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第百五十六話 帰蝶の国造り その7


 氏治主従が武田家への備えを検討していた頃、尾張国中島郡の西砦城代である加藤段蔵は、杉谷善住坊と木下藤吉郎と共に鍛冶場を見回っていた。早朝にも関わらず、並べて建てられた鍛冶場からは槌を叩く音が響いている。辺りを見回せば、藤吉郎が集めて来た孤児達も忙しそうに薪を運んだり、桶で水を運んだりと立ち働いている。


 領地を守る為の砦であったが、必要のない建物は取り壊されてから建材となった。そして鍛冶場が造られ、職人の作業小屋や寝起きする為の長屋などが次々と建てられ、今では元の原型を留めていない。帰蝶から好きにやって良いと命じられた段蔵は、半ば自棄になって文字通り好きにやったのである。初めは雑多であった建物も移築整理し、今では砦の中は職人の街のようになっていた。


 加藤段蔵と杉谷善住坊は、以前とはまるで違う姿になった西砦の本殿を住居として寝起きしていた。今ではそこに藤吉郎も居付くようになり、毎夜三人で酒を飲み言葉を交わすのだ。見回りを終えた段蔵は、その本殿のある高台から二の丸、三の丸の様子を見渡して、陽気な声で口を開いた。


 「ようやっと鍛冶場が動き出したが、これで多少は安堵出来る。藤吉郎殿がおらなんだらこうは上手くは行かなかっただろう」


 そう言って段蔵は親し気に藤吉郎の肩に手を乗せた。帰蝶からの主命を通じて、今では仕事の仲間として、そして友人として段蔵は藤吉郎と交流している。そんな段蔵を見上げるように見た藤吉郎は笑みを浮かべて答える。


 「なんの。加藤様が職人を引っ張って来られたからこそで御座います。藤吉郎はお手伝いをしただけで御座います。ですが、これが手柄になるのか不安で御座います。叶うのならば、加藤様から奥方様にこの藤吉郎が励んだとお伝えしていただきたく存じます」


 催促するような藤吉郎の言い様を可笑しく感じながら段蔵は言った。


 「無論だとも。藤吉郎殿の手柄だと奥方様にはお伝え致そう」


 帰蝶から鉄砲製造を命じられた段蔵は、無茶を言うと思いながらも懸命に励んだ。国友村に出向き、自らの騙くらかしの技を使って国友村の上級の平鍛冶師一名と、下級の平鍛冶をごっそり引き抜いて来たのである。


 尤も、国友村の年寄(鉄砲鍛冶師の取り纏め役)の収入に対して下級の平鍛冶の収入は千分の一以下である。最新の技術である鉄砲を造る事が出来るにも関わらず、身分差の為に報酬は碌に貰えない。高い技量を持っていたとしてもである。段蔵はその事を善住坊から聞いていたので、待遇と報酬を遠山道雪と相談して平鍛冶師としては破格な条件にしたのである。そして他の人目に付かないように鍛冶師に接触し、弁舌巧みに勧誘したのである。


 取り分に不満を持っていた平鍛冶師を引き抜く事は難しくなかった。彼らは一流の職人であり、腕に応じた報酬を求めていたのである。それがあったので段蔵が拍子抜けするほどあっさりと事は進み、国友村の鉄砲鍛冶師を引き抜く事に成功したのである。最も苦労があったのは、国友村に引き抜きを掛けたのが織田家だと悟らせない事であった。


 織田信長が国友村に五百の鉄砲を発注している事を知った段蔵は、織田家と国友村の関係が悪化しないように立ち回る必要があった。段蔵は引き抜きを掛けた鍛冶師達と相談して、日を決めて鍛冶師達の家族ごと夜逃げ同然に一夜で連れ出したのである。そして自身が城代を務める西砦に連れて行き、そこに住居を建て与えたのだ。


 そして鍛冶師に命じて鍛冶場を造る事になったが、そこで活躍したのが木下藤吉郎だった。藤吉郎は段蔵と鍛冶師の仲立ちをして互いの意思の齟齬を無くし、自らも進んで働いて鍛冶場の立ち上げに貢献したのである。揉め事の一つでもあれば藤吉郎が割って入り、あっという間に解決してしまうし、頭の回転が速く、口が達者で銭勘定も達者なので、物資の買い付けや鉄束や薪や道具などの仕入れも熟してくれるので、それらに疎い段蔵は大いに助かったのである。藤吉郎が居なければ、これほど順調に事が運ぶ事は無かったであろうと思われた。


 「真に藤吉郎殿は頼りになるのう。わしは感心するばかりじゃ」


 人見知りの激しい善住坊も藤吉郎とは気が合うようで、藤吉郎と共に役目を果たしている。身分は武士として取り立てられた善住坊の方が上だが、いつの間にか藤吉郎の指示で動き働くようになっていた。尤も、善住坊自身は身分に拘らない性分だし、藤吉郎も善住坊を常に立てているので、公私共に良い関係を築いていた。


 それにしてもと段蔵は思う。この藤吉郎という男、並みの才覚ではないと思われた。武士としては身体が小さく槍働きが出来るとは思えない。だが人をよく惹きつけ、いつの間にか藤吉郎の思い通りに皆が動いてしまうのだ。この西砦には織田家譜代の家臣も帰蝶の家臣である遠山道雪の家来も居ない。全てが段蔵の手下であり、その殆どが民や職人であるから回っているのかも知れないが、もし藤吉郎が武士の身分であるならば、武士の世界でも同じように立ち回れるのではないだろうかと段蔵は考える。兎も角、風変わりだが才気に溢れた人物だと段蔵は評していた。


 「此度の主命はこれで達成出来よう。藤吉郎殿、半年ほどで如何ほどの鉄砲が造れようか?」


 「そうで御座いますな。鍛冶師の話では二十出来るか出来ないかと申して居りました。ならば来年は四十出来る事になります。ですが、相応の銭が掛かりますゆえ、それが問題で御座いますな?」


 「左様か、遠山様が申されていたが、奥方様が銭勘定で頭を抱えていたと言う。鍛冶場は造ったからこれ以上の銭は掛からぬが、鉄束と薪の代金は掛かり続けるからな。鉄砲を売るのであれば大金を稼ぐ事が出来ようが、鉄砲衆に与えるとなると銭が続くのか、ちと心配だ」


 当初は無茶を言う女子(おなご)だと嘆息した段蔵であったが、鉄砲の製造に撃ち手の育成、田への新たな農法の導入に綿花を育てて木綿を作り売ると言う。領地の差配など知らない段蔵であったが、自身が参加してみると見方が変わったのである。確かに理に適った行動をしていると感心する事が多かったのだ。


 最も衝撃を受けていたのは藤吉郎だった。自身が知る武家とはまるでやり方が違うし、領地を育てる手法にも驚いた。大国の姫君が農村に足を運び民と語らう所を見た時は思わず感激してしまった。武家は百姓を人として扱わない者など大勢いる。藤吉郎も百姓の出である。その事は身に染みて理解している。帰蝶の行動が藤吉郎の常識を破壊したのである。


 更に次々と指示される政にも感心した。どれも結果を出せれば大いに領地が潤う事が予測出来たし、それらを達成する事は自身の栄達にも繋がるのである。藤吉郎は帰蝶からの覚えもいいので、よく駆り出されるが、この調子なら松下家のようにはならないだろうと安堵していた。ただ、気になるのが常陸の小田氏治という人物である。帰蝶に政の指南書を与え、権や三平などの技術者も派遣している。尾張織田家とは盟友だと聞いているが、大名家がここまでするものなのだろうかと疑問に思った。そして小田氏治は女子(おなご)だと言うのだから更に驚いたのである。女だてらに政を指南できるものなのだろうかと考えた。藤吉郎が知る身分ある女性は着飾る事しか考えていないと思っていた。百九十万石の主だとも言うし、改めて世の中には凄い人物がいると感心したのである。そんな事を考えていた藤吉郎に再度段蔵が声を掛けた。何やら考え込んでいる藤吉郎を見て段蔵は何か存念でもあるのかと思った。


 「いえ、何でも御座いません。この身は小者では御座いますが、この藤吉郎が見るに、奥方様の為さり様は一々理に適って居ります。今年の年貢が取れ、真に木綿が作れるのであれば銭も回りましょう。銭を勘定してみましたが、御家中を減らして年貢の取り分も多く御座いますし、木綿さえ売れれば銭に困る事は無いかと存じます」


 「左様か。藤吉郎殿がそう申すなら問題は無かろう。算術は藤吉郎殿に任せてしまえばいいのだ。そうすればこの俺も善住坊も算盤の稽古をせずに済むと言うのに」


 段蔵が顔を顰めてそう言うと藤吉郎は破顔した。段蔵に善住坊、藤吉郎、蛍は帰蝶から算盤の修練を命じられているのである。段蔵は何故忍びの自分がと思ったが、今更かと考え従っているのである。


 「(ぬし)の申す通りだ。わしは算術は好かん。どうにかならぬものかのう?」


 「ならん。(ぬし)も励む事だ。奥方様には誰も敵わぬ」


 そう言って段蔵は腕を組んだ。帰蝶は鍛冶場の製作費や物資、材料等の初期投資に資金を惜しまなかった。更に中島郡の民百姓の大勢に人足仕事を与え、綿花の畑を大規模に作ったのだ。


 軍資金や兵糧を元の領地から持ち込んだので資金は潤沢にあったが、段蔵や三平の要求に気前よく資金を放出したので些か資金が心細くなった。政を始めた時期が米の刈り入れ後であり、その米は美濃に返した家来の物なので、人員整理をした恩恵を受けられるのは今年の収穫後になる。そんな状態になったので、帰蝶は道雪と話し合い、氏治の指南書に記してあった通り高値の時に使わない備蓄米を売り払う事にしたのだ。そして資金を回復して一息付くと、今度は三平から織女と機織り機、そしてそれらを配する為の大きな長屋を要求されたのである。


 三平は常陸小田家で行われている織物工場を造ろうとしていた。これは氏治の発案であり、今はまだ規模が小さくはあるが、小田家では織物の工業化が進んでいるのである。結城紬の技術を木綿の機織りにも導入していて、木綿の高級品を創り出す事に成功している。また、三平からは綿を他国から輸入する事も提案され、帰蝶が想像していたより大規模な木綿作りをする事になったのだ。


 帰蝶はこれらの提案を受けはしたが、自身ではどうにもならず、三平を通じて氏治に泣きつく事になったのだ。氏治に機織り機を発注し、数は確保したがその金額を知ると柳眉を上げた。だが、木綿を製造して売る事が出来れば資金は回復するし、それ以降は新たに銭を使う必要が無いと考え、三平の要求通りに手配したのである。氏治からは指導者として小田家が抱える織女が派遣される事もあり、高値で木綿が売れる見通しが付いたのもある。


 帰蝶は(まつりごと)を始めてから様々な事を学んだ。それまでは命じれば何でも叶うと思っていたが、実際に自身が命じると出来る事と出来ない事があり、出来ない事に関しては自身が知恵を絞ったり、家臣に頼ったりと苦労する事が多かった。特に新しい田の技術導入では、中島郡の百姓から反発があったのだ。


 中島の百姓からすれば新しい農法と言われても知らない事だし、本当に収穫が増えるのか信じる事は出来ない。もし収穫が減じれば自らの収入も減るのである。いかに領主の命であってもおいそれと聞く訳には行かなかった。帰蝶は自分が命じた事に反発された事に驚き、道雪と共に村に出向いて話を聞いた。そして百姓の言い分を理解した帰蝶は、新農法が失敗したら年貢を取らないと村の顔役達に明言したのである。それを聞いた道雪は冷や汗を掻いたが、帰蝶の口から出た言葉を取り消す事が出来ず従うしかなかった。


 この事が機となり、帰蝶は民百姓と交流する事が増えたのである。下々の者達と語らい、帰蝶が知らなかった世間を知る事になり、その事は帰蝶の学びとなった。








 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 帰蝶編面白いよ
[一言] 追記です。 普通の愛知県民はシャイであまり目立とうとせず控え目な感じがします。それは土地柄が大いに関係していると思われます。 清洲や小牧や犬山に城が築かれたのは、平坦な濃尾平野に小高い丘…
[一言] 帰蝶編ですが、かなりファンタジックなストーリー展開になってきたように思われます。 ところで名古屋城や岐阜城に行かれたことはありますか。日本で流量最大の大河が流れる濃尾平野はかなり平坦で見通…
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