだ。私は断ったのだけど、戦国の女性は恐ろしいと思ったのである。イヤイヤ、私の周りにいる女性に変わり者が多いのだと思いたい。


 朝食が終わると、食後のお茶を飲みながら打ち合わせである。今回も私は吉祥天様の御堂巡りをする予定である。嫌々ながらも始まった御堂巡りだけど、百九十万石の主となって出来ない事は無いのではないのか?と考えていたけど、このお役目からは逃れられないでいるのである。統治をするのにメリットが大きいので断り難いのもあるのだ。祭り上げられるのは嫌だけれど、現世利益を民に与えている私が吉祥天様呼ばわりされていて、それを民が信仰するので既存の寺社への信仰が薄れているのである。百地の情報操作も手伝って、近頃の僧達は托鉢巡りをしても碌に供物が集まらないそうだ。民が既存の宗教勢力から距離を取れば僧が民を騙して一揆を先導出来なくなるのだ。それに戦で村が荒らされて死にかかっていた民に彼等は何もしなかった。その事実と私からの救済と百地の情報操作で地場の寺社を信用しなくなったのだと思う。この動きが続けば私の領地で一揆は起こらないと思う。そして統治が捗るのである。


 そうして打ち合わせが終わると、私達は支度を整えて椎津(しいづ)城を出発した。次郎丸に百地に桔梗、村上とお銀と黒鍬衆を引き連れて村々に向かうのである。道中では轡を並べて馬を操るお銀から村の様子を聞いたりと話をした。


 「う~ん。人の買戻しは難しいんだね」


 私がそう言うとお銀は済まなそうな顔をして答えた。


 「はい、上総は戦が長く続いていました。それ故に足取りを追うのも苦労が御座います。半数程は買い戻したので御座いますが、残りの半数は亡くなった者も多いと聞いて居ります。民には気の毒で御座いますが……」


 上総は乱取りに次ぐ乱取りで一家離散しているケースが多かったので、私は売られてしまった上総の住人の買戻しを指示していたのだ。だけど、売られてしまった人々の足取りを辿るのが難しくて思ったような成果が上がらないでいるのである。商家などあらゆる伝手を使っているけど、これ以上の手を打てないでいる。この時代には電話もネットも無いし、一度はぐれると二度と会えない事もしばしばである。ご家族の事を考えると胸が痛いのだ。


 「お銀、こればかりは仕方がないから気長に探すしかないよ。銭は幾ら掛かってもいいから探し続けよう。私達が諦める訳には行かないよ」

 

 「そうで御座いますね。お銀は励んでみようと思います」


 「相模にも流れているかもしれない。氏康殿に協力頂いて探してみようか?」


 私がそう提案すると百地が口を開いた。


 「御屋形様、氏康公が評判通りのお方であれば御力をお借りする事も叶いましょう。ですが、重臣のお歴々にも相談せねばなりませぬ」


 「そうだね、私の勝手ばかりにはならないからそうしようか」


 私達はそんな事を話し合いながら馬の歩を進めた。






 

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― 新着の感想 ―
[一言] お願いします! 続きを書いてください!
[一言] 更新楽しみにしてたのに・・・ 帰蝶編も楽しんでいたのに・・・ もう更新されないのかなぁ泣
[良い点] 戦国時代なのにほんわか平和そして民の生活が安定してきているところです。 [気になる点] 小田家の菩提寺ぐらいは大事にしてあげてください。それと次郎丸のお相手は? 他国からの暗殺者は? [一…
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