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第百四十五話 明智光秀の調略 その3


 百地と共に土浦の港に降り立った明智光秀とその妻である煕子は見慣れぬ土地が珍しく、辺りをキョロキョロと見回していた。百地はその様子を見て、自身と桔梗が初めて土浦に降り立った事を思い出した。あれから六年の歳月が流れたが、氏治と歩んで来た月日は百地にとって楽しいものであった。


 伊賀で忍び働きをしていては味わえない仕事であったし、氏治に付き従って戦をしたり、謀を巡らせたりと日々が充足していた。桔梗を養女とし、子のいない百地は父親になる事も出来た。食べる事にも困らず、贅沢まで出来る生活にもなった。百地は自身と光秀を重ねて、この夫婦に幸いがあるように祈ったのである。


 光秀は煕子と共に辺りを見回していた。そして光秀は懐かしさを覚えた。煕子にあれが筑波山だと説明したり、この地では米が良く採れるなど、以前に見知った事を煕子に説明した。暫くすると煕子の為に輿が用意されて、氏治が待つという土浦城に向かった。そして光秀は驚く事になる。


 土浦城の大外堀は総石垣で造られている。この時期では珍しい石垣である。光秀は大外堀を見て、その巨大さと堅固さを目の当たりにして言葉を失ったのである。そして百地に促されて建設中の門を潜ると、地面には石が敷き詰められており、まるで寺の参道を思わせた。そして目に入る建物の屋根には屋根瓦が積んであり、ここが田舎と言われる常陸の町だとは思えなかった。


 光秀が常陸を訪れたのは約三年前である。たったの三年でここまでの町を築き上げたのかと驚愕した。馬を歩かせながら、まるでお上りさんのように辺りを見回した。町は綺麗に整えられていて、何処にでも居る筈の孤児などが目に付かなかった。光秀の様子を見て百地が口を開いた。


 「明智殿、この土浦の町は御屋形様の大の自慢で御座います。この町はまだまだ栄えまする。この土浦にも明智殿のお屋敷が用意されて居ります。小田城にもお屋敷は用意されて居りますが、住まうなら土浦がお勧めですな。後ほど案内致しますので、奥方もお連れになると宜しい」


 百地の言葉に光秀は顔色を変えた。


 「屋敷を二つも!いくら何でもこの光秀には贅沢で御座います!何の功も無い私は受け取れませぬ!」


 光秀の言葉を聞き、その様子を見て百地は大きく笑った。そうしてから光秀に口を開いた。


 「ご安心下さい、この百地も明智殿と同じような経験が御座います。御屋形様から重臣になれと申し伝えられた時は思わず口答えを致したもので御座います。明智殿、諦めが肝心で御座います」


 そう言ってから百地は面白いものを見るような眼で光秀を見た。光秀は百地の様子を見て何とも言えない気持ちになった。斎藤家で不遇な思いをしてきたせいか、自身の幸運を信じられないでいたのである。


 「はぁ…」と生返事した光秀だが、気前のいい氏治ならありうるかもしれないと納得するしかなかった。武家屋敷を抜け、城に到着した百地と光秀は馬を降りて城門を潜った。輿から降りた煕子もそれに続いた。煕子を気遣いながら歩き、目に入った城を観察した光秀だが、何の変哲もない城の様子に頭を捻った。あれほど城下町が整えられているのに城は質素なのである。明らかに城下町の整備を優先した結果だろうが、普通は逆である。だが、年貢を集めるだけの斎藤家とは違い、(まつりごと)をしているのだと思えた。


 二の丸を潜り、本丸に到着すると先行していた明智光安を始めとする一族が出迎えてくれた。先触れの報を聞いての事だろう。そしてにこやかな光安達の様子を見て光秀は安堵したのだ。そして幾つかの言葉を交わすと、氏治の待つ広間に皆で足を運んだのである。


 広間に入ると既に氏治が上座に座っていて、光秀と目が合うとニコリと笑った。光秀は両脇に並ぶ重臣を気にしながら足早に氏治の前に歩み寄った。妻の煕子や明智の一門も続き、腰を下ろすと氏治に平伏した。


 「明智十兵衛光秀。お招きに甘え参上致しました」


 光秀が平伏したままそう言うと氏治は顔を上げるように命じた。そして光秀と目が合うと口を開いた。


 「もう光秀でいいかな?私に仕えてくれてとても嬉しく思っています。これから大変だとは思うけどよろしくね」


 光秀はその言葉を聞いて相好を崩した。ずっと氏治に仕える事が出来たならと考えていた。今、ようやくその思いが叶うのである。光秀は湧き上がって来る喜びを押さえながら口を開いた。

 

 「氏治様にお仕え出来る事はこの明智光秀、望外の喜びで御座います。一門や領民まで受け入れて頂き真に感謝致します」


 光秀がそう言うと、明智光安を始めとする家臣達も再び平伏した。氏治は皆に楽にするように伝えてから両脇に並ぶ重臣を紹介した。光秀は恐縮しながらいちいち頭を下げた。その様子を見て菅谷政貞が言う。


 「明智殿、お久しぶりで御座います。ですが、そう畏まらずともよう御座います。我等は同じく御屋形様に仕える身で御座います。今後、何かお困りがあれば、この政貞に相談されると良い」


 菅谷政貞の言葉を聞いて氏治は笑った。


 「光秀、そうするといいよ。これから政貞に扱き使われる事になるのだから遠慮していては身体が保たないからね?当家は戦より平時の(まつりごと)の方が大変だから励むといいよ」


 それからは氏治に請われて、斎藤利政に致仕を申し出た時の話や明智荘の民を連れての旅の話をした。僅かな期間ではあったが、光秀にとっては己が戦を仕掛けたような心持ちであった。斎藤家で使い走りをする毎日と比べると余程、刺激的であった。氏治は斎藤利政の様子が気になるようで、詳しく斎藤利政の事を聞いて来た。光秀は、致仕を申し出た時の事を詳しく語り、また斎藤家の内情もついでと報告するように語ったのだ。


 氏治は斎藤利政の様子を聞いて成る程と納得した。現代で斎藤道三といえば下剋上の代名詞のような存在である。小説を始めとする様々な出版物では斎藤道三は優れた英雄として描かれて居り、また映画や時代劇でも主人公として扱われる。信長との絡みもあるので題材としては面白いのである。だがその実像は大いに異なる。親子二代に渡って美濃を盗ったというし、国を盗る謀略の才能はあっても国を治める才覚が無かったのはよく知られている所である。


 現代では斎藤道三は戦国時代の大物扱いされるが、この時代ではそんな事は全くない。戦国時代の大物と言えば細川や畠山、三好に六角といった大名である。


 光秀の話を聞くと、斎藤利政は(まつりごと)には大した興味を示さず、旧来のやり方を踏襲するに留まっているように感じた。光秀の扱いを見るに、力を得た事に満足して、他人を見下す様子からは愚者としか思えなかった。斎藤道三の立場であれば、それにこそ心を砕かねばならないのだが、取り巻きを作って満足しているようだとそこまで警戒する相手ではないと判断した。


 信秀と信長が婚姻関係を結んでいるが、数年すれば斎藤義龍による長良川の戦いが起こる筈である。その遠因も斎藤義龍を軽んじた事であり、人を大切にしなかったツケを斎藤利政は支払うのだろうと氏治は考えた。光秀が氏治に仕官したという事は、長良川の戦いで味方する筈の明智が居なくなる事であり、戦は更に不利になるのである。恐らく、史実通りに信長の援軍は間に合わないと思われるので、斎藤利政の運命は氏治が光秀を介して関与していたとしても変わらないと考えた。


 少し考える様子を見せた氏治を見て、光秀は斎藤家からの苦情を危惧しているのではないかと心配になり、氏治にそれを聞いたのである。


 「光秀、それは無いよ。私が思ったのは、斎藤利政殿は(まつりごと)も碌にしないようだし、取り巻きは兎も角、家臣の心も離れているようだから御家が傾くのではないのかと思ったんだよ」


 「光秀もそう考えて居ります。斎藤家は諸国からも侮られて居りますれば、君臣が心を合わせ励まねばなりませぬ。斎藤家を去った身では御座いますが、多少の心配は御座います」


 その後は明智荘から連れて来た領民の扱いや、明智一族への役目の話などが菅谷政貞から伝えられた。そして光秀は大宝城の城代に任ぜられ、菅谷政貞の右腕として役目を果たす事が申し伝えられた。氏治は光秀の妻である煕子の身を案じていて、光秀には世話をする侍女を早めに雇うように申し渡した。今までは光秀と共に畑仕事をしていた煕子は恐縮していたが、重臣の奥方との付き合いもあるのだからと氏治に窘められていた。


 そしてその夜は光秀を歓迎する酒宴となり、光秀は氏治に呼ばれてやって来た多くの家臣に紹介される事になった。酒宴が始まると光秀の叔父である光安は、斎藤家との扱いの差に感激し、思わず涙を零したのである。宴席には見た事も無い料理が並び、明智の家臣達は料理に舌鼓を打ち、光秀から話では聞いていた珍陀酒が出された事に驚き、そしてその酒を味わったのである。


 光秀の仕官を早馬で知らされた赤松と飯塚も、武蔵と上総から馬を飛ばして土浦城の酒宴に参加していた。光秀との再会を二人は喜び、他の重臣に紹介して親睦を深めた。光秀が菅谷様の補佐とはどのようなお役目であろうか?と質問すると、皆は御屋形様の政務の補佐で御座いますと生暖かい笑顔を光秀に向けた。菅谷政貞の政務は激務である事を知っている重臣達は光秀が気の毒に思えたのである。


 翌日になると光秀一行は百地に案内されて大宝城に向かった。そして城の姿が見えて来ると皆が言葉を失った。大きな湖に浮かぶような城であり、囲う塀は白く、聳えるように立つ主郭は見た事が無かった。近付くにつれて全容が見えて来ると、石垣造りの城であり、塀には漆喰が塗られ、三階建ての主郭にも同様に漆喰が塗られていた。百地からは天守閣だと説明があった。


 「かように美しき城は見た事が御座いませぬ。それに水を背にし、堅固で御座います。関東にかような城があるとは驚きで御座いますな……」


 光安が大宝城を眺め見ながら感心したように言う。明智家の家臣も口々に感嘆の言葉を漏らしていた。その様子を見ながら、光秀自身は言葉すら出せなかった。感極まったような光秀を見て、百地は無理も無いと思いながら言った。


 「この城を明智殿にお任せになったのは御屋形様の期待の表れで御座いましょうな?元々は結城家に対する備えで御座いましたが、当家は武蔵まで平らげた故、敵が攻めて来る心配も御座いませぬ。城下を整えればまだまだこの地も栄えまする。明智殿の腕の見せ所で御座いますな?」


 百地にそう言われた光秀は氏治の心配りに感激し、そしてようやく真の主に巡り合えたと確信した。身を粉にして働き、少しでも恩を返そうと決意したのである。こうして明智光秀は小田氏治の家臣となった。


 光秀が大宝城を見て感激していた頃、土浦城にある氏治の私室では密談が行われていた。戦が終わると、氏治と菅谷政貞は執務に忙殺されていたのである。執務は氏治の私室で行われ、部屋の中のあちこちに文箱が積み重ねられていた。


 「これとこれとこれは光秀に任せたいかな?」


 氏治はニコニコしながら重ねられた文箱に入った書状や書付の束を対面に座る菅谷政貞の方へ押しやった。それを見た菅谷政貞は顔色を変えた。


 「御屋形様、御待ち下さい!某の仕事も明智殿に分けるので御座います。これでは明智殿がお困りになりまする。まだ当家に来たばかりだと言うのに気の毒で御座います」


 抗議するように言う菅谷政貞の言葉を聞いて、氏治は顔色一つ変えずに答えた。


 「なら、政貞の仕事は分けなくてもいいよ?でも、こういうのは案外やってみたら出来てしまうものだから私は遠慮なく光秀に押し付けるからね?」


 「―――ぐっ、それは某も困ります」


 眉を下げて困っている菅谷政貞に氏治はニヤリと笑いながら言った。


 「政貞、今押し付けないと逃げられなくなるよ?光秀にはこういうものだと言えばバレないよ?やる気に満ちているようだったし、黙っていれば大丈夫だよ?」


 「し、しかし……。それでは余りにも明智殿の負担が増えまする……」


 「政貞は忙し過ぎてお酒を楽しむ暇も無いって言っていたでしょ?光秀に頑張って貰えば屋敷にも帰れるし、お酒も楽しめる。お蕎麦だって気軽に食しに行けると思うよ?光秀は若いのだからこの位の仕事はへっちゃらだよ」


 「―――ですが……」


 「この苦難を乗り切れば光秀はきっと大きく成長すると思うよ?辛いからこそ糧になるんだよ、そう考えれば光秀の為になると思わない?」

 

 氏治の甘言に菅谷政貞は腕を組んで唸った。そして連日の政務の疲労もあり、氏治(悪魔)の言葉に乗ってしまったのである。


 「そ、それでは、某はこれとこれとこれを……」


 菅谷政貞は自身の持ち分である部屋の隅に積んである文箱を氏治が光秀に押し付けようとしている文箱の隣に移動した。そして積み上げられた文箱を氏治と共にしげしげと眺めたのである。


 「凄い量だね……」


 「凄い量で御座いますな……」


 氏治と菅谷政貞は顔を見合わせた。そして二人は歪んだ笑みを浮かべたのであった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 〉「凄い量だね……」 〉「凄い量で御座いますな……」 でもそれ、二人の抱えてた一部だし? 押し付けてゼロになるのはあかんが。 二人の仕事を合わせて三分割した程度なら……。 新人にやることじ…
[一言] 光秀……過労死せんでね?(笑) もしそうなったら、それはそれで本望かもしれないけど
[良い点] 光秀を誘うところは大変良い展開で読み入ってしまいました。 [気になる点] 信長が超パワーアップしてるのに、光秀のいない斎藤家とかまともな同盟相手になるんだろか…?平手の爺さんが味方になった…
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