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第百四十九話 帰蝶の国造り その2


 翌日になると眉を顰める侍女の妙を置き去りにして、帰蝶は馬に鞭を入れて清洲城から飛び出した。そして再び中島城へ向かったのである。じっくりと読み込んだ氏治の指南書から得た知見から、帰蝶の胸中には幾つかの方策が秘められていた。今日はそれを道雪と話し合う腹積もりである。


 朝の冷たい空気を切り裂いて馬を駆る。軽い帰蝶を乗せた馬は重さなど無いかのように軽快に疾駆する。織田家に嫁いで三年経つが、城に閉じ籠もるような生活に帰蝶は飽いていた。夫である信長に不満はない、政治の道具として扱われるこの戦国の世で、信長のような良き男に嫁げたのは幸運だと思っている。だが、十七歳の帰蝶にとって城での生活は退屈過ぎた。もともと才覚に優れた娘である。同じ年頃の氏治や桔梗の活躍を聞いて自身も何かがしたいと帰蝶の若い血が騒ぐのは仕方のない事だろう。


 中島城に到着した帰蝶は門番に馬を預けて入城した。出迎えた道雪と共に私室と定めた部屋に足を運んだ。そして道雪に話があると人払いを要求した。道雪と二人きりになった帰蝶は道雪から簡単な報告を受けた。主に常陸から迎えた客人である権と三平の扱いについてである。帰蝶は道雪の差配に満足した事を伝えると、次いで自身から話があると切り出した。


 「律令で御座いますか?」


 道雪は帰蝶から領地に律令を導入したいと求められたのである。尾張統一を祝った際にそのような話があった事は道雪の耳にも入っていた。今一つ要領を得ないといった顔をした道雪を見て、帰蝶は口を開いた。


 「そうです。私の領地で律令を行い、領地を育てて銭を稼ぎ、職人を集めて鉄砲を造って鉄砲衆を作りたいのです。その為には多くの事をしなければならないのです」


 帰蝶の言葉に道雪は瞠目した。まさか帰蝶がそのような事を企んでいたとは想像もしていなかったのである。鉄砲は道雪も知っていた。織田家での鉄砲の試しを見物した事はある。鉄砲は強力な飛び道具であり、当たれば将も討ち取れると聞いている。だが高価であり、また、次の弾を撃つまでに時が掛かって戦場では使えぬと言う者もいた。その鉄砲を帰蝶が造り、鉄砲衆を組織したいと言い出したのだ。


 更に帰蝶は領地に律令を導入するとも言う。噂に聞いた話では、酒宴の席で織田信長が公言し、多くの者がそれに従ったと聞いている。とはいえ、酒宴に参加していなかった道雪にとっては言葉だけであり、律令自体を道雪はよく知らなかった。


 「姫様、この道雪は律令を知りませぬ。伝え聞いた話によると被官致せばよいと耳には致しましたが、被官致すと何が良くなるのか解りませぬ。我らの立場であれば土地を失い銭で御奉公致す事になり申すが?」


 道雪の言葉に一つ頷くと帰蝶は口を開いた。


 「そうですね。まずは律令を知る必要があります。道雪には帰蝶が指南致しますから良く聞くように」


 そして帰蝶は道雪に律令の説明を始めた。信秀や信長の会話を聞いている帰蝶は律令をほぼ正確に理解していた。先日も鷹丸との会見にも同席しており、その際に鷹丸の口から洩れた小田家の職制もおおよそは理解している。帰蝶は道雪にそれを説明したが、一度では理解して貰えなかったので何度も説明し、時には紙に筆を走らせて理解して貰えるように努めた。半刻ほどの時間を掛けてようやく道雪に律令を理解して貰えたのである。


 「姫様、お手数を掛け申した。この道雪もようやく合点がいきました。まずはこの道雪が姫様に被官致せば宜しいのですな?此度の酒宴では大勢の者が信長様に被官致したと聞き及んでおります」


 道雪は懐から手ぬぐいを取り出して額から流れる汗を拭った。知恵熱が出たようである。帰蝶はその様子を見てクスリと笑った。


 「道雪が被官致してくれれば帰蝶は助かりますね。ですが、道雪には十分な俸禄を支払うつもりです。それともう一つ致したい事があるのです」


 「と、申しますと?」


 道雪は手拭いを懐に仕舞いながら、今度は何を言い出すのかと心の中で構えた。律令の導入は織田家で決まった事だし、鉄砲の製造は驚いたが、これも織田家の為にはなる。何れ家督を継ぐであろう織田信長の妻がするのであれば、この中島の地で律令も鉄砲製造をする事も悪い事ではない。唐突過ぎて驚きはしたが、道雪の主君は帰蝶である。帰蝶がやりたいのならば、なるべく叶えてやりたいとは考えている。


 帰蝶は斎藤家から連れて来た家来は、道雪の遠山家を残して全て美濃に返すつもりだと道雪に話した。帰蝶の身の回りの世話をする侍女も半数は美濃に返すと言ったのである。現代で言えばリストラである。帰蝶は領地を経営するにあたり、人件費を削減しようと考えたのである。


 「この小さい領地に今のような大勢の家来は要らないでしょう?道雪の遠山衆が居れば十分だと思うのです。他の者にしても私の家来でいると戦場に出る事も無く、武功を挙げる機会もありません。ならば、美濃に戻り、父上の元で奉公致せば良いと考えたのです。父上には私から伝えますから心配は無用ですよ?」


 「―――ふむ。確かに当家の者で事足りましょう。ですが体面も御座います、姫様が恥を掻くような事が無ければ宜しいのですが……」


 道雪はピンと跳ねらせている髭を指先で整えながら言った。


 「そのような心配は無用です。帰蝶は体面など気にしません。氏治様の指南書にもありましたが、民を食べさせる事を第一に考えれば良いのです。先ほど帰蝶が申した『思想』は覚えていますか?」


 帰蝶に問われた道雪は背筋を伸ばして口を開いた。


 「『領地を富ませ、民を食わせ、鉄砲衆で領地を守る』で、御座いましたな?」


 道雪の言葉を聞いて満足そうに帰蝶は頷いた。


 「そうです。その為には必要のない家来を減らして帰蝶の年貢の取り分を増やして銭に変えます。その銭で人足を雇って田畑を増やすのです。家来が少なければ何れ民の年貢を減じる事が出来るでしょう。民あっての国だと氏治様は申されています」


 「田畑が増える事は良い事で御座いますな。姫様の仰る通り、家来衆には武勲を挙げる機会が無いと嘆く者がいる事は存じております。某は出世に興味が御座いませぬのでよう御座いますが、槍働きが武士の本分で御座いますれば、それが叶うのであれば意見致す者も居りますまい」


 道雪の同意を得られた帰蝶は遠山衆以外の家臣達に美濃に戻るように通達を出す事にした。差配は道雪に一任し、自身は侍女の整理をするつもりである。帰蝶はその場で父である斎藤利政宛ての書状をしたためて道雪に託した。


 五日が過ぎ、美濃に戻る家臣の支度が出来たと道雪から伝えられた帰蝶は、中島城で美濃に帰る家臣から別れの挨拶を受けた。特に悲壮な様子をする者もいなく、家臣達の元気な様子を見て帰蝶は少し複雑な気持ちになったが、これで扶持が節約できると内心で喜んだ。家臣達を中島城から送り出すと帰蝶は道雪を伴い私室に移動した。


 帰蝶は道雪から政務を学んでいた。領主が政務を知らないでは話にならないと帰蝶から道雪に指南をお願いしたのである。道雪は快く引き受け、領主が果たすべき役目を丁寧に指南した。それが終わると立場を変えるようにして、今度は帰蝶が道雪に算盤の指南をするのである。信長から誘われて始めた算盤であるが、帰蝶の算盤の腕前は信長を軽く凌駕し、信長を驚かせた。信長も必死に修練をして帰蝶に追いつこうと努力をしたが、それは未だに果たされていない。


 そして午後になると帰蝶は三年分の年貢の勘定帳を持ってこさせ、記録に間違いがないか自身で算盤を弾きながら計算し、どのくらいの年貢が取れるのか知ろうとした。そして算じてみると、その値に疑問を持った。中島郡は守護代の織田信安が治めていた土地である。年貢は五公五民であるから石高の半分が年貢として集められるはずである。にも拘らず勘定帳に記された値は二千四百石程度である。残りの百石はどうしたのだろう?それに村の数に比べて集めた年貢の数が少ないような気がした。帰蝶は疑問に思った事を道雪に聞いてみた。


 「織田信安様の家来共が中抜きを致したので御座いましょう。よくある事で御座います。当家はこの中島の地を頂いたばかり、来年の年貢で詳細は知れましょう」


 勘定帳に目を落とし、習い始めの算盤を慎重に弾きながら道雪が言った。帰蝶は頭を捻って考える。


 「―――もしかして来年の年貢は増えるのではないのですか?信長様はこの領地の不正など知らずに帳簿を頼りに五千石を帰蝶にお与えになったはず。ならば、不正が無ければ年貢は増えますね?」

 

 「ふむ、そうかも知れませぬ。年貢は米だけでは無く畑で採れた野菜や、他には薪など様々で御座いますからな。ですが、それらしき記載もありませぬ。正しく知るにはやはり来年の収穫を待たねばなりませぬな」


 帰蝶は納得したような、そうでないような心持ちになったが、今は気にしても仕方がないと作業を続けた。三年分の調べが終わり、氏治の指南書に従い『棒ぐらふ』を作ってみた。氏治の指南書に描かれた絵を真似て作業を進めた。完成した『棒ぐらふ』を眺め見た帰蝶は満足感を覚えた。今後は毎年記載して、どのくらい年貢が増えたか一目見て判るようになるのだ。ただ、『ぐらふ』とはどんな意味なのだろうと頭を傾げた。


 翌日になると蔵に蓄えられている米や軍資金の調べに移った。城にいる家来を集め、整理をさせながら調べを進めていく。蔵には元の領地から持って来た米や軍資金も収められており、合わせると十分な軍資金と米がある事に帰蝶は満足した。これなら人足も十分に雇う事が出来るし、鉄砲を造る為の鍛冶場も造れるだろうと思えた。帰蝶が帳簿を見ながらニマニマしていると、傍らで指揮を執っていた道雪が言った。


 「兵糧も軍資金も十分で御座いますな?かような小さき城にこれほどの財があるのも珍しい事で御座います」


 帰蝶は道雪を見上げてニコリと笑った。


 「そうですね。鍛冶場を造らねばなりません。いか程の銭が掛かるか知りませぬが、この銭で足りるでしょうか?」


 帰蝶の質問を聞いた道雪は、髭をいじりながら答えた。


 「ふむ。この道雪も鍛冶場にいか程の銭が掛かるか存じませぬ。なにせ、我ら武士が鍛冶場を造るなど前代未聞で御座いますからな。それと姫様、鍛冶場を造るのは分かり申したが、鍛冶師は如何致すので御座いますか?鉄砲を造れる鍛冶師となりますと、この辺りでは国友村で御座いましょうか?」


 道雪に問われた帰蝶は悩まし気に頬に手をやった。当てが無いのである。道雪が言うように鉄砲鍛冶師は国友村か堺から招かねばならない。だが、呼んで来てくれるものなのだろうか?鉄砲は高価である。ならば商いとして考えると職人を手放すはずがないと帰蝶は考えている。大金を支払って引き抜こうか?と考えた。


 「それが、肝心の鉄砲鍛冶師の当てが無いのです。何か考えねばなりませんね」


 そう言って帰蝶はため息をついた。もし、鉄砲鍛冶師を得られなければ銭で買うしか方法が無いのである。氏治が派遣してくれた権の指導でどの程度米が増えるか判らないし、綿作をして本当に木綿を作る事が出来るのかも疑問である。帰蝶が知る限りだと木綿は明から運ばれていると聞いている。


 「まずは田を広げる事と、綿作を考えましょうか。氏治様が寄こしてくれた権と三平に仕事をして貰わないといけません。ですが、本当に木綿が作れるのでしょうか?」


 帰蝶が問うように道雪に言う。


 「三平殿と話を致しましたが、常陸小田家では木綿を作っていると申して居りました。某は木綿は明から運ばれているのではないかと問うたので御座いますが、日ノ本でも作っている所は幾つかあると申して居りました」


 「―――木綿を作る事が出来れば高値で売れそうですね。綿作がどのようなものか知りませぬが、出来るのであれば当家の貴重な収入源になります。畑を作ると申していましたから人足を雇って作らせねばなりませんね」


 帰蝶と道雪が話をしていると家来がやって来て帰蝶に文が届いたと知らせて来た。そして渡された文を見て帰蝶は相好を崩した。差出人は鷹丸と記されていた。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 帰蝶の行動には不安しかない。 信長に秘密にして、織田家の律令とは違う律令をなそうとしているのがちょっと……。 これ、信秀・信長父子が目指してる尾張統一の中で帰蝶が勝手に動いたら信長の邪…
[気になる点] 家臣からの別れの挨拶のくだり どれだけ帰蝶が慕われてないか如実に表してますね
[良い点] 構成 [気になる点] 鉄砲一辺倒にならないか心配
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