第百四十七話 武田家
武田晴信から小田家と同盟を結ぶようにと主命を受けた武田信繁は、それを果たす事無く甲斐へ帰還した。帰りの道中では小田氏治から投げかけられた言葉が頭から離れなかった。武田家を侮辱されたも同然の言葉に憤慨もしたが、小田氏治の言っている事自体は間違っていないとも考えている。
氏治に言われずとも解っている。武田家も、兄である晴信も、そして自身も罪を犯している自覚はある。だが、自分は兄である晴信を支えると決めたのだ。地獄に落ちようとも後悔はしないと誓ったのである。
信濃での武田勢のやりようは悪過ぎた。他国の者が聞けば眉を顰める事は理解出来る。だが、兄である武田晴信はそのやり方で甲斐の国人を納得させ、支配しているのである。無秩序な乱取りを許可した晴信は国人や領民から絶大な支持を得た。甲斐は貧しく、飢饉もあったので仕方が無かったのである。
だが、その無秩序な乱取りは飢饉を脱しても続けられた。生きる為の乱取りを目的としている雑兵は勇敢に戦い、武田家の軍勢の強さの元にもなったのだ。だが信濃に攻め入り、村上義清との戦に負けてから、武田家は足踏みをしている状態である。不足しているのだろうか米や物資の値は高止まりを続け、戦に使う軍資金も湯水のように溶けていく。信濃に討ち入っても思ったような戦果が得られず、未だに攻略の糸口すら見つけられないでいた。
調略に向かった真田幸隆は捕らえられたままであるし、他国の力を借りようにも今川義元は北条家に敗れ、河東を奪われ、兵を出せる状態ではなかった。そうしている内に関東で大戦が終わったが、驚くべきことに小田氏治が下総、上総、安房、武蔵を平定してしまったのである。そして百九十万石の大名が突然、武田家の隣に現れたのである。
武田晴信をはじめ、武田家の重臣は危機感を覚えた。もし、村上や小笠原と手を組まれたら抗する術が無いと思われた。軍議を重ねて出た結論が、小田家と同盟を結び、背後を守らせて、あわよくば援軍を求めて信濃を制圧するというものであった。信濃四十万石を得れば武田家は大大名に成れる。兄である武田晴信の期待を一身に背負って、武田信繁は小田氏治との会見に臨んだのである。
だが、結果は散々たるものであった。小田氏治が諸国の連合軍を打ち破った際に送った使者の話では若い小娘で横暴な振舞いをしていたと耳にした。ならば、口説くのは容易かろうと交渉に臨んだが、開口一番で同盟を拒否され、その上に武田家の非道な行いを非難されたのである。その語りは理路整然とし、反論する事さえ出来なかった。
今にして思えば、以前に送った使者は謀られたのだと思えた。関東の戦での奇策や民に食料を配りながら戦をする様は尋常の者とは思えなかった。相手が小娘と侮った自身が今では悔やまれる。兎も角、武田家が生き残る道を模索しなければならない。小田氏治は武田家を攻めるに大義名分は必要ないとまで言った。百九十万石の大国とまともに戦をすることは出来ない。信繁は思い悩みながら馬の手綱を操った。
大名家の当主がここまで強い言葉を発するとは思わなかった。小田氏治の言い様は、まるで武田家を憎むようであった。もしこれが小田家だけではなく、他の大名も同様に考えているとしたら武田家としては非常に不味い。他国の協力を得られず、逆に憎まれては今後の舵取りも危うくなる。この事が村上や小笠原に知れれば面倒な事になる。
躑躅ヶ崎館に戻った武田信繁は重臣を招集し、武田晴信に同盟締結の失敗を報告した。その際に交わされた会話を誇張する事なく報告した。それを聞いた武田晴信はあからさまに顔色を変えた。そして信繁の話を聞いた重臣達は言葉を失ったのである。小田家と同盟を締結するどころか敵対するかのような氏治の発言を伝え聞いた諸将は事の重大さに深く考え込んだ。百九十万石の大国である小田家に対して武田家は三十二万石である。力の差は明らかであった。
「信繁殿、小田家と戦になるのであろうか?」
口火を切ったのは一門衆である穴山信友であった。
「それは判りませぬ。ですが、小田の小娘は当家のやり方が気に入らぬ様子。更に当家と戦をするのに大義名分は要らぬと申しました。隙を見せれば攻め込んで来るやもしれませぬ」
「ふむ、話を聞くと随分と当家に敵意を持っているように思える。当家とは碌に関わりが無かったと心得て居るが?」
穴山信友の暢気な様子に内心で舌打ちしながら信繁は答えた。少しは危機感を持って欲しいと考えながら、内心を悟られないように平静を装った。
「信濃の乱取りに首を晒した事が耳に入ったようで御座います。女子ゆえ情けが先だったので御座いましょう。こうなりますと他の大名の心中も考えねばなりませぬ。かような事を大義とされては当家も立ち行かなくなります」
信繁がそう言うと板垣信憲が苦々しい顔をした。
「百姓共を気にして戦は出来まいよ。だが、小田の小娘が戦を致しながら民百姓へ施しを致したことは城下でも耳にした。余計な事をしてくれよる。更に武蔵では年貢を免除致すそうだ、当家の百姓が武蔵にでも逃げられたら堪らぬな。甘利殿、こうなると関所も固めねばなりませぬな?」
板垣信憲にそう問われた甘利信忠は腕組みをして難しい顔をしている。板垣信憲と甘利信忠は武田家では両職に任ぜられている。両職は領内の治安維持や裁判などを執行する権利を持った役職であり、武田家臣団の役職の中でも最上位に位置する。
「左様で御座いますな。急ぎ手配致す事にする。百姓共に逃げられでもしたら年貢や税の実入りが減りますからな?百姓など生かさず殺さず飼えばよいものを真に余計な事をしてくれる。おかげで兵も余計に使わねばならぬ」
まずは百姓の離散を防ぐために国境を固める事が決まった。手配は甘利信忠が引き受ける事になり、明日にでも兵を向かわせる事になった。だが、あくまでもその主張は自らの利権を優遇する物であった。百姓の離散を防ぐのは武田家の利益にはなる。だが、その動機が国人の利益と重なっただけと言うのが信繁は気に入らなかった。このような者の力を借りねば立ち行かぬのが口惜しい。そしてその後は小田家への対応が話し合われた。
「今は小田家も大領を得たばかり、そう易々と動けぬかと存じます。攻めあぐねて久しく御座いますが、信濃を奪わねば当家の先も暗いものとなるでしょう。小県郡を後に回し、伊那郡を奪う事が出来れば軍略の幅も広がりましょう」
馬場信春の提案を聞いて諸将の各々が思案をする。口を開いたのは穴山信友だった。
「今少しで雪が降り、軍勢も出せなくなろう。砥石城が落ちぬなら矛先を変えるのは良いかもしれぬ。だが、その前に調略を致し、万全を期したいものであるな?」
「真田殿が捕らえられて久しく御座いますが、敵方も寝返りに警戒を致しているようで御座います。村上と和議を致し、その間に伊那郡を奪うなり出来ればよう御座いますが、果たして村上が承知致すか、それが問題で御座います」
「つまりは打つ手なしという事であるな?また話が戻ってしもうた。近頃はいつもこれだ。真田殿が捕らわれてからどうにも物事が巧く進まぬ」
「お歴々方、様々な軍略を検討致し、道を探らねばなりませぬ」
武田信繁に促されるようにして諸将は様々な方策を論じ合った。意見の多くが今川家との婚姻同盟を進め、それを以って今川家から援軍を貰い、武田家は諏訪郡から伊那郡へ侵攻し、今川家は遠江の青崩峠から伊那郡へ討ち入って貰い、小笠原家を挟み打つというものである。当然、対価を求められるので、今川家が失った河東を奪還する事に協力してはどうかという提案が大勢を占めた。
武田信繁もその提案を支持した。今は出来る事を試し、少しでも領土を広げて動員兵力を増やさねばならない。だが、問題がある。今川家が北条に河東を攻められた時に婚姻が正式に成されていない事を理由に武田側が援軍を拒否した事である。このような事なら援軍を出し渋るのではなかったと、信繁は後悔したのである。そして兄である武田晴信の様子を見た。晴信は微動だにせず考え込んでいるように見えた。
諸将が様々に軍略を語る様子を目に映しながら武田晴信は信繁からの報告を何度も思い返していた。その中で最も衝撃的だったのは、名門である自分が悪しざまに批判された事である。自分でも非道を行っている自覚はあった。だが、その行為が国人や領民からの支持を集めたし、軍勢の強さにも繋がった。飢饉を脱し、領内が落ち着いてもそれを止める事が出来なかった。悪事を行うのは楽なのである。他国から富や人を奪い自身が豊かになる事が出来る。
小田氏治は自身を批判した。他の大名も同じように考えているのだろうか?名門である自身が野盗呼ばわりまでされたが、怒るよりも背筋が凍る思いであった。
力さえあれば何をしても許される。多くの歴史書を読み、様々な国の興亡を知り、そして晴信が出した結論である。だから邪魔な父親を追放したし、貪欲に領地を奪うための戦も仕掛けた。大領を得れば誰も自身のやる事に口を出して批判する事は出来ない。だが、そんな自身を否定する者が突如現れた。しかも自身を遥かに凌駕する大国の主である。
もし、小田氏治が晴信に牙を向けて来たらどうなるのだろうか?敵の軍勢は四万七千、守りを考えたとしても四万は繰り出せる。更に同盟者である佐竹家が信濃に討ち入ったら防ぐことは難しいだろう。村上と小笠原との共闘もありうる。そうなれば、四方からすり潰されて家が滅ぶだろう。自身が捕らわれれば、村上と小笠原は自身を許さないだろう。それだけの事はして来たのである。
やはり信濃を獲るしかない。信濃を平定し、領地を囲うようにしてある山々を堀とし、防戦に徹すれば大軍といえど、そう簡単に抜けるものではない。だが、信濃を平定するのに何年かかる?信濃を平定するまでは小田家と敵対するわけにはいかない。恥辱ではあるが小田家と佐竹家には平身低頭してでも戦を仕掛けられないように立ち回らなければならない。
武田晴信は重臣達の様子を瞳に映したまま、自身の考えに深く没頭していた。
 




