第百五十三話 帰蝶の国造り その6
帰蝶は新たに小者として召し抱えた木下藤吉郎を伴い、中島城に到着した。出迎えた遠山道雪を従え、藤吉郎も付いて来るようにと声を掛けて広間に入った。そして氏治から技術者として送られてきた権や三平、そして忍びの段蔵と善住坊も呼ぶように家来に命じた。
暫くするとそれぞれがやって来て、帰蝶に挨拶をし、広間に腰を落ち着けた。広間には遠山道雪、加藤段蔵、杉谷善住坊、木下藤吉郎、加藤蛍、氏治から派遣されて来た権と三平も居る。帰蝶は集まった面々を見て満足げに頷いた。今日から本格的に政を行うつもりである。
この面子を氏治が見たら大いに驚くだろう。何れも現代に伝わる戦国時代の有名人ばかりである。伝説の忍者と伝えられる加藤段蔵に六角家による信長暗殺の実行犯である杉谷善住坊、そして天下を取った三傑の一人、木下藤吉郎である。帰蝶は初めての評定をこの面子で行う事に決めたのだった。
「まずは、段蔵。鉄砲鍛冶師を連れて参ると申しましたが、鍛冶場は如何致すか決めたのですか?」
帰蝶がそう言うと道雪が口を開いた。
「姫様、その事で御座いますが、姫様が如何程の鉄砲が御入用なのか知らねば判断できぬと段蔵が申して居りました。姫様は鉄砲衆を御作りなさると申されましたが、お考えは御有りなので御座いましょうか?」
帰蝶は少し考えるようにしてから口を開いた。
「まずは百の鉄砲衆が欲しいですね?鉄砲は一年で如何程造れるのでしょうか?」
帰蝶の言葉を聞いた段蔵は嘆息した。百と簡単に言うが、善住坊の話を聞いた限りではそれなりの規模で二十か三十がいい所だと聞いた。百の鉄砲を集めるなら、首尾よく鍛冶場を開いても三年から四年は掛かるだろう。段蔵はこれ以上無茶を言われては敵わないと口を開いた。
「奥方様、鍛冶場の数によりますが、百の鉄砲を御望みであるならば四年は掛かりましょう。年に二十から三十を目標に致すと宜しいかと存じます」
「そうですか、四年で百の鉄砲が揃うなら良いですね。ではそうして下さい」
「姫様、鍛冶場は何処に造る御つもりで御座いますか?」
道雪に問われた帰蝶は唇に人差し指を当てて考えた。信秀や信長には悟られたくない。出来れば隠れて作れる方がいい。帰蝶はそれを道雪に話した。道雪は腕を組んで考える。信秀と信長に秘したいとは穏やかではない。だが、ここまで来て反対する訳にもいかない。
「では、西砦が御座いますので、そこを鍛冶場に致せば気取られますまい。人里からは離れて居りますし、守りの兵も僅かでは御座いますが置いて居ります故、秘匿する事も叶いましょう」
「それは良い考えですね、ならばその砦を鍛冶場にしましょう。段蔵、西砦の城代に任命致しますから好きにおやりなさい。人も入用でしょうから俸禄も百貫増やしてあげましょう。道雪、そのように取り計らいなさい。段蔵?当家が鉄砲を造っている事はなるべく秘するように。露見しても罪には問いませんから安心なさい」
「は?」
段蔵は帰蝶が何を言っているのか判らなかった。自分が城代?俸禄を更に百貫?鉄砲を秘して作れ?この女は一体何を言っているのだろう?段蔵が混乱していると帰蝶が口を開いた。
「出来ないのですか?」
「いえ、お役目、承りまして御座います」
段蔵はまた反射的に引き受けてしまった。平伏しながらどうしてこうなった?と困惑していた。段蔵の様子を見て、道雪は気の毒になった。
「段蔵、大変なお役目ではあるが、困り事があればこの道雪に遠慮なく相談するといい。某も出来るだけ協力致す故、励むといい」
「お気遣い有難く頂戴仕る」
そう言いながらも段蔵は帰蝶からの無茶振りに動揺していた。帰蝶の傍らにいる蛍は気の毒そうに段蔵を眺めていた。善住坊は余りの事に考える事も出来ていなかった。そして藤吉郎は大役を任された段蔵を羨ましそうに見ていた。段蔵は動揺しながらも幾つかの要望を帰蝶に伝えた。鉄砲鍛冶師を調略するにしても条件が必要だし、待遇が良いに越したことはない。帰蝶は段蔵の要求を全て飲んだ。段蔵は本当に良いのか?と思ったが、当人が良いと言うのだから構うまいと、半ば自棄になって納得する事にした。
段蔵との話が終わると、帰蝶は三平に綿作の畑作りはどうするのかと尋ねた。三平は恐縮しながら答える。三平と権は綿作の為に中島郡を見て周り、畑を作る土地の当たりを付けて来た事を帰蝶に報告した。凡その広さを説明し、人足を雇って、来年の五月には種蒔きをしたいと話したのだ。帰蝶は道雪に三平の申す通りに必要な人足を雇って畑を耕す事を命じた。人足はなるべく中島郡から雇うようにと命じ、中島郡の領民が銭を得られるようにと念を押した。
次は田の収穫を増やすという権にどうやるのかと帰蝶は質問した。権は苗を育てて、手植えで等間隔に植える方法をたどたどしく説明し、田に水を入れた後は鮒や鯉を放流するのだと説明した。権の話を聞いた面々は大いに驚いた。田に籾種を撒かずに苗を育てる事にも驚いたが、田に魚を放つ事に関心が集まった。
「田に魚など入れて何が変わるのですか?」
帰蝶に問われた権は遠慮がちに口を開いた。
「田に鮒や鯉などを放てば、悪い虫や雑草などを喰ってくれます。それと、御屋形様が申されるには鮒や鯉が田の泥を掻き回すと稲が良く育つそうです。儂の田もこのやり方で毎年豊作になって助かっています。ですが、苗の準備に備えが要りますし、田植えも大変なので村の衆がやってくれるかは判りません」
「ふむ。確かに田に手で植えるのは苦労がありそうだ。氏治様の御領地の百姓は皆従っているのであろうか?」
「小田のもんは御屋形様がそうせよと言えば皆従います。中島の衆が従うかは知りません」
「ならば、この帰蝶も参り、皆に話をしましょう。道雪も良いですね?」
「よう御座います。田の収穫が増えれば百姓の取り分も増えましょうから巧く行くのなら致したほうが良いかと考えまする」
「百姓の手元に米が多く残り、人足の仕事で銭を得れば暮らしは良くなるでしょう。氏治様の指南書にもそう記してありました。そして木綿が作れればそれを売り、得た銭で鍛冶場なり田や畑なりを広げれば更に豊かになります。皆もこの事を忘れずに働いて下さいね?」
その場の者が「はっ!」と平伏する中で、藤吉郎はおずおずと手を上げた。
「奥方様、この藤吉郎にお役目は御座いませぬか?」
藤吉郎にそう問われた帰蝶は人差し指を口に当てて少し考えてから口を開いた。
「では、藤吉郎は皆の手伝いをして下さい。何でもすると申したのですからやれますね?」
「承知しました。この木下藤吉郎、必ずやお役目を果たして御覧に入れまする!」
「そうそう、それともう一つ。藤吉郎は暇を見て孤児を集めて下さい。鉄砲撃ちとして養育します。暫くは段蔵の西砦に住まわせれば良いでしょう」
「孤児で御座いますか?如何程集めれば宜しいでしょうか?」
「そうですね?段蔵が四年で百の鉄砲を造りますからそれに合わせて集めると良いですね。そう言えば忘れていました。道雪、西砦の近くに孤児の村を造らねばなりません。人足を使って適当な場所に田畑を作って下さい。孤児が成長すれば田畑を耕す事が出来るでしょう。それまでは段蔵と善住坊が面倒を見るように」
「はっ?」
孤児の面倒を見ろだと?忍びの自分が何故そんな事をしなくてはならないのだ?段蔵がまたしても困惑した。
「出来ないのですか?」
「いえ、お役目、承りまして御座います」
段蔵はまた反射的に引き受けてしまった。帰蝶の言いようだと断る事が出来なかった。帰蝶は段蔵と藤吉郎の様子を満足げに見て一つ頷くと、道雪に藤吉郎に長屋をあてがうように命じ、次いで善住坊に帰蝶と蛍に鉄砲の指南をするように命じた。そして蛍と善住坊を連れて広間から去ったのである。
織田信秀と織田信長による律令国家が完成する前に、帰蝶は自分の小さな律令国家を作り上げてしまった。大胆なリストラで資金を手に入れる体制を作り、田の改革で収穫量を上げ、綿作による木綿の製造をし、孤児を集めて兵とし、更に人口増加政策にもなる。そして鉄砲を領内で自作するという転生者の仕業と疑われるが如きやりようである。
その夜、段蔵は藤吉郎を招いて酒を酌み交わした。帰蝶から無茶振りを受けたにも関わらず、新入りである藤吉郎を気遣っての事である。当人が酒を飲まねばやってられないという気持ちもあったが。
藤吉郎は自身を侮る様子が無い段蔵と善住坊に好感を持った。松下家では初日から奇異な目で見られて居心地が悪かったが、帰蝶からは無給の小者であるにも関わらず、藤吉郎は俸禄と住処を与えられ、更にお役目まで与えられた。段蔵は城代になる程の人物でありながら自身に気さくに声を掛けてくれた。藤吉郎は以前の轍を踏むまいと、人間関係に注意しようと考えていた。だが、この様子を見ると杞憂であったと感じた。酒を飲み始めると善住坊が口を開いた。
「のう?主は真に城代になるつもりか?わしは未だに信ずる事が出来ぬのだが?」
「やるしかあるまい。禄も百貫上乗せされてしまった。もう逃げられん」
そう言って段蔵は酒杯を傾けた。
「主がこんなに無茶な男だとは思わなんだ。わしまでお役目が増えてしまった。孤児の面倒など如何すれば良いのか見当もつかぬ」
「銭はある。人を雇えばどうにかなろう。それに無茶なのは俺ではない、奥方様だから勘違いするな」
「加藤様、城代になられたのが嬉しくないので御座いますか?」
藤吉郎が不思議そうな顔で問い掛けた。段蔵は善住坊に酒を注いでやりながら答えた。
「木下殿、嬉しくはないな。木下殿にはまだ言うておらなんだが、某は忍びだ。奥方様から武士の身分を賜ったが、ただそれだけの筈だった。どうしてこうなったのか某にも解らぬ」
「ですが、長年の忠勤が認められたという事で御座いましょう。目出たい事だと思いますが?」
「木下殿、某と善住坊は奥方様にお仕えしてまだ二日だ。忠勤も何もありはしない」
「―――っ。真で御座いますか?」
藤吉郎は驚いた。たった二日で城代に任ぜられるなどあり得なかった。しかも段蔵は自身は忍びだという。武士から蔑まれる忍びが仕官出来る事も驚きだし、城代になる事も驚きである。
「真だ、あの奥方様の考えはよう解らぬ。姫君などは着飾る事しか考えぬと思うて居ったが、鉄砲や木綿を作ると言うし、田の収穫も増やすと言う。更に孤児を集めて兵としようなど、一体どうしたらこのような事を考え付くのか……」
「―――なっ、ならば、この藤吉郎もお役目を果たせば武士になれるのでしょうか?」
藤吉郎は忍びが城代になるという現実を目の当たりにして大きな期待を抱いた。段蔵は嫌そうだが、自身なら飛び上がって喜ぶ出世である。
「なりたいだけなら某が木下殿を召し抱えれば直ぐにでも武士になれる。この善住坊も二日前までは風来坊であったが、今では武士になっている。だが、木下殿はそれは望まぬだろう?あの奥方様の事であるから手柄を立てれば武士になれるのではなかろうか?他家ではあり得ぬ事ではあるが」
「左様で御座いますか!ならばこの藤吉郎は懸命にお役目に励むと致します!」
若い藤吉郎の嬉しそうな様子を見て段蔵は自然と笑みが漏れた。出来るなら代わって貰いたいがそうも行かぬだろうと考えながら藤吉郎に酒を勧めた。
「木下殿も小者とはいえ多くのお役目を課せられた。大事無いのであろうか?」
「大事御座いませぬ!某は加藤様のお手伝いも致します故、存分にお使い下され!」
「それは良いが、某も木下殿も雑用ばかりが仕事だ。先々を考えると頭が痛くなる。兎も角、四年で百の鉄砲を造らねばならぬ。善住坊も励めよ?」
「解って居るが、主のお人好しには呆れるわ」
「蛍のなりを見たであろう。奥方様は蛍に良くしてくれているようだ。ならば、我等は励まねばならぬ」
「奥方様と蛍に鉄砲の指南を致したが、中々に筋が良かった。良き鉄砲撃ちになりそうだの」
「主は気楽そうで良いのう……」
段蔵は呆れたように言った。その夜は三人で大いに酒を飲み先々の事を語り合った。段蔵は如何に主命を達成するかの意見を求め、藤吉郎は仲間のように扱ってくれる段蔵の為に知恵を絞った。善住坊は耳だけを傾けていて酔った段蔵に責められていた。こうして段蔵達の夜は更けていった。




