第百五十話 帰蝶の国造り その3
時は少し遡る。鷹丸は帰蝶から忍びを雇いたいとの依頼を受けた。清洲城で鷹丸が休んでいた部屋を訪れた帰蝶に頼まれたのだが、必死な様子で頼み込んで来る帰蝶に押されて、つい頷いてしまったのである。依頼を受けてしまったからには仕方がないと鷹丸は伊賀に向かう事にした。
鷹丸はあのお姫様に忍びを紹介していいものかと未だに悩んでいたが、鷹丸が忍びに声を掛けても仕えるかどうかはその忍び次第である。断られればそれまでとしようと考えた。鷹丸の目線でも大名の奥方に忍びが仕えるとは思えなかった。たとえ、武士の身分を貰えるとしてもである。
伊賀の忍びには百地丹波も声を掛けているが、上忍である服部と藤林は武士にも百地の下にも付かぬと小田家への仕官を断っている。伊賀の忍びは特定の主を持たない事で知られている。それに武士からは犬のように見下されている忍びが簡単に仕官するとは思えない。ただ、服部と藤林は小田家に仕えれば百地の下に組み込まれる事を見越しての拒否だと思われた。知り合いの忍びからは、大名家に仕官した百地一党を羨む声が多いのだ。服部にせよ藤林にせよ、小田氏治のような仁者を知れば考えも変えるだろうとは鷹丸は思うが、実際会わないと解らない事もある。
伊賀の忍びといっても、大小様々な流派が存在する。上忍三家だけが腕の良い忍びでは無いのである。鷹丸が帰蝶に紹介しようと考えている忍びは大きく群れる事を好まず、少数の忍びが組んで仕事をしている者達だった。鷹丸や桔梗、秋などの顔見知りでもあり、歳もそう離れてはいない。伊賀には多くの流派が存在するが、交流が無いわけでは無いのである。特に歳が近ければ友となる事もある。鷹丸が選んだのはそんな者達だった。
伊賀に足を踏み入れた鷹丸は、懐かしさを感じて里を見渡した。僅かな平地に田畑が作られて居り、それを見ると貧しかった頃を思い出した。伊賀には百地家の拠点が残されて居り、鷹丸の仲間達が交代で管理をしている。そこを宿として活動するつもりである。鷹丸は歩を速め拠点に向かった。そして拠点に着くと、目当ての者が住まう家へと向かった。仕事で出ていれば待たねばならないので、所在の確認だけはしておきたかったのである。
鷹丸が一軒のあばら家に到着すると、小柄な法体姿の男が薪を割っていた。見ない顔だと思いながら近づくと、その男は鷹丸に気が付き、驚いた顔をしてあばら家に引っ込んでしまった。この家は鷹丸の知り合いの家である。留守の間にあの男が住み着いたのだろうか?と様子を伺っていると中から知った顔の男が出て来た。
「珍しい客人だ。鷹丸、如何致したのだ?」
「段蔵、久しいな。息災であったか?」
加藤段蔵。鷹丸が訊ねたこの男ははぐれの忍びであり、騙くらかしの加藤とも飛び加藤とも呼ばれている。巧みな話術で人をその気にさせる技を持ち、どのような堅固な城にも飛ぶが如く侵入する技に長けている。それがゆえに騙くらかしの加藤とも飛び加藤とも呼ばれていた。
「見ての通りだ。中へ入れ、丁度雑煮が煮えたところだ」
鷹丸は段蔵に勧められるままあばら家に入った。部屋の隅には先ほどの法体の男がチラチラと目を動かし、落ち着きなく鷹丸を伺っていた。鷹丸は不審に思ったが、段蔵の連れだろうと大して気にもせず、土間に腰掛けわらじを脱いだ。そして囲炉裏の傍に腰を下ろした。
「主が訪ねて来るとは珍しい。何ぞこの段蔵に用でも出来たか?」
雑煮をかき混ぜながら段蔵が言う。鷹丸は火箸を手にして囲炉裏の炭を突きながら口を開いた。
「お主に用があって参った。だが、その前にあの御仁は誰ぞ?」
鷹丸は法体の男をチラリと見た。法体の男は所在なさげにして膝を摩ったりしていた。その様子を見て段蔵は答えた。
「御仁と呼ばれる程の者ではない。縁あって共に居る、今の所はな?」
落ち着きの無い男だと思いながら鷹丸は法体の男に自らの名を名乗った。するとその男もおどおどしながら口を開いた。
「わ、わしゃあ、善住坊と申す。今はこの段蔵の世話になっとる」
段蔵は苦笑しながら善住坊に囲炉裏の傍に寄れと言い、そして酒杯を鷹丸と善住坊に手渡すとそれぞれに酒を勧めた。鷹丸は注がれた酒を一息に飲み干した。そして小さく息を吐いてから段蔵に話し掛けた。
「実は困った事になってな、さるお方から忍びが欲しいと依頼された。情けない話だが断り切れずに引き受けてしまった。半端者を引き合わせる訳にもいかぬからお主の元へ参った」
鷹丸の言葉を聞いて段蔵は片眉を上げた。
「ほう、さるお方とは何者か?」
「尾張織田家の御嫡男、織田信長様の奥方だ。名を帰蝶様と言う。美濃斎藤利政の娘だ」
鷹丸の言葉を聞いた段蔵は酒杯を床に置いて口を開いた。思わぬ大物の名を聞いて、報酬が期待出来そうだと思わず笑みが漏れた。
「奥方から仕事の依頼とは珍しい。して、依頼の内容は?正直に申すが近頃は仕事が無くて困って居った。銭も減る一方でな、食い扶持も増えたゆえ、ひと稼ぎ出来ると助かる。大名家の奥方ともなれば相応の銭が期待出来よう」
喜色を浮かべながらそう言った段蔵に、鷹丸は渋い顔をして答えた。
「申しておいて何だが、断ってくれると俺は助かる。俺は帰蝶様に義理が果たせればそれでいいと考えている。依頼は帰蝶様に仕官致す事だ。帰蝶様は武士の身分を与えると申した。忍びを二、三人欲しいと申されていたな。正直申せば勧められぬ」
鷹丸の言葉に段蔵は驚いた。大名の奥方が忍びなど必要なのかとも考えた。しかも武士として取り立てるという。鷹丸の主が百地一党を武士として抱えた事は知っている。伊賀ではありえない事だと大騒ぎになったものだ。
「それは真か?主が仕える小田様では無いのだな?」
「真だ。忍びを家臣にして何を致すのかは知らぬが、当家の御屋形様の為さり様を真似たいのか、別の目的があるのかは知らぬ」
鷹丸の言葉を聞いた段蔵は悩まし気に腕を組んだ。武士にはなりたいと考える事はあった。百地一党が大名家に仕えたと聞いた時は、内心では羨ましいと思ったものだ。伊賀では忍びの誇りを捨てたと言う者もいたが、多くの者は自分と同じ気持ちになったはずである。鷹丸が持って来たこの話は好機なのかと考えた。だが、大名の奥方に仕えては戦働きは出来ないだろう。それに気が変わって放逐されるのではないかとも考えた。悩む素振りを見せた段蔵の様子を見て、鷹丸は言葉を続けた。
「俺はお主には小田氏治様に仕えて貰いたいと考えている。忍びの名人を腐らせておくのは勿体ない話だ。お主なら百地様の下で十分やっていける。帰蝶様の依頼でやって来たが、気に入らぬのなら小田氏治様に仕えぬか?」
「いや、百地様に含むところは無いが、この俺は勝手致せるほうが性に合っている。主が友として俺を気遣い、誘ってくれるのは承知しているが、性分を変えるのはなかなかに難しい」
段蔵の言葉を聞いて鷹丸は小さい溜息をついた。出来るのであれば段蔵と共に仕事がしたいと鷹丸は考えていたのである。
「ならば、残念だが仕方あるまい。帰蝶様には断られたと伝えようと思う。伊賀者は主を持たぬとでも言い訳致そう。俺は急ぎの用があるので常陸に戻るが、お主が気が変われば百地様に推挙するから、その際は遠慮なく訪ねてくれ」
そう言って鷹丸が立ち上がりかけると、段蔵が口を開いた。
「待て!断るとは申して居らぬ」
鷹丸は段蔵の静止を受けて座り直した。そして、まじまじと段蔵の眼を見つめながら口を開いた。
「―――お主、受けるつもりか?俺は勧められぬと申したのは聞いたな?」
「聞いた。鷹丸が勧められぬと申すのは友としての言葉であろう?主がそこまで申すのであれば、主君として帰蝶様は頼りないと考えているのだろう。だが俺はその上で受けようと思う。槍働きは期待出来まいが、しばらく食うには困らぬだろう。何せ姫君の依頼であるからな?鷹丸、二、三人の忍びと申したな?であれば、蛍も連れて行きたい。女子の忍びは雇わぬと言うのなら諦めるが?」
「蛍か、久しいな。幾つになった?」
「十五だ。今しばらく経てば女の仕事をさせられよう。この機に連れ出したい」
蛍は段蔵が拾ってきた孤児である。山下の忍び衆に預けたと聞いていたが、忍びの女子は見目形が良ければ女としての役目を要求される。今の百地家ではそのような役目は無くなったが、忍びの世界では当たり前に行われる。蛍は段蔵が山下の衆に頼んで養育して貰っているから勝手に女の仕事はさせないだろうが、忍びの世界で生きる蛍が周りの者に感化されて引き受けてしまうかもしれないと危惧していたのである。鷹丸は段蔵が蛍を気に掛けているのは知っていた。だが、鷹丸が思っている以上に段蔵は蛍を大事に考えていたようである。
「信長様の奥方は十七だ。女子が駄目だとは聞いていないし、奥方に侍るならむしろ都合が良かろう。だが、真に良いのか?」
念を押すように問うた鷹丸に対して段蔵は力強く頷いた。
「うむ、今一人はこの善住坊を連れて行く」
善住坊を見ながらそう言った段蔵の言葉を聞いて、鷹丸も当人である善住坊も驚いた。
「段蔵、善住坊殿は忍びではあるまい?」
鷹丸がそう言うと慌てたようにして善住坊が続くように口を開いた。
「わっ、わしが武士に何ぞなれっこなかろう?主にしては冗談が過ぎる!」
そう言った善住坊に段蔵はちびりと酒杯を傾けてから言った。
「ならばここに残って善住坊は食うて行けるのか?難しい事は俺が何とかするから付いて来い。それに善住坊が俺の配下だと申せば奥方様も信じよう。鷹丸、この善住坊は見てくれはこうだが、鉄砲の名手でもある。戦に駆り出される事はあるまいが、一芸に秀で居る。主が黙っていてくれれば問題は無い」
鷹丸は意外そうな顔をして善住坊を眺め見た。風体からは鉄砲の名手であるとは思えなかった。人は見掛けに寄らぬと思いながら善住坊に話し掛けた。
「それは構わぬが、善住坊殿が鉄砲の名手とは思わなんだ。善住坊殿、失礼かと存ずるが、そのなりだと叡山の出であろうか?」
鷹丸がそう問い掛けたのは、善住坊の身なりが比叡山の僧兵と変わらないからであった。
「鷹丸殿、わしの事は善住坊でいい。わしは雑賀の出じゃ。ひと時叡山に居た事はあるが、このなりだと何かと都合が良くてな。食うていくには僧の真似をした方が得なのだ。僧共は働かずにタダで飯が食えるからのう」
善住坊がはにかみながら言う。鷹丸はまあいいかと納得する事にした。段蔵は部屋の端に立て置かれた長物を包む布を解いた。それは鉄砲だった。段蔵は鷹丸に鉄砲を見せながら口を開いた。
「堺銃だ。戦場で頂いて来た。鉄砲は珍しかろうからこれも持っていく事にする。この善住坊は、こと鉄砲に掛けてはそこらの指南役なんぞ問題にならぬほどの腕を持っている。大袈裟に聞こえるかも知れぬが、俺は天下一だと思うて居る」
段蔵がそう言うと善住坊は照れるような素振りをした。小柄で愛嬌が感じられるその様子を見て、段蔵が友としたのだろうと鷹丸は思った。蛍の件もあり、鷹丸は帰蝶に紹介しようと決めたのだった。
「承知した。ならば絵図を渡すから熱田にある商家の小田屋に向かってくれ。俺は急ぎの用があるから常陸に戻るが、帰蝶様には文で知らせる。小田屋には百地の忍びが詰めて居るから帰蝶様から報せがあれば伝えられよう」
「済まぬな。ところで、桔梗と秋は息災か?お主はよく伊賀に参るが、桔梗と秋は常陸からは出ぬのか?」
「息災だ。桔梗も秋も出世したからな。桔梗は御屋形様に侍って居るし、小田家では鉄砲指南役を務めている。更に鉄砲衆も任されて、仲間内では一番の出世頭だ。秋は駿河の拠点を任されている」
鷹丸の言葉を聞いて、段蔵は興味深げに聞いた。
「常陸の小田家では女子が重用されるのか、これは驚いたな」
「だから申したであろう?当家では男と女子の別は無い。お主が当家に仕えれば必ずや重く用いられよう。この俺もお主の為ならば、当家の御屋形様に幾らでもお主の技がいかに優れているかとご説明申し上げるつもりだ。それに、お主の気質は御屋形様の好みであるからな。きっと御屋形様に気に入られると俺は考えている。だから、今からでも遅くないから当家に仕えてはどうだ?」
鷹丸の熱心な様子を見て、段蔵はここまで己を買ってくれる鷹丸の気持ちが有難いと思った。鷹丸を得難い友だと思うが、百地の組下に入るのには抵抗があった。小とは言えど、段蔵は秘術を受け継いだ忍びの棟梁でもあるのである。たった一人ではあるが。
「主の言葉は友としては有難く思う。だから、尾張の織田家に袖にされたら考えようと思う」
「そうか……。当家と尾張織田家は盟友でもある。争う事はないからその点は俺も安堵出来る。尾張織田家の御当主である信秀様も御嫡男の信長様も忍びには寛大なお方だ。お主が無下には扱われぬと思う」
「友と争わずに済むのは助かるな。尤も、桔梗と争うなどと考えるとゾッとする。あれは息災にしているのだろうか?」
「息災だ。この鷹丸もそうだが、桔梗も氏治様に心酔して居る。段蔵、頼むから氏治様の敵にだけはなってくれるなよ?俺は主とだけは争いとうない」
「承知して居る。この俺も主と争うなど考えられぬ。例え主家を裏切ろうとも、友は裏切らぬ。我らは友でもあり、家族でもある。もしも争う事になればこの段蔵の首を主に差し出すまでよ。尤も、主は拒むであろうがな?では支度をして早速参ろう。善住坊も良いな?」
段蔵から問われた善住坊は俯きながら口を開いた。
「良いも何も、わしは主に付いて行くしかなかろう。だが、主がこれほど無茶な男だとは思わなんだ。―――このわしが武士とはのう……」
情けない声で言う善住坊を見て段蔵は笑った。
「そう言うな。形だけは俺の配下になって貰うが、主は俺の友だ。振りだけで良いから我慢しろ。巧くいけば食うには困らぬ身分に成れるのだ。それなら主にも異存はあるまい?」
「―――わかった!もうわかった!主には世話になって居る。このわしが主の為に働こう。わしは―――主だけには嫌われとうないからの……。わしは武士の身分なんぞどうでもいい。主と居るのが楽しいのだ。ただ、それだけだ」
二人の様子を見て鷹丸は苦笑した。そして帰蝶はこの二人をどうするのだろうかと考えた。恐らくは碌でもないと思われたが、尾張織田家が嫌になれば常陸小田家に参ればいいと考えた。
キノこネコ様、レビューを頂いて有難うございます。心より感謝申し上げます。




