第百四十四話 明智光秀の調略 その2
斎藤利政は激怒していた。暴れるほど取り乱しはしなかったが、怒りの余り頭に血が上り、顔を真っ赤にして腕を組み、そして虚空を睨みつけていた。近習の者はその様子を見て恐れおののき、斎藤利政の勘気に触れないようにと祈っていた。茶を持って来た侍女も斎藤利政の様子を見てただ事では無いと感じ、そっと茶を置いて足早に部屋から出て行く有様である。
事の発端は明智光秀と明智光安が訪ねてきた事である。早朝にも関わらず火急の話があると稲葉山城に登城して来たのだ。すわ敵襲かと斎藤利政は緊張したが、そうではない事が判ると安堵したものの、同時に明智如きに驚かされた事に腹が立った。明智光秀に明智光安と対面した斎藤利政は不機嫌さを隠す様子もなく、何用かとぶっきらぼうに問うた。
その様子を見て光秀は自分達を軽んじる事が無くなる事は無いと確信した。このような主君に仕えていた今までの自分が情けなくなった。そして光安は内心で激怒していた。明智家は土岐家に連なる家であり、相応の礼を持って接するべきである。斎藤利政はその辺りが理解出来ていない。力があれば何をしても許される訳では無いのである。
斎藤利政は親子二代に渡ってこの美濃を支配するに至ったが、武士としての誇りや矜持が感じられず、国主として座った立場に胡坐を掻き、力の弱い国人を嘲っているのだと光安は思った。そしてこれから仕える小田氏治は将軍家の縁者であり、斎藤利政とは家格が比べ物にならない人物である。そう考えると、今度は可笑しくなって来た。まるで山猿ではないかと内心で嘲笑った。
斎藤利政は面倒そうに光秀に要件を聞いた。そしてその言葉に顔色を変えたのである。
「当家から去ると申すのか!この利政に何の不満があるのか!」
光秀は内心で嘆息した。この主君はもう駄目だと考えた。斎藤利政は若い頃は人物に優れ、家臣を労わったと聞いている。だが国を盗り、権力を持った途端に小さい国人は冷遇され、隠していたのであろう本来の顔を覗かせたのだ。
「何を申しても言い訳になりましょう。明智の荘はお譲り致します。この光秀は黙って出て行くのみで御座います。光秀は生活に困窮する程、利政様にお仕え致しました。その光秀が利政様を見限るので御座います。よくよく考えませぬと斎藤家の先は御座いませぬ。奸臣を侍らした国は滅びまする。この言葉を最後のお役目として、利政様に御注進申し上げます」
「奸臣を侍らせているだと!若造が何を申すか!」
斎藤利政は怒りに震えた。この生意気な若造を斬り殺してやろうかとも考えたが、流石にそこまでの分別は無くしていなかった。
「当家を去って何処に行くと言うのだ!其の方が去れば儂は諸国に奉公構の書状を出す事になるが、それでも良いのか!」
斎藤利政が脅すように言うと光秀は顔色一つ変えずに答えた。
「よう御座います。光秀は一族郎党と共に去るのみで御座います」
そう言って光秀は平伏した。美濃斎藤家は五十七万石の大国ではあるが、諸国からは成り上がり者と軽蔑されている。現に名門で大国である六角家と朝倉家に戦を仕掛けられている。斎藤利政の力が弱まれば磨り潰されるのではないのか?と光秀は懸念している。
一方で斎藤利政は態度を変えない明智光秀の様子を見て思った。光秀が去れば主君が見限られたと噂されるだろう。それは斎藤家にとっては恥辱であり、また、他国からも嘲笑されるだろう。何より、斎藤家家中に揺らぎがあると思われては堪らない。今までは若造である光秀を侮っていたが、こうなると話は変わって来る。織田家に合力し、援軍の当ては出来たが、この一事で諸国に舐められれば本格的な大戦になるかも知れない。
「光安、其の方は光秀を諫めぬのか?光秀の気持ちはこの利政も解った。これからは明智を大事にしよう。光秀は若い。今は一時の激情に流されていると思われる。叔父である其の方からも何か申すべきではないか?」
斎藤利政は明智光安にそう言った。斎藤利政は光安にはそれなりに気を遣って来た経緯がある。光安に光秀を思い留まらせようと考えたのである。
「恐れながら申し上げまする。この光安は当主である光秀様にただ従うのみで御座います」
そう言って明智光安は平伏した。その様を見て斎藤利政は説得を諦めざるを得なかった。武士がここまで言うのである。自身が明智家を見下していた事も事実である。怒りながらも自身の不手際であった事を斎藤利政は認めていた。そして仕方なしに斎藤家を去る事を許したのである。
光秀主従が去った後に斎藤利政は考え込む事になった。家中が揺れている訳ではない。ただ、諸国はそうは見ないだろう。それに自身は成り上がり者である。美濃一国という力を手に入れて驕っていた事を認めざるを得なかった。
光秀には奸臣を侍らせていると言われた。だが利政はそうは思っていなかった。若造が生意気なと考えると、再び怒りが湧いて来た。そして腕を組んで虚空を睨み、必死に平静になろうと努力した。
♢ ♢ ♢
明智光秀は爽快な気分で稲葉山城を後にした。明智光安も日頃の留飲を下げた心持になり、光秀とまだ見ぬ小田領の話をした。光秀は以前に常陸を訪れた事があり、それを光安に話して聞かせた。整えられた田に葡萄の畑が延々と続く様を話すと光安は年甲斐もなく心が弾んだ。
「叔父上、利政様は未だにお解りになっていないのが気懸かりです。斯様な事では家も傾きましょう。他国では様々な政が試されているというのに、斎藤家は旧来から何も変わりませぬ。何れは家中からも見放されましょう。気の毒な事です」
光秀の言葉に同意しながら光安は答えた。
「国を盗る才覚は御座いました。ですが、国を治める才覚は足りないようで御座います。家中では義龍様に近付く者が多いと聞いて居ります。何事も無ければよう御座いますが」
光秀と光安は斎藤家の未来を語りながら明智城に帰還した。そして百地に斎藤家を辞した事を伝えた。
「御目出とう御座います。と申して宜しいかと存じます。この百地もお役目を果たす事が出来まして安堵致しました。早速では御座いますが、御一門や御家来衆、他には領民を如何程お連れになるか決めねばなりません。明智様は斎藤家を辞されました故、ここは既に敵地で御座います。御油断召されぬよう御忠告申し上げます」
百地の言葉を聞いて光秀と光安は顔色を変えた。斎藤利政に致仕を申し出て留飲を下げていたが、斎藤利政の気が変わり、軍勢を差し向けて来る事もありうるのである。光秀は自分の迂闊さが恥ずかしくなった。そして忠告してくれた百地に深く感謝したのである。
「百地殿、御忠告痛み入ります。この光秀は呆けていたようです。今より戦同様に差配を致します故、御力を御貸し下さい」
光秀がそう言うと百地はニヤリと笑った。
「元よりそのつもりで御座います。御一門や御家来衆は昨晩の宴席で存じて居りましょう。急ぎ荷を作り、熱田の港に向かわせると宜しいかと。次に領民で御座いますが触れを出し、急ぎ参るようにお下知下され。当家では田畑を捨てて逃げ込む流民が多く、扱いも慣れて居ります。田畑も御屋形様から与えられましょうから、なるべく多くの領民を連れて行かれるが宜しいかと存じます。もう一言申せば、小田家では民を食わせるのが第一の国で御座います。故郷を離れ難く考える者も居りましょうが、この地より豊かな田畑を手に入れる事が叶いましょう」
「百地殿、忝い。しかし、大勢で熱田に参って宜しいのだろうか?宿など取りようもないと存じますが?」
「御心配は無用で御座います。当家の盟友である織田信長様に御助力頂き、幾つかの寺や砦を宿代わりに御貸し下さいました。兵糧の用意は御座います故、荷が無くとも問題は御座いませぬ。熱田の港に迎えの船が次々に参る手筈になって居ります。領民は熱田から武蔵へ送り一旦留め置きまする。御一門や御家来衆は小田に参って貰います。御屋形様が心待ちにされて居りましょうから」
光秀と光安は百地の言葉に大いに驚いた。百地の言葉が事実であれば、氏治は光秀が被官する事に確信を持っていた事になる。それに最初から大勢を迎える事を想定していたとしか思えない準備の良さにも驚いた。光秀は氏治の手際に感心していたが、実際は氏治が心配性なだけであり、あれやこれやと気になった事を次々と百地の忍びに指令していたのである。
そして明智家の大移動が始まった。光秀は領民に事の次第を触れ回り、二日の期限を以て出立する事を決めた。自身は移住を希望する領民を引き連れて熱田に向かうつもりである。妻である煕子には叔父である光安と共に先に行くように指示をしたが、煕子は頑として聞かず、結局は光秀と共に小田領に向かう事になった。
一門や家来衆が次々と出立する中で、光秀と共に常陸に移住をする領民の数は老若男女含めて四百人程集まった。明智荘の殆どの領民が集まった事になる。そして戦の準備でもするかのような喧騒の中で、移住の準備が進められた。光秀は夜遅くまで働いていたが、疲れなど微塵も感じなかった。
そして出立の日になると煕子の為に輿が用意された。光秀は贅沢であると断ったが、百地からは小田家の重臣の奥方が歩きで旅を致すなど以ての外と切り捨てられた。自身が重臣になった実感が無かった光秀は、百地が正しいのだろうと煕子には輿を使わせる事にした。
光秀は軍勢を指揮するように領民を従えて明智荘を出立し、一路熱田に向かって歩を進めた。軍勢とは違い、その歩みは遅いものであったが、自分について来てくれた領民の気持ちが嬉しくて光秀は終始機嫌が良かった。傍らで手綱を操る百地と話をしながら小田での生活を夢想した。
道中では斎藤家の支城から物見の騎馬が放たれ、光秀が率いる領民の事を問われた。光秀は斎藤家を辞した事を告げると納得はしたものの、民まで連れて行かれるのか?と問われる事になった。そしてそんなやり取りを何度もしながら夕刻には尾張に入ることが出来た。
用意された砦や寺で領民を休ませて、次の日には早朝に出立し熱田を目指した。熱田に到着した光秀一行は、用意された砦や寺に領民を入れた。そこからは船が付き次第領民を乗せて運ぶ事になる。光秀は百地と共に清洲城を訪ねて織田信長に礼を言った。信長は「当然の事をしたまで」と言い、「氏治殿の御家来になられたからには明智殿は客である」と更に言った。
信秀と信長は斎藤家から抗議が来る事を承知で氏治の要請に応えたのだ。氏治には借りがあり、返したいという信秀の気持ちと、友の頼みを断る事などあり得ないと考える信長によって明智を保護する事に決めたのである。尾張平定の為に力は借りたが、家臣に見限られる事は話が別であるとも考えている。信長は氏治がここまでして迎える明智光秀に興味があった。話してみれば聡明である事が感じられた。氏治が迎えたのなら重用されるのだろうと考えた。
光秀は百地から常陸小田家と尾張織田家の友誼は聞いていたが、戦国の世でありながら他家とここまで繋がりが強いのかと感心した。光秀は次いで帰蝶に別れの挨拶をした。帰蝶は光秀が斎藤家を辞した事に大いに驚いていた。
「十兵衛にはお願いがあったのに残念です」
そう言った帰蝶の気持ちが理解出来なかった光秀だが、斎藤家を辞した事を責められる事が無く安堵したのだ。それに帰蝶のお願いは何やら恐ろしいので、回避出来た事にも安堵したのである。帰蝶は自分の領地経営の為に光秀の力を借りようと画策していたのだが、神でもないと帰蝶の考えを知る事は出来ないだろう。
そして三日ほど熱田に滞在し、小田家の船が着く度に領民達を武蔵に送り出した。小田家の船は次々とやって来て領民を武蔵に運んだのである。この輸送には、里見家から降った水軍衆が中心となって行った。小田家に降ってからの初仕事に指揮を執る正木時忠は張り切っていた。最後の船に百地と妻の煕子と乗り込み、ようやく小田領に向かう事になったのである。
斎藤利政は明智光秀が美濃を出て行ったと聞き、軍勢を派遣して明智荘を接収するように命じた。だが、差し向けた家臣が戻り、報告を聞くと思わず口を開いた。
「明智の若造め!民を全て連れて行き居った!民の居らぬ領地など何の価値も無いではないか!」
そう言って酷く悔しがったという。この事はあっという間に領内に広まり、そして斎藤利政の名を貶める結果となった。明智光秀が領民を連れて美濃から去った事を聞いた人々は、劉備の逃避行を思い出させ、光秀は今劉備と呼ばれ、民草は光秀を賞賛したのである。
お知らせ
大変お待たせ致しました。土日は連続投稿を致します。月曜からはストックが溜まるまで隔日投稿にしようと思います。少し燃え尽きた感が御座いますが、エタるのだけは避けたいのでお許しください。
ゴロリ様 レビューを頂き有難う御座います。心より感謝申し上げます。




