第百五十二話 帰蝶の国造り その5
帰蝶との謁見を終えた段蔵達は、中島城内の長屋の一つを充てがわれ、当面の住処とする事となった。蛍は帰蝶と共に行動する事となり、住処は清洲城になるという。段蔵と善住坊は荷をほどきながら悩まし気な顔をしていた。段蔵は鉄砲の製造を命じられて困惑していたし、善住坊は大名の奥方に鉄砲を指南する事になって激しく気後れしていた。
「のう?―――のう?」
「なんだ?」
善住坊は落ち着かないといった様子で、黙々と荷ほどきをする段蔵に問いかけた。
「真にこのわしが奥方様の鉄砲指南を致すのか?」
「そうだ。致すのだ」
段蔵は荷をほどく手を休めずに、善住坊に目を移す事も無く答えた。
「どうにか勘弁願えんもんかのう?わしには荷が勝ちすぎる。主から奥方様に申し上げてくれぬか?」
段蔵は荷をほどく手を止めて善住坊に向き直った。
「駄目だ。主の腕前なら何の問題もない。主が気弱なのは存じておるが、此度は我慢せい」
段蔵がそう言うと善住坊は拗ねたように唇を尖らせた。
「手打ちになる事はあるまいな?武家は少しの事で怒って人を斬りおるから、わしはそれを案じておるのだ」
「手打ちになどならん。あの奥方様が世間知らずなのは言うまでもないが、悪しき気は感じぬ。存分に奉公致せ。問題はこの俺だ。まさか鉄砲を造らされるとは思わなんだ。主の力を借りるからそのつもりで居れ。主も雑賀の出であれば、鍛冶師の一人くらいは引っ張ってこれよう?」
段蔵がそう言うと善住坊はバツが悪そうな顔をして後ろ頭を掻いた。
「わしは雑賀から抜けたようなものじゃから当てにせんでくれ。だが、鉄砲を造る手伝いは致していたからおおよその見当は付くがの?」
「ふむ。ならば役に立ちそうだ。善住坊、如何致せば鉄砲を造れるのか俺に指南致せ。鉄砲鍛冶師は俺の技で引き抜くとして、鍛冶場は造らねばならぬだろうし、鉄砲を如何ほど造るのかも知れぬ。奥方様は鉄砲衆を作ると申されたが、一丁や二丁造った程度では納得されまい」
「―――主は真に鉄砲を造る気で居るのか?今ならば逃げ出したほうが良いと考えるが?」
「逃げん。蛍のお役目が奥方様の護衛なのが都合が良い。蛍まで武士の身分を与えられたのだから我らが気張らねばなるまい。何れ良き縁が蛍に巡って来るまでここにいる。それまでは主も俺に付き合え」
段蔵がそう言うと善住坊は肩を落としながら言う。
「蛍を引き合いに出されては断れぬではないか……。わしとて蛍には良き生を歩んで欲しいと願うて居る。だが、鉄砲を造ると申しても人も銭も要りよるぞ?近頃では職人が手分けして鉄砲を造って居る。そうせねば多くの鉄砲を造れぬからだ。だから主は多くの職人を集めねばならぬ」
「ほう、左様か?ならば鉄砲鍛冶師の他に誰が必要なのだ?」
「そうだのう。鉄砲鍛冶師が筒を造り、台師職人が鉄砲の台木を造る。金具師が鉄砲のからくりを造れば出来るかのう?」
「ふむ。三人居れば鉄砲が出来る訳か?主がそこまで解って居るなら主が奉行を致せば良いと思うが?」
「冗談言わんでくれ!主はわしが気弱なのを知って居るではないか。わしは手伝いは出来るが音頭は取れぬ。問題は鉄砲鍛冶師が少ないという事だ。だが、鉄砲鍛冶師を呼べれば、地場の鍛冶師に指南致し、多くの筒を造る事が出来よう。台師と金具師は幾らでも居るからの」
「なるほど。まずは鉄砲鍛冶師に台師に金具師を誑かしてくると致すか。何れにせよ銭も使うゆえ、遠山様に相談致さねばならぬ。気の良い御仁のようだから助かるな。そうと決まれば支度を致せ。まずは主のなりをなんとかせねばならぬ。そのなりで鉄砲指南役は務まるまい。刀も佩き、武士らしくならねばな。銭もたんと貰って居るから心配いらぬぞ?」
「こんな事なら主に付いて来るのではなかった。せめて酒を買うてくれ、飲まねばやってられぬ」
「買うてやるとも。上等な酒を樽でな?今宵は飲まねば俺もやっていられぬ。荷車を借りて津島にでも行くと致そう」
こうして加藤段蔵と杉谷善住坊は帰蝶の為に鉄砲を造る事になった。段蔵は鷹丸の忠告をよく聞くべきだったと後悔したが、妹分の蛍の為に励むしかないと自分に言い聞かせた。帰蝶の様子を見て無体な真似はするまいと思えたのも動機の一つであった。
段蔵と善住坊が荷車を引いて津島に向かっていた頃、蛍は帰蝶に連れられて清洲城にいた。帰蝶は侍女を集めて蛍を紹介し、今後は自身と行動を共にする事を申し伝えた。侍女の取り纏めをしている妙は、先日多くの侍女や小者を美濃に返したばかりなのに、何処の者とも知れぬ娘を召し抱えた事に不満を持った。
帰蝶は自らが忍びを持った事を喜んでいた。そして蛍を気に入り傍に侍らしたのだ。蛍は帰蝶より年下の十五歳であった。可愛らしい姿もあって、帰蝶は常にない気遣いを蛍に見せた。護衛であるはずの蛍が主から気遣われ、蛍は困惑していた。
蛍は七歳の時に段蔵に拾われた。両親は乱取りついでに雑兵に殺されたのである。忍びの仕事に来ていた段蔵は、蛍を目にした時は関わり合いにならないようにしようとした。この戦乱の世では孤児は幾らでもいるし、いちいち孤児に構っていてはキリが無いのである。だが、トボトボと歩いて行く蛍の行く方向を見て気が変わったのだ。その林の先には軍勢の陣が敷かれていて、子供などが見つかれば嬲られ殺されるのが目に見えたからである。
段蔵は舌打ちしてから有無を言わせず蛍を小脇に抱えて陣から遠ざかった。そして助けてしまったからには仕方がなしと伊賀の里に連れ帰ったのである。子の世話など碌に出来ないと理解していた段蔵は、伝手を頼りに山下の忍び衆に蛍を預ける事にした。依頼を受けて得た銭を養育費代わりに山下の忍び衆に渡し、仕事から戻っては度々顔を出し、蛍を気遣っていた。
段蔵自身も孤児であった。その孤独をよく知る段蔵はいつしか蛍を妹のように思うようになり、常に身を案じるようになった。年頃になった蛍は美しい娘に成長した。山下の衆は段蔵に銭と引き換えに蛍を引き取りたいと申し出て来た。その狙いは見目の良い蛍を忍び仕事に使う気である事は明白だった。段蔵はその申し出を断り、蛍をどうすべきか思案していたところで友である鷹丸が段蔵を訪ねて来た。依頼の内容に驚いたが、この機会に蛍を連れ出そうと考えたのである。
そのような経緯で帰蝶に仕える事になった蛍だが、山下の衆の元で忍びの修行をし、年の近い者の中では上位の腕前を持っていた。なので、帰蝶を護衛する力は十分にあるのだが、今はか弱い存在として帰蝶から世話を受けていた。帰蝶のお古の着物を与えられ着飾らされ、その様子を見ていた侍女たちの嫉妬の視線に晒されていた。楽しそうな帰蝶に愛想笑いをしながら、どうしてこうなった?と困惑していた。
♢ ♢ ♢
小柄な男が追い返されるように清洲城の門番にあしらわれていた。この男の名は木下藤吉郎と言った。尾張国中村郷の足軽の子として生まれた藤吉郎だが、体格に恵まれず、容姿に恵まれず、人とも猿ともつかない顔立ちをしていた。武士になるのだと十五歳で家を飛び出し、今川家の家臣、松下嘉兵衛に拾われ小者として仕えた。必死に努力して奉公する藤吉郎は松下嘉兵衛から才覚を認められ、何かと目を掛けて貰った。だが、藤吉郎は同僚から妬まれて虐めを受けるようになった。そんな藤吉郎の様子を見てを不憫に思った嘉兵衛は、こうまで家中の者と折り合いが悪いと藤吉郎自身が辛かろうと考え、また家中の統率にも支障が出ると藤吉郎に話し、銭を与えて暇を取らせたのだ。
若い藤吉郎にとって屈辱であった。努力をすればするほど他人から憎まれる事に納得がいかなかった。だが、主である松下嘉兵衛の考えも解る。藤吉郎は仕方なしと考え、松下家を去ったのである。しばらくは腐っていた藤吉郎だったが、武士になる夢は諦めていなかった。仕官の口を探しながら遠江から三河へと移動していった。どこの家の門を叩いても小柄で醜い藤吉郎の姿を見た家人は相手にすらしなかった。
藤吉郎は気落ちしながらも仕官の口を求める事を止めなかった。そして辿り着いたのが織田信長が居城とする清洲城である。ここまでの道すがらに織田家の家臣の家々の門を叩いたが、やはり相手にされなかった。そしてこれが最後と清洲城を訪ねたのである。
藤吉郎は門番にどうにか取り次いで欲しいと言葉を尽くしたが、門番は藤吉郎の容姿を見て「己のように面妖な者は取り次げぬ!」と相手にされなかったのだ。藤吉郎はまたかと肩を落とした。自身が醜い事は知っている。だが、仕事とは関係がないではないかと内心で憤慨した。「早うに立ち去れ!」という言葉を背に受けながら、藤吉郎はフラフラと城門に続く道端の大樹の根元に大の字になって寝そべった。
(このわしの姿では誰も相手にしてくれぬ!どこでもいいから仕官がしたい!わしは武士になりたい!)
悔しくて溢れて来た涙を拭って心の中で叫んだ。暫くそうしていると、馬が歩いて来る蹄の音が聞こえた。大地に寝そべっているので耳が地面に近く、その音が良く聞こえた。城の近くで寝そべっていては咎めを受けるかとも考えたが、傷心の藤吉郎はもうどうでもいいと自棄になってそのままでいた。そうしていると蹄の音がどんどんと近づいて来た。そして藤吉郎の前でその音が止まった。藤吉郎が目だけを動かして見ると、若く美しい女人が馬上から藤吉郎を不思議そうに眺め見ていた。
「その方は如何致したのですか?」
女人は藤吉郎にそう問うた。藤吉郎は気後れしたが、自身が自棄になっていた事を思い出し、構うものかと口を開いた。身分のある女人だから咎めを受けるかもしれないという思いが脳裏に走ったが、咎めを受け、いっそ死んだほうがましとも思った。
「織田信長様に仕官致そうと訪ねて来たが、わしはこの醜い姿じゃ。門番にも相手にされなくて、ここで腐って居る」
相手の身分など関係ないと、藤吉郎はぶっきらぼうに答えた。
「信長様は多忙な身、その方では御目通りは叶わないでしょう。仕官致しに参ったのですか?」
そう藤吉郎に問うたのは帰蝶だった。中島城に向かおうと、近習と蛍を連れて清洲城を出たところであった。城の近くで大の字で寝そべる藤吉郎を不審に思い、気まぐれに訊ねてみたのである。常ならば相手などしないが、何となく気になったのである。帰蝶の言葉を聞いて藤吉郎は起き上がり、話だけでも聞いてもらえるかもしれないと膝をそろえて地面に座った。
「―――某は武士になりたいので御座います。ですが、某は見た通り醜いなりなので、誰も相手にしてくれないので御座います。織田様の門番の方にも相手にされなかったので御座います」
悔しそうに言う藤吉郎を見て帰蝶は不憫に思った。確かに人とも猿ともつかぬ面妖な顔をしている。身体も小さくて戦働きなど出来ないだろうと思われた。自身なら武士の身分は与えられるが、どうにも役に立ちそうもないと考えた。
「その方では戦働きも出来ないでしょう?何か取り柄はあるのですか?」
とりあえず聞くだけ聞いてみようと帰蝶はそう問いかけた。その言葉を聞いた藤吉郎は、もしかしたらと期待を抱いて口を開いた。
「某は木下藤吉郎と申します。某は何でも致します。お武家様が為さらない様な事でも致します。きっとお役に立って見せまする!」
そう言って藤吉郎は平伏した。藤吉郎の必死な様子を見て、帰蝶は戸惑ってしまった。雇う気は無かったのだが、帰蝶の言葉がこの男に期待を持たせてしまったと思った。どうしようと考えていると蛍の姿が目に入った。キラキラとした目で帰蝶を見る蛍の様子を見て、帰蝶は良いところを見せたいと思った。帰蝶は少し考えて小者なら取り立てても良いかと思った。よく知らない者を家臣には出来ないし、本人が何でもやると言っているなら何かしらか役に立つだろうと思った。
「ならば、―――木下藤吉郎と申しましたね?小者として取り立てますから付いて来なさい」
帰蝶の言葉を聞いて藤吉郎はがばっと顔を上げた。
「ありがたきお言葉!この木下藤吉郎はお役に立って見せまする!」
帰蝶は藤吉郎の言葉を聞いて一つ頷くと「参りますよ」と近習に声を掛けてから馬を歩かせた。藤吉郎も慌ててその後を追う。そして自分が仕えた主の名を聞かなかった事に気が付いて、近習に聞いたのだ。
「織田信長様の奥方で帰蝶様とおっしゃる。無礼は許されぬから肝に銘じるがいい」
「は?」
その言葉を聞いて藤吉郎は大いに驚いたのである。
 




