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第百四十一話 鷹丸の戦報告 その1


 百地丹波が小田氏治から明智光秀の調略を命じられた頃、関東の戦話を織田信長に披露するようにと小田氏治から依頼された鷹丸は、織田信長の新たな居城である清洲城の一室に通されていた。諸国による連合軍で北条家に挑んだ今回の戦では、鷹丸は佐竹義昭の耳目として活動していた。それゆえに小田軍の動きに不明な点もあり、仲間の忍びから情報を収集してからの出立となった。


 今回の戦も大勝利であり、しかも百三十万石の大領を手に入れた事は鷹丸も誰かに大声で自慢したい事でもあった。そして幸いにも氏治から戦の説明の依頼があり、意気揚々と尾張にやって来たのである。織田信秀と信長の親子が尾張を平定した事は鷹丸の耳にも入っており、小田家の同盟国の全てが領地を増やす事が出来た事を喜んだ。鷹丸は常より軽い足取りで那古野城に向かったのである。


 那古野城に到着すると、織田家の家臣からは信長は清洲城に拠点を移したと聞き、急いで目的地を清洲城に変更する事になった。そして清洲城の門を叩くと直ぐに城内に通され、平手政秀の案内で信長の私室に通されたのである。鷹丸が部屋に入り、腰を下ろすと、平手政秀が機嫌良さげに陽気に話し掛けて来た。


 「鷹丸殿も耳にされたと存ずるが、此度は当家も尾張を平定する事が叶い申した。鷹丸殿のご様子を見るに小田様も御無事なようで何よりで御座いますな?」


 「尾張織田様の戦での大勝利は耳に致しました。大変目出度く存じます。御屋形様からは後ほど祝いの使者を別に立てると申されて居りました。後ほどお耳にお入れ致します事になりますが、当家も佐竹様も大勝利で御座いますゆえご安心下さい」


 「ほう、大勝利であるとは目出度いですな。鷹丸殿、此度はご当主である信秀様も参るゆえしばし待たれよ。丁度この清洲に居られるゆえ信長様と共に直に参られよう」


 平手政秀はそう言って部屋から退出した。鷹丸は出された茶を飲みながら待っていたが、直ぐに平手が戻って来た。そしてその後ろには帰蝶が居て、いつかのように平手が困った顔をしながら帰蝶を部屋に招き入れたのである。鷹丸はまたかと内心で嘆息したが、以前のような事はあるまいと考えた。


 帰蝶はすました顔で腰を下ろした。鷹丸は平伏して挨拶をし、帰蝶もそれに応えた。平手は女子(おなご)である帰蝶と鷹丸を二人きりにする訳も行かず、仕方なしに腰を下ろして鷹丸と雑談をした。しばらくするとドカドカと足音が響いてきて信秀と信長が部屋に入って来た。信秀と信長は帰蝶の姿を認めると一瞬動きを止めたが、大して気にする様子もなく鷹丸に相対した。型通りの挨拶を済ませると、早速とばかりに信秀が口を開いた。


 「氏治殿のご様子が知りたかった。当家も氏治殿の助言に従い尾張を平定出来たのだが、氏治殿と佐竹殿が大戦に巻き込まれたと聞いている。こちらにも噂は流れて来たが、どうにも得心が行かぬ。其の方から詳しい話を聞きたい。倅からは其の方の話は聞いて居る。遠慮なく申すが良い」


 「まずは尾張の平定、大変目出度く存じます。我が主もお喜びで御座いました。此度の戦は長う御座いましたので、文に認めるのが難しく、また、主は多忙であり、それが故にこの鷹丸から信秀様と信長様に御説明せよと言付かって居ります」


 鷹丸はそう言ってから地図を取り出して、信秀と信長の前に広げた。関東は不案内だろうと事前に用意していたのである。信秀と信長は地図に目を落とし、平手も地図に近づいて座り直した。帰蝶も信秀を気にしながらそっと地図に寄り、一緒に見たのである。鷹丸は懐から扇子を取り出し、地図を指し示しながら話を始めた。


 「此度の戦は北条家からこれにある武蔵を切り取り、関東管領様に治めて頂く為の戦で御座いました。里見家からの呼び掛けにより諸国が兵を挙げたので御座います。関東管領の山内上杉家、扇谷上杉家、里見家、佐竹家、そして当家で御座います」


 鷹丸は説明を始めた。小田家は一万五千の軍勢を繰り出した事。連合の報酬として下総と上総の切り取り勝手を認められた事。そして瞬く間に下総と上総を平定した事。その際に民に食料を施して進軍した事などである。その話を聞いて信秀は唸った。


 「常陸小田家の軍勢は乱取りをせぬと聞いて居る。その上に民に施しを致すとは前代未聞であるな?」


 信秀は目だけをギロリと動かして信長に問うた。


 「父上、この信長も驚いています。軍勢に乱取りをさせない事は後の統治にも繋がります。民に恨まれては戦で兵を集めても働きません。ですが、その上で民に施しをしようとは考えもしませなんだ」


 信秀は腕を組んで信長に対して思案気に口を開いた。


 「其の方が申すので乱取りは致さぬ事にしたが、民への施しとなると相応の銭が掛かる。だが、其の方が掲げた『思想』を考えると致さぬ訳には参るまい。噂は真であったし、民草がそれを聞けば当家よりも氏治殿に傾倒しよう」


 「父上、更に申せば、氏治殿のご領地に接する大名も困りましょう。噂を聞いた民草は村を捨てて氏治殿のご領地へ参るでしょう。この(まつりごと)は乱世を変えると見ました。鷹丸殿、常陸小田家の『思想』とは何でしょう?」


 鷹丸は信長の問いに澱む事なく答えた。


 「民を安んじて食べさせる事で御座います。当家では重臣方は無論の事、我らのような忍びまでがこの『思想』に従い働いて居ります」


 信長は鷹丸が躊躇する事なく語った事に軽く感動を覚えた。氏治は末端である忍びからも絶大な支持を得ている証拠でもあるのだ。乱世となり、幕府の力が衰えたといえど職制や武士の在り方は変わらない。特に乱世である今の世では力で土地を手に入れ、それを家臣と分け合い家を繁栄させていくのだ。その考え方を変えるのだから相当の苦労があったに違いない。信長が律令を推し進めて行けば、織田家から去る者も出るだろう。だが、去る者は追わなくてよいと信長は考えている。『思想』を共有出来る者を残し、足りなければ他から探せばいいのである。織田家に今仕えている家臣達の考えを無理に変える必要も無いのだ。そして何よりも銭が必要である。銭が無ければ律令は成り立たない。氏治が商いに熱心なのも頷ける。


 「最も難しき事を氏治殿は容易くおやりになる。当家も律令を行う事を宣言しましたが、家臣との『思想』の共有はまだまだこれから。父上のお力を借りる事になりそうです」


 信長がそう言うと信秀はバツの悪そうな顔をした。今までの人生では謀略で敵を殺したり、戦でも容赦のない沙汰を下したりと、とても善人とは言えない行動を取ってきた信秀である。それがゆえに近隣からも家臣からも恐れられて今の統治に繋がっている。それを今から仁君の如き振舞いを要求されるのだから背中がむず痒くて仕方がない。


 「其の方が致せば良いのではないのか?この父には荷が勝ち過ぎて居ると思うのだが?」


 「問題御座いません。私が策を考えましょう。父上は今後仁君として振舞って貰います。お逃げにならないように」


 嫌そうな信秀にすました顔で信長が言った。


 「仁君、この儂が仁君だと……。これは氏治殿の助言に乗せられたのは失敗であったか?構わぬから、其の方が家督を継いで致せば良い。この儂が仁君とは笑えぬ。平手、笑うでない!」


 信秀の様子を見て笑いを堪えている平手の様子を見て、信長も破顔した。


 「それはなりません。父上にはまだまだ働いて貰わねばなりません。氏治殿が申して居りました。『使える者は親でも使え』と」


 信秀は思わず瞠目した。あの可愛らしい娘からそのような言葉が出るとは思ってもみなかったのだ。そして逃げられないと悟り、せめてもと口を開いた。


 「―――クッ……。鷹丸殿、氏治殿にお恨み致すと伝えよ」


 「はぁ……」


 「鷹丸殿、父上の戯言はお伝えせずともよいです。氏治殿には父上が仁君になられるとお伝えして下さい」


 信秀と信長は平手や鷹丸も交えて律令の話をした。織田家では初めての試みであり、最近では信秀と信長はその話ばかりしていた。信秀からすれば信長の権力を強化して家を継いでもらいたいし、信長は友である氏治や義昭の影響もあり、そして律令の有用性も理解しているので是が非でも成したい。成す事が出来れば国が強くなるのである。やらない理由が無いのだ。そしてそれを成している氏治の存在が強く後押しをしているのである。


 そしてその様子を帰蝶は冷めた目で見ていた。帰蝶は(まつりごと)などどうでもよかった。民に施しをするのは良い事だとは思っている。だが、甘いのではないか?とも考えている。斎藤利政の薫陶を受けてきた帰蝶は、信秀までもがお人好しになったと感じられたのである。信秀と信長は帰蝶の実家である斎藤家の力を借りて尾張を平定している。その立場なら国を守ることを優先するのが当然であり、民草は二の次にするべきだと考えている。


 氏治のやり方にも疑問を持っている。民に施す銭があるならば、軍備に使った方がいいように思えた。特に鉄砲を買うべきだと考えている。そもそも、この場に帰蝶がいるのは、常陸小田家の手塚雪や百地桔梗の話を聞きたいからである。未だに鉄砲衆を率いる事を諦めていない帰蝶は、雪や桔梗の率いる鉄砲衆の話を聞いて、自分が鉄砲衆を率いた時の参考にしようと目論んでいたのである。


 帰蝶は自身の化粧料から斎藤家の伝手を使って堺の今井宗久から鉄砲を三丁手に入れていた。信長には秘密であり、何れは信長から許可を取り、帰蝶自身が鉄砲の修練をするつもりである。武士ならば戦の備えをするべきである。そして賢い帰蝶は信秀と信長が語る律令も正確に理解していた。だが自身の化粧料を手放すつもりは毛頭なかった。帰蝶の大切な財産である。信長が取り上げるとは考えないが、帰蝶は化粧料を原資としてコツコツと鉄砲を貯め込むつもりなのである。どうでもいいから戦の話をして欲しいと内心で思いながら信秀や信長の話を聞いていた。


 「父上。律令の良い所は米や銭を独占できる所ですね。算じてみましたが、恐ろしいほどに年貢が増えます。人を集め、田畑を増やし、今よりも石高を増やせば領地も安定するでしょう。銭が無ければ戦も出来ません」


 信長の言葉を聞いて帰蝶は考えた。自分の化粧料は五千石ある。これは斎藤家に対して織田家が気を使ったゆえの大領である。通常は化粧田として武士の女子が婚姻する際に化粧料の名目で一期分として田地が与えられる。帰蝶の場合は領地として五千石を持っているのである。その五千石の領地を持っている帰蝶は鉄砲を購入したが、一丁金十枚、三丁で金三十枚だった。金一枚は五十石に相当する。金三十枚で千五百石になるのである。帰蝶も無理をして買ったが、資金の問題が頭に残る結果となった。


 (―――どうすればいいのだろう?鉄砲を増やすにしても値が高すぎてなかなか数が揃わないし、今の調子だと三十丁集めるのに十年掛かってしまう。そんなに待てないのに……)


 「―――あっ!」


 帰蝶は思わず声を出して立ち上がった。信秀や信長達は突然の事に驚き、帰蝶に視線が集中した。


 だが、帰蝶は注目されるのも構わずに考える。自分の領地で律令をすればいいのだ。律令をすれば年貢が今以上に集まるのは信長が言った通りである。そして氏治のように領地を育てて商いをすれば鉄砲を揃える銭を集めることが出来る!そして自分の領地に鉄砲衆を作ってしまえばいい。確か、桔梗は孤児を集めて鉄砲撃ちとして育てたと言っていた。孤児ならば大した銭も掛からない!


 帰蝶は虚空を見つめながら両手の拳を胸の前でグッと握りしめた。そしてひとつ頷くと、何事もなかったように腰を下ろした。信秀は表には出さないが、この斎藤家から来た帰蝶が気に入っていた。信長とも上手くやっていると聞いている。何か思いついたようだが、帰蝶の様子を見て問う事に躊躇していた。一方、信長は帰蝶がまた何か企んでいるのではないだろうか?と考え嘆息した。だが、城に閉じ込められるように生活している帰蝶を不憫に思ってはいた。武家の習いとはいえ、若い帰蝶にも思う所があるのだろうと考えた。それゆえに信長は帰蝶に何も問わなかった。


 その後も信秀と信長の(まつりごと)の話は続いた。信長は鷹丸に常陸小田家のやり方を聞いたりして検討を重ねていった。そして帰蝶は戦の事など忘れて、少しでも律令や(まつりごと)を知ろうと真剣に耳を傾けたのである。


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― 新着の感想 ―
[一言] 嫁さんは平均的戦国人だからなぁ。 国=?の図式が「家」で終われるある意味正しい見解。 実際頭が誰でもいい民なら、家と力さえあればあとからいくらでも集まる。 逆に土地がなくとも、王家、主家が…
[良い点] 帰蝶、北条幻庵と主人公の行動に対しての ツッコミ役が居るところ。
[一言] 帰蝶さん、ほんとただ聞きかじりだけで動いてるから乖離が激しいのだろうな。 お話的には思想に傾倒して量産イエスマンキャラで占められるとなんも面白くないので楽しくなりそう。 いやでもなろう層的…
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